5 十二歳
いや、そもそも敵などという存在ができるほど私は重要人物じゃないから!!
と、飛び起きて(なんかここ数年、飛び起きる回数がやたら多い気がする)誰にともなく言い訳した。なんかめちゃくちゃ恥ずかしい。
ベッドの上でのたうちまわりかけたタイミングをまるで見計らったかのように、ノックが響く。暴れかけたせいで少しばかり乱れた髪を整えて、どうぞ、と許可を出す。なにもかも、昨日と変わらない平凡な朝の風景だ。
朝の支度を整えてくれるファルサを鏡越しに見つめていると「どうかされましたか?」と何事もなかったかのように涼しい声で聞いてくる。これが年の功というやつなのか。
「なんでもないわ」
ファルサは私の侍女になるために年の近い女の子に変化しているだけで、産まれた時の性別は男だったそうだ。でも今はおしとやかでなんでも出来る完璧な美少女。けど、性別は男。一人称が僕なのは育った環境の名残なのかと聞いたら、もう覚えていないそうだ。
『侍女が男というのはやはり気になりますか?』と昨日の夜聞かれたが、相手が五百歳という圧倒的な年齢差が一瞬で私を冷静にさせた。
貴族のご令嬢が男を自室に入れるだなんて知られたら大問題だとは思うけれど、五百歳の男と九歳の幼女に一体どんな間違いがあるというのか。ここまでくるともはや別の生き物だろう。人は鳥の前で着替えることを恥ずかしいと思うだろうか。私は正直気にしたことがない。
というか。両親と姉と兄がどこまで聞いているのかはわからないが、國皇夫妻はファルサが司書として働いていた時の性別を知っている。本当の性別は知らないかもしれないが、少なくとも男になれることを知っているということで。そのうえで、私の侍女にしたということは。え? ………どっちだ? 男女の関係的な間違いを望まれているのか、間違う可能性について全く心配されていないのか。どっち?
前者は前者でもし私と彼女(彼?)が夫婦にでもなればこの國に引き止める理由が出来るという思惑がありそうな気もするし、後者は後者でありえそう。だって五百歳。その精神構造はもはや人間には想像もできない。
なるようになれと丸投げされた気配を薄らと感じるが気のせいだろうか。
私の髪を整えてくれる彼女は、とても美少女だ。
まっすぐな黒い髪に大きな赤い目の、とてもバランスのよい顔立ちの少女。強い印象はないけれど、一度彼女の美しさに気付いてしまったら目が離せないタイプ。白雪姫ってこんな感じなのかもしれない。
基本的に性別と外見年齢は変えれるけれど顔の形や色を変えることは出来ないそうなので、少年の姿になったらそれはそれは見目のよい美少年になることだろう。
いつか見てみたいな。
「リゼッタ様、なんだか楽しそうですね」
「ええ。ファルサは本当に可愛いわって再確認していたの。貴方にご兄弟がいらっしゃったらとても素敵でしょうね」
「ありがとうございます」
うん、慌てるでもなく謙遜するでもなくあっさりと流す辺りがさすがである。でも、普通の年頃の侍女としてはどうかなと思うものの、まあ、今は二人きりなので別にいいだろう。
そうそう。
昨夜、せっかくだから二人きりの時は素のままで喋ってくれとお願いしたんだった。外の人間の目が無いところでなら多少のことには目を瞑っても構わないよね。
朝食のための準備を整えて立ち上がろうとしたところで、彼女がそっと耳元で囁いた。
「お望みならいつでもお見せしますよ」
と。
美人の囁きの破壊力やばい。しかもちょっと艶めかしい感じの顔をしてるのが鏡越しに見えるとかずるすぎる。
過剰反応的に耳を抑えると、くすくすと笑われる。気取っていない、どちらかといえば昨夜の素の彼女の顔に近い笑い方だ。いやらしくないさわやかな色気に、思わず見惚れてしまう。
「美人ってずるいわ」
無意識に頬を膨らませると。
「リゼッタ様には敵いませんのでご安心を」
まるで姉が妹を労わるようにやんわりと宥められた。
