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ソード・オブ・ベルゼビュート  作者: 篠崎芳
第三章 SOB アウトフィールド
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31.外色の蠅


 本物か否か尋ねられた蠅マスクの人物は、短く答えた。


「そのつもりだがな」


 曖昧な返答だった。本物ならそんな言い方はしない気がする。しかし逆に、本物であるがゆえの言いぶりにも思えた。


「なるほど、五識の申し子か」


 わずかだが、声にボイスチェンジャーと思しきフィルターがかかっている。ただし声質と身体つきから、男であると推察できた。


「だとすれば、あれほどの威圧感にも納得がいく」


 五識の申し子の存在は知っているようだ。夜の残光に刃を鈍くギラつかせながら、ベルゼビュートは続けた。


「ファイアスターターと天野虫然は俺が片づけた。そこで死んでいる男が、天野虫然だ」


 禊たちは、屋上で死んでいる老人へ視線をやった。いち早くベルゼビュートへ視線を戻したのは、鏡子郎。


「ま……本物でも偽物でも、どっちでもいいさ。要するに目の前にいる男には、天野虫然を倒すだけの実力があるってわけだ」


 片側だけ短くなっているマスクの触覚部。その部分を、鏡子郎が注意深く見据えた。


「それも、ほぼ無傷で」


 魂殻剣を手にした鏡子郎が、数歩、ふてぶてしい歩調でベルゼビュートとの距離を詰める。ベルゼビュートは背を向けたまま、不動を保っている。


「キリシマセンジンはオレが片づけた。つまり……事前情報の段階で注意すべきだと判断した敵側の人間は、もういねぇわけだ」


 鏡子郎の瞳が、淡い朱色を帯びる。


「しかし今、一つだけ確認しておきてぇことがある」


 魂殻剣が光を帯び、鏡子郎の周囲の霊素が、朱光を発し始めた。


「そしてその答え次第では……を一人、これから相手にしなくちゃならねぇ」


 鏡子郎の朱の目は、蠅の赤目を真っ直ぐに見据えている。ベルゼビュートからは怯えも戸惑いも伝わってこない。葉にとまったままの昆虫のように、微動だにしない。


 禊たちは、このまま鏡子郎に任せることにした。言葉を交わさず、彼らは視線だけでその意思を統一した。


 一拍の間があって、闇と朱の双方が同時に声を発する。


「おまえは――

「テメェは――


 闇と朱の声色が、重なった。



「黄柳院オルガの味方か?」



 奇しくも共に投げつけたのは、同じ疑問。


 沈黙が、流れた。


 それを破ったのは、鏡子郎。


「先に言っとくぜ。オレたちの方はさる事情があって、黄柳院オルガを守る必要がある。ホワイトヴィレッジに、渡すつもりはねぇ」


 ベルゼビュートから放たれていた威圧感が急激に薄まった。しかし、鏡子郎からはまだ剣呑さは抜けていない。


「なぜ、あのベルゼビュートが黄柳院オルガを救おうとする?」

「半分は仕事だ」

「依頼人は? 黄柳院総牛か?」

「明かすつもりはない」

「今、半分は仕事だと言ったな? 残りの半分は?」

「個人的な感情によるものだ」

「個人的な感情、ね……」


 ベルゼビュートの言葉を反芻してから、ここからの交渉役を譲ると言わんばかりに、鏡子郎が宗彦に視線をやった。宗彦が口を開く。


「俺たちとベルゼビュートは利害が一致している……そう考えていいのか?」

「おまえたちと望んで敵対するつもりはない。協力体制を敷くつもりもないがな」

「わかった」


 宗彦が言った。


「俺たちの総意としては、ホワイトヴィレッジに黄柳院オルガを渡すつもりはない。五識家がどうあろうと……少なくとも五識の申し子の意思に関しては、今ほど俺が言った通りだ」


