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3日目 魅惑のレグール

 ザルク村を出て、半日。今日もゆっくりと馬に乗って、東へと進む。タイジュに託された薬を渡さなければならないから、とりあえずの行先はレグールだ。どこまでも続く緑の平原を進んでいく。この辺りは気候が穏やかでたまに通り抜ける風がとても心地よかった。

「ティザーナ王国に入ったな」

 国境の要塞は身体検査や荷物検査もゆるく、なんなく越えられた。

「薬を渡したら、レグール砂漠を越えるの?」

 レグール砂漠はこの国の中央部にある広大な砂漠地帯で、レグールの背後に広がっている。ガイたちが進む南部地方からティザーニアがある北部地方のちょうど真ん中に位置していた。昼と夜の寒暖差が大きく、一気に越えないと命の危険に関わる。しかし、ここを越えるのと越えないのでは、ティザーニアまでの所要時間が全然違う。男1人旅では、近道としてよく使われるらしいときいたことがある。しかし、

「まあ、レグール砂漠を越えたら1日くらいで着くらしいんだけどなあ……危ないからよほどのことがない限りは通らない方がいいんだろ?」

 今回はリルと一緒の旅だ。しかも1週間以内でいい。できるだけ長く一緒にいたいというのがガイの本音である。

「そうなるね」

 ティザーナ王国育ちのリルも同じ見解らしい。もっとも、ガイと1日でも長く一緒にいたいだなんてそんなことは考えていないだろうけど。

「……レグール砂漠を通らないとなると、トゥエンタから船に乗ったりするようにはなるけど、レイズ国王が示した通り1週間では着くだろうさ」

 自信満々にリルに説明していく。リルは、フローアン王国育ちのガイがティザーナ王国の地理に詳しいのが意外だったようで、

「詳しいんだね」

 と目を丸くして驚いていた。

「まあな」

リルに羨望の眼差しを向けられると、ついにやけてしまう。しかし、実際のところはマリーの国王教育の賜物である。行ったことはないが、地理は完璧に頭に入っていた。あの頃は嫌で仕方なくて逃げ回っていたが、勉強していてよかったと心から思う。

「何か気配を感じない?」

 平原が終わり、少しずつ茶色の岩場がごつごつしている大地が近づいてきたころ、リルが何かを察知した。

「そうか?」

 ガイにはぴんとこないが、リルは明らかに警戒していた。

「さっきから、誰かがつけているよ」

 警戒心をむき出しにしてリルが辺りを見回す。確かに周りには隠れられそうな岩場がいくつかあった。リルは狙いをさだめると剣を抜き、大きく息を吸い込んで、

「出てきなさい。ダータン」

 荒野中に響き渡るような大きな声で叫んだ。凛とした声にどきどきしてしまう。すると、

「やだあ。バレちゃった?」

 近くの岩場から全体的にひょろりとした男が出てきた。くせのあるちりちりの髪に長いようなまつげ。まるでピエロのような派手なピンク色の服を着ている。声は低いが、妙に仕草は女っぽい。多分、女になりたい男というやつだろう。

「やっぱりか」

 リルがその姿を見て、呆れかえっている。

「知り合いか?」

 こんな変人とリルはどこで知り合ったのだろう。首を傾げていると、リルが答えるよりも早く、

「いい男じゃないの! ダータン、大興奮だわ」

 と言って、ダータンがガイの手を掴み、握手をしてきた。距離が近すぎる。思わず後ずさりした瞬間、ダータンはすっとガイの横を通り抜けた。

「え……?」

 気が付くと手に持っていた薬のケースを取られていた。

「なんてね」

 目の前にいるダータンは、舌を出して、大切そうに薬のケースを抱えている。

「な、何をする! 薬を返せ!」

 時間差で薬を取られたことに気づいたガイは剣を抜いて、ダータンに切りかかった。しかし、ダータンはなんなくかわし、

「バレちゃったから、引き揚げるわ。またね」

 とご機嫌で自分の黒毛の馬にまたがると、煙幕を投げて、レグールの方向へ消えていった。

「待ちなさい!」

 リルが威勢よく言い返してくれた時にはもうすでにダータンの姿はなかった。

「みんなに合わせる顔がないな。これじゃ」

 人の物を盗むなんて、常識ではありえない。ザルク村もフローディアも心優しい人ばかりで、物を盗られる心配なんてしたこともなかった。しかし、世の中には色々な人がいるらしい。ガイはがっくりと肩を落とした。

