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エッセイ

父がうつ病になった時

作者: 娘として

 始まりは、妹からの一本の電話でした。


「明日、ちょっとお父さんを病院に連れて行ってくれへん?」

「ん? いいよ。ちょうど明日仕事休みだし。どしたん?」


 妹が私に頼みごとをしてくるなんて珍しい。


「この間、お父さんの様子おかしかったやろ? 心配だったから今日行ってみたら明らかにおかしい。うつ病やと思う」


 驚いたと同時に、この間の異変はうつ病だったのかと、自分の能天気さを呪いました。


 つい数日前、実家に遊びに行った時。

 父が妙に無口で、いつもなら孫たちと会話したり遊んだりするのに、それがありませんでした。外へ遊びに行く、と子供たちが言っても普段は率先して一緒に行こうとするのに、「行っておいで」としか言わなかった。


「病院に行かなあかんと思うけど、行きたがらへんねん。ごめん、私じゃ無理やったぁ。お手上げなんよ。よう連れていけんかった。明日は仕事あるし」


 妹でも駄目だったのか。妹は明るくて人当りがいいし、人をその気にさせたりするのが上手い。その妹がお手上げ状態とは。


「分かった。明日とにかくお父さんとこ行って病院に連れて行ってみる」

 私が行ってもなんとかなるんだろうか。不安だけど、やるしかない。


「お願いな、姉ちゃん」

 ほっとした様子の妹との会話を終わらせ、私はうつ病について軽く調べました。



 話は変わり。

 実のところ、父がうつ病を発症したのはこれが最初ではありません。私が中学3年の時に一度ありました。


 当時父はブラウン管の製造に携わる勤務でしたが、世の中はブラウン管から液晶テレビへと移り変わっていく頃でした。液晶はこれまで人の手でやっていた製造と違い、ほとんどがコンピューター制御での製造。

 機械音痴の父は当然、チンプンカンプン。父だけでなく、父と同じような歳の人たちは軒並み置いてきぼりになりました。

 新しく入った若い人たちはすんなりと適応し、自分たちよりも十や二十も若い後輩と立場が逆転。彼らの指図を受け、馬鹿にされつつ慣れないパソコン作業の勤務になりました。が、失敗の連続。

 しかも手作業の部分が大幅に減ったので、人手も少なくてすみます。

 そうなると会社としては、父のような人が邪魔になります。面と向かっては言いませんが、態度として会社の上司たちから邪険に扱われました。


 このストレスが原因でうつ病になったのです。


 あの時の私は子供で、うつ病というものを全く理解していませんでした。ただ、心の病気だというだけの認識でした。

 だから父の会社の仕打ちに憤る反面、ストレスで病気になった父を弱いと感じていました。


 今では、うつ病のドキュメンタリーや映画などである程度の認知が世の中にあります。インターネットで簡単に調べることもできます。仕事場などでうつ病の人がいたりもして、私にもある程度の知識はあります。

 でもあの時、中学三年の私にはなかった。


 夜、眠れなくて。

 ウロウロと歩き回る父。

 丁度受験生だった私が夜勉強していると、眠れない父がやってきて「辛い~、しんどい、助けてくれ」と訴えてくる。自分の子供である私に、う~、う~と唸り声を交えながら泣き言をこぼす。

 じっとしていられないようで、私の後ろでゆらゆら体を揺すったり歩いたりしながら「なんとかしてくれ」と言う。


 でもなんとかなんて出来ない。何かなんて言えない。

 こういう時、私は黙って机に向かい無視していました。


 眠れないのは辛いだろう、かわいそうだと思うけれど、どうしようもないしどうしたらいいかも分からないし、いつもとは別人のような父が怖い。

 それが当時の正直な私の気持ちでした。


 幸いなことに、会社を休んでいる間に父と同じような人たちと父の訴えが通じて、元のブラウン管業務に戻れました。


 なんだったかなぁ。あまり覚えてないんですが、何かの特需で一時的にテレビの需要が高まったんですよ。それで液晶の製造だけでは追い付かず、ブラウン管の製造がある程度回復したんです。