 宗彦は”五人”と言った。この場にいない冴のことも彼はしっかり数に含んでいた。鏡子郎が宗彦の言葉を引き継ぐ。


「だがな? いくらホワイトヴィレッジと敵対してようと……もしテメェも連中と同じ目的で黄柳院オルガを、さらうつもりなら――」


 鏡子郎が”四特秘装フォーストリガー”の刃先を、ベルゼビュートの方へ突きつけた。まるで、宣告するかのように。


「オレたち全員で、容赦なくテメェを始末する。相手が、あの伝説の傭兵だろうとな」


 そこでベルゼビュートは踵を返すと、禊たちに対して正面を向いた。


「そこまで言えるのなら……むしろおまえたちを、信用できるかもな」

「あ?」


 ベルゼビュートが、足もとに刀を放った。


 硬く乾いた音が鳴る。



「あの娘はもっと、幸せになっていい」



 刀を捨てたのは、戦意放棄の意思表明か。


 その時、鏡子郎が怪訝そうな顔をした。


「つーかよ……テメェ、どこかで俺と会ったことがねぇか?」


 屋上の縁に立つベルゼビュートの身体が、ふと、後方へと倒れる。


「さあな」


 ベルゼビュートはそれだけ口にすると、ロングコートの裾をふわりと宙に浮かせ、縁の向こう側へ、背中から飛び降りた。


 真っ先に駆け出したのは鏡子郎。一拍遅れて、禊たちも屋上の縁に駆け寄る。


 四人で下を覗き込む。しかし地面は暗すぎて見えない。闇に支配されている。


 とはいえ、あのまま飛び降り自殺したわけでもあるまい。


 禊は神経を研ぎ澄まし、耳を澄ませた。


「気配が、消えてる」


 禊たちがここへ到着するまでは、自分の存在を気づかせるために、あえて気配を強くしていたというのか。五識の申し子たちを、ここへ引き寄せるために。


 宗彦が鏡子郎に問う。


「どうする? 俺と禊の魂殻に追わせるか? 今は俺の魂殻も、それなりに落ち着いているが……」


 奈落の底めいた闇を屈んで見おろす鏡子郎は、否定を口にした。


「いや、必要ねぇよ……深追いするには、危険すぎる相手みてぇだしな」


 濃い闇を見下ろしながら、再び宗彦が問いを投げる。


「どう思う、鏡子郎?」

「あれは、本物だろ……むしろあれで偽物なら、本物のベルゼビュートは人間ですらねぇよ」

「俺たちで、勝てたと思うか?」


 返答まで、間があった。


「わからねぇ」

「君らしくない答えだね、キョウ」


 禊が割り込む。


「ふん……たまに勘違いしてるやつがいるが、オレは別に自信家じゃねぇんだよ。相手の実力を測る目くらい、持ってるつもりだ」

「でもさ――」


 覚悟を決めた表情をした虎胤が、鏡子郎の横に立った。


「あいつが敵になったら、戦うんだろ?」


 今の虎胤の表情に、普段のあどけなさは認められない。そこには真剣そのものの、一人の男の顔つきがあった。


 鏡子郎は、迷いなく答えた。


「当然だ」



     ◇



 気配を消して闇に潜みながら、真柄弦十郎は廃棄地区から出た。


 適当な場所に来てから、蠅のマスクと黒のロングコートを脱ぎ、ボストンバッグに詰め込む。


 それから車に乗り込み、殻識島の中心部へと向けてしばらく走った。


 適当なところで、路肩に停車。


 スマートフォンの電源を入れる。そして、電話をかけた。頼んだ仕事をまだしている最中であれば、繋がらないはずだが――


『よう、真柄』


 繋がった。


 五百旗頭の声。


「こっちは片づいた。そっちはどうだ?」


 実は今回の本隊を壊滅させる作戦中、マガラワークスの”従業員”の一人にオルガの護衛を頼んでいた。五百旗頭には、そのバックアップに回ってもらっていたのだ。


『片づいた、というかよ……』


 歯切れが悪い。


 訝しそうに、五百旗頭が聞いた。


『なんなんだ、ありゃあ?』

「というと?」

『見張りをしてたら、廃棄地区とは別の場所に待機してた黄柳院オルガの拉致部隊が、急に動き出しやがった。おそらく本隊が襲撃されてるって情報が入ってきて、慌てて動いたんだろうな。まあ、そこまではいい。まったくの想定内だ。その時点では何も問題は存在していなかった。そう、あらゆる局面において』