「手分けして探そうよ。ダータンの家は、レグール市内なんだ。仕事仲間だから、場所は知っているよ」

 リルがそんなガイを一生懸命励ます。じゃあ、あの男はティザーナ王国の王国軍に所属する男なのか。ますます常識を疑う。

「リル……」

 半泣きでじっと見つめると、

「だから、そんなに落ち込まないで。……ね?」

 にこりと笑ってくれた。ガイを元気づけようとして必死なのだろう。愛くるしいその笑顔になんだか心癒された。

「そうだな。よし。ダータンを探そう」

 こうしてはいられない。ガイもできる限りのことをしなければ。

「時間もないし、二手に分かれない?」

 ガイが復活してきたのを見計らって、リルが提案してきた。

「なるほど」

 確かにそれは名案だ。1週間という期日を守るためにも、ここに長々と滞在しない方がいい。リルはガイが乗り気であると察すると、どんどん話を続けていった。

「とりあえず、ガイはアラン・フォスター先生の家で事情を話してきて。私はダータンを探してみるから」

 しかし、いくらリルがティザーナ王国で選りすぐりの剣の使い手といっても、男の家に行かせるのは心配だ。リルはけろりとしているが、ガイは気が気ではなかった。

「了解。でも、気をつけろよ。もし、何かあったら……」

 自分を呼べよと言う前に、

「大丈夫だよ。ちゃんと帰ってくるから」

 きっぱりとリルに遮られる。こうなるとリルの凛とした瞳を信じる以外にガイのなすすべはなかった。


「ここで本当に大丈夫か?」

 レグールの中心街から別行動にしようと提案したにも関わらず、ガイは街の1番北側のダータンの家に繋がる路地裏の手前までついてきた。ターゲットに心配される暗殺者なんて聞いたことがない。よほどリルのことが心配らしかった。

「大丈夫だって。ほら。フォスター先生のところに行ってきて」

「わかったよ」

 ガイは、相変わらず不服そうな顔をしていたが、ようやく向きを変えて、中心街の方へと引き返していった。ダータンとの会話の流れ次第では、リルがガイを狙う暗殺者だとはっきりわかってしまう。そのためにも、ガイを遠ざける必要があった。リルは胸をなでおろすと、路地裏の奥へと向かっていった。

 レグールの街と砂漠の境目に建つ古い赤茶けたレンガ造りの一軒家。今にも壊れそうなこの倉庫のような建物がダータンのアジトだ。玄関の扉を4回ノックする。それがリルとダータンの合言葉のようなものだった。今日もがちゃりと鍵を開ける音がする。

「こんにちは」

 当たり障りのないことを言いながら、玄関に出てきたダータンをにらみつける。

「お人好しね。こんなところにわざわざ来るなんて」

 ダータンもリルがここに来た理由が分かっているらしい。それなら話が早い。

「薬を返しなさい」

 単刀直入に切り出していく。しかし、

「そういうわけにもいかないわ。これは命令だもの。レイズ様の」

 案の定、ダータンは引かない。レイズの暗殺者の中で1番の古株のダータンは、何かとずる賢い男だ。多分、何かを企んでいる。

「レグールの物流を滞らせろって?」

 ザルク村で聞いた情報と自分が知っている情報を繋ぎ合わせて、それとなく探りを入れてみると、

「そうよ。去年、一緒に仕事をしたあなたならわかるはずよ。遠征中の騎士団の宿舎を借りて、盛大に宴会したわよね」

 ダータンはぽつりぽつりと昔の話を始めた。

「……毒入りの酒を注いだ時……か」

 リルと2人でコンビを組んで仕事をした時だ。

「そうそう。コークス・マーティ市長に呼ばれた医師の男たちがあなたの虜になっていたわ。まさか殺されるとも知らずに」

 レイズは、コークスを市長職から引きずりおろして、レグールを直轄地にしたいと考えている。しかし、自分さえ贅沢な生活ができればいいという考え方のコークスは、金山を手放そうとはせず、レイズと対立していた。そのため、レイズは何かと市長の邪魔をするようリルたちに申し付けていたのである。

「まあ、マーティ市長がレイズ様と折り合いが悪いのだから、仕方ないね」

 諦めてさっさと譲れば、こんなことにはならなかったのに。病まではやり始めて、働き手がばたばたと亡くなっている今、金山どころではないはずだ。

「……ふふ。そうね。でも、あなたはそれで出世して、今やレイズ様のお気に入りじゃないの。いいわねえ。あのお方に気に入られるなんて」

 一緒にコンビを組んで同じように動いたはずなのに、レイズの報酬はリルの方がはるかに多かった。それまでは信頼できる仕事仲間という間柄だったが、この事件を経てリルとダータンの仲は急速に冷え込み、それきり会っていなかったのである。

「そんな話はどうでもいいから、とにかく薬を返して」

 報酬はリルが決めたことではない。今さら自分に文句を言われてもどうしようもない。リルは淡々と受け流して、本題に戻った。

「どうしてもって言うのなら、取引しましょ。リルちゃん」

 待っていましたと言わんばかりにダータンが切り出す。

「はあ?」

 何をさせる気だろうか。びっくりして問い返す。

「あなたのその美貌を見込んで頼みがあるのよ」

 ダータンは褒めているのか嫌味を言っているのかわからないようなことを言う。

「何?」

 まわりくどい。こちらは時間がないのだ。早くしてほしい。すると、ダータンは、

「あたしのターゲットはコークス・マーティ市長。今夜6時、マーティ市長主催の仮面舞踏会が開催されるのよ」

 と言って、事細かに舞踏会について話し始めた。だらだらと話をしているが、そんな華やかな場所で、リルたち暗殺者がやることはただ1つだ。

「そこに潜入して市長を殺せって?」

 話が読めてきた。やはり一筋縄ではいかないらしい。

「さすがはレイズ様のお気に入りね。その通りよ。すごく女好きっていう話だから、あなたが相手なら簡単に落ちるわ。奈落の底に……ね」

 自分のターゲットを同僚に殺させ、自分の手柄とする。自分に逆らえない暗殺者に持ち掛けるずるい手口だ。

「それで薬は返してくれるのね?」

 ダータンの事情なんてどうでもいい。ガイの名誉のためにも薬をフォスター医師に渡させてあげたいのだ。

「ええ。簡単でしょ? いつも通りあなたは男を誘惑して殺せばいいのよ」

 リルも好きで男を誘惑しているわけではない。そう言われると腹立たしかった。

「わかった」

 ただ、この男とけんかしても埒があかない。大人しくその条件を飲むことにした。


 ダータンの家を出て、街の中心まで引き返す。中心といっても、店が出ているわけでもなく、誰も歩いていない。閑散としていて生ぬるい砂嵐がむなしく吹きすさぶだけだ。路地には浮浪者のような人たちがたくさん座っている。そんな中、ばったりガイに出くわした。

