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1日目 旅立ちのフローディア

 満月のように真ん丸な形をしているボルモンド島。この島は、ど真ん中を国境として、西側はフローアン王国、東側はティザーナ王国に分かれている。

「ここで……いいよな?」

 フローアン王国の王都・フローディアは、今日も子ども連れから老人まで多くの人で賑わっている。忙しく行き交う人々に不審な目を向けられながら、ガイは、待ち合わせ場所である広場の噴水の前にぼうっと突っ立っていた。ガイが仕えるここフローアン王国の女王であるサーシャ・ホフマンにある人物とともにティザーナ王国北東部にある王都・ティザーニアに行って、国王に会うよう命じられたからである。


 事の発端は、1ヶ月前だった。

「大変です!」

 フローディアの城でサーシャと一緒に書類仕事をしていたガイのところに国境警備隊の兵士が飛び込んできた。

「どうした?」

 ただごとではない雰囲気にガイは思わず立ち上がった。

「ティザーナ王国が攻めてきました! もうすぐこのままでは国境を突破されてしまいます!」

 真っ青な顔で兵士は続ける。

「なんだと?」

 聞いていたガイも気が気ではなくなってきた。いつも余裕で追い返していたのに、どうやら急に攻められたせいで、準備が整っていないらしい。

「今すぐ応援を向かわせよう。我らも行くぞ」

 うろたえているガイの隣で、サーシャがてきぱきと指示をしていく。サーシャは、ブロンドのふわふわした短い髪の女性で、年は、ガイの母親と同じ40代後半だ。しわひとつないつやつやした肌をしているせいか20代にしか見えないが、こういう時は勇ましく頼りになる女性である。

「かしこまりました」

 国境警備隊の兵士たちが最前線で頑張っているというのに、城にいる自分が焦るべきではない。ガイは気持ちを入れ替えて、サーシャの後を追った。


 ティザーナ王国とフローアン王国は、20年前から小競り合いを繰り返している。しかし、ここ最近は、休戦していたはずだ。突然、どうしたのだろう。慌てて、馬に乗り、精鋭部隊を連れて、国境へ全力で馬を走らせたが、要塞にある青地に2つの龍の紋章が入ったフローアン王国の旗はぽっきりと折られていた。

「フローアン王国は劣勢のようじゃな」

 無残な状態にサーシャもガイも心を痛めた。一般人を巻き込んでいないのが不幸中の幸いというところだ。

「このままでは負けてしまいます」

 国境では今も熾烈な戦いが続いている。弓矢や砲弾が飛び交う中、サーシャが何かを見つけた。そして、

「ふむ……ならば、わらわに策がある。ついてこい!」

サーシャは国境の要塞付近に見えるティザーナ軍の旗を目掛けて全力で駆け抜けていった。

「待ってください! サーシャ様!」

 ガイも敵の攻撃をよけながら、大慌てでその後を追いかける。ティザーナ軍の旗であるえんじ色に翼を持つ金ぴかのライオンが躍動する旗が徐々に近づく。そこは、国境の要塞付近に陣をしくティザーナ軍の本拠地だった。


 金色の鎧を着ているサーシャは敵陣にいるととても目立つ。それなのに、頭に血が上っているのか全く気にすることなく、いくつかある野営テントの中でも1番大きなテントの中に堂々と入っていった。その後をガイも追う。サーシャはいつも落ち着いていて、めったなことでは動じない。今日はよほど腹が立っているようだった。

「何者だ!」

 と言った兵士たちがうめき声をあげて倒れる音がする。

「サーシャ様! 落ち着いてください」

 ばたばたと止めに入って、暴れるサーシャを押さえつけたが、

「落ち着いていられるか! 人の土地で好き放題やりおって!」

 サーシャの怒りは収まりそうになかった。その今にも噛みつきそうなきんきんと甲高い声を聞きつけたのか、

「女王自ら出向かれるとは……お目にかかれて光栄ですねえ」

 テントの奥の方からのっそりと一人の男が出てきた。意地の悪そうな薄ら笑いを浮かべる白髪交じりで髪の薄い男だ。

「レイズ国王……」

 サーシャがはっと息を飲む。

「一国の女王が取り乱すとは大人げないですねえ」

 冷たい抑揚のない声が耳に障る。気味が悪くなったのかサーシャは黙り込んでしまった。

「今すぐに戦をやめてください」

サーシャの代わりにガイがレイズを見据えて答える。

「なるほど……そういうことでしたか」

 レイズがぎろりとガイをにらむ。嫌な沈黙が流れた。次は何を言い出すのだろう。冷や汗が止まらないが、サーシャが暴走している今、側近である自分がしっかりしなければならない。恐怖で心臓がばくばくと音を立てていた。すると、

