4日目 嵐のトゥエンタ
昨日は疲れていたのか何の夢も見ず、ぐっすりと眠った。朝食を食べ、レグールでフォスター夫妻と分かれると、トゥエンタに向けて東へ進み出した。
「元気になったみたいだな」
ガイが満面の笑みでリルに話しかける。
「よく寝たからね」
体力的には回復した。しかし、昨日、ガイに助けられ、ほっとして涙を見せ、そのまま抱き寄せられるという予想外の出来事が起きたがために、気持ちの整理はいまだについていなかった。よく考えてみれば、人前であんなに泣くなんて初めてだ。きっとガイなら受け止めてくれると思ったから、安心できたのだろうと思う。ガイの包み込むような優しさにリルは少しずつ惹かれつつあった。甘いひとときなんて、暗殺者のリルにとっては、許されないことないのに。頭ではわかっているが、心がついていかない。その矛盾に悶々としていた。
一方、隣を歩くガイはいつも通りだ。優しく接してくれてありがたいという気持ちもあったが、ガイを殺す者である自分がこんなに優しくしてもらっていいのだろうかと苦しく思う気持ちもあった。色々な気持ちが入り混じっていたが、隣では相変わらずガイがべらべらと途切れなく喋っていた。そんなガイを見ていると、苦しく思うのは自分だけなのかとなんだか腹立たしくなる。そして、今日こそは任務を全うしてやると自分に言い聞かせるのだった。
「賑やかな街だな」
トゥエンタに着くなり、ガイが目を輝かせる。トゥエンタは、港町だ。ティザーナ王国の中では王都に次ぐ人口の多さで知られる。道には家がびっしり立ち並び、その前には露店も出ている。商人たちの威勢のいい掛け声が飛び交っていた。
「そうだね」
武器に服にお菓子に花……様々な物をここでは売っていた。ティザーニアも都会ではあるが、日用品ばかりで珍しいものはない。だから、ここの市場では何を見ようかつい目移りしてしまう。きょろきょろしていると、
「はぐれるなよ」
どさくさに紛れて、ガイがリルの手に自分の手をそっと絡ませてきた。
「こ、子どもじゃないんだから……!」
思わず顔を赤くして、うろたえる。こんな昼間に堂々とターゲットである男と手を繋いで歩いてもいいのだろうか。
「いいだろ? 減るもんじゃないし」
「そ、そうだけど……」
落ち着けと言い聞かせるが、心臓の鼓動は徐々に速くなっていく。ガイと出会ってから、寿命が少しずつ縮まっているような気がしなくもない。
「せっかくだから、一緒に街を歩こう」
ガイが手を繋いだまま、笑顔で市場の方へとリルを誘う。
「……うん」
恥ずかしくなってきて、ガイを直視できないまま、小さく頷く。もちろん、リルだって、大きくて頼もしい手に絡められて嫌な気はしない。むしろ、嬉しいくらいだ。いや。嬉しいだなんて思ってはいけないのだけど……とリルの脳内では本能と理性がせめぎ合っていた。
「海風が気持ちいいな」
にこにことガイがリルに話しかける。
「そうだね」
そんなガイの話にどきどきしながら相槌を返す。それが嬉しいのか話し出すとガイは止まらなくなる。街の歴史について、名物について、建物の形について……熱心に色々なことを教えてくれた。そんなこと話してくれる人なんていなかったから、興味深いなと思い、耳を傾ける。ティザーナ王国に住んでいてもまだまだ知らないことはたくさんあるものだ。
「あれが桟橋か」
トゥエンタの港には、リルたちが立っている広場近くの桟橋からずらりと船が並んでいた。一番遠い桟橋に止まっている船は豆粒のようにしか見えない。端から端までかなりの距離があり、桟橋への出入り口も複数あるようだ。
「ここから海に出ていくんだね」
リルは、内陸部であるティザーニアで生まれ育ったため、海を見るのも船を見るのも初めてだ。だから、物珍しくて、つい海へと旅立つ船を目で追ってしまう。
「初めてか?」
果てしなく続く青い海を眺めていたリルにガイがふと尋ねる。