「迎えにきたぞ」

 にこにことガイが笑って、手を振りながら、駆け寄ってきた。人懐こいその笑顔に思わずどきりとしてしまう。

「ちゃんと説明してきた?」

 まさかずっとここにいたなんてことはなかろうか。それがリルの懸念事項だったが、

「おう。事の次第をしっかり説明して来たぞ」

 ガイは言われたことはちゃんとやっていたらしい。つくづく素直な男だ。

「そう。それならいいけど」

 そこまではバカじゃなかったか。ちょっと安心した。

「リルは、何かわかったのか?」

 ガイがリルをじっと見つめる。そう見つめられると、なんだか照れる。顔が赤くなっているのを見られないように、慌てて視線をそらすと、

「う~ん……家にはいなくてさ……それっぽいところは当たってみたんだけど、わからなかったなあ」

 腕を組み、考え込むような仕草を取って、とっさにそれらしい嘘をついた。わざとらしくて怪しまれるかなと思ったが、

「そうか……まあ、気にするなよ。そのうち取り返せるって」

 ガイはあっさり騙された。しかも、どことなく浮かれているような感じさえする。

「そのうちって……」

 そもそもガイがぼんやりして、ダータンに薬を取られるからいけないのだ。そう言い返してやりたい気持ちもなくはないが、こののんびりとした笑顔を見ていると、戦意喪失する。

「それよりさ、リル」

 ガイが急に改まってリルを呼ぶ。

「何?」

 それより……って、今、薬より大事な話題があるのか。

「仮面舞踏会、一緒に行かないか? 息抜き……ってことで」

 ガイが懐からきらきらした装飾が施されている封筒を取り出した。中を開けると、仮面舞踏会の詳細が書かれている。

「ど、どうしたの……? これ……」

 1人でこっそり潜り込むつもりだったリルは、ガイの突然の誘いに驚きを隠せなかった。

「フォスター先生に事情を話したら、忙しいから代わりに行ってくれって頼まれてさ。服はフォスター先生の家にあるのを好きに着ていいっていうから」

 ガイの方も動揺しているらしい。きっと内心では、リルがいい返事をするか否かどきどきしているのだろう。隠しているつもりなのかもしれないが、顔に書いてある。わかりやすいやつだ。

「……じゃあ、一緒に行こう」

 でも、そのわかりやすさが愛くるしい。リルは縦に首を振った。

「ほ、本当か?」

 自分から誘っておいて、疑うとはなんたることか。

「嘘ついてどうするのよ」

 もっと喜んでくれるかと思ったのに……リルは膨れ面をしてみせた。

「だってさ、そんなにあっさり誘いに乗ってくれるとは思わなくて……」

 膨れているリルにガイがなんだかんだと言い訳をする。

「たまにはいいかなって思って。こういうのも」

 ガイの表情はころころと変わって、なんだか忙しい。でも、ずっと見ていても飽きない。もっと色々な表情が見たい……なんて、そんなことを考えずにはいられなくなるのだった。

 閑散とした中心を抜けて南側に行くと今度はいくつかの豪邸が立ち並ぶ通りに着いた。ダータンのアジトがあった北側は浮浪者だらけだったから、同じ街にいるとは思えなかった。

「ここだ」

 豪邸の中でもひときわ大きな白い壁の家の前でガイが立ち止まる。そして、

「ただいま戻りました」

 元気よく言いながら、玄関のベルを鳴らした。すると、

「おお。よくぞいらっしゃいました。私はアラン・フォスターです」

 中からばたばたととがった面長の顔をした白衣の男が出てきた。くせのある髪を後ろで一つに無造作に束ね、低くて野太い声でリルたちを歓迎する。タイジュの旧友というわりには若ぶりだ。

「私は、ジュエル・フォスターです。よろしくお願いします」

その奥から上品な金髪の女性が出てきた。青い瞳はどことなくうつろである。全体的に線が細く、風で吹き飛ばされてしまいそうだった。

「はい……こちらこそ……」

 初対面の人と話すのは苦手だ。耐え切れなくなって、ガイの後ろに引っ込んだ。

「まさに美男美女ね。お似合いのカップルだわ」

 ジュエルは、うっとりとガイとリルに見とれている。

「カップル……?」

 リルは思わず聞き返してしまったが、ガイは何も言い返さない。まんざらでもなさそうだ。これからリルにどこかで殺されるというのに、本当にのんきで呆れてしまう。

「さあ。支度をしましょう」

 フォスター夫妻もリルの呟きにはお構いなしだ。アランはガイの手を、ジュエルは、リルの手を取ると、奥へ引っ張っていった。


 ガイは、アランの衣裳部屋に引っ張られて、アランに勧められるまま、紺色の上着に袖を通し、白い股引をはいた。ボタンも刺繍も金の糸が使われていてきらびやかだ。着替え終わって、家の壁と同じ色をした白い廊下を歩いてみるが、どうにも馴染まない。