 別働隊の存在は事前情報ですでに得ていた。その別働隊を、五百旗頭と従業員に見張ってもらっていたのだ。


 五百旗頭たちが見張っていたのは、連絡係と監視係を兼ねつつ、いざとなれば実働部隊としても動かせる者たちだったと思われる。


 そして、もし真柄が辿り着く前にその部隊が動き出した場合は、可能な限り二人で処理してほしいと頼んでいた。真柄としては二人をできるだけ危険に晒したくはなかったのだが、いざとなれば彼らに頼るつもりだった。


 しかし、そこで何かが起きたらしい。


『オレたちは、動き出したその部隊を追いかけた……そして、襲撃のタイミングをうかがってたんだが――そこにあんたが話してた、例のティア・アクロイドって女が現れやがったのさ。で、ほぼ一瞬で別働部隊が壊滅しちまった』


 五百旗頭は、素直に驚いていた。


『仮にもあのホワイトヴィレッジが雇ったプロの傭兵連中がだぞ? 中にはきっちり魂殻使いもまじってたんだぜ? なのに、あの女……歯牙にもかけねぇ顔で、あっという間に壊滅させちまいやがった。とんでもねぇ女だぜ、ありゃあ』


 そんなことか、と真柄は安堵した。あの魂殻と霊素量を考えれば、その結果もさほど不思議ではない。


「結果的に余計な手間をかけさせたみたいで、悪かったな。ただ、いざという時のためにおまえたちがいてくれると、安心だった」

『そいつはいい。なんの問題もない。まったくもって、気にする必要はない。微塵も、欠片も、限りなく、粒子レベルで。論点は、あんたのその馬鹿げた人脈の件だ。そしてあんたは、どうやってあんな馬鹿げた連中を味方につけちまうんだ?』


 責める響きは皆無。ただただ、五百旗頭は感心と疑問を口にしていた。


『マジにあんたの顔の広さと、味方のレベルの高さは、


「その”レベルの高い味方”の中には、おまえも筆頭クラスで入っているんだがな」

『そう、それだよ。あんたのその人たらしの素質を、オレはとても気に入っている。世界的功績と悪名を歴史に残す王ってのは、まさにあんたみたいなタイプに多い。総じて自ら先頭に立つ、最高最悪の人たらしだ。あんたはきっと、すこやかなる独裁者ってやつになれるぜ』

「悪いが俺は、民主主義者なんでな」

『ハハハ、それだ! そいつだよ! すこやかなる独裁者は、平気で嘘をつく! やっぱ最高だよ、あんたは!』


 やれやれ、と真柄は息をついた。


「ともかく、助かった」

『なに、気にすんなよ。それに功績を上げたのはあの褐色のエンゼルナイトだ。勲章を与えるなら、あの小さな天使にやるこったな』


 そこで五百旗頭は、通話を切った。


 今すぐティアにも電話で礼を言いたいところだったが、困ったことに、今は七崎悠真の身体ではない。声で別人だと気づかれてしまうだろう。なので、礼の方は改めて別の日にすることにした。


(いずれティアには、七崎悠真の正体を話しておくべきだな……)


 今回の一件によって起こるであろう今後の流れをシミュレートしながら、車のエンジンをかける。


(天野虫然クラスでも歯が立たないとなれば、ホワイトヴィレッジもさすがに考えを改め始めるだろう……さらに五識の申し子が黄柳院オルガの味方についたと知れば、二の足も踏み始めるはず……)


 そしておそらく”ベルゼビュート”の名も、今回の件によって向こう側に知れ渡る。


(それに……俺にはまだ他に、やらなければならないことがある……)