「……いいでしょう。今日は帰ります」

あっさりとレイズは戦をやめることを受け入れ、

「皆さん。撤収しますよ」

 周りにいる兵士たちに呼びかけた。

「かしこまりました?」

 兵士たちはレイズの掛け声1つで操り人形のようにさっさと撤収作業をしていく。

「これでよろしいですか?」

 顔は笑ってはいるが、やっぱりどことなく不自然だ。

「はい」

 しかし、劣勢のフローアン王国はその言葉を信じるしかなかった。

「我らも引き上げるぞ。さらばだ。レイズ」

 つんけんとサーシャが捨て台詞を吐いて、テントを出ようとした。すると、

「またお会いできるのを楽しみしていますよ」

 去り際にまた不気味なことを言い、にやにやと笑っていたのだった。


 あの言葉の裏に何があったのか……あの笑みの裏に何があったのか……今となってはその思惑はわからない。

「ガイ。ちょっといいか?」

 仕事終わりに大理石でできた城の渡り廊下をのんびりと歩いていたガイは、この国の女王であるサーシャに呼び止められた。

「なんでしょうか?サーシャ様」

 いつ見ても若々しいサーシャは、多くの男を惑わせる美魔女だと噂されている。しかし、美魔女を自分の女にしようという手練れはいないようで、いまだに独身である……というのが本人にとっては悩みの種らしい。

「用がなければ、呼ばんぞ」

 翡翠の色をした大きな瞳がじっとガイを見る。サーシャがこうしてガイを呼ぶときはろくなことがない。嫌な予感しかしなかった。サーシャは、いぶかしむガイを引きずるようにして、玉座の間へと連れていった。


 フローディアの城の1階。西側の1番奥にある玉座の間には、夕日が差し込んでいた。玉座の間に着くなり、サーシャは、自分の好みに合うように職人に作らせた金のごちゃごちゃとした骨組みに赤い布地が張ってある椅子に腰かけた。そして、

「平和条約締結のため、ティザーナ王国で国王のレイズ・メナードと会ってはもらえぬか?」

 と尋ねてきた。

「俺が……ですか?」

 驚いて目をぱちくりさせる。なぜ、平和条約なんていう大仕事に仕官して5年目のガイをわざわざ指名するのだろう。本来なら、女王であるサーシャとの会談であるべきだ。意味がさっぱりわからない。サーシャも、

「うむ。しかし、それがレイズ国王の要望なのじゃ」

 と困惑の表情を浮かべてため息をついた。

「要望……ですか」

 ティザーナ王国の国王であるレイズ・メナードは、とても傲慢で圧政を強いていて、民の人気は皆無だ。フローアン王国とも仲が悪く、それまで良好だった両国の関係は一瞬にして崩れ去った。そんなレイズが言うことだから、サーシャは警戒しているのだろう。

「そうじゃ。しかも、リル・アーノルドという女を同行させろと言う。ティザーナ王国でも選りすぐりの剣の使い手なんじゃと。要は見張りじゃな」

 サーシャは肩をすくめ、レイズから届いたらしい文書をガイに渡した。開けてみると、サーシャが今言った通りのことがだらだらと書いてある。

「なるほど……」

 サーシャの言うことはガイにも痛いほどよく分かる。しかし、

「相手は、1週間以内に連れて来なければ、我が国を潰すと物騒なことを言いおるからの。明日にでも発て」

 劣勢であるフローアンは、条件を飲むしかなかった。

「かしこまりました」

 それを悟ったガイは、力強くうなずいた。

「そもそもあんな国境の戦いで国王が出てくる方がおかしいのじゃ。絶対に裏がある」

 確かにボルモンド島南西部の国境攻略のために、北東部にあるティザーナ王国・王都ディザーニアからわざわざ出てくるなんて、ちょっと怪しい。いくらフローディアが南西部にあるといえど、そこまでして出てくるようなものでもないような気がする。あの時、ガイもレイズの姿を目にしたが、何かを探しているような感じがしなくもなかった。