「うん。初めて」
透き通るような海面が太陽の光をさんさんと受けて、きらきらと輝く。ガイと一緒に旅をしなければ、一生出会うことはなかっただろう光景だ。リルはその光景に感激していた。
「喜んでもらえてよかった」
海に見入っていると、ガイがリルの頭を優しく撫でた。大きな手でよしよしされるのがあまりにも心地よいものだから、その手を振り払う気にもなれず、そのままガイに身を任せていた。すると、忘れたころに、
「わ……悪い……つい手が……」
ガイが我に返った。顔を真っ赤にして照れていて、なんともかわいらしい。思わず吹き出してしまった。
「そんなに笑うなよ……」
「ごめん。なんだか面白くて」
ガイはしばらくバツの悪そうな顔をしていたが、咳払いをすると、
「ちょっと船の時間を確認してくるから、ここで待っていてくれ」
と言って、桟橋の方へ駆け出していった。
「うん」
自分の思わぬ行動がリルの笑いのつぼに入ったから、きっといたたまれなくなったのだろう。要するに照れ隠しだ。そんな些細なやり取りが誰かとできるようになるなんて思いもしなかった。でも、
「仕事……だもの」
リルにとって、ガイに同行することはあくまでも仕事の一貫なのだ。普通の男女のように手をつないでどきどきしている場合ではない。今日こそは証拠を見つけて殺すとさっき誓ったではないか。
「もう……自分が嫌になる」
あと数日でティザーニアに着く。リルは、その間にガイ・オーウェンとガーウィン・メナードが同一人物であることを確かめなければならない。そうでなければ、自分がレイズに殺される。暗殺者とはそういう世界なのだ。温かい日の当たる場所にいる資格なんてないのに。しばらくそんなことを考えていたが、リルはふとガイがなかなか戻ってこないことに気づいた。
「あれ?」
人が多いせいか、どうやらはぐれてしまったらしい。
「仕方ない。探してみるか」
リルは桟橋から離れて、広場の方へと戻っていった。
生まれて初めて見る海に感動しているリルがかわいくて、つい頭を撫でてしまった。しかも、撫でられているリルも心地よさそうにしているものだから、我を忘れていた。そんな自分にふと気づいたものの、言い訳もできず、うろたえた結果、リルに笑われてしまった。恥ずかしいことこの上ない。
「すみません。スノーヴァ行きの船はどれですか?」
気を取り直して、船員らしき男にスノーヴァ行きの船を尋ねる。
「これだよ」
無精ひげを生やした色の黒い大男が生き生きと教えてくれた。トゥエンタからスノーヴァまでは1時間程度だが、それにしては見上げるほどの大きな船だ。白い帆を張って走り出した時、リルはどんな反応をするのだろう。そんなことをふと思う。
「何時に出ますか?」
「今からだと10時が1番早いかな? 2時間に1回は出るよ」
「ありがとうございます」
これで準備はばっちりだ。いつでも出られる。2時間に1回出るなら、もう少しゆっくりこの街をリルと一緒に回れそうだ。浮足立って、リルに報告しようと帰路を急ぐ。しかし、出たところは見覚えのない大通りだった。
「しまった。出る方向、間違えたみたいだ」
広場はいったいどこだろう。慌てて引き返して、
「すみません。広場の方に行きたいんですけど……」
さっきの親切な船員を捕まえる。すると、
「広場だったら、あっちだよ」
ガイが進んだ方向とは真逆の方を指さした。
「ありがとうございます」
何気なくリルと手を繋ぎ、エスコートしてはみたが、ガイは根っからの方向音痴なのである。田舎育ちのガイにとって、都会は未知の世界だ。
「着いた……けど……」
リルがいない。遅すぎて置いていかれたか。
「困ったな」
こうなったら、地道に聞き込みをするしかない。ガイは市場の人たちに片っ端から声をかけてみることにした。
「銀色の髪で赤い瞳の女の子を見ませんでしたか?リル・アーノルドっていう名前なんですけど」