「とてもお似合いです。気品あふれるそのお姿……まるで本物の国王のようですよ」

 アランは、冗談のつもりで言ったのだろう。しかし、本物の国王の座を狙うガイとしては、全く冗談には聞こえなかった。

「ありがとうございます。親切にしていただいて」

「いえ。こちらこそ。妻は年頃の娘におしゃれをさせるのが好きだったのですが、娘を3年前に流行り病で亡くなってからというもの、ずっと落ち込んでいたのです。生きていれば、アーノルド様と同じくらいの年でしたから、今日は張り切っているようです」

 アランが優しく微笑む。ジュエルの瞳がなんとなく曇っているように見えたのはそのせいか。レイズは市民を巻き込んでまで金山に固執している。お偉いさんのケンカに巻き込まれる方は溜まったもんじゃない。

「必ず薬は取り返します。もう少し待っていてください」

 根拠も手掛かりもないが、必ず自分が取り戻してみせる。そんなへんな自信と意地があった。

「はい。オーウェン様を信じています」

 その決意が伝わったのかアランはガイに豪快な笑みを見せてくれた。

「お待たせしました」

 その時、廊下の反対側からジュエルが歌うような弾んだ声とともに姿を現した。ジュエルの後ろから、リルが恐る恐る顔を出す。

「どう……かな……?」

 飾り気のない落ち着いたデザインのドレスなのに、リルが着ると華やかでとても美しい。色は情熱的な濃い赤だ。いつもと違って、大きなバラの髪飾りで長い髪をひとつにまとめているから、白くてきれいなうなじもよく見える。大人っぽくて妖艶な雰囲気にガイははっとさせられた。

 「きれいだ……」

 心臓がばくばくと音を立てる。 もっと気の利いたことを言いたかったけど、今のガイにはそう言うのが精一杯だった。

「あ、ありがとう……」

 褒められたリルは、照れているのか顔を真っ赤にして、うつむいた。

「やはりこういう格好は若い人が似合いますな」

 そんなぎこちない2人を見て、アランがにやにやと笑う。

「馬車は門の前で待機させています。行きましょう」

 ジュエルが満足そうに笑う。さっきまでうつろで生気がなかったのが嘘みたいだ。ガイとリルは、アランとジュエルに手招きされ、馬車が待つ玄関へ向かった。


 いつもリルに自分のことを知ってほしくて、べらべらと喋っているくせに、狭い馬車の中でお姫様のような格好をしているリルと隣り合って座るとさすがに緊張して何も言えなくなった。

「同じ街に住んでいるのに、どうして、舞踏会に行ける人と行けない人がいるのかな」

 黙り込んでいると、馬車の小窓から外を眺めていたリルがぽつりと呟いた。

「そうだな……みんなが参加できたらもっと楽しいだろうけどな」

 この街は貧富の格差が激しい。お金がある人はこうやって毎晩舞踏会や食事会を楽しみ、ない人は今日1日を生きるだけで精いっぱいだ。フローアンにいると、その様子は本の中でしかわからないが、ここでは目の前に広がっていた。

「みんなで参加できる舞踏会……かぁ……」

 窓に張り付いていたリルが興味深そうにガイの方を見る。そんなつぶらな瞳で見つめられると、思考回路が止まりそうになる。

「そうだな……広場で踊る……とか……」

 リルに聞かれて不意にそう答えてしまったのは、心のどこかに大好きなザルク村のイメージがあったからだろうと思う。ガイが育ったザルク村は何事も全員総出で行う習慣があったのだ。しかし、

「舞踏会っていうかお祭りみたいになりそうじゃない?」

 リルにはちょっとしっくりこなかったらしい。しきりに首を傾げていた。

「どうせやるなら賑やかな方がいいだろ?」

 別に舞踏会にこだわらなくてもみんなで楽しく騒げるような雰囲気であればいい。それがガイの理想の世界である。思わず熱が入ってしまった。

「それもそうか」

 力説するガイを見て、リルがくすりと笑う。ドレス姿で笑うリルはいつも以上に美しくて、つい見入ってしまったのだった。


 レグールの街の一番南側にある豪勢な屋敷の前で馬車は止まった。大きな黒い門をくぐった途端に現れたフローディアの広場よりも立派な噴水やまるで古代の神殿のようなどっしりとした柱に彫られている小鳥や草花の装飾に度肝を抜かれた。しかし、

「どこが入り口なんだ?」

 肝心の建物の入り口がどこなのかさっぱりわからない。馬車を下りてから、衣装に合わせた仮面をつけているものだから、余計に視野が狭くて歩きにくい。ガイの仮面は、白地に金が少し入ったもので、アランのお気に入りらしいが、つけたとたんにもう外したくなってきた。

「あっちじゃない?」

 リルがガイの服の裾をつかんでくいくいと引っ張る。ドレスの色と同じ色が仮面の目元に使われていて、華やかな雰囲気を増している。何度見ても見とれてしまうが、とにかく会場にたどりつかなければならない。ガイは我に返って神経を集中させた。すると、リルが指さした方からほんのりとオーケストラらしい音楽が聞こえてきた。

