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ソード・オブ・ベルゼビュート  作者: 篠崎芳
第三章 SOB アウトフィールド
87/133

28.BUG


「彼らは連係プレーをせず、自らの手柄や目的を求め、一人でベルゼビュートを殺そうとした」


 屋上にはフードを被った男が一人、立っていた。


「彼らが連係していたら勝てただろうか? いや、そうは思えない」


 しわがれた声。老人のようだ。


「この仕事に対するスタンスが、私は他と少し違っている。元々は、途中で姿を消すつもりだったんだがね」


 シトシトと細い雨が降っている。


「だが、あのファイアスターターがあっさり敗北したことで、少しばかり考えが変わった」


 老人の来ているフードつきの薄いコートは、レインコートみたいに見えた。


 フードが外される。


「この鼻をくすぐる伝説の傭兵のこうだけは、どうしようもない。どうしようもなく――惹かれてしまう」


 深いシワの刻まれた顔。落ちくぼんだ眼窩。鷲鼻。長い年月を滲ませる白髪とヒゲ。その腰には、小太刀が一本。


「名を、天野虫然」


 老人は泰然と笑んだ。


 蠅の赤目の表面を、水滴が伝い落ちる。


 真柄は、構えていた銃の引き金を引いた。


 キィンッ!


 天野虫然の額目がけて一直線に飛んだ銃弾。それが、いびつな形をした銀色の盾に弾かれた。


 骨ばったてのひらと視線を、虫然が雲に閉ざされた天へと向けた。このビルへ入るまでは月が綺麗に望めるほどに晴れていた。しかし今は、雨が遠くの音を消し去っている。


「この年齢としで魂殻が発現した人間は、非常に稀だそうだ」


 形の定まらぬ水銀めいた液体のかたまりが、硬くなったり柔らかくなったりしている。宙に浮かぶ銀色のアメーバと言うべきか。


「最初はこの力に戸惑った。だが、結局のところ……本質は変わらんと悟ったよ。魂殻があろうとなかろうと、戦人の本質は変わらない。違うかね、ベルゼビュート?」


「……そうかもな」


 虫然は小太刀を抜くと、逆手に構えた。可逆性の強い形状記憶合金さながらのあの流体魂殻を、周囲に従えて。


 穏やかな戦気を漂わせ、虫然が言った。



「やろうかい、ベルゼビュート」



 これ以上の言葉は互いに不要。そう判断した。


 天野虫然はここにベルゼビュートがいる理由を求めていない。


 あの男は、今、戦うに値する敵を求めている。


 それがわかった。


 手もとの鞘からするりと刀を抜き放つ。この刀はスクリームのいた部屋のロッカーにしまってあった。おそらく、彼らの仲間が使う武器の予備だと思われる。


(さて、刀でよかったと思うべきか……それとも……)


 真柄弦十郎が”刀”や”ナイフ”と”認識”する形状の武器ならば”極弦”の自動発生現象は起こらない。そして、この”認識”は意識的にできるものではなく、真柄弦十郎の意思のほぼ介在不可能な無意識下で行われる。


 自動発生現象が起きるのは、真柄の無意識が”剣”と認識した場合のみ。


 ただし、もしひとたび”剣”と認識した武器を使用したなら、真柄弦十郎のあらゆる攻撃は、他の武器を使用した時と比べ数段上のキレを見せる。


 その分負荷の大きさは覚悟しなければならない。特に五弦以上の”極弦”は、使えば使うほど、自分の身体にもダメージを刻んでいく。


(とはいえ、この相手ではな……)


 すでに――”極弦”は、五本。


 雨が、揺れる。


 踏み込みは、同時だった。


 斜めの刀閃を放つ。


 虫然が低く腰を落とし、真柄の一閃をかわす。虫然のフードが切り裂かれ、雨の中にその切れ端が放り出された。


 その時、流体魂殻が瞬時に長刀の形状を取った。


 パシッ


 長刀に変化した魂殻を手に取ると、虫然は、雨しずくを吹き飛ばす壮絶な突きを繰り出した。


 身を翻した真柄のコートの端を、魂殻の刃が貫いた。瞬時に真柄がコートを力強く引っ張ると、虫然の刃はそのまま生地を斬り裂き、コートは生地に引っかかっていた侵入者をそのまま吐き出した。