「十分に気をつけよ。ティザーナ王国の本当の継承者はお前じゃ。ガーウィン・メナードよ」

 サーシャは、よくわからないレイズ国王の動きが本当に心配なのだろう。いつもなんだかんだとはぐらかすのに、今日は真剣な目でガイを忠告してきた。

「承知しております」

 ガーウィン・メナード……それがガイの本当の名前だ。



 20年前。ガイの父親でティザーナ王国の国王だったリビエラ・メナードとその妻であるマリーは、当時3歳だったガイを連れて、フローアン王国に表敬訪問に行った。その帰り道のことだった。乗っていた馬車のタイヤが外れて森の木にぶつかって止まったのである。周りの木々に止まっていた鳥たちがびっくりしてみんな飛び立ってしまうくらいの衝撃だった。しかし、幸い中に乗っていたガイたちにけがはなかった。

「なんだ?」

 リビエラは、異変を感じ、外に出て、御者に尋ねようとした。しかし、リビエラが外に出た時は、御者も馬もすでに亡き者になっていたらしく、会話は聞こえてこなかった。その時、

「あんたがリビエラかい?」

 見下しているような意地悪い女の声が馬車の中まで響いてきた。

「母上……」

 馬車の中で幼いガイはぶるぶると震えていた。

「静かにしなさい」

 マリーが怯えるガイをぎゅっと抱きしめる。2人は、そのまま静かに馬車の外の音に耳を澄ませていた。

「誰だ?」

 恐ろしい敵と対峙しているだろうに、リビエラの声はいたって冷静だった。

「あたしたちゃね、あんたの弟のレイズ様に雇われたんだよ。あんたを殺せってね」

 しかし、リビエラもここまでだった。うめき声らしきものが聞こえたかと思うと、倒れる音が馬車の外から聞こえた。

「父上……!」

 ガイはいてもたってもいられず、マリーの静止を振り払って、馬車の外に出た。すると、そこには血まみれになり、変わり果てた姿で倒れているリビエラがいた。ショックが大きすぎて声も出ない。