***
私はあの日、結局ファルサに知っていることの殆どを打ち明けた。
転生者であること。
前世で見た物語(ゲームの概念がこの世界にはないので)が今のこの世界の歴史と酷似していること、そして未来の記述もそこに載っていたこと。
亡国の情報もその物語で読んだということ。
近い将来【黒い十字架】を象徴としているカルト教団が現れること。
同時に、ヒロインという救世主が現れるということ。
救世主が皇子か兄か、騎士団長の息子か辺境伯の息子と恋人に存在になるかもしれないこと。
もしも救世主が動いてくれなかったらこの國はペーの二の舞になるかもしれないこと。
等々。ゲームの攻略法を教える必要はないだろうからその辺りは割愛だ。
ファルサが知りたがっていた情報を一通り吐き出すと、彼女は「成程ね」と納得したのかしてないのかよくわからない曖昧な反応を見せた。疑うような素振りを一切見せなかったので、もしかしたら私以外の転生者に会ったことがあるのかもしれないなと思ったけど詳しくは聞いていない。
とりあえず知りたいことは知れたからもう私には興味がなくなったということかな? と思って城に戻るかと聞くと「それは無いよ」と即答された。
無いのか。そうか。
喜べばいいのか悲しめばいいのかわからなくて、こちらも曖昧な立ち位置に唸っていると。何故か彼女が「僕、結構器用だから近くに置いておくと便利だよ」と有能アピールされた。そんなことはとっくに知っている。
出来れば古語を教えてほしいしと思っていたので残ってくれるなら何よりだ。
ファルサはカルト教団について知りたいらしいので、私の邪魔をするつもりはないと断言してくれた。それどころか全面的に協力してくれるらしい。多分、中心点にいるのが平民の少女になるかもしれないので私の傍にいたほうが便利そうだと判断したのだろう。
全面的に信用してはいけないとわかってはいるけれど、でも本当は限界だった。一人で抱えるにはあまりにも重い内容すぎてつらかったのだ。誰にも話せないし相談できない環境が苦しくて苦しくて仕方なかった。
敵か味方かわからなくても、本音を吐露できる相手がいるというだけで心にゆとりができるから。肩の力が抜ける場所があるのがどれ程貴重なことなのかを実感した私は、盛大に泣いてしまった。
ファルサはあれから私にとって良い先生になってくれた。古語とか、誰も知らない割とどうでもいい歴史とか、誰も知らないってまずいのでは? っていう重要な歴史をこっそりと教えてくれるのだ。
それに、私の質問でわからないことがあると自力で調べてきて後日教えてくれたりもした。元々彼女も学ぶことが好きなのだろう。辞書いらずだ。
あと、どうやっているのかはわからないけど彼女は情報収集能力に長けていた。
詳しく聞くと怖いことになりそうなので入手ルートについては敢えて聞いていない。若干やけくそじみてきた。
ああそうそう。國の方でも【黒十字】(この集団には正式名称がないらしく、通称【黒十字】と呼ばれているらしい)という謎のカルト教団が存在することと、それらが動き始めているらしい、ということは把握しているらしい。これには大分安心した。
ゲーム内では皇子が持つ組織の情報が【黒十字】の野望を阻止する肝になる。なので逆説的に皇家の人間がこの事実を知らないはずがないと推測をたててはいたものの。万が一にも知らなかったら冷や汗ではすまない。だって國が滅ぶか滅ばないかの瀬戸際なのだ。多分。
そうやってゲーム情報を精査していて気付いたのだが、例えばヒロインが【黒十字】を止められなかった場合の未来、その結末を私は知らないのだ。何故ならそちらにいくとバッドエンドではなくゲームオーバーだったから。ゲームオーバーということはつまり亡国の二の舞になったのだろう、と私は思い込んでいたがよくよく考えてみればはっきりと明記されたものを読んだ記憶はない。