人通りが多いトゥエンタの街を隅から隅まで歩き回る。リルと分かれてから1時間が経とうとしていた。しかし、
「う~む……見ていませんなあ」
市場の人たちは口をそろえて首を横に振る。リルの手がかりはいっこうにつかめなかった。その時、
「フォスター先生は君のことを評価していたけど、僕はどうも気に入らないな」
どこかで聞いたような嫌味たっぷりの男の声がした。その言い方にかちんときて、振り返る。
「なんだと……?」
そこには、目つきは鋭いが、どことなく賢そうな雰囲気をまとった黒髪の青年が立っていた。年齢は、ガイより少し年上……といったところだろうか。
「君にリルを預けるのは惜しい。つくづくそう思うよ」
昨日の夜の記憶がガイの中でふと蘇り、
「お前……もしかして、昨日の……?」
黒い仮面の男と一致した。
「ああ。僕はイルマ・ファナック。君がガイ・オーウェンだろ?」
そういえば、イルマ・ファナックという革命家がトゥエンタにいると言っていた。
「そうだ」
革命家というからにはもっと爽やかな男かと思っていたが、どうも陰湿で嫌味な男だ。ガーウィン王子を支持してくれているといっても、馬は合いそうにない。ちょっと不安がよぎった。
「フローアン女王の側近がこんなところで何をしている?」
しかも情報はどこで仕入れたのかばっちり合っている。ガイはまだそんなこと一言も言っていないのに。
「ティザーニアに向かうところだ」
話すのもおっくうになってきて、おおざっぱに答えておく。イルマの目はそれを聞いてさらに鋭くなった。
「なるほど。それで? なぜ昨日まで一緒にいたはずのリル・アーノルドを探している?」
「そ、それは……」
ガイが言いよどんだのを見て、イルマは呆れたようにため息をついた。
「はぐれたのか?」
「な……!」
「情けない男だな。それでよくフローアン女王の側近が務まるものだな」
初対面の人に向かって、そんなにけなすことはないではないか。もはや悪意を感じる。
「俺が何か気に障るようなことをしたか?」
腹が立ってきて、ガイはイルマの胸ぐらをつかんだ。
「君みたいなぼんくらとリルが一緒にいるのが気に食わないだけだ」
イルマも負けていない。通りすがりの人たちがガイたちをちらちらと見ていく。
「はあ!?」
「僕は昔、リルの剣の先生をしていたんだ。彼女にはいい男と幸せになってもらいたいんだよ」
「悪かったな! いい男じゃなくて!」
こうなると、売り言葉に買い言葉で、いつまでも平行線のケンカになる。頭に血が上りやすいのは自分でも自覚しているが、リルが絡むと大人しくしてはいられなかった。それはイルマも同じらしい。
「彼女は同年代の子どもたちの中でもずば抜けた才能を持っていた。僕が剣を教えてしまったがために、レイズの言いなりにならなきゃいけなくなったんだ! でも、僕はもう彼女を救えない! だから……僕の代わりに彼女を救ってくれる誰かを探しているんだ」
イルマが半泣きでガイに突っかかる。
「……どういうことだ?」
リルは確かにティザーナ王国屈指の剣の使い手として、ガイのところに送り込まれた。ガイは今まで単に見張り役のエリートだろうと思っていた。しかし、今のイルマの言葉には悲壮感が否めなかった。力が抜けて、イルマを思わず離す。
「レイズはリルみたいな孤児を拾っては自分のしもべにしているらしいんだ」
せき込みながら、イルマがガイに説明し直す。
「自分のしもべ?」
情報量が多すぎて、ガイはパニックに陥っていた。
「ああ。ちなみにレイズのしもべになった者は誰一人として城から戻ってきていない。噂では、暗殺をさせられていて、失敗したらレイズに拷問された挙句、死んでいくといわれている」
暗殺……? 拷問……? 死んでいく……?
「それは確かなのか……?」
そうだとしたら、何のためにリルは自分のもとに送られた……?