 他にも、コンピューター作業でない業務に回してもらうなどの、配慮をしてもらえました。


 ストレスがなくなると、嘘みたいにうつ病は治りました。(寛解の状態です)




 さて、にわか知識ですが、簡単にうつ病のことを書きます。


 うつ病は2018年現在でも分からないことが多い病気です。

 しかし、何らかの過度なストレスが引き金になって発症する病気だと考えられています。


 きっかけは様々でとても複雑ですし、症状も色々です。


●症状の例(一部なので他にもありますが割愛)


下記の症状が2週間以上続いた場合。


・抑うつ気分(憂うつ、気分が重い)

・何をしても楽しくない、何にも興味がわかない

・疲れているのに眠れない、一日中ねむい、いつもよりかなり早く目覚める

・イライラして、何かにせき立てられているようで落ち着かない

・悪いことをしたように感じて自分を責める、自分には価値がないと感じる

・思考力が落ちる

・死にたくなる


周囲から気付くサイン


・表情が暗い

・口数が少なくなる

・声が小さくなる

・涙もろくなる

・反応が遅くなる

・落ち着かない

・飲酒量が増える


 これらの症状は時間によっても変化していきます。

 多くの場合は、朝が最も悪く、夕方にかけて回復していきます。



 治療としては、


・十分な休息をとって心と体の疲れをとる

・過剰なストレスや過労を防ぐ環境を整備する

・ものごとの捉え方や考え方を調整したりする

・抗うつ薬で、少なくなった神経伝達物質を増やしたり、神経伝達物質の送り手と、受け取り手を調整する


 などがあります。

 これらは主なもので、全てではありません。


 ものすごく簡単な説明ですが、この辺にしておきます。



 話は戻り、父がうつ病を発症した今回のストレスの原因ですが。


 高血圧で転倒した際に、右手の指の骨折と左手首の捻挫、脱臼です。経緯は省きます。


 とにかく、この怪我で父は一か月ほど両手が使えない状況になりました。脱衣、食事、風呂など全て自分では出来ません。母に手伝ってもらわなくてはなりません。これだけでもストレス!


 数日たつと足腰が弱らないように散歩を始めたんですけど、高血圧から、倒れはしなかったもののめまいを起こして動けなくなり、また救急車。いつまた倒れるか分からず、危なくて一人では外を出歩けなくなりました。これもストレス。


 一人で出歩けない、一人で脱衣や食事(はしが持てない)などが出来ないために、母が介助しなくてはなりません。が、母も二週間ほどするとストレスがたまり、夫婦喧嘩。互いにイライラ。

 次第に母は父へ、「あれも出来ないのか、こんなことも出来ないのか」と文句を言いまくるようになります。気持ちは分からないでもなんだけど、泥沼だね……。多分、これが一番のストレス。


 他、高血圧の原因が心臓にあり、血圧の薬やら心臓の薬やら、服用する薬がめちゃくちゃたくさん出されました。この時、寛解状態が長く続いていたために、ずっと服用していたうつ病の薬を医者の判断でストップ。これもいけなかった。


 こんな風にストレスが重なりまくり、うつ病が再発したみたいです。(後の妹と私の分析)



 このような経緯と、前知識として、うつ病は頑張りすぎる、我慢しすぎる人がなりやすい病気だということ。

 決して「頑張れ」と言ってはいけない病気なのだということ。


 それだけを頭に入れて、私は父の元へ向かいました。



 実家なのに、いつになく緊張してインターホンを鳴らしました。


 私が父を病院に連れだせるのか?

 本当に進行していて、私にすら会いたくないとかいう状況だったらどうしよう?