人生にはゲームオーバーはなく、セーブポイントからのやり直しだってない。
つまりグッドエンドやバッドエンドのルートがありえるのなら、ゲームオーバーの続きの未来だって当然存在するということだ。
ついでに、ヒロインがいないと國が救えないという私の凝り固まった考え方も全否定された。この辺りファルサはとても容赦がない。ちゃんと考えてください、とすぐ駄目出ししてくる。思い出せないなら考えようと言ってくれるのは大変ありがたいのだが、天才に凡人がひょいひょいついていけると思うなよと幾度となく衝突した。
一緒に過ごしていくうちに気付いたのだが、ファルサは所謂天才肌だ。
五百年という年月を生きた上での年の功というやつなのかもしれないが、一を聞いて百を知るタイプの天才だった。少なくとも私から見た彼女はそういう存在に見える。膨大な知識を有する彼女にとっては当たり前のことなのかもしれないが、たかが十何年しか生きていない私がそう簡単に追いつけるはずがない。
自分を卑下しても始まらないけれど、だからといってそういう差を彼女が理解してくれなければ埋められる溝も埋められない。溝の存在を互いに把握することから相互理解は始まるのだ! と幾度となく応戦したおかげでファルサとはそこそこいい関係に収まったと思う。
彼女は彼女で、一人の人間と同じ時間を過ごすのが随分と久しぶりとのことらしく、普通の人間がどういうものかを忘れていたと反省していた。私を普通の人間という括りにいれていいのかはわからないが(なにせ知識が々ごちゃ混ぜなので)、………能力的には平気なのでまあいいか…。
前世の記憶が戻ったのが七歳の誕生日。
九歳の時にファルサに出会って状況ががらりと変化して。
そして十二歳になった今。
怒涛の五年間だったなと現実逃避する余裕も与えられないまま、何故か皇子様と密会中。こんなことが世間にばれたら大問題だ。なにせこの方は姉の婚約者で、この國の皇位継承権第一位の御方である。万が一にでも男女の過ち的な間違いがあってみろ。大惨事だ。
部屋にはファルサがいるから二人きりという訳ではないとはいえ、醜聞が大好きな人種というのはどこにでもいるのだ。変な隙を与えるのは得策ではないだろうに、この方はそういうのを何故か気にしてくれない。姉も気にしてくれない。……似た者カップルなんだよね、このふたり。
ついでに言えば、皇子曰く親友だという兄にもとっくの昔に諦められている。
いや、まあ、そもそも何故この面子かというと、話の内容がファルサの持ってきた『最近城下が少しばかり賑やかになってきた』というものに起因するからなのだけれども。
よく考えたらこの場にいらないのは私だな。
……退席したいな…。
ちょっと現実逃避がてら窓の外の青い空を見つめてみること数分。当たり前だがなにも状況は変わらないので早々に飽きた。私を挟んで小気味よい会話を繰り広げているファルサとアエラに介入するのは憚られるので何もすることがない。ほんとに暇。
放置されることは構わないのだ。
アエラがやたら屋敷に来るようになったのも、そもそもがファルサの監視を兼ねているのだから。わかっているからそれは構わない。構わないけど、でもそれって第一皇子の仕事じゃないよね、と訴えたい。不敬罪で捕まりたくないから言わないけど、言えるなら言いたい。建前は婚約者や親友に会いに来ているということになっているが、そこまでして彼が訪れるほどのことではない、と思うのだ。
元からファルサと仲が良かったとかならともかく、本人曰くそうでもないとのことで。特殊な事情のある元司書なので多少なりとも話をする機会はあったらしいが、ここまでではなかったらしいし。ということはなにか理由があるのだろうけれど、なにも言われないのでさっぱりわからない。
いっそのこと姉に会うダシにされていると言ってくれた方が余程すっきりするのだが。
