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6 閑話 エルゼ

 我がシオル侯爵家は三人兄弟だ。

 姉の、カーティ・ルド・シオル。十五歳。第一皇子であり皇位継承権第一位のアエラを婚約者にもつ。つまりは次期皇妃だ。

 妹は、リゼッタ・イム・シオル。十二歳。現時点では婚約者はいないが、父はイトコを婚約者に据えるつもりで動いていると聞く。

 間に俺、エルゼ・サナ・シオルがいる。年齢は十三だ。婚約者はいない。第一皇子の友人で側近。いずれ侯爵家を継ぐ予定だ。


 兄弟の仲は良いと思っている。比較できるほど他家の事情を知らないが、泥沼の後継者争いをするような人間がいないだけで充分恵まれているだろう。両親も姉も妹もみな優秀なので、変な野心をもつかもしれないという心配もない。

 本当に恵まれている環境だとは思う。



 恵まれているのは確実だ。自覚もある。

 ただ、普通かというとそれには全力で否定させてもらう。



 まず、姉。

 姉は侯爵家の第一子とは思えないほど自由奔放な性格だ。なにせ姉は侯爵令嬢でありながら、武芸に秀でている。これはこの國では異例中の異例だ。まず、身分ある令嬢が剣をもつということが、ありえない。あってはならないという否定的な意図ではなくて、前例がほぼ無いのだ。なにせ必要になったことがないので。

 騎士の家柄の女性が武の道を目指すことは珍しくないが、うちは術師が多い一族なので女性が身を守るために教えられる護身術も基本的にそちらに偏る。術が苦手な人ならば多少は武術を習うかもしれないが、それでも多少だ。剣をもつまでには至らないだろう。だって身分ある人間は必ず誰かに護られるものなのだ。そのために、騎士がいるのだから。

 俺も、術は習っているが剣は扱えない。

 護身術は身に付けているので困ることはない。なにかあれば術で対応できればいいのだ。俺の得意分野は自然術なので余計に剣は不要だ。

 騎士になるつもりはないのかと姉と比較されることが多々あるが、俺はそちらの道に進むつもりは毛頭ない。だって不要だから。

 残念ながら、俺は姉と違って不器用なのでなんでも出来るようにはなれない。出来ることを習得するだけで精一杯なのだ。誰もがあの人のようにはなれるなら苦労しない。


 口に出来ない不満をため込んで、苛々して。なにもかもが嫌になるような時もあったけれど、その都度妹が何気なく気を紛らわせてくれたのでさっさと折り合いをつけることが出来たのはとても幸運なことだったのだと成長するにつれ痛感する。

 弟の俺から見ても優秀な姉。自由奔放で、人に流されることのない凛とした姿。決して後ろを振り向かない毅然とした態度は、誰にでも真似できてるものではない。

 しかしそんな姉とて血のにじむような努力の末に今の立場を得たのだ、ということを俺はちゃんと知っている。

 何もせず、ただ与えられるものを甘受しているような子どもではなかったからこそ、姉は強くて美しいのだろう。

 そう、姉は強い。文字通り強い。

 姉もそのことを自覚しているので、淑やかな女性を相手にするときはどうにも立ち居振る舞いがどうにもそちらに寄りがちだ。簡単にいえば、とても騎士らしい。

 縁あって陛下の御前で剣舞を披露した時には多くの女性が感嘆の溜息を零したという。当時十二歳だてらに細くしなやかな剣を己の手足のように舞う様は、男では絶対に真似できない優美さと凛々しさを有していたのだそうだ。

 それが吉となって、年頃の女性の憧れの対象らしい。反面、一部の男性にはこれでもかというほど疎まれている。

『他者を妬んで自分を憐れむ暇があるのなら鍛錬のひとつでもすればいいものを』というのは姉の談。それに関しては俺も全面的に賛成だ。




 騎士としての礼儀も備える姉は女性に優しく、かといって貴族という立場に驕ることもないので優秀な人間からの覚えが良い。反面、実力主義の側面が強いので、身分にあぐらをかいているような人間や、力で周囲をねじ伏せることを好むような人間には蛇蝎のごとく嫌われているらしい。というか、嫌われている。そして姉も嫌っている。嫌な両思いだ。

