逃亡劇
「宜しいのですか、お嬢様?」
「問題無いわよ」
多分。その言葉は御者席にいるミヤには聞こえていない、と思いたい。
身の回りの世話からこういった、本来ならなら専門的な分野である御者の仕事だってミヤには任せられる。当家の御者はとっくに使用人の離れへ戻っているし、緊急でもない、当主でもない私が頼むのも筋違いと言える。
「では、向かいますね」
「ええ」
平民区、貴族区、王区に分かれたこの街。いくら貴族区の、王区に一番近い所にフォン=ヴェスター邸宅があるといえど、凱旋やパレードの為に整備されている王区は広い。
貴族区の最北端、王区へ繋がる門を公爵家の紋章と顔パスで入り、そこから数キロ先に見える王城へと馬車が駆ける。
流石にこの時間は誰も出歩かないのか。通行人は勿論、馬車すらも擦れ違わない。
「…………おかしくないかしら?」
全てが白を基調とした建物、なだらかに続く上り坂。これから王城へ向かう人間は少ないとしても、王城から貴族区へ戻ってくる人間が少ないというのは、変だ。
「本来であればまだこの時間は衛兵や騎士団が帰投し、王区の端にある兵舎へ向かう者達も多いと思うのですが……」
「そうよね」
風の音、馬が駆ける音、車輪が滑る音。それ以外に、物音一つさえ聞こえてこない。
「王城まで辿れば判明するかと」
「そう、ね」
ふとした嫌な予感に頭を振って、先程まで何とも感じなかった静寂さを誤魔化す。
アリス様がいる地下牢は、王城の中。使用人達が主に出入りする西の建物の、地下。アリス様と談話する為に、王妃と取引した土地。
実質的には私の勲章地であり、私がこんな夜にそこへ訪れようが咎める者はいない。
はず、だった。
王城に来た。門前は何故か兵士で溢れ、厳重警戒体制が敷かれているようで。
「何かあったのですか?」
「フォン=ヴェスター公爵令嬢!」
馬車の紋章、御者席にいるミヤを確認し、門前に立つ兵士が問い掛けに慌てて答える。
「それがどうやら、フォン=ヴェスター公爵令嬢を殺害しようとした令嬢が逃走したようなのです!」
「え?」
中にいる私でさえも聞き取れるハキハキした声で、兵士は言った。
「アリス様が……?」
「内側から無理矢理外鍵を壊した形跡があり、家具で看守を殴って昏倒させ、そのまま逃走しました!」
信じられなかった。地下牢からいなくなったということも、そもそもあんなに華奢なアリス様がどうやってあの、簡易とはいえ鉄の錠を壊し、細腕で家具を持ち上げ看守を殴ったのかも。
「故に、王城への立ち入り、及び王城からの外出は禁止されています!」