「昨日、アランが自分の代理として君とリルに仮面舞踏会の出席をお願いしたと聞いてね。確かめるために、僕は決起集会の後に仮面舞踏会に向かったのさ。もう全て終わった後で、市長が自室で亡くなっていたけどね。その自室から君たちは出てきた。何があったかはだいたい想像がつく。その事実と照らし合わせたら、噂の信ぴょう性がわかるだろう?」
昨日の出来事を整理してみる。リルが暗殺者だと……? そんなの嘘だと思いたかったからだ。
「今回、殺しをしたのはダータンという男だ。でも、リルはダータンの仕事仲間だと言っていたんだ」
でも、その可能性は限りなく高い。ショックで目の前が真っ暗になる。
「やっぱりそうか……」
イルマも悲しそうに視線を落とした。
「……じゃあ、俺と一緒にいるのは……」
レイズがリルを自分のもとに派遣した意図がだんだん読めてきた。さっきまですがすがしく感じていた海風が急に生ぬるくなったように感じた。
「君を殺すため……じゃないのか?」
イルマがずばり言い切る。
「そんなわけ……ないだろ?」
だって、ガイを殺す理由がない。ガイ・オーウェンを殺したところで、そう大して現状は変わらないだろう。まさかガイの正体を掴んでいるなんてことがあるのか。負の感情は、一度考え始めると止まらなかった。
「君が目をそらしたところで、何も変わらないよ」
イルマがとげとげしい口調で言う。
「わかっているよ……!」
この残酷な現実と向き合わなければいけない。でも、急に言われてもやっぱり信じられない。少しずつ心を開きつつあると思ったのは、ガイの気のせいだったのか。今までのことは全部偽りだったのか。作戦だったのか。そんなことは考えたくもなかった。
「君自身の手で変えようとしなければ、何も変わらない。でも変えようと努力するなら話は別だ」
「なんだよ……それ……」
自分がちっぽけでどうしようもない人間に思えてくる。ガイは途方に暮れていた。
「何をどうやって変えるかは君が考えたらいい。僕は僕の道を行く」
イルマは、ガイに背を向けるとすたすたと広場の方へと歩き出した。残されたガイはただ茫然と立ち尽くしていた。
「ガイ」
名前を呼ばれて、ふと顔を上げるといつの間にか目の前にリルが立っていた。
「リル……」
「どこ行っていたの? 探したよ」
「ごめん……ちょっと道に迷ってだな……」
「もう。帰り道くらい確認しておきなさいよ」
リルの態度はさきほどまでと変わらない。しかし、ガイはさっきのイルマの話のせいでリルをまっすぐに見ることができなかった。
「どうしたの? 元気ないけど」
「いや……別に……」
お前は俺を殺すためにそこにいるのだろう? そうやって笑っているのだって、実は演技なのだろう? そんな意地悪い思いが次から次へと溢れてくる。その時、
「私たちが仕える君主はただ一人、ガーウィン・メナード様だけでございます」
広場から演説の声が聞こえてきた。恐らくイルマの声だ。
「行くぞ」
僕は僕の道を行く。それが何を意味するのかを確かめてやろうと思ったのだ。
「ちょっと! 待ってよ!」
リルの言葉なんてまるで耳に入らないまま、ガイは広場へと向かった。
「現国王であるレイズ・メナードには、私たちを守ることはできません。民を蔑み、私腹を肥やす国王にこの国を治める資格はないのです」
広場には大勢の人が集まっていた。その広場の真ん中に立っていた男を見て、リルが目を見張る。
「ファナック先生……!」
リルがイルマの方に視線を送る。きっと懐かしいのだろう。イルマもリルに気づいたようだった。親しげな2人を見ていると、無性に腹立たしかった。しかし、
「リビエラ様の時は、争い1つありませんでした。重税が課されることもありませんでした。私たちは、その跡を継ぐものとして、ガーウィン様の治める国に賭けてみたいのです」
と市民に懸命に訴えかけるイルマにはなんだか考えさせられるものがあった。果たして自分がその期待に応えられるような器なのだろうかと疑問に思う。
「ガーウィン王子が国を治めたら、どんな国になるのかな?」