姉は今年で十五歳になってので國立学園に通っている。あそこに入るということは生活の基盤が寮になってしまうので寂しくなるなとしんみりしていたのだが、蓋を開けてみればそんなことはなく。なんとほぼ毎週帰ってきているの状態だ。本来は長期休暇でしか家に戻ることは許されていないのだが、何事にも例外はある。正当な理由があれば外出の許可をもらうことは可能で、姉の場合は皇妃教育を理由に許可をもらったらしい。
とはいえ実際はこれといって家でなにかしたいことがあるということではなく、ただ単に寮生活が退屈で退屈で仕方ないのだそうだ。快活で屈託のない姉は人望があり、友人も多い。第一皇子の婚約者なのでやっかまれている部分もあるが、表立って侯爵家と対立しようという人間は今のところいないらしい。能力的にも姉は優れているので、敵に回すよりも取り込んだ方が得るものは多いという人間が大多数。
むしろその影響もあって兄の方が色々と面倒な立ち位置に立たされているのだとか。
なにせ侯爵家嫡男で、皇子の側近として信頼を得ているうえに、姉は未来の皇妃だ。好カードが揃い踏みすぎて逆に大丈夫かと心配になってしまう。兄は婚約者がいないのでそちらの方面からのアプローチは特にすさまじいらしいのだと、いつだったか姉が愉快そうに笑っていた(何気に酷い)。両親も基本は放置プレイなので(いずれ侯爵の地位につくのだからそれくらいあしらえるようにならないとね、というスタンスだ)、ちょっと可哀想ではある。重責乗せすぎてプレッシャーで潰れないといいのだけれど。手伝えることがあれば手伝ってさしあげたいのはやまやまなのだが、女である私ではできることに限りがある。元より次期侯爵として育てられている兄と私では根本的な教育方針が違うので、手伝えることが殆どない。
唯一役に立てる場面があるとすれば、私に取り入って介して兄に紹介してもらおうという魂胆の令嬢を退けることくらいだ。
ファルサが「それが一番ありがたいことだと思いますよ」と言ってくれたので、とりあえずその任務は全うできるようここ数年努力を続けている。その甲斐あってか、最近では兄と一緒にお邪魔するお茶会で隣でにこにこしているだけで女の子が近寄ってこないようになった。やったねと思うものの、これが兄の恋路の邪魔になってないかちょっと心配になってきた…。大丈夫かな…。
まあ私の方も周囲から物凄くブラコンな妹と認識されるようになってしまったが、私はいいのだ別に。どうせそのうちイトコと婚約することになっているのであまり関係ないし。周囲もその認識でいるからか私自身を利用しようと近づいてくる人間はほぼいないから(いるとすれば兄目当てのご令嬢くらいだ)。
「リゼッタ」
「はい」
どうやらひと段落ついたらしいアエラが私の事を気にかけてくれているが、心配無用だ。なんなら置物だと思って頂いても全然構わないのだが、何故かこの方は皇家の事情については完全に部外者でしかない私のこともかわいがってくださるのだ。
悪い人ではないので全然いいのだが根っからの善人という性格でもないのでどういう距離感を取ればいいのかわからないまま、のらりくらりと過ごしているうちに三年が過ぎて今に至る。
「僕達の話を聞いていたかな?」
「全然聞いていませんでしたのでご心配なく」
私至上一番可愛いと身内に評判の笑顔でにっこりと微笑むと。
「うん、では今度城で細かい話を詰めようか」
天使みたいな輝く笑顔でなかったことにされた。
聞いてなかったって言ってるじゃないか! 他國からきた商人が変な動きをしてるとかしてないとかそういう外交問題に発展しそうな内容で私にできることは何もないのでファルサと二人でやってくれないかなー! というかそれお父様の専門分野なのでお父様とお話してくれないかなー!!
「わかりました。ファルサをお貸ししますね」
余所行き笑顔のレベルが上がったのは間違いなくこの方のせい………じゃなかった、おかげだと思う。