「そうだな。行ってみよう」

音を頼りに進んでいると、だんだん人が増えてきた。ガイたちと同じようにみんな思い思いの仮面をつけている。

「あの人たちについていったらいいのかな?」

「そうだろうな」

 平民として育ったガイとリルは、どうも堂々とした貴族の雰囲気に負けそうになる。端から見ると、きっと挙動不審の怪しい男女に違いない。2人はきょろきょろしながら、豪邸の中に入っていった。正面に赤いじゅうたんのひかれた階段があり、3階まで伸びていた。そして、ダンスホールはこの階段の裏側らしく、色とりどりの装いをした貴族たちが吸い込まれるように次々と入っていく。

「……うわあ」

 天井につり下がっている大きなシャンデリアに目を見張る。ダンスホールの中では、すでにオーケストラが上品なメロディーを奏でていた。男女のペアが何組も手を取り合って中心で踊っている。踊っていない人たちはそれぞれにグラスを持ち、話をしていた。しかし、上品な雰囲気のリルが通るたび、周りの男たちの視線が集まる。仮面をつけているので、顔はわからないが、この会場にいる男たちの視線を独り占めしているのは間違いない。一方のリルは、

「すごい……」

 周りの男たちなんて全く目に入っていないらしく、完全に舞踏会の雰囲気にのまれている。

「一曲、踊りませんか?」

 優美な世界に驚いて、固まっているリルに優しく声をかける。

「お、踊ったことなんてないよ……」

 いつもつんとしていて本音をみせてくれないのに、この時ばかりは動揺しているのがはっきりとわかった。

「大丈夫だ。俺に任せとけ」

 ダンスのステップはマリーのおかげで完璧だ。新しい曲が始まると、戸惑うリルをリードして、ガイは、踊り始めた。もともとの運動神経がいいのかリルは空を飛んでいるかのようにのびのびと踊っていた。一緒に踊っていた人たちの視線が一斉にガイとリルに集まる。あでやかな姿のリルとともに踊れることがとても誇らしかった。まだまだ一緒に踊って痛かったが、あっという間に一曲踊りきってしまった。ガイが観客に一礼すると、合わせるようにリルがドレスの裾を持って一礼する。観客からは大きな拍手が沸き起こったのだった。

「夢……みたい……」

 拍手の中、人の輪を外れるとリルがぽつりと呟いた。

「そうだろ? 何事もやってみるもんだ」

 仮面のせいで表情が見えないのが残念だ。今のリルはどんな顔をしているのだろう。ガイが妄想を膨らませていると、音楽が再び鳴り始めた。

「次の曲かな?」

 先ほどまで周りで見ていた人々も曲に合わせて踊っていく。

「そうだな。俺たちも混ざるか」

「うん」

 手を取り合って、再びダンスの輪に入っていった。


 さっきの曲とは違って、元気がいいこの曲は色々な人と踊るようにできているらしい。周りの人はみんなそれぞれ相手を変えてテンポよく踊っていく。こんな曲ならガイが言っていたみたいに街の人みんなで踊れそうだなと思う。ただ、テンポが速いので、一瞬でもぼうっとしていると、乗り遅れてしまいそうになる。周りはすでにそれぞれ男女のペアになっているというのに、リルは取り残されてしまった。すると、

「さきほどのダンス、とても美しかった」

 リルと同じくらいの身長の小太りの男が話しかけてきた。とりあえずこれで踊る相手ができた。あとは曲に合わせて踊っていればいいだろう。

「ありがとうございます」

 小太りの男と踊りながら、短く答える。そういえば、この人混みでいつの間にかガイとはぐれてしまった。終わるまでに合流できるといいのだが……と心配になる。

「そちはコークス・マーティ。名はなんという?」

 ガイに意識が飛んでいたリルは、一気に現実に引き戻された。そういえば、今夜のターゲットはこの男だ。そして、ターゲットが自分から寄ってきた。これはまたとないチャンスである。

「ここでは言えません。でも……」

 わざと視線をそらして、間を置く。できるだけ相手を焦らし、うまく食いつかせるつもりだった。

「でも……?」

 コークスがごくりとつばを飲み込む。

「二人きりなら、申し上げます」

 常套句でコークスに色っぽく囁いた。

「ならば、そちの部屋に来い。そなたに見せたいものがあるのだ」

 にやりとコークスが笑う。

「はい」

 獲物は釣れた。あとはいつも通りにこなすだけだ。


 コークスはリルの手を引いて、ダンスホールを抜けた。汗ばんだ手がべたべたとして気持ちが悪い。しかし、ここからは仕事だ。そんな感情は殺さなければならない。そう言い聞かせているうちに気づけば、3階まで階段を上がっていた。

「ここがわれの部屋だ」

 三階を全て使った大きな部屋だというのに、物が多いせいかなんだか狭く感じる。薄暗い部屋で、まず大きな天蓋付きのベッドが目に飛び込む。そして、その周りを取り囲むように壺や皿といった骨とう品がずらずらと並んでいた。壁には、ほっそりとした若い男の肖像画が飾られている。よく見ると、絵の下にコークス・マーティというタイトルがついていた。本人とは似ても似つかない姿だから、思わず二度見してしまう。

「これはフローアンから取り寄せた名品の壺でな……」

 コークスがリルに骨董品について語り始めた。そんな話に興味はない。さっさと命をいただいて、薬をもらおう。リルは、コークスがうんちくに夢中になっている隙に、隠し持っていたナイフを取り出し、足音をしのばせて襲い掛かろうとした。しかし、