 父は奥から返事をしてくれて、入っていいかと聞くといいと言ってくれました。居間に行くと、私を待っていたようでそわそわと体を揺らしながら、入り口付近に居ました。


 私はほっとしました。

 待っていてくれた。まだ助けてってサインを出してくれてる状態だって。


「ごめんな~、辛いんや~、しんどいんや~、寝たいけど寝れないんや~」

 ウロウロ、ウロウロと、敷いた布団の上を行ったり来たり。

 座り込んだと思ったら、すぐに立ち上がってまたウロウロ。


「それはしんどいな。辛いね。寝たいね。だから病院に行こう」

「嫌や。病院行くのはしんどいんやぁ。無理なんや~」


 しゃべり方も普段と違う。声も弱くて、とにかく伸ばす。

 こっちに視線を合わせてくれない。


「そうやな、嫌やな。しんどいな。だから先生になんとかしてもらおう」

「無理や。外に出なあかん。行くのは無理なんや~」


 座り込んでぽろぽろ涙をこぼし始めた父。


 父が辛い、しんどい、何も出来ない、と訴える。私は全部、寄り添って肯定する。それを何度も何度も繰り返しました。


 子育てを、特に難しい発達障害の長男の子育てを経験してて本当によかった。寄り添い方も、感情の出させ方も、通常の行動をしない人への接し方もおかげで慣れてる。


「ごめんな、情けないなぁ~、駄目だ~」

「いいんだよ、情けなくないよ。情けなくっても大丈夫」

「情けないぃ、迷惑かけてる。こんなお父さん、情けないやろぉ?」

「情けなくないよ。迷惑なんかじゃない。あとな、迷惑はかけたらええんよ」

「頑張りたいのに頑張れないんや~」

「頑張らんでいい。どっちかというと頑張らんといて。十分、今まで頑張ったやろ」


 何が正解かは分からないけど、どんどん吐きだすのはいいことだと思う。延々と続く父の言葉にうんうんとうなずきながら、そうだね、いいよ、大丈夫と声をかけ続けた。

 何時間でも聞いてあげるから、全部吐きだして。


「何も出来へんのやぁ。情けないんやぁ。辛いんやぁ。死にたいんやぁ」

「……」

 死にたい。

 その単語を聞いた途端、頭の中が白くなってから真っ赤になった。


 怒り。怒りだ。


 なんで、父が「死にたい」なんて思うほど、辛い思いしなきゃいけない!?

 なんで、辛い、しんどい、なんて最低な気持ちで死ななきゃいけない!?

 冗談じゃない!

 絶対に死なせてあげるもんか。


 父が死ぬときは、幸せだった、楽しかった、そんな気持ちで死んでもらう。

 このまま、最低な気分でなんか死なせない!


「……ごめん、それだけは聞けない」

 ぷっちんときました。

 恥かしいだとか、自分が40近い年齢だとか、父がもう還暦超えてるとか、全部ふっとんだ。そんなもん知らん。


「好きだから。愛してるから。情けなくても何も出来なくても関係ないから。頑張らなくてもいいから。むしろ今まで頑張りすぎでしょ。今までずっと働いてきてあたしら育ててきてくれたやん。もう何もしなくていいやん」

「何もしなかったら母さん困るんや。○○も困るやろ。だから頑張らんと」


 心なしか、父がちょっとたじたじとし始めたような気もしたけど知らん。


「困らせたらええねん。我儘言うたらええ。私ら、お父さんが好きやから構へん。愛してる」


 父に面と向かって、いや、面と向かわなくても「好き」「愛してる」なんて言ったことありません。

 後から時々は言ってあげなくちゃ、と思って言おうとしましたが、無理でした。照れくさくて言えないです。


 父がどんな弱音を吐いても、全部いい、大丈夫、大好き、愛してる。

 それを言いまくりました。


 この時、一生分のお父さんへの「好きだ、愛してる」を言っちゃったと思います。


 二時間くらいかな?