 五識の申し子たちの前で口にした言葉。


『あの娘はもっと、幸せになっていい』


 真柄は”あの娘”の顔を思い浮かべながら、アクセルを踏んだ。



     ◇



 朱川鏡子郎は、黄柳院冴に今夜の出来事を電話で報告していた。


『ベルゼビュートだと?』


 冴にしては珍しく、声に動揺を帯びているようにも思えた。あるいは、気のせいかもしれないが。


 とりあえず起きた出来事を伝えると、冴は意見を求めてきた。


『おまえは本物だと思うのか、鏡子郎』

「オレは本物だと睨んでる」

『もし偽物だとすれば、混乱をもたらしたという意味でそれなりの罰を与える必要はあるが……宗彦たちは、どう考えている?』

「宗彦のやつも九割がた、本物だと踏んでるみてぇだ」

『半分が仕事で、半分が個人的感情だと言ったのだな?』

「ああ」

『…………』


 逡巡、だろうか。しかし、あの泰然自若とした冴が逡巡している姿を、どうにも鏡子郎は想像できなかった。


「やっぱベルゼビュートともなると、テメェでも何か思うところがあんのか?」


 返答まで、わずかな間があった。


『なくもない』

「煮え切らねぇ返答だな」

『相手が、あのベルゼビュートとあってはな』

「ま、その気持ちはわからなくもねぇさ。なんといっても、あの伝説の傭兵だ……さすがのオレでも、その凄さくらいは知ってる」

『そうだな』


 鏡子郎はなぜか、冴の声の響きを嬉しそうだと感じた。しかし特段、声の抑揚が変わったわけでもない。やはり、これも気のせいだろうと思った。


 今日の出来事のせいできっと疲れているのだ。


 鏡子郎はそう自分に言い聞かせ、意識を切り替える。


「で、どうする? 向こうは黄柳院オルガの味方だと言ってる……信用できるかどうかは、まだわかんねーがな」

『余は……信用できぬこともないと、思うが』

「テメェにしては歯切れが悪ぃじゃねぇか。体調でも悪いのか?」

『……今日はもう寝所に入っていたものでな。まだ上手く頭が切り替わっていない』

「まあ、なんだ……変な時間に電話しちまって、悪かったな……」

『気を揉む必要はない。それで――五識の申し子としては敵対の意思はないと、ベルゼビュートにはそう伝えたのだな?』

「今のところは、だがな。一応、テメェの意思も聞いとく必要があるしよ」

『余としても、ベルゼビュートと敵対するつもりはない』


 冴の声の透明度が増した――気がした。


『ベルゼビュートと敵対して得することなど、何一つないのでな』

「まあな……あのベルゼビュートと敵対したところで、オレたちにとって何一つ得はねぇ。そいつは同感だ」

『…………』

「冴?」

『ああ、聞いている。そうだな……そういう意味では、おまえたちの判断は正しかったと言える。礼を言っておくぞ、鏡子郎』


 こんな判断一つ程度で、あの冴が礼を述べた。


 あまりに意外すぎて、鏡子郎はスマートフォンを取り落しそうになった。


「なあ、冴? テメェよ……マジで、熱でもあるんじゃねぇか?」

『馬鹿を言え。おまえには、これが熱のある者の声に聞こえるのか?』

「まあ、元気そのものって感じだしな……」

『いずれにせよ、余にはベルゼビュートと敵対する意思はない。今後一切だ。こればかりは、黄柳院の意思にも従うつもりはない』

「ほぉ? テメェがそこまで言うのは、珍しいじゃねぇか」

『ベルゼビュートとの対立は、あまりにも失うものが多すぎる』

「そこまでベルゼビュートを、特別に危険な存在だと見ているわけか……」


 とはいえ、冴がそこまで危惧するのも頷ける。


 実際にこの身で相対してみてわかった。


 アレは、尋常ではない。


 そういう意味では、朱川鏡子郎のセンサーは正しく働いていたと言えるだろう。


『そうだ』


 冴は、改めて認めた。


『特別なのだ、ベルゼビュートは』


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