「あやつの言う通り、やはりそちを殺す気だったか。そなたは、レイズの手の者……なのだろう?」

 コークスは、すばやい動きでリルのみぞおちに拳を入れてきた。

「な……!」

 しまった。ダータンに嵌められてしまった。一瞬よろめいたリルをコークスが慣れた手つきでベッドに倒し、押さえこむ。

「くく……いい体をしておる」

 こうなると、いくら剣の腕に自信があるリルでも抵抗はできない。コークスが美術品を愛でるようにリルの胸や腰を触っていく。

「やめて……」

 コークスがドレスに手をかけた。初めての夜がこんな気持ち悪い男と一緒だなんて、絶対に嫌だ。しかし、ナイフもなく、毒薬も持っていない今、なされるままにされるしかなかった。

「うむ。その怯えた目も悪くない」

 コークスが慣れた手つきでドレスを脱がせ始める。

「嫌っ……!」

 体格差では圧倒時に不利だ。じたばた暴れてもコークスはびくともしなかった。

「安心せよ。そちがしっかりとかわいがってやる」

 ダータンに嵌められて、この男にかわいがられるなんて、痛恨のミスだ。自分に落ち度がある。そう言い聞かせて、あきらめようとした瞬間、

「リルに触るな!」

 市長の部屋が勢いよく開き、誰かがコークスを思いきり殴り飛ばした。

「なんだ……お前は……!」

 殴られたコークスがよろよろと窓辺にすがる。

「ガイ……」

 ドレスを脱がされかけているリルを見て、怒り心頭といったところらしく、ガイは腰の剣を抜くとコークスに突き付けた。

「姿が見えないときは、ダンスの途中に抜けて、きれいな女を部屋に連れ込んでいるんだって、お前の家臣たちが教えてくれたぞ。よくもやってくれたな。このヘンタイ市長!」

「ま、待て。申し訳なかった。命だけは助けてくれ」

 コークスがその場に土下座し、ひたすら謝り始めた。リルは今すぐにでも切り払ってやりたいと思ったが、優しいガイはその命乞いを受けて躊躇していた。しかし、

「あなたの相手はあたしよ」

 その命乞いもむなしく、窓を割ってダータンが現れ、コークスの首を切り落としてしまった。

床に大量の血が流れたかと思うと、置物のようになった頭がごろんと転がり、さきほどまでリルを押さえつけていた大きな体が倒れた。

「ダータン……!」

 殺してこいと言いながら、ついていたのか。そのあざとさにあきれるばかりだ。

「そんなに睨まないでよ。約束通り、薬は返してあげるから」

 リルの殺気立った視線が恐ろしくなったのか、ダータンはさっさと薬を渡してくれた。

「リルにこんなことさせたのは、お前だな?」

 ガイの怒りの矛先が今度はダータンに向く。ダータンは、

「もとはといえば、とられたあなたが悪いのよ」

 ぺろりと舌を出して、ガイの落ち度を指摘する。

「それは……」

 ダータンに痛いところを突かれて、ガイが言葉に詰まる。

「まあ、あたしは楽しかったからいいけど?」

 ダータンはこれを狙っていたのか。なんだかんだ言いながら、仲間だと思っていたが、その考えは今日から改めないといけない。

「人が苦しんでいるのが……か?」

 ガイが信じられないとばかりに呟く。しかし、ダータンは気にも止めない。それどころか、

「ええ。とってもいい気味だわ。レイズ様はいつでもその子をひいきするからね。個人的には、その子が苦しむ姿をもう少し見ていたかったくらいよ」

 男にしては高い声でからかうように笑っていた。

「お前なあ……!」

 ガイがダータンに食って掛かっていったが、ダータンは軽やかにかわすと、

「邪魔が入って本当に残念ね。あたしは引き揚げるわ」

 最後まであざ笑いながら、煙幕を投げて窓から去っていった。

「大丈夫か?」

 ごほごほとせき込みながら、ガイがリルに尋ねる。全く。この煙幕は煙たいことこの上ない。

「……ありがとう。助けてくれて」

 リルはガイに素直にお礼を言った。ガイのおかげでコークスの餌食にならずにすんだ。自業自得だと諦めていたつもりだったけど、やはり恐怖は感じていたらしい。もう大丈夫なのだと思うと、ほっとして涙が出てきた。ぽたぽたと涙を流していると、ガイがその隣に腰かけ、そっと抱き寄せてくれた。

