ヒロインの過去3
「おい」
「はい」
その日も変わらない、裏庭での放課後。ダンスをして、談笑をして、お勉強もする。そんないつもと同じ時間になる、はずだった。
「俺は君のことが好きだ」
透き通るような薄青の瞳には、ぽかんと間抜けな面をしたわたしが映っている。
「…………え、」
暫し時間が経って、漸くわたしの口から出たのは、その困惑の一文字だけ。どうして、なんで、わからない。そんな感情を含んだその声は、彼からしたら拒絶の言葉に聞こえたのだろう。
すまない、と歪に上がった口角を見て、漸く彼の言葉を飲み込んだ。
「まっ、」
て、と言い掛けた言葉に振り替えることも無く、彼は裏庭から立ち去って行く。その姿を追い掛けることも、引き留めることも出来なくて、わたしはただ遠ざかる足音を聞いていた。
彼が裏庭に来なくなってから数日経っても、わたしはずっと裏庭で待っていた。いつもの木陰で、膝を抱えて、彼が手を差し伸べてくれるのを待っていた。
「……もう、来ないよね」
ついにはずっと晴れていた空には鉛雲が溜まって、ぽつりぽつりと雨音が聞こえてくる。膝を抱えたまま蹲って濡れそぼつ体を気遣うことさえ面倒で、ただ頭を膝に埋める。
「何をしている?」
そうしてどれ程経ったのかはわからない。けれど日が暮れて、辺りは真っ暗になって、雨が本格的に降っていた。このまま死んでしまうかもしれない、とまで思い始めていた時。
「あ…………」
思えば、わたしは彼の名前すら未だに知らない。彼も、わたしの名前を知らない。だから、なんて答えていいのか、なんて話し掛ければいいのか、わからなかった。
「何をしている、と聞いている」
前とは違う、親しさを感じない貴族らしい彼の言葉にちくりと胸が痛む。貴方を待っていました、なんて言ったって都合の良い話だと信じてもらえないだろう。
「……話を、したくて」
けれど、意図せず口から滑り落ちた言葉は、そんな、伝える気も無い気持ちだった。
「え、あ、いや、」
ぱっと口を押さえ、きちんと彼を見上げれば、傘も無く、わたしと同じように濡れ、佇む彼がいる。その顔は出会った時と同じ驚いた顔をしていて、わたしは視線を下に落とす。
「それは、」
見えない距離感にお互いに戸惑い、雨音だけが二人の音だったその時の感情は、ひたすら気まずかった。
「……名前は?」
漸く、漸く彼の重い口が開いた。まるで初対面のようにぶっきらぼうに聞いてきた彼に思わず笑ってしまった。
「アリス。アリス、セントレナ」
「そうか、アリス…………俺はカイン。カイン・レウス=ヴァシリス」
多分、限界まで目が開いたと思う。そのわたしの姿に、やっぱり、と言いたげに彼は笑っていた。