 低い体勢から一瞬で刀を逆刃に持ち替えると、虫然のあご目がけて斬り上げる。


 流体魂殻が分裂し、斧の形をとった。


 振り下ろされた重厚な斧が斬り上げを防ぐ。


 真柄は身体を捻りつつ回転させる。それと合わせて、刀をほぼ一回転――その回転力を利用しながら、今度は、虫然の頭上から刃を振り下ろす。


 小太刀で刃を受けとめる虫然。彼は直後、短槍に変化した魂殻で、真柄のわき腹に照準を定めた。


 弾丸さながらの、激震の神速突き。


 その捻りを加えた轟烈なる突きは、真柄のわき腹を、ギリギリの距離ですり抜けていった。


 あまりの威力に風圧が巻き起こり、近辺の雨しずくが薙ぎ払われる。


 下方から叩きつけてきた風雨をマスクで受けながら、真柄は、構わず水平の一閃を放った。槍の腹で受けとめる虫然。


 直後、銀の槍が分裂。


 分裂した槍は数本の短刀へとその姿を変える。


 虫然が魂殻の短刀を掴み、投擲し、また別の魂殻の短刀を掴む。それら動作が繰り返される。


 短刀はそのすべてが、虫然が使用しやすい位置に適切に配されていた。


 これを、何刀流と呼ぶべきか。


 刃を一つ払いのけると、すぐに次の刃が襲ってくる。


 洗練され切った連続攻撃。隙の潰し方をよく理解している。経験値に裏打ちされた鮮やかな手つき。


 天野虫然の刀が描く動線には、独特の深い呼吸が宿っている。それは、例えば長い年月を経て熟成された蒸留酒の持つ深みと、相通ずるものがあるかもしれない。


 深い経験と絶え間ない自己鍛錬。


 それらが産み出したその芳醇な刀香とうかは、決して、一朝一夕で得られるものではない。


 老化による肉体的な衰えは感じられなかった。むしろ、今を全盛期と呼んでいいのではないか。


 終わらない老獪なる刀撃の嵐。


 真柄は、次第に少しずつ押され始めた。


 天野虫然は流体魂殻を完全に我がものとしている。


 無形と有形を行き来する魂殻は、様々な武器へとその姿を変化させていく。虫然はそのすべての武器を、驚くほど高いレベルで使いこなしていた。


 虫然はあらゆる武器を使いこなしている。


 広範な種類の武器を使用する者は、一つの武器を究めた者に劣ることが多い。しかし天野虫然はそれに当てはまらない。


 全一ぜんいつとう、とでも言おうか。


 すべての武器の技術が渾然一体となり、一つの軸をなす濃密な戦闘様式へと昇華されている。


 これほど均等な複数の高い技術を得るために、一体どれほどの時間が費やされたというのか。


 極めつけに、天野虫然には驕りがない。


 ゆえに、隙らしい隙もなく。


(その名が裏の世界に知れ渡るのも無理はない……見事だ、天野虫然。その卓越した技術には、素直に敬意を表す。だが――)


 少し前から、奇妙な気配がこの廃棄地区一帯に点在していた。


 天野虫然を熟された老成の酒とすれば、こちらは、驚くほどキレの鋭い若々しい酒とでも言おうか。


(三つか、四つ……キリシマセンジンか? いずれにせよ、この気配すべてが敵だとすれば、あまりこの戦いを長引かせるわけにもいくまい……)


 この正体不明の気配の影響によって”極弦”の配分にも影響が出ていた。ここで”極弦”を最大限に使うべきかどうかを、真柄は決めかねていた。


 だがここで、決意をかためる。


 虫然の攻撃を次々と払いのけながら、糸の起点を生成。


 言葉の交わされぬ戦いの中、虫然が口を開いた。


「秘蔵のにようやく手をかけるか、ベルゼビュート」


 まだそのおうに力を秘めているのを虫然は感じ取っていたようだ。すると虫然が、流体魂殻を自らの身体に取り込み始めた。



「ならばこちらも……この老体を削って、とっておきの秘蔵っ子を出そうかい」



 淡く発光する銀色の線が天野虫然の身体に走っていく。


 あれが、最終形態とも呼ぶべき戦闘態勢か。


「…………」


 真柄は身体の隅々に、引き絞るような感覚を、染み渡らせた。


 刃を、後方へ流す。



 ――ミシッ――



 雨の降りしきる中、まるで呼びかけに応えるかのように、糸を編む身体が軋みを上げる。



 十の弦が、全身へと、行き渡る。



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