「抱え込んで……こんなことして……もっと頼ってくれよ」

 ガイの心臓の鼓動が聞こえてくる。なんて温かいのだろう。

「だって、ガイに迷惑かけちゃうし……」

 本当は何事もなかったかのように薬をガイに返すだけだった。こんなことになるとは思いもしなかったのだ。つい言い訳がましくなってしまう。すると、

「リルになら、いくらでも迷惑かけられてもいい。こんな思いをする方がずっと嫌だ」

 ガイがリルをもっと強く抱きしめる。まっすぐな言葉が心に刺さって、チクチクと痛かった。

「ごめんなさい……」

 いつもとやっていることは変わらないのに、そんな風に言われるとものすごく悪いようなことをしたような気になる。

「わかってくれればいいんだ」

 ガイがぽんぽんと優しくリルの頭を撫でる。先ほどまでの険しい表情はなく、いつもの優しい笑顔に戻っていた。

「もう……気安く触らないでよ……」

 本当はもう少し抱きしめていてほしいくらいなのに、口を開けば文句ばかり言ってしまう。でも、

「おう。それは悪かったな」

 必死で涙をぬぐっているリルを見れば、それが本音ではないことはわかるらしい。ガイは、悪びれもせず、にこにことその様子を眺めていた。

「行こう。フォスター先生に薬を渡したらすぐに出るぞ。こんなところ、長居は無用だ」

 リルが落ち着くまで待ち、ベッドに腰かけていたガイが切り出した。

「うん」

 リルもドレスを整えると、ガイと一緒に部屋の外に出た。長い廊下を歩き、2階へと下りる。その時、

「こんなところで何をしている?」

 黒髪の男に呼び止められた。黒い仮面をしていて顔はよくわからないが、どこか聞き覚えがある声だとリルは思った。

「散歩だ」

 ガイが黒髪の男に強い口調でぴしゃりと言い放つ。しかし、男は引き下がる様子はない。それどころか、

「ふうん……まあ、そういうことにしておいてやろう。君にリルを預けるのは惜しいけどな」

 と上から見下ろしたような嫌味を言った。

「なんだと?」

 ガイがまたかんかんに怒りだした。今にも殴りかかりそうなガイをリルは冷静に制し、

「なぜ私のことを知っているのですか?」

 自分の疑問をぶつける。黒い仮面の男の答えを待っていたが、

「大変だ!」

 それよりも先に下でコークスの家臣たちがばたばたとし始めた。どうやら主人の死に気づいたらしい。

「追手が来る前に行け。ここは僕がなんとかしよう」

 黒い仮面の男は結局、正体を明かしてくれなかった。

「かっこつけやがって! 行くぞ!」

 ちっと舌打ちし、ガイが走り出す。黒い仮面の男の正体が気になりはしたが、ここで悠長に話している時間はなさそうだ。リルもその後を追うことにした。


 ガイは、リルがジュエルと一緒に着替えをしている間に、アランに薬を渡し、事情を説明した。アランは涙を流し、

「本当にありがとうございます。これで病に苦しむ人たちを救うことができます」

 と言って喜んでくれた。

「いえ。リルのおかげなんです。俺は何もしていません」

 ガイが取られた薬をリルが体を張って取り返してくれた。ぎりぎりのところで心に傷も負わせなくてすんだ。ひやひやとしたが、結果としてはいい方だろう。

「何もできませんが、よろしければここでゆっくりとお休みください」

 アランがにこりと笑う。

「よろしいのですか? 追手が来るかもしれませんよ」

 ガイたちの状況については、説明したばかりだ。しかし、

「今、外に出るのは危険です。何かあれば、私たちが対応しましょう」

 アランは快く引き受けてくれた。

「ありがとうございます」

 いつの間にか真夜中だ。何がどこに潜んでいるのかわからない暗闇の中を移動するのはやっぱり得策ではない。素直にアランの好意に甘えることにした。

「それはよかった。ちょっとご相談がありましてね。葡萄酒でも飲みながら、あなたと話がしたいと思っておりました」

 何を話すつもりだろう。ガイには見当がつかなかったが、

「俺がわかることであれば、お力になります」

 と答えるしかなかった。

 台所に移動すると、アランは葡萄酒が入っている瓶のコルクを開け、グラスに注いでくれた。

「いただきます」

 一口ほど葡萄酒のグラスに口をつける。ガイは、体格がいいせいか酒好きに見えるとよく言われるが、実をいうとそんなに酒は強くない。明日、二日酔いにならないように気をつけないと、先を急ぐリルに烈火のごとく怒られる。

「これでマーティ政権は倒れました。しかし、そうなるとここがレイズ国王の直轄地となってしまいます」

 アランは机につくなり、本題を話し始めた。

「そうですね……」

「しかし、レイズ国王の直轄地になったところは重い税金を課され、土地も人もだんだん生気がなくなっていくと聞いております。だから、私どもとしては、手放しに喜べないというのもまた事実です」

 それがよかったのか悪かったのかわからない。アランは浮かない顔をしていた。中途半端に励ますわけにもいかず、黙っていると、

「ところで、フローアン女王にお仕えしているオーウェン様にお尋ねしたいのですが」

 急にアランがかしこまった態度をとった。

「なんでしょう?」

 何の気なしに聞いていたガイもどきどきしながら次の言葉を待った。すると、

「フローアンには本当にガーウィン王子が亡命しているのですか?」

 と真剣な眼差しで尋ねてきた。

「え……?」

 正体がばれているのか。手に汗を握りながら考えていると、

「フローディアの城で仕官しているオーウェン様なら、何か噂でもご存知かと思いまして……もし、生きているなら会えないかと思ったのです」

 アランが再び深いため息をついた。

「それは……なぜですか?」

 どうやら正体がばれているというわけではないらしい。何か事情があるようだ。ガイはアランの言葉に耳を傾けた。

「私は長年住んできた大好きなこの街が廃墟と化すのはどうしても耐えられない。そこで、トゥエンタに住んでいるイルマ・ファナックという革命家と手を結んだのです。水面下で動いてはいます。今日もその決起集会を密かにやっていましたので、仮面舞踏会の代役をお願いしたのです」

 そんな動きがこの街で起きていたのか。穏やかに見えるアランがそんなことをしているとはちょっと意外だった。

「イルマ・ファナック……とは?」

 トゥエンタに住んでいるというのなら、もしかしたら会えるかもしれない。今のガイに何ができるわけでもないが、情報だけでも集めていれば、どこかで繋がるかもしれない。ガイは身を乗り出した。