 そういう快活でさっぱりとした性格の人なので陰謀や策略といった薄暗いやり取りは苦手だろうと言われているが、その実姉はこちらの方が得意分野だったりすることを俺は知っている。

 ある日父が、姉は剣を学ぶまでは子供らしからぬ子供だったのだと教えてくれた。

 他人の悪意に敏感だったそうで、他人をあまり信用しない子どもだったそうだ。

 俺が物心ついたときには姉の周囲には常に人がいて賑やかだったのでその面影を見たことは殆どないが、俺や妹を利用としようとする人間が現れた時には途端に冷たい顔を見せる。そういう人なのだ。

 多分、シオル侯爵家の第一子ということで幼い頃から色んなものを見てしまったのだろう。良くも悪くも人に囲まれる立場なのだ、姉は。

 そんな姉が生き生きと剣を握るようになったのは妹の些細な行動が影響している。

 なんでも、幼い頃に妹が気に入っていた絵本に出てくる騎士が姉に似ていたそうで、「おねえさまみたいでとてもかっこいいの!」という妹の満面の笑みを見てその場で父に直談判しにいったらしい。その場で騎士になりたいという姉も姉だが、許可する父も父だと思う。

 勿論色々と条件はついたそうだが、姉は弱音ひとつ吐くことなく今も騎士としての鍛錬を積んでいる。姉は努力を怠らない、自分にも他人にも厳しい人なのだ。ただし妹にだけは甘い。


 そんな姉がこの國の第一皇子であるアエラと婚約したのは今から約三年前。

 皇子が十歳になった時だった。

 最初は見た目も中身も可愛らしいということで妹のリゼッタが第一候補だったらしいが、性格的に姉のカーティの方が向いているだろうと母が推薦したころ。するりと話がまとまったのだそうだ。

 勿論、反対の声も大きかったらしい。なにせ姉は破天荒な性格で有名だったので、皇妃としては相応しくないのではないか懸念する者も多かったそうだ。それはそうだろうなと、弟である俺ですら思うのだから当然だ。噂だけを鵜呑みにするなら、姉は直情型で我儘。あげく淑女としての自覚が大変足りないらしいので、そんな人間に皇妃なんて責務は到底務まらないと思うのも無理はない。実際、時間があれば剣を振るっているので淑女としての自覚はあんまりないような気がする。これは噂が正解だ。ただし、姉は淑女としての振る舞いも出来る人なのでそちらから足元を掬うのは難しいだろう。

 そうした多々ある反対意見をどうやってねじ伏せたのかを俺は知らないが、今のところふたりの婚約が破棄されるような動きはない。

 姉を陥れることが出来ないのならアエラの方に取り入ろうと努力する家もあるのだが、何分皇子はとても優秀なのでそう簡単にもいかず。では娘を差し向けようと画策するも、姉の女性人気の高さが異常すぎて娘の方が嫌がるのだとか。確かに、姉自身が何かしなくとも周囲の方がそれを許さないだろうなという空気は俺もひしひしと感じている。女性の世界は容赦がなくて怖いのだ。


 ちなみに、姉と皇子はとても仲が良い。仲が良いのだが、ふたりが一緒に出掛けるときは大抵剣を持参で訓練場に向かうのがお決まりなので、一度女官達に泣きつかれたことがある。もうちょっとこう、なんかあるだろう、と。それはそれは丁寧な言葉で訴えられた。花を見に行くとか、歌劇を観賞に行くとか、なにか他にあるだろうと。なんならふたりで庭園の散策をされるのでもいい。なにかないのかと。

 しかし、皇子の側近であり、その婚約者カーティの弟でもある俺は知っていた。

 そんなものが絶対に叶わない夢だということを。

 なので、現実を見ることも大事ですよ、とそれとなく宥めておいた。

 ついでに、万が一にも遠出の計画でもたてようものなら実戦訓練を兼ねて魔動物の多く出る地域に行こうとか言い出しかねないからやめた方が良い、という助言もしておいた。あのふたりは何事も効率重視というか、実利を兼ねる行動を好むのだ。