「おや。これは王子様じゃないか」

 はっとして顔を上げると、赤毛の長い髪を1つにまとめた女がガイを嬉々として見ていた。

「かわいい坊やだな。この天下の大盗賊団・赤い天馬に加えてやってもいいぜ」

 野盗たちは10人くらいいただろうか。慌ててマリーが馬車から飛び出してきて、むさくるしい男たちとガイの間に入った。

「この子だけは、助けてもらえませんか?」

 マリーは、なかなか肝のすわった女で、大男たちを見てもいっさい動じなかった。しかし、野盗たちは、そんなマリーをあざ笑う。

「何を言っているんだい? 王妃様。見逃すわけがないだろ? こんな大きな獲物をよう」

 女が体の半分はあるだろう大きくて太い剣を構え、マリーに突進してきた。その時だった。木の上から黒い人影が軽やかに下りてきたのだ。

「な……」

 10人もいた野盗たちが次々と切り倒されていく。一瞬の出来事でガイは理解できなかった。

「マリー様。こちらへ」

 黒いローブを着ている人物が気づくと目の前に立っていた。抑揚のない男の声だ。顔は見えないが、声に張りがある。恐らく、まだ若い。

「どうして、私のことを……?」

マリーが相変わらず震えているガイを抱きしめたまま、問い返した。

「ザルク村にあなたの親戚がいると聞いております。行きましょう」

 背後から現れた別の黒いローブの人物が答える。ガイはびっくりして心臓が止まりそうになった。こちらは女の声だ。やはり淡々とした口調である。

「は……はい……」

 これは罠なのだろうか。マリーは迷っているように見えた。でも、2人だけ取り残されてしまった今となっては、この怪しい人物についていくしかなかった。

半信半疑ではあったが、黒いローブの男女は、ちゃんとマリーとガイを護衛して、ザルク村の門まで送ってくれた。幼いガイでも歩いて5分くらいの距離だった。

「ありがとうございました。ここまで来れば大丈夫です。なんとお礼申し上げればよいか……」

 マリーは泣きながら、何度も何度も男女にお礼を言った。

「いえ。リビエラ様をお助けできず、大変申し訳ございません」

 男が深々と頭を下げる。相変わらずローブで顔は見えない。いったいどんな思いでガイたちを助けたのだろう。

「夫のことは残念ですが、私たちは生きています。生きている限り希望はあります」

 マリーは涙をぬぐうと、じっとガイを見つめた。それが何を意味するのか幼いガイにはまだよくわかっていなかった。

「あなたは強い人ですね」

 女はひざまずいて、ガイに目線を合わせた。そして、

「あなたはティザーナ王国の国王となるべき存在です。どうかティザーナ王国を救ってください」

意味深なことを言った。

「国王……? 救う……?」

 ガイにはもちろん何のことやら理解できない。不思議そうな顔をしてたどたどしく問い返すガイを見て、女がくすりと笑った。

「約束ですよ」

 何がおかしいのかと思って、むっとして頬を膨らませる。女は、さらに笑いながら、ガイに自分の右手を差し出した。今にも消えてしまいそうなか弱い白い手だったが、握ってみると力強さがあった。その女の顔は全く覚えていないが、それだけは今も昨日のことのように思い出せるのだった。


「リビエラは民から慕われる心優しい素晴らしい国王であった。妻のマリーは、聡明な王妃であった。それなのに、わらわの大切な友人を暗殺しよって……ただじゃ置かんぞ。あやつら」

 サーシャの声に怒りの感情が強く表れている。煮る気なのか焼く気なのか見当がつかないが、そのくらいのことはしそうな勢いだ。

「必ず、私は国王の座に返り咲いてみせます」

 黒いローブを深くかぶった不思議な男女のことをマリーもガイも片時も忘れたことはない。マリーはガイが大きくなるにつれて、

「いつか王座を取り戻しなさい。助けてくれたあの人たちのためにも」

 と口癖のように言っていた。そして、知り合いの剣の師匠や家庭教師をつけ、ひととおり国王に必要な教養を学ばせた。さらに、ガイが18歳になると、親友であるサーシャに仕えるよう話をつけた。ただ、それでやりきったと思ったのかマリーはそれからすぐに亡くなった。朝、起きてこないと思って、部屋に行ってみると、ベッドの上で安らかに眠っているかのように息を引き取っていたのである。

 あれから5年。ガイは、悪政を強いる国王を必ず倒すと使命感に燃えていた。そして、国王になったら、自分たち母子を助けてくれたあの人たちにお礼を言おうと心に決めていた。

「よい心がけじゃ。ただし、感情に振り回されて、死に急ぐなよ」

 考えるよりも先に、感情だけが先走って失敗するのは、ガイの悪いところだ。

「わかっております」

 そのせいで何回、村の人や城の人ととけんかになったことか……。みんな心の広い人ばかりだから大事には至らなかったものの、思い返すと、自分が情けなくなる。

「ついでにティザーナ王国の様子を見てこい。レイズ政権になってから、あの国には入っておらんが、相当ひどい状態らしいのじゃ」

 サーシャも、ガイを暴君から救う救世主にはしたいらしい。それは、ガイがここに雇われた時から暗黙の了解となっていた。

「あの男のせいで、民が苦しんでいるなんて……許せません」

 自分が気に入った領主であれば優遇するが、そうでなければ冷遇し、挙句の果てには土地を取り上げ、残された民に重税を課す。それが街を巻き込んで行われているという噂だからたちが悪い。レイズの気まぐれのせいでいったいいくつもの街がつぶされたのだろう。

「全くじゃ。いつでもフローアン軍は出せる。あとはタイミングというところかの?」

 サーシャがにやりと笑ってガイを見る。劣勢で負けたが、だいぶ立て直してはきたらしい。

「かしこまりました。様子を見てまいります」

 それならば、そのタイミングを見極めるためにもガイは行かなければならない。そして、ティザーナ王国をレイズの手から必ず取り戻してみせる。

「うむ。その後にでも、作戦を立てようぞ。逆手に取ってやれ」

 こうして、ガイは、依頼を引き受けたのだった。


「……ガイ・オーウェン様ですか……?」

 物思いに耽っていると、茶色のフードを深くかぶった人物が近寄ってきた。かわいらしいが凛としたよく通る声だ。ガイは大柄だから、女だとちょっと見下ろすくらいの身長差になる。