イルマの演説を聞いていたふとリルが呟いた。
「どんな国……か……きっと平和なんだろうさ。みんなが引くほど」
こんな軽々しい回答、イルマが聞いたら烈火のごとく怒るだろうなと思う。しかし、
「見てみたいなあ。そんな国」
リルは隣でくすりと楽しそうに笑っていた。すっかりガイに気を許しているようなかわいらしい笑顔だ。その笑顔を見て、はっとする。そうだ。リルが暗殺者であろうとなんであろうと関係ない。柄にもなく難しいことをごちゃとごちゃと考えすぎていたのだ。
「そうだな」
この笑顔を守ろう。守るために立ち上がろう。ガイはそう決意した。
「国王は王位を譲れ!」
「そうだ! そうだ!」
周りから賛同する野次が飛ぶ。
「ガーウィン様。あなたに誓います。ともにこの国の平和を勝ち取るため、戦いましょう!」
「おお!」
イルマの呼びかけに人々が気合を入れて答える。ものすごい熱気だ。だからこそ、レイズはリルを使って潰そうと企んでいるのか。ばらばらだった事実が一連の出来事となって繋がっていく。そこに、
「無礼者!」
翼を持つライオンが描かれたえんじ色のマントをなびかせながら、ティザーナ王国軍が現れた。それぞれ剣や弓矢を持ち、その場にいた罪のない市民を次々に取り締まっていく。賑やかだった広場は一転し、不穏な空気となった。
「まずいね」
あちらもこちらも矢の嵐だ。さらに、国王軍は大砲まで出してきた。市民が戸締まりを慣れた手つきで始める。
「逃げるぞ!」
リルの手を握って、走り出そうとしたその時、横から砲台が1発打ち込まれた。
「危ない!」
必死になって、リルをかばう。その後のことは記憶にない。
隠れ家というわりには、立派な門構えの家だ。中も広くて、埃1つない美しさである。
「助けていただいてありがとうございます」
ガイの手当てをしてもらうため、その中の1室を借りることになった。
「間に合ってよかったよ。あとは妻のミカミに任せておけば大丈夫だ」
イルマにミカミと呼ばれた女がくるりと振り返る。
「任せて! こう見えても結婚前は看護師として働いていたから! 手当をするからそこで待っていて」
ミカミはそう言うと、担架を持った男たちと一緒に中に入っていった。廊下にはリルとイルマしかいない。
「ご結婚されたんですね」
最後に会ってから3年の月日が経った。お互いに色々あったのだなと思う。
「ああ。去年、見合いでな。親が早く結婚してこの家を継いでくれってうるさくて。俺に家を任せて、自分たちはちゃっかり隠居生活だ」
イルマが簡単にミカミとの結婚前の経緯を説明していく。
「かわいらしい奥さんですね」
ミカミは、男に3歩下がってついていくようなおしとやかな雰囲気の人だ。それでいて、てきぱきとしているところがある。きっとイルマをしっかり支えてくれるだろう。
「ミカミにはよくしてもらっているよ。僕の活動にも理解を示してくれている」
「活動……ですか」
さっきの広場での演説のことか。たしかガーウィン王子とともに国民軍として立ち上がるといった内容だった。
「そう。僕はここで自分の家を大人しく継いで終わるつもりはない。レイズのせいでゆがんだこの国を変えてやるんだ」
イルマの目は闘志に燃えていた。でも、
「どうしてですか? だって、こんな立派な家もあるし、かわいい奥さんもいるのに」
リルにはよくわからなかった。イルマは端から見ると地位もお金も家族も全てを持っているように見えたからだ。わざわざ危険を冒してまであんな活動をする必要なんてないはずだ。
「だからさ」
イルマはリルの問いかけに力強く答える。
「え?」
「僕はね、自分が不甲斐なくてこの活動を始めたんだ。最初はちょっとした軍を作ってレイズを倒して、君を助けたいと思っていたから。自分が君をレイズのところに行かせたような気がしてならなかったんだよ。自分が剣さえ教えなければ、こんなことにはならなかったのに……って」
活動の引き金になったのは自分だったのか。
「先生……」
リルはなんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになった。やっぱりあの時ついていくべきだったのだろうか。そんな気さえしてきた。イルマはしょんぼりしているリルを横目にどんどん話していく。
「でも、活動を続けているうちに他にも大切なものが色々できた。国民軍もだんだん規模が大きくなってきた。もう僕だけの問題じゃない。そう思って各地を飛び回ったよ。仲間もできて、この軍の今後の在り方も真剣に協議した。その時、ミカミがぽつりと言ったんだ。行方不明のガーウィン王子が生きていたら、きっと力になってくれるはずだ。その時こそがこの水面下での活動が日の目を見る時だ。その可能性に賭けてみないかってね」
「……なんで……ですか?」
そんないるかどうかもよくわからないガーウィン王子に賭けてみるなんて。そんな助言、リルにはできない。きっと幸せな暮らしに身をゆだねているだけで、終わっていただろう。
「まあ、規模が大きくなって崩壊しそうになっていたから、求心力として利用させてもらったのもある。それに、レイズを倒したところでその後のことをきちんと取り仕切ってくれる人がいないと状況は変わらないだろ? 素人の僕らじゃ上に立つには心もとない。そうかといって、今の重役たちはレイズの言いなりだ。上に立って動ける存在がいるとは思えない」
「なるほど……」
そこまで見越した活動ということか。イルマには本当に頭が上がらない。感心していると、
「それにしても、君にふられたときはショックだったな。僕はそれなりに考えていたつもりだったけど」
イルマが急に話題を変えてきた。そんな不意打ちずるい。
「そ、それは……」
痛いところを突かれてうろたえる。
「まあ、1人の女として好きっていうよりもレイズにやりたくないって焦って考えた苦肉の策だよ。今思うと」
イルマはそんなリルを見て、爽やかに笑っていた。
「そうでしたか……」
薄々感じてはいた。だからこそ、リルは本能的にレイズのもとに行くことを選んだのだと思う。家族のいないリルは心から愛してくれる誰かと結婚することに憧れていたから。
「あの時はごめんな。君の気持ち、なんにも考えてなかった」
イルマがリルに深々と頭を下げて謝罪する。
「いいえ。私のこと、考えてくださってありがとうございます」
男女の愛ではないが、リルのことを大切に想ってくれたのは確かだ。その気持ちはありがたかった。
「話ができてよかった。ずっと謝りたいと思っていたから」
優しい眼差しでイルマがリルを見つめる。国民軍を作った活動家になってもそのまなざしは昔と変わらなかった。
「あの……」
もごもごとはっきりしない口調でリルは切り出した。
「なんだい?」
イルマがにこりと笑って尋ねる。
「これからもあの活動、続けてください。そして、ガーウィン王子の力になってあげてください。お願いします」
ガーウィン王子……その正体はフローアン女王の側近のガイ・オーウェンだ。今、この屋敷の部屋で手当てを受けている心優しい青年だ。イルマに言おうかとも思ったけど、それを言うと自分の今の仕事を話さないといけなくなる。イルマだけではない。ガイにも言わないといけない。ばれたら、いくらガイとはいえど、今まで通りに接してはくれないだろう。そう思うとなんだか怖くなって言えなかった。
「わかった。約束する。それと、僕からもお願いだ」
イルマが真剣な顔でリルを見る。
「なんですか?」
なんだかただならぬ雰囲気だ。イルマは、
「困った時には誰かに頼りなよ。僕の経験上、1人でできることってやっぱり限界があるから。取り返しのつかないことになる前に誰かに相談した方がいい」
と忠告してくれた。
「わかりました」
イルマにはそう答えながらも、そのタイミングを完全に逸しつつあるのを感じていた。いったいリルはガイのためにどうしてあげたらいいのだろう。もやもやとしたやりきれない思いを抱いていた。
その時、
「手当、終わったよ。入って」
ミカミがひょっこり顔を出した。
「はい」
部屋に入ると、ベッドでガイが包帯を何か所か巻かれて横になっていた。