 そして実力主義。


 そんな姉が非常にかわいがっているのが妹のリゼッタ。

 気付けば何故か皇子にも妙にかわいがられている、姉とは真逆の方向に行動の読めない妹だ。






 姉は凛々しく美しい容姿をしているのに対し、妹はとても可愛らしい容姿をしている。

 赤い髪に緑の目。

 三人とも同じ色を持っているのだが不思議と姉と妹は対照的なのだ。姉は強い意志を感じる濃い目の色で、妹は柔らかな若葉のような柔らかな色。髪も、真っ直ぐでさらりとしている姉と、ゆるやかに波うつ柔らかな妹。『まるで性質がそのまま外見に反映されたみていで面白いわね』と母はころころ笑っていた。

 俺はどちらかというと妹に近い容姿だ。

 見た目も中身も可憐で愛らしいと評判の妹ではあるが、実際のところその噂の出所は姉と皇子なので的を得てはいない。あげく、姉や父を目の仇にしている連中が【侯爵家令嬢として相応しい方だ】という、つまるところ【男の言いなりになる都合の良い女だ】などという尾ひれをつけているので迷惑極まりない。俺が。

 本当なら妹に直接接触したい人間は山ほどいるのだろうが、当然だが侯爵家令嬢に会おうなどそう簡単に出来ることではない。

 なので妹宛の釣書が父宛に多数舞い込んでいるが、それは妹のところに届くどころか父にすら届く前にうちの執事がまとめて丁寧にお断りの連絡を送っている。下位貴族だろうが上位貴族だろうが例外なく、だ。父が目を通しているとすれば他國からのものくらいだろう。

 元々妹は他國に嫁ぐことも出来るよう厳しい教育を受けて育てられていた。本来なら國内國外問わず、婚約者候補くらいは決まっていてもいい時期だ。


 その状況が変わったのは、俺が十歳で妹が九歳の時。


 妹が城の書庫で変なものを拾ってきたことであの子の運命はがらりと変わった。

 皇家の監視下にあったハーフエルフが何故か妹を気に入ってうちに来ることになった。その日登城していた父と、偶然皇子の元を訪れていた俺が呼び出され、事情の説明とお願いという名の命令を下された。

 お願いとは、リゼッタを國外に嫁がせないでほしい、というもの。

 なんでも、エルフとは気紛れで我儘な性質らしく、気に入ったものにとことん執着するらしい。簡単にいえば、妹が國外に行けば間違いなくついていってしまうということだ。せっかく便利な頭脳を手に入れたのにそれは困るな、というのが皇家の要望だった。

 ただ、飽きやすいのもエルフの性質。なので結婚前に件のハーフエルフが妹から離れれば好きにしていいとのことだった。

 その代わり、國内であれば誰に嫁ぐにしても余計な火の粉がかからないように取り計らってくれるとのこと。例えば平民との恋愛婚を望んでもどうにかしてくれるということだ。これに関してはハーフエルフがその時どこにいても誰の傍にいても必ず叶えると約束してくれた。

