1-1 智奈といつもの夢
—— —— Tina
女の人が泣いている。
大きめの家のリビングの、壁の隅に座り込んで泣きじゃくるように泣いている。
隣には、小さな髪の白い男の子が立ち尽くしている。呆然と、ただ、真っ直ぐに前を睨みつけるように、立ち尽くしている。
しかしその深く青い瞳は、隣の女性を目の前の敵から守らんと立ちはだかるような面持ちさえ感じる。
その立派な小さな白い戦士の見据える先には、男がいた。
ドアの前に立ち、その腕には、男の子よりも小さい少女を抱えている。
ここに出てくる人たちは皆、知らない人だった。はっきりと顔が見えているでもなく、誰だかわからない。
ああ、またこの夢か・・・・・・。
こつん、と軽い何かが頭に当たる。
智奈は目を覚ました。
「もう帰りの会」
智奈の机の前には、いつも一緒に帰る真人がいた。
「うん・・・・・・」
寝てしまったためにゴロゴロと違和感のある目を何回も瞬き、顔を下に向けたままバレないようにコンタクトを元の位置に戻す。
あの夢は、たまに見る夢だった。なんの記憶なのか定かじゃない。正夢か、記憶か。ただ唯一わかるのは、すごく嫌な気分になること。寝汗を大量にかくほどだ。
小さい頃は、この夢を見て、怖くておねしょをしたことさえある。今はもう、さすがにしないが。
帰りの会が終わり、帰り道を歩く。
「そういえば、また栗木が学校の花壇壊したって」
真人が言った。
栗木とは、智奈の学校で悪名高い暴力的ないわゆるヤンキーだ。六年生なので、智奈たちの学年一つ上だが、早く卒業してほしい。
色んな子が、栗木に被害を被っているらしい。
ヤクザと連んでいるという噂もあるし、先生たちも、栗木の単独行動を注意することはない。
黒いリムジンに乗って帰ったり、小さな子を恫喝しているという噂もある。
「怖いね。真人も、目つけられないようにね」
「智奈も喧嘩っ早いんだからつっかかるなよ。それより、今日の算数テストどうだった?」
真人は暗い顔をして訊いてきた。
「一個計算間違えたかもしれない」
ここまで言うと、隣からため息が聞こえてくる。
「そうだよなあ、智奈だもんなあ。じゃあ、明日」
真人は背中から紫の火の玉を灯らせながら十字路を智奈の家とは逆の道を帰って行った。いつもの事だけど、駄目だったんだな。
家は生まれた頃から変わらない一軒家だ。小さいながらも、親が一生懸命建ててくれたクリーム色が特徴的な二階建ての家。
門をあけ、数段のステップを上がってポーチから鍵を取り出す。
「ただいま」
鍵を開け、靴を脱ぎながら智奈は言った。
家には誰もいない。
夕方の日差しが入る、がらんとした暗い廊下。真っ直ぐ進み、戸を開ければリビング。すぐ目の前が窓で、夕日がこちらに向かって伸びていた。
家に両親はいない。
両親はつい最近に二人とも家を出て行った。
先月の金曜日、いつもいるソファにお母さんはいなかった。お父さんと二人で買い物でもしていると思い、宿題をして待っていた。が、両親が帰ってくることはなかった。
八時ごろ、ついに空腹が限界に達し、智奈はインスタントラーメンを作って食べた。それからお風呂を沸かし、一人で入る。二十三時くらいまで起きて待っていたが、両親が帰ってくることはなかった。
次の日、お昼になっても帰ってこない。
遅い郵便のチェックに外へ出ると、一通の手紙が入っていた。宛先は光谷智奈様。差出人は、光谷巧二となっている。父親の名前だ。切手が貼られておらず、直接ポストに投函されているようだった。
手紙の冒頭には、一言
『ごめんなさい』
と書かれていた。
その後は、事務的な、両親がいない事への周りへの対処法がつらつらと書かれている。まだ、感情的な手紙の方が読めた。
そして最後に、不思議な一文がある事に気付いた。
『これは、私達にとっても仕方がないと一言で終わらせてしまえるほど簡単な事ではありません。ただ、今でも私達があなたの事が大好きな事を忘れないでほしい。あなたは、たくさんの人から守られていることも、覚えていてほしい。奇跡が起こって、もう一度あなたに会える事を願っています。お母さんとお父さんより』
まるで、誰かによって仕方なくここを離れ、二人は元気にしているとでも言いたいかのように。
学校で必要になるお金や生活費は、銀行口座に毎月父親から振り込まれている。理由を書いて手紙を出せば、その分のお金ももらえるという、不思議な生活だ。
そうして、手紙の続きにこの事実を隠すように、とあり、智奈は周りの人に悟られまいと、ずっと振る舞ってきた。
玄関の鍵を締め、廊下を進もうと足を上げた時、いつもと景色が違う事に気付いた。まわれ右をして、玄関を観察する。
知らない靴がある。大きさと形からして、男物のようだ。
黒いミッドカットブーツで、二本の太いベルトが足首に巻かれている。
誰の?
この家の鍵を持っているのは、両親と智奈しかいない。まさか、父さんが帰ってきた?
ただ、父さんはこんな若者が履きそうな靴は持ってなかったはずだ。見たことあるのはスニーカーと革靴だけ。
そこまで考えた智奈の背中に、冷たい汗が流れた。
不法侵入者・・・・・・。
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一人寂しく、暮らす智奈
そんなところに日常をぶっこわしていく人物が現れる!
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