「ああ。そうだが……」

 ガイが答えると、その人物はフードをとった。

「初めまして。リル・アーノルドと申します」

 その美しさに思わず息を飲む。銀色のさらさらとした腰までも長い髪、切れ長の燃えるような赤い大きな瞳が特徴的な整った顔立ち、色白で華奢な体つきなのに、ふくよかな胸……挙げればきりがないほどどこまでも魅力的な女だった。年齢はガイと同じくらいといったところだろうか。

「ガイ・オーウェンだ。よろしくな」

 ガイは、どきどきしながら、笑いかけた。しかし、

「……こちらこそ」

 リルはつれない態度でガイをあしらう。きれいだが、愛想のない女のようだ。にらみつけられたが、その瞳ですら美しくてはっとしてしまう。

「とりあえず、厩に馬を取りに行くか」

 おいでと手招きすると、子ども扱いするなと言いたそうな鋭い視線を向けられた。でも、難攻不落に見えるものほど落とした時の喜びは格別だ。そういう意味ではなんだかわくわくした。


 のんきな笑みを浮かべる人だ。見ていると、なんだかいらいらする。それがリルのガイに対する第一印象だった。

 身長は並の男より大きいだろう。鍛えているのか全体的に引き締まった体つきだ。立っていると威圧感があるが、喋ると温和で人懐こい。警戒心がまるで感じられないのだ。本当にこんな男が20年前に行方不明になっていた王子なのか。疑問が残る。

 レイズは、自分の兄が大嫌いだった。血を分けた兄弟なのに、何もかも正反対で折が合わず、議場で何度も激しい口論になっていたらしい。だから、殺したのだ。そんな情報は、レイズに15歳で雇われ、王都・ティザーニアにあるティザーナ城で3年目を迎えようとしているリルの耳にも入っていた。

 そんなある日、リルは、玉座の間の隣にあるレイズの部屋に呼ばれた。そして、

「ガイ・オーウェンという男を知っていますか? サーシャの側近の」

 と唐突に尋ねられたのだった。

「名前を聞いたことはあります」

 若くして、フローアン王国の女王の側近になった男だ。年齢はリルより5つ年上だったと思う。頭がよく、サーシャから信頼を置かれているらしい。そう聞いたことがある。その男をリルにどうしろというのか。不思議そうな顔をしているリルにレイズは続ける。

「あの男は、恐らく、私の兄の息子です」

 つまり、レイズが憎む男の子ども……ということなのか。しかし、

「20年前に行方不明になっていた王子ということですか?」

 どうして今さらずっとわからなかった王子の行方がわかったのだろう。

「その通りです。1か月前、国境に攻め込んだ時に見かけましてね。確信はありませんが」

 レイズは、淡々とリルに語る。相手が誰であろうと丁寧語を使うその語り口は、いつでも一本調子だ。慣れていなければ、何を考えているのかわからない。でも、15歳の時からレイズに仕え、わずか3年でその信頼を勝ち得たリルにはわかる。

「私にその男を殺せとおっしゃるのですね?」

 任務さえちゃんと全うすれば、生き延びられる。それがリルたち暗殺者の理だ。

「ご名答。ただし、ガイ・オーウェンがガーウィン・メナードであることを確かめてから……で構いません。サーシャの側近である男を理由なく殺すと、面倒なことになりますから」

 レイズは、ぞっとするような冷ややかな笑みをリルに向けた。

「かしこまりました」

 それでもリルは怯まない。怯んだら負けだ。任務にも失敗する。任務に失敗するということは、レイズにとって用がないも同然だ。存在を消されてしまう。レイズの手でじわじわと戒められて。リルもそんな同業者をたくさん見てきた。

「さすが。仕事ができる女性は、話が早いですね」

 大丈夫だ。レイズは、自分のことを買ってくれている。だから、

「必ずお役に立ってみせます」

 リルはそつなく答えた。

「それでは頼みましたよ」

 どうやら話は終わりらしい。リルは静かに一礼し、その任務を承ったのだった。


「ここを歩いているってことは、任務前かしら?」 

 城の東側にあるレイズの部屋を出て、白黒の格子状の柄が描かれている長い廊下を歩いていると、落ち着いた女の声がした。振り返ると、

「リュクス」

 ティザーナ王国軍・スノーヴァ支部長のリュクスがいた。ブロンドの少しくせのある髪が今日もふわふわと波打っている。男でも重いであろう銀色の鎧をなんなく着こなし、背中ではティザーナ王国の王国軍の証である翼を持つ金色のライオンが縫い込まれたえんじのマントをなびかせていた。