「骨折もしてないし、傷も深くないから、すぐによくなると思うよ」
ミカミがおっとりとした口調で丁寧に説明する。
「よかった……」
自分のせいで命を落としたらどうしようかと思っていたリルはほっとした。
「気を失っているだけみたいだよ。ずっとリル……ってうわごと言っているから、そばにいてあげて」
ミカミがリルにベッドのそばの椅子に腰かけるよう促す。
「その男は本当にリルのことが好きなんだな」
ミカミからガイの様子を聞いたイルマが皮肉をこめてぼやく。なんだかあきれ返っているようだ。
「ええ!?」
ガイはわかりやすいから、確かにそんな感じはしていたが、他人に改めて言われるとどきりとする。
「ふふ。いくら好きとはいえ、自分の命を懸けてまで守れないものね」
ミカミが赤面しているリルに優しく微笑みかける。
「ちょっと単純すぎるのが玉に傷だけどな」
どこかで話したのだろうか。よく知っているかのような口ぶりだ。
「まっすぐで純粋なんですよ」
ガイのことを単純すぎると言われ、ついむきになって言い返す。すると、
「君が人のことで理性を失うとは珍しいな」
イルマがむくれているリルを見て、腹を抱えて笑った。
「か、からかわないでください!」
イルマに茶化されて、顔がほてってくるのを感じる。体が熱い。
「それじゃあ、お邪魔になってもいけないし、僕たちはいったん失礼するよ」
イルマがミカミについてくるよう促す。2人はすっかり混乱してしまったリルを残して、部屋を出ていった。
「ちょ、ちょっと……!」
あんな話をした後にガイと2人きりで取り残されると、ガイのことを異性として意識してしまう。しかし、
「リル……」
と相変わらずうわごとを言うガイを見ているうちに、そんな気持ちも落ち着いてきた。
「大丈夫だよ」
殺したりなんかしない。殺させたりなんかしない。命を懸けてでも守り抜いてみせるから。
「あれ……? ここは?」
目を覚ましたところはどこかの家だった。
「よかった……!」
隣にはリルがいて、嬉しそうにガイに抱きついてきた。やっぱりこの笑顔は嘘ではない。ガイはぎゅっとリルを抱きしめた。
「それはこっちのセリフだ」
イルマに現実を突きつけられて、しょげていたガイをリルが立ち上がらせてくれたのだ。これからもずっとそばにいてくれないと困る。絶対にリルを失うわけにはいかない。その想いが少しでもリルに伝わったなら、本望だ。自分のけがなんてどうってことない。
「え?」
じっとリルがガイを見つめる。
「リルに何かあったらどうしようかと思ったぞ」
守ってあげられて本当によかった。心からそう思う。
「もう。お人好しなんだから」
リルは膨れ面をして、いつものようにぶつくさと小言を言う。
「治らないよ。こればかりは」
俺は俺の道を行く。どんなに残酷なことでも目を背けたりなんかしない。向き合って、ちゃんと乗り越えていく。かけがえのない大切な存在の笑顔を守るために。それがガイ・オーウェンではなく、ガーウィン・メナードとしての使命だ。
昼頃までイルマの隠れ家で休ませてもらい、外に出た。さきほどあれだけの騒ぎがあったにもかかわらず、外はすっかり元通りになり、市場から威勢のいい掛け声が聞こえるようになっていた。
「ありがとうございました」
よりにもよって、あの嫌味なイルマに助けられるとは……人生何があるのかわからないものだ。
「何かをつかんだ顔をしているな」
見送りに出てきたイルマがにやりと笑った。
「ああ。おかげさまで」
ガーウィン・メナードとしての使命をガイはこの街で悟った。またいつかこの男とは会うことになるだろう。その時はともに戦い、レイズ政権を倒してみせる。
「頼んだぞ」
イルマがちらりとミカミと話しているリルを見る。
「おう。任せとけ」
何があろうとも守り抜いてみせる。その気持ちはもう揺らがない。
「気をつけてね」
話が終わったのかミカミが駆け寄ってきた。港に向かう2人に大きく手を振る。
「はい!」
仲睦まじい2人が小さくなって人混みに消えていくまで、イルマとミカミはそこに立っていた。