 段々と父の言う事が変わってきました。弱音は弱音なんだけど、ちょっと単語が増えてきたり具体的になってきました。


 弱音言い続けてすこしすっきりしたのか。私の愛してる攻撃が効いたのか。

 目にちょっと光が戻ってきました。


「情けない、娘にこんなこと言って。座りたいのに座ってられないし、辛い」

 それでさっきから立ったり座ったりしてるのか。


「情けなくないし、関係なく好き。座れないのは辛いね。病院行って薬もらおう。そしたら辛いのましになるよ。病院の先生がなんとかしてくれるから」

「でもなぁ。行くのはしんどいんやぁ」


 あ、また泣き始めた。

 でも、行きたくない、じゃなくて行くのがしんどい、になった。


「大丈夫。連れて行ってあげるから。しんどいの嫌やろ。だから助けてもらおう。楽になりにいこう」

「そやけどなぁ。行くのが辛いんやぁ。来てくれたらいいのにな~」

「お医者さん忙しいから来てもらうのは無理やね。行かなあかんなぁ。……ところで、着替えとかできる?」


 父の様子に変化があったので、ふいっと現実的なことを振ってみました。


「え? 着替え? 最近は一人で出来る」

「そっか。着替えどれ、どこ?」

「ああ、これでな、ここにある」


 本当は場所も分かってるけどわざと聞いて、自分で取りに行かせます。すると父が我に返ったみたいに普通に動いて、それからまた、しおしおとうつ状態に戻る。


「着替えるのしんどいなぁ~」

「しんどいなぁ。じゃあ、着替えさせたげようか」

「出来るからいい」


 溜め息を吐いて着替えをしぶるけど、なんだかんだで着替えてくれた。


「はあ、行くのはしんどいなぁ」

「そうやな、しんどいなぁ。……ところで、保険証って、どこ?」


 弱音を吐けばそうだね、と頷いてから質問しつつ支度を誘導。

 父はぐじぐじと弱音を吐いた後、私に質問をふられると、酔いが覚めた時みたいにしゃんと動く。


 よしよし。急に具体的な事言われると、ふっと普段の状態に戻って行動してくれるみたい。


 靴下は、靴は、歩ける? 車に乗れる?


 この調子でゆっくりゆっくり少しずつ進んで、最終的に車の中へ。

 乗ってしまえばこっちのもの。

 車の中で、よく乗ってくれた、頑張ってくれた、ありがとうと言いつつ病院へGO!


 ところがですね。病院に行くと、すごくしゃん!としちゃうんですよ。

 弱音吐かないの。特に先生の前に行くと背筋も伸ばしちゃって受け応えもしっかり。


 ちょっと、お父さん!!

 今こそ、辛い、しんどいでしょ~!