「3年前から活動を始めたオーウェン様と同じくらいの年の男です。各地で彼を支持する者も多い。少々過激な男ですから、国王軍は目を光らせていますがね」

「なるほど」

「今日の決起集会でも話になりましたが、この計画にはどうしても20年前に行方不明になったガーウィン王子が必要です。もう亡くなっているという噂もあるのですが、どちらも証拠がありません。だから、あきらめきれないのです」

「そうでしたか……」

 自分がガーウィン王子本人であることが明かせないのがもどかしい。しかし、ここで正体を明かして活動に巻き込まれても何もできない。世の中にはタイミングというものがある。じっと耐えることにした。

「私たちはこの国をよりよくしたい。ボルモンド島という小さな島での争いなんて無意味です。 リビエラ前国王の血を受け継ぐガーウィン王子なら、きっと我々国民軍とともに立ち上がり、レイズ国王を倒してくれるはず。その希望に賭けたいのです」

 アランの力強い目は本物だった。そこまで言ってくれるなら、ガイだって賭けてみたい。

「わかりました。俺は何もわかりませんが、サーシャ様なら何かご存知のはずです。聞いてみましょう」

 今はこうとしか言えないが、必ずともに立ち上がろう。ガイは、そんな想いを抱いていた。

「ありがとうございます」

 話がひと段落した頃、

「あら。こんなところにいたの?」

 ちょうどジュエルが入ってきた。しかし、リルの姿は見えない。

「リルは?」

「今日は疲れたからもう寝るって言っていましたよ」

 それもそうか。あんなことがあったのだ。ぐっすり寝て、明日にはまた元気な顔を見せてくれたらいいなと思う。

「じゃあ、俺もそろそろ失礼します」

 ジュエルに任せて、ガイもゆっくり眠らせてもらうことにした。

「2階の部屋、自由に使ってくださいね」

「ありがとうございます」

 アランと真剣に話していたため、酒を飲んでも大して酔いは回っていないような気がしていたが、歩き出すと徐々に酔いが回ってきた。なんとか階段に2階に上がり、階段に1番近い部屋の扉を開ける。そして、ベッドに倒れこむと、そのまま一瞬にして眠りについたのだった。


 ダータンは誇らしい気持ちでティザーニアの城に戻った。

「レイズ様」

 敬愛するレイズに久しぶりにいい報告ができる。入った時からすでに浮足立っていた。

「戻りましたか。ダータン」

 窓から外を眺めるレイズはいつも通り淡々としている。もう少し喜んでくれてもいいのに。

「はい。これがその証拠でございます」

 ダータンたち暗殺者は、主君であるレイズに証拠として殺した人物が常に身につけているものを差し出す。今日はレグールの特産品である金をふんだんに使ったブローチだ。細かい装飾が実に美しい。売ればいい値段になるだろう。

「なるほど。いい仕事をしましたね。褒美はたんまりとあげましょう」

 レイズも満足そうにそのブローチを眺めている。

「ありがとうございます」

 ひざまずいて主君に礼を言う。これでしばらくは安泰だ。また呼ばれるまで遊んで暮らせるだろう。しかし、そんなダータンのあては見事に外れてしまうのだった。

「ところで、有能なあなたに次の依頼をしたいのです」

 有能な……と言われると悪い気はしない。遊んで暮らすのはこの依頼が終わってからでも遅くない。ダータンはそう思い直した。

「何でしょうか?」

 次はどんな大物を狙わせてもらえるのだろうか。わくわくしながら次の言葉を待つ。

「リル・アーノルドが今、ガイ・オーウェンとともにティザーニアに向かっています。彼女には彼がガーウィン・メナード王子であることという証拠をつかんだら、殺しなさいと言ってあります」

 ガイ・オーウェン……ちょうどいいところで邪魔をしてきたあの男か。

「さようでございますか」

「20年前。最期までメナード母子の行方をあの夫婦は言いませんでした。ティザーナ王国に入ってから殺せと言ったのに、あんなところで殺すからいつまで経っても見つからなかった。私は業を煮やしていたのですよ。しかし、私は確信した」

「この前の戦でございますね」

 1か月前。ティザーナ王国軍は国境へと進軍した。願わくば、フローディアまで攻め込むつもりだった。しかし、ザルク村に踏み込もうとした時、レイズの気が変わったのだ。

「そうです。国境に敷いていたティザーナ王国の陣地に飛び込んできたあの男は、憎き兄に瓜二つでした」

 あの時、ティザーナ王国軍は優勢だった。しかし、ガイがリビエラにとてもよく似ているということに気づいたレイズは、戦を中止させた。レイズはただ攻め込むだけの戦よりもガイを確実に殺すこと……を優先させたのである。

「お気持ちはよくわかります」

「何としてでもここで潰しておきたい。そこであなたには、リル・アーノルドとガイ・オーウェンの追跡をお願いしたいのです」

「追跡でございますか」

 暗殺ではなく、追跡……あくまでもリルに手を下させるつもりなのか。どうして、レイズはそんなにリルにこだわるのだろう。

「ええ。何かわかったことがあれば、逐一報告してください」

 リルのおまけ……という感じが否めなくて不満はあったが、断ることはできない。

「仰せのままに」

 ダータンは静かに一礼してその場を後にした。



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