「イルマさん、なんだか吹っ切れた顔をしているね」
ミカミがイルマの顔を覗き込む。色々と聞きたいこともあるだろうに、イルマの気持ちを察して優しく笑ってくれるから、一緒にいて居心地がいい。
「そうかもな」
ガイは、リルのそばにいるには頼りないと思っていたが、さっき会った時には意志の強さを感じられる目をしていた。人一倍警戒心の強いリルもまんざらではなさそうだったし、案外お似合いかもしれない。何にせよ教え子が幸せになってくれることを今日もイルマは祈るのみだ。
「すごい。船ってこんな感じなんだ」
船の上から見える大海原に感動し、リルは無邪気にはしゃいでいた。
「どうだ? 初めての船の乗り心地は?」
その様子をガイがにこにこと嬉しそうに眺める。いつもののどかで平和な光景だ。
「う~ん……思ったほどは揺れないかな……」
船というのは、波で揺られながら進んでいくから酔うことがあるのだとリュクスから以前、聞いたことがある。しかし、今日の波は穏やかなのか全然揺れない。
「まだトゥエンタからあまり離れていないからじゃないか?」
確かにまだ振り返るとトゥエンタの街が見える。ガイの意見も一理あるのかもしれない。
「そうなのかな……」
とりとめのない話をしていると、だんだん波が荒くなってきた。
「わ!」
揺れにびっくりして、思わずガイの引き締まった腕にぴたりとくっついてしまった。
「リル……?」
ガイが目をぱちくりさせながら、リルの方を見る。
「ご、ごめん!」
リルは慌てて離れようとしたが、
「そのままでいいよ」
ガイはどことなく嬉しそうだった。
「もう……」
そんな嬉しそうなガイを見るのが嬉しい。この人に恋をしてしまった。そう自覚せずにはいられなかった。
「レイズ様」
血相を変えて、ダータンがレイズの部屋に飛び込んできた。
「おや。何か掴んだようですね」
いつものらりくらりとしているダータンがこんなに慌ててレイズの部屋に入って来るとは珍しい。
「ガイ・オーウェンがガーウィン・メナードであるという証拠をつかみました。そして、リル・アーノルドは、彼を殺すのをためらっています」
しかし、ダータンの言葉を聞いても、レイズは動じなかった。リルを引き取った時からいつかこういう日がくるだろうという予測はしていたからだ。もし、その予測が本当になったら、苦しみに悶えながら死んでいくところをこの目に焼き付けてやろうと思っていた。リルが美しい女である分、期待が高まる。
「……役立たずの暗殺者は、お仕置きしないといけません。ダータン。リルに代わり、手を下すことはできそうですか?」
リルが惚れこんだ相手は悪かったが、焦ることはない。まだどうにでもなる。
「いえ。リル・アーノルドがぴったりとくっついているせいで私1人では隙がございません」
リルの剣の腕前は並みの男より上である。だからこそ、レイズはリルを重宝していたのだ。同じ実力なら、容姿端麗な女の方が使い勝手がいいに決まっている。
「なるほど……ちなみにどこへ向かう様子でしたか?」
リルと互角に戦うためには、恐らくダータン1人では難しい。リルと同じくらいの実力者を巻き込んだ作戦を立てる必要がある。
「恐らくスノーヴァかと思われます。船に乗っておりましたから」
ダータンの話を聞いて、レイズは名案を思いついた。そうか。その手があったか。
「では……王国軍の力をお借りしましょう。ロレーヌ支部長に至急連絡しなさい」
王国軍の将軍候補とも言われるリュクス。しかも、リルの幼なじみだ。これを利用しない手はないとレイズは確信した。
「かしこまりました」
ダータンも素直にレイズの指示を受け入れる。
「必ずガーウィン王子の命を奪いなさい。そして、裏切り者の女をここに連れてきなさい。うまくいけば、それなりの地位と金を与えましょう」
「ははっ!」
ダータンは威勢よく答えると、そそくさと部屋を出ていった。
「さて。どういう処罰をくだしてやりましょうか」
これで楽しみが増えた。レイズはリルが絶望にさいなまれる様子を思い浮かべて、1人でほくそ笑んでいた。