 必死こいて私の方が「ここが心配、こうでああだったんです」と訴えて薬をもらいました。


 家に帰ると父の表情も少し明るくなり、ごはんも少し食べました。

 聞けば、不眠と便秘、食欲不振に加えて文字が読めなくなっていたらしいです。テレビも何を言っているのか分からなくなっていたそう。

 なんてこった! そりゃ、余計に楽しくないし辛い。


 とりあえず少しは前進したし、私もずっとはいられないのでこの日は帰りました。帰ってから妹にも今日のことを話し、互いにこれから気を付けて見ていこうと。

 といっても私はそうそう来られないので、近距離の妹がちょくちょく様子を見てくれることになりました。


 ちなみに、母はこの日ゲートボールに出かけていました。

 もともと母は家にじっとしていられない性質で、父が怪我をしてからなるべく家にいたけど、母もそれがストレスでイライラしていたよう。

 そこいらは妹が母と話をして、うまく説得してくれました。


 翌日。再び妹から電話。


「姉ちゃんが来てくれた日の夕方に行ったら、また様子がおかしくて。はあはあ、言い出してフラフラしだしたから救急車呼んだ」

「うわ、そりゃ大変だったな。私が帰る時は大分良さそうだったんだけど。あとそれ、過呼吸やで」

「そうなん? そんなん分からんから救急車呼んでもた」

「ええ、ええ。その方が安心や」


 それから妹と互いに調べたり、詳しい人に教えて貰ったことの情報交換。


 妹から聞いたのは、どうやら父は文字が読めなくなっていたため、もらった薬の表示が読めず、結局飲んでいなかったらしいこと。

 しもた、うっかりしてた。私のばか。字が読めなくなってるって言ってたやん。


 それと、もともとずっと飲んでいた薬をやめたのもいけなかったんじゃないか?というのが妹の意見。

 その薬を出してくれていたのは精神科ではなく胃腸科の先生なんだけど、もういちどそっちにかかって同じ薬を出してもらったほうがいい。心臓や血圧、胃腸薬はそこから出してもらっているので、朝、昼、晩の薬ごとに袋に入れてもらえるのです。これなら字が読めなくても分かりやすい。