「少しだけ私の剣術の稽古に付き合いなさい」

 お互いにティザーニアで生まれ育ち、同じ師匠であるイルマ・ファナックという男に習ってきた。そのため、リルとリュクスは剣を持てば、今でもライバルだ。リュクスがスノーヴァ支部に行ってからは手合わせする機会がなくなっていたから、その誘いはとても嬉しい。しかし、

「支部長には、お相手はたくさんいるでしょ?」

 リュクスはティザーナ王国きっての大貴族の才媛だ。正式に王国軍の一員として活躍する彼女の相手が身分の低いリルでいいのだろうかといつも尻込みしてしまう。ただ、リュクスは、

「あなたに勝たないと意味がないの」

 剣術の腕に関しては、身分は関係ないという姿勢を崩さない。

「じゃあ、移動しようか」

 いつも試合をしている裏庭に。


 ティザーナ王国の城は、街から少し離れた丘の上に建っている。一年中ひんやりとしていて、庭といっても芝生が整えられているだけのシンプルな造りだ。その中でも裏庭は、森との境目にあり、特に人目に付きにくい場所にある。そんなだだっ広い裏庭で、いつものようにリルの剣とリュクスの剣が激しくぶつかり合う。どちらも一歩も譲らないまま試合はしばらく続いたが、だんだんリルの方が優勢となり、リュクスの剣を弾き飛ばした。今日もやっぱりリルの勝ちだ。

「私の勝ち!」

 幼い頃からリルが連戦連勝だ。それがリュクスは悔しいようだが、リルも負けず嫌いだから、訓練は欠かさない。よって、今までずっとリルが勝ち続けているのである。

「……全く。相変わらず強いわね。あのファナック先生が嫁に来いって言うわけだわ」

 イルマ・ファナックはリルより10歳ほど年上だった。実家は名の知れた商家らしいが、18歳で家を出て以来、ティザーニアで身分を問わず才能ある子どもに剣術の指導をしていた。

「な、なんで知っているの?」

 レイズから声がかかった時、リルは悩んでいた。それはイルマも同じだったようで、稽古の後に呼ばれ、妻になってくれと言われた。

「それでショックを受けて、故郷に帰ったって話よ。なんで嫁に行かなかったのよ」

 リュクスが不満げな顔をする。確かにあの時、嫁になっていれば、人を殺めるような仕事はしていなかった。でも、

「……急に言われても……そういう風に思えなかったんだ……」

 悪い人ではなかった。リルはあくまでも先生として慕っていたのだ。恋愛感情はなかった。イルマは、一人の女として見ていたと言い、訓練所で急に抱きしめてきたが、正直なところだったのだろう。何か思いつめていたようにも見えた。

「まあ、素直じゃない人だったから、結婚してもうまくはいってないかもね。あなたと性格が似すぎているもの」

 自分から話題を振ったくせに、リュクスはどうでもよさそうだ。

「そうだね」

 昔の話だ。どちらにせよこの選択に後悔はなかった。

「足を洗う気はないの?」

 リュクスが次の疑問を投げかける。

「ない……かな」

 今となっては洗えないというのが実情だ。もう二度と普通の生活はできないだろう。

「そう……」

 リュクスが心なしか寂しそうな顔をした。そして、ため息をつくと、

「……なら、さっさと任務を終えて、生きて帰ってきなさいよ」

 リルにはっきりと言い切った。

「うん」

 もちろん、リルだって死ぬつもりはさらさらない。

「そして、私とまた勝負しましょう」

 リュクスが剣を腰にある鞘にしまい、リルに微笑みかける。

「そうだね」

 リルも剣を腰にある鞘にしまって、微笑みかけた。お互いしばらくは忙しくなりそうだ。リュクスはスノーヴァ支部での警護、リルはガイ・オーウェンという男との旅で。人間相手で時には自分の感情を殺して理性に従って生きなければならない生活がまた始まる。しかし、そうでなければ生きていけない。だから、剣の試合ができるその日まで任務を全うしなければならないのだ。






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