侍女と聖女
どれ程時間が経ったのかわからない。アリス・セントレナの視線を感じながら、私はずっと蹲っていた。
教会の地下。彼が政務の一環として管理してる王都にある教会の、地下。
奇しくもそれは、アリス・セントレナを引き取った教会らしい。
「…………」
アリス・セントレナが聖女であった。それを、教会は彼女を引き取った時から知っていた。そして管理者である彼に目を付けられて、こんな所に閉じ込められる羽目になっている。
聖女という立場を公開すれば、彼女が望んでいたであろうカイン王子との未来は望めない。だから、秘匿した。
そして、カイン王子を王にしたくなかった弟と利害が一致したから手を組んで、彼は王を。彼女はカイン王子との平凡な未来を。私は、良家の正妻を。
全ての思惑は上手く運んでいたはずだった。
けれど、全ては、彼が磐石の地位を築くための礎だった。
アリス・セントレナは何を思うのだろうか。
信頼して未来を預けていた人間に裏切られ、捨てられることに対して。
カイン王子にも、彼にも、裏切られた彼女は未だ、何も言わないけれど。
「ねえ」
「はい」
喉から出た声は掠れきっていた。それでも、アリス・セントレナは確かに返事をした。
「………憎く、ないの?」
「はい?」
アリス・セントレナはすっとんきょうな声を上げ、困惑の表情で私を眺める。
「カイン様がですか?全てを良いように仕組んでた殿下がですか?それとも、ローゼマリン様が?」
暫し考え口を開いた彼女の声は怒りとも、冷静とも取れるような温い声音だった。
「ぜんぶ、」
貴女を追い詰めていた存在、全て。
膝を抱えて、俯いたまま、口内で溶けるように消えていったその言葉を、彼女は聞き取ったのだろうか。
先程よりも長く思案して、漸く口を開いた。
「そうですねえ…………憎いですよ。わたしを好きだと言ってたくせに両親の前で見栄を張ってわたしを切り捨てたカイン様も、甘い顔をして誑かしてくれやがった殿下も…………完璧な、ローゼマリン様も」
彼女は穏やかな顔で、明るい口調で、語った。
「カイン様に対しては失望の方が大きいし、殿下に関しては騙されたわたしが悪いし、ローゼマリン様は……何一つ悪くない。でも、みんな、みんな、憎いよ」
笑顔のまま彼女は続ける。柔らかい日差しのような微笑みで、それに似つかわしくない台詞を、吐き続ける。
「けれど、聖女であるわたしが勝手なことをした身で、誰かを責めるなんてこと、出来ないじゃない」
押さえ付けたその感情には、確かに黒いモノが見えた。
「人間だもん。身近な人間に認めて欲しいと思うのも、望んだものを手にしたいと思うのも、完璧な人間に嫉妬するのだって、しかたない」
聖女としての言葉か、彼女自身の言葉なのか。その判別は付かなかったけれど、それでも、何処か諦めたように笑った彼女は、自分がどうなるのかを、確かに、知っているようだった。
「でも、最後まで殿下の思惑通りになるのは癪」
わたしは死んでも構わない。けれど、ローゼマリン様は死なせてはいけないのだと、彼女は言った。