 合う合わないもあるし、今までと同じという安心感、うつ病の人からすると安心感も薬のひとつになるらしい。


 また翌日、もう一度母も一緒に父を胃腸科の病院へ。


 妹が説得してくれたからか、父に対する母の態度は前よりも丸く、父も前より落ち着いていました。


 この後、なじみの先生がやめてしまって、新しい先生が薬を勝手に変えたりして、また悪くなったり。

 それで妹がブチ切れて知り合いの医療関係のお偉いさんに口をきいてもらい、また薬を戻してもらったり。

 父も日によって調子がよかったり、よくなかったりするのでその度に愚痴を聞いたりしつつ。


 ニか月ほどして、父はほぼ寛解(再発する可能性があるが、今は症状が出ておらず治っているような状態)になりました。

 思ったよりも早くて、妹と二人でびっくりしました。寛解状態までは、早くても半年くらいはかかると思っていましたから。


 翌年の春には花見をかね、一緒に外でお弁当を食べました。

 口数はまだ前より少なかったけど、太陽の下で孫の様子を目を細めて見ている父。

 何でもない光景が心に残りました。


 父は今も元気にしています。このままでいてほしいです。




 日本では生涯を通じて5人に1人がこころの病気にかかるともいわれています。

 こころの病気は特別な人がかかるものではなく、誰でもかかる可能性のある病気なんです。


 もしもあなたの大切な人がこころの病気にかかったら。

 出来るだけサインに気付いてあげて、病院にかかるように勧めてあげてください。


 こころの病気にかかったとしても、多くの場合は治療により回復し、社会の中で安定した生活をおくることができるようになります。

 最近では、効果が高く副作用の少ない治療薬も出ていますので、以前よりも回復しやすくなっています。


 こころの病気になった場合は、体の病気と同じように治療を受けることが何よりも大切です。

 重症化する前に病院にかかるように勧めてあげてください。


 ひどくなってから直そうとしても長引きます。


 妹は、父と母に怒りましたよ。

「我慢せんといて! 困ったことがあったら言って!! 迷惑かけるからとか思わんで! どうしようもなくなってから言われたって余計に迷惑だから!」

 その通りだなって思いました。


 風邪だって症状が軽いうちに薬を飲んだり早めに寝たりすれば治りが早いです。

 それと同じですよ。


 そしてこころの病にかかったご本人さま。


 まだ大丈夫。

 今休むわけにいかない。

 頑張ればその内なんとかなる。


 そんな風に我慢しないで。自分の心と体から出ているサインに気付いて。

 あなたは頑張り屋です。不器用です。


 誰かに甘えること。助けを求めること。無理だと断ること。弱い部分を見せること。我儘をいうこと。


 そういうことも大事ですよ。

 しんどい、辛いことを我慢しなくてもいいんです。十分我慢してきたから、限界以上にやってきたから、病気になってしまったんです。


 うつ病の一番の薬は、

「十分な休息をとって心と体の疲れをとる」こと。


 だからしっかり休みましょう。

 お医者さんの言う事をしっかり聞いて、病院でもらった薬を飲んで休む。普通の病気と同じですね。


 病院にかかったからって早く治そうと焦らないで下さいね。

 早く治そうと焦って無理をすると、回復が遅れることがあります。

「焦らず、じっくりと治す」

 そんなつもりで、気長に構えて下さい。


 普通、焦って休もうとしたって、休めませんよね。

 家族や恋人に迷惑をかけている。はやく仕事や生活に復帰したい。

 その気持ちはよく分かります。

 けれど、はやくはやくって思っては駄目です。


 周りの方は。

 焦らないでゆっくりと、苦しさを理解してあげて、寄り添ってあげてください。


 ただし、上手く寄り添えなかったり、苦しさを理解してあげられなくてもご自分を責めないで。

 うつ病は専門のお医者さんでも難しい病気です。それに解明されてないこともたくさんあります。

 専門家でもないあなたが、上手く出来ないのは当たりまえなのです。


 なかなか良くならない人の側で、何も出来ない、無力だと思っておられるかもしれません。

 けれど、きっと。

 その人の側に居続けるということ。何とかしてあげたいと思うこと。

 それだけでも力になるんじゃないかと思います。その人にも伝わっていると思います。



 うつ病は心が弱いからなる病気なんじゃないの? と思っている方。

 私もかつてそう思っていました。


「心が弱い人はストレスに弱いから、うつ病を発症するのではないか」


 そう誤解されがちです。


 でもそうじゃない、というのはなんとなく理解していただけましたか?


 うつ病が発症するメカニズムは全て解明されているわけではないですし、私は専門家ではないのであくまで私の主観を言います。


 うつ病は頑張りすぎる人がなる病気です。

 うつ病は、精神的ストレスや身体的ストレスが重なることなど、様々な理由から脳の機能障害が起きている状態です。


 うつ病になりやすい人は、生真面目 ・几帳面 ・仕事熱心 ・責任感が強い ・気が弱い ・人情深く、いつも他人に気を配る ・相手の気持ちに敏感、などの人です。


 力を抜いたり、ちょっとズルしたり、自分を甘やかしたり、逃げ道を持ったり。そういったことが苦手な人です。

 だから自分の持てる荷物以上のものを持とうとして、つぶれてしまうんですね。


 大切な人が潰れそうだな、と思ったら。

 ちょっと荷物を持ってあげましょう。


 荷物が重たくて潰れそうだな、と感じたら。

 ちょっと持ってって甘えましょう。


 うつ病にならないでいられること。

 なっても早くよくなること。

 それを願います。

 拙いエッセイを最後までお読み下さり、ありがとうございました。


参考サイト

塩野義製薬と日本イーライリリーがうつ病について啓発を行うウェブサイト

TOP >うつ病について知る >うつ病が発症するしくみ


みんなのメンタルヘルス|厚生労働省

ホーム > こころの病気を知る > 病名から知る > うつ病


―――――――――――――――――――――


エッセイを読んで下さった方へ。


飾るな、驕るな、自分は何様だ。

そう言い聞かせて書きました。けれど、人に見られる文章にする時点で、絶対に飾っているのです。


これで誰かが救われるなんて、誰かの心が軽くなるなんて、そんなの驕りだ。私自身の傲慢だ。そんな単純なものじゃないさ。思い上がるな。

こんな風に思っていないと、本当に驕りそうになるんです。そういう醜さを持っています。

だからどうか、私を素晴らしいなどと思わないでください。


ご本人の苦しみがどれほどかなんて、私に分かるわけがないんです。周りのご家族がどんな思いをしているかなんて、想像するしかないんです。

私自身がうつ病一歩手前の状態を経験していても、父のうつ病に寄り添った経験をしていても、同じではありません。似たような苦しみはあっても、同じじゃない。

私が今すぐ苦しんでいる方の手をとって、父にしたように寄り添えるわけじゃない。苦しみを取ってあげられるわけじゃない。

それをやれるのは、ご本人自身とお医者さん、ご本人を想っている方だけなのです。


重ね重ね、最後までお読み下さりありがとうございました。

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