 当然相手に問題がないことが大前提ではあるけれど。この國に害を成そうとしているような悪意のある相手なんかは問題外だ。

 尤も、そんな人間があの子に近づこうとすればまず真っ先に姉に切られるだろうけど。


 まあなにがなんでも拒否しなければいけないほど悪くない話だろう、ということで父は了承した。どちらにしろこちらには拒否権はないので受ける以外の手はないのだが。

 それにいざとなればいくらでも逃げ道はあるしな、と父がそっと呟いていた。


 しかし、何故妹がそんな面倒なものに好まれたのか。ほんの少し書庫にいただけで一体どんな奇跡を起こしてしまったのか。

 その理由くらいは知りたいと父が聞いたところ、なんともあっさりとした返答を本人から聞くことが出来た。

『祖国のことを知りたがっていたから』

 という、ほんとにあっさりした応答。

 いやいやそんな人間いくらでもいるだろう、と誰もが思ったが、ファルサは心底不思議なものを見る目でこちらを見渡して言った。

『古語の辞書片手に亡国の歴史を知ろうとする九歳児がそんなにいるか?』

 と。

 その場がしんと静まりかえったのは言うまでもない。

 返す言葉を持つ者は一人もいなかった。




 両親が話し合った結果、妹のことは妹の自由意思に任せることにしたと俺と姉は説明を受けた(本来なら祖父母にも相談したいところだったろうが、何分ハーフエルフの存在は機密事項とのことでそれは断念された。親兄弟のみ、許すとのこと。例外として、家の中を管理している執事にだけは訳ありの侍女だということを軽く説明してある)。

 元よりあの子は観察眼が優れているから好きに判断させた方がいいと判断した。親が余計な介入をして万が一にも目を曇らせるようなことになっては本末転倒だからと。

 俺も姉も、妹のそういうところは信頼しているので黙って頷いた。


 物怖じしない性格でもあるのだろうが、あの子は昔からやたらと人の雰囲気を読むのが非常に上手かった。

 姉と比べられて苛々していた時には妹のそういう部分には知らず救われていたと、今ならよくわかる。

『お兄様、お疲れの時は甘いものを食べるといいのですよ』

『お勉強頑張ってくださいね』

『わからないことがあるのですが、今お邪魔してもよいでしょうか?』

 などなど。

 どれもこれといって特別なことではない。妹も別になにかをしているつもりはないだろう。ただ、無意識に力んでいた意識をそっとほぐしてくれる。そういうところがある。

 多分あの子は観察力が高いのだろう。顔色を伺うのではなく、それでいて他人の懐にするりと入っていける。場面によっては危機管理能力が低いようにも見られるだろうが、内側に入りこんでさえしまえばそんなことは関係なくなるのだから凄いことだ。

 両親も、妹のこの無自覚な特技をとても評価している。

 観察眼が優れているということは、それだけで武器になる。特に社交界においては最強の武器だ。敵と味方、信頼できる人間かそうではないかと嗅ぎ分けられるのだからこれ以上はない能力だ。ただしそれはまたとない魅力でもあるので、気を付けなければならない。これは我が家の総意だ。






 家族以外でそのことに真っ先に気付いたのは当然といえば当然だがファルサだった。そりゃあ四六時中一緒にいれば気づかない訳がない。

 次に気づいたのはアエラ。なんの気まぐれか、やたら頻繁にうちに出入りするようになったのでこちらも当然の結果だろう。

 ファルサを見に来るだけならともかく妹にも普通に構うようになったので厄介なことにならないかを心配したが、アエラ本人はそれを否定した。

『好きだけど、そういうのではない』らしい。

 それが本心かはわからないが、本人がそう言うのならそうなのだろう。言いたくないのなら絶対に言わない性格だということは身に染みて知っているので、とりあえずそれ以上は聞いていない。

 アエラは、見た目こそ華奢で美少女じみているが、本質はその真逆だ。

 性格は悪いし容赦ないし冷酷で、人を信用しない。血の繋がった弟と妹すらどこか敬遠しているところがある。嫌いではないけど、無関心というか。興味がないのだろう、とざっくりと切り捨てた姉の言葉が多分一番真実に近い。

 アエラのそういうところを理解できるからこそ彼は姉を認めていて、そして人として敬っているのだろう。皇子なので目に見えてそれを態度に出すことはできないが、貶めるような言動は絶対にしない辺りは俺も信用している。

 俺も、散々振り回されているがそういう部分を認めているからこそ側近という立場を受け入れている。

 信頼されない相手を信頼することは出来ない。護ることもついていくことも、時と場合によっては身を挺して救うことも、諌めることも、義務だけでは難しい。

 だからこそ、人を見極める力が必要だ。俺もそうだが、皇子も。



 ああ、だからこそアエラはリゼッタを構っているのかもしれない。

 あの子の勘の良さを活用するために。

 こちらとしても皇家と縁があるということを存分に利用させてもらっているのでお互い様ではあるけども。


 とりあえずは、今の均衡が破られないことを願うばかりだ。

 面倒事は極力遠慮したい。

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