23.ファイアスターター
ファイアスターターは前口上を述べるでもなく攻撃してきた。
(自分の価値観を披瀝したがるタイプではない、か……多くを語らず、任務の遂行に重きを置くタイプだな)
真柄は身を低くすると、迫ってきた細い線をかわし、その線をマチェットで切り上げて切断しようとした。
すると切断できず、マチェットが炎に包まれた。
咄嗟に手を離す。床に落ちたマチェットは、そのまま燃え尽きて灰になった。
普通の炎であんな燃え方をするものだろうか。
(これは、普通の炎ではない……)
魂殻が装着された敵の腕を見る。
(あの男の魂殻能力か……目視の困難な糸状のものを飛ばし、触れた対象を燃え上がらせる能力……霊素で編まれた、魂殻の糸か)
先ほどソードブレイカーに絡め取られたナイフを拾い上げると、真柄は敵の脇へ回り込もうとする。
空気を震わす、鋭い振動。
ホコリ舞う淀んだビル内の空気を斬り裂く魂殻糸を、すんでのところでかわす。そこから一気に、距離を詰める。
互いの身体にある空間が数センチというところまでファイアスターターとの距離が縮まった。
その時、ほぼ不可視の糸が曲線を描きつつブーメランのように戻ってきているのに気づく。糸が、真柄の後頭部めがけて迫ってきた。
真柄は攻撃を諦め、足さばきで糸を回避した。その隙にファイアスターターは、素早く間合いを取った。
ファイアスターターが声を発する。
「先ほど攻撃に出れば、おまえは燃え死んでいた。優れた判断力だ」
称賛の言葉にも聞こえたが、感情が希薄なため、心から称賛しているのかはわからない。
ファイアスターターの指先の動きに気を払いながら、真柄は次の動作準備へ意識を切り替える。
(今ので、あの能力の性質を一つ理解できた……しかし、こうした一撃必殺の手段を持つ相手に油断は禁物……)
人が人である限りミスは起こりうる。それが、どんなに完璧に近い人間であっても。
そしてファイアスターターは先ほどの二人よりも洗練された戦闘技術を持っていた。体さばき一つからしても、それは明らかだ。
(この男に対しては、確実に勝つための戦闘の組み立てが必要になりそうだ。さて……)
気になっているのは、ファイアスターターの目線。
(あの男は、なぜあれを気にしている……? いや、もしかすると――)
間合いを取りつつ、真柄は咄嗟に床に落ちていたショットガンを拾おうとした。しかしすかさず、ファイアスターターがそのショットガンへ魂殻糸を飛ばしてきた。
ショットガンは燃え上がり、灰となった。
(なるほど……)
ナイフを持ちかえ、真柄が一歩前へ出る。すると魂殻の糸が襲ってきた。
今度はやや余裕をもって回避。
そこから敵のペースが上がった。雪崩のごとく糸の奔流が襲いかかってくる。しかし、すべて空振りに終わった。
「ベルゼビュート」
ファイアスターターが、口を開く。
「本物と見た。ならば――」
糸の気配が三本に増える。
次の瞬間――鋭利な糸音が三つ、空気を切り裂きながら襲撃をかけてきた。その直後、爪のごとき三本の糸が、薄明かり差し込む室内を駆け巡る。
嵐を巻き起こしながら猛襲をかける必殺の糸。
だが――ことごとく、狙いを外している。
別段、神業と呼べるような回避とは映るまい。それはむしろ絵面としては、地味とすら呼べる回避行動だった。あるいは見る者が見れば、逆に、糸の方が真柄を避けているように映ったかもしれない。
そして、1メートルを切る距離にまで真柄は接近していた。
「間合いだぞ、ファイアスターター」
「距離が縮まれば、回避に使用できる時間も削られる。この近さは死の距離かもしれないぞ、ベルゼビュート」
ファイアスターターの声に、臆した気配はない。
ヒュッ
魂殻糸が、飛んだ。
同時、真柄は右手のナイフを逆袈裟に斬り上げる。
鮮血が、舞った。
宙に血を噴き上げながらも、ファイアスターターが次の動作へと移る気配を発した。真柄は、一瞬で魂殻を左手でつかんで動きをとめる。
力を入れると、魂殻にヒビが走った。
ビキッ
「奇遇だな」
三本の”極弦”。
「俺も、糸を使う」
バキィッ!
ファイアスターターの顔に初めて動揺らしい動揺が走った。
「魂殻を素手で破壊した、だと……?」
魂殻が、砕け散った。
「ぐっ」
糸が切れたように、ファイアスターターがうめきと共に膝をついた。
「想像を上回る相手だったか……ごぶっ……」
吐血するファイアスターター。
「く……最初の動きと比べ、途中から動きが急に変わったのは……なぜだ……?」
あの出血量では失血死は免れまい。処置が間に合うとも思えなかった。
「気になるのか?」
「……敗因を、知りたい。この戦い……力量差以上の何かが、あった、はず……」
ナイフを構えながら、真柄は問うた。
「これから、死ぬとしてもか?」
「だからこそ、だ」
緩くかぶりを振ると、真柄は相手の望みに応えた。
「最初におまえに接近した時……まず、俺は一つ性質を把握した」
「性質?」
「おまえの魂殻糸は、触れたものすべてを発火させる。そして、それは使い手であっても例外ではない……それを、ほぼ確信した」
真柄が数センチのところまで一時的に接近した際、ファイアスターターはすぐに間合いを取りたがった。
さらに、糸は明らかに使用者に当たらない軌道を選んでいた。
たっぷりと、安全マージンまで取って。
触れたものすべてを焼き尽くす霊素の炎。
それを発生させる魂殻糸。
しかし強力な能力ほど、それに伴う制約やデメリットを持っていたりする。
そしてそのデメリットをできるだけ軽減しようとするのは、プロであれば当然の行為であろう。その点で言えば、ファイアスターターはプロだった。
だからこそ彼の糸の軌道は、予測外まで飛び出す無茶がない。
ゆえに軌道を読むのは容易だった。
定石通りの動きをする手練れよりも、定石外の動きをする素人の方が場合によっては対処しずらい。
それに近いものがあるかもしれない。
言うなれば、戦いながら常に自分の身の安全も確保できるプロであったがために、ファイアスターターは攻撃の軌道を読まれてしまったとも言える。
「それと……俺が空のショットガンを拾おうとした時、おまえは急いで糸でそれを妨害しようとした。あれで俺は、糸の速度を把握した」
ファイアスターターは床に転がっていたショットガンをさりげなく気にし続けていた。
そこから真柄は”ファイアスターターは遠距離攻撃を嫌がっているのではないか?”という推測に至った――つまり、あの糸の最大射程はそれほど長くない。
ファイアスターターは、真柄がナイフを拾った時はほとんど反応しなかった。なのに、ショットガンを拾おうとした時は即座に反応した。
とすれば、真柄がショットガンを拾おうとした場合は最速で”焼却処理”しにくる――そう踏んだ。
そして読みは的中し、真柄は糸の”最高速度”を把握した。
ともあれ、真柄が短い攻防の中で仕掛けていたのは”軌道”と”速度”を把握するための行動だった。
あとはその得た情報を元にして、戦闘を組み立てていけばいい。
「なる、ほど……しかし……まるで糸の動きが視えているかのような、その察知能力……その時点で、おまえはすでに他の者とは格が違ったと言えるかもな……ベルゼ、ビュート……」
真柄はマスクの触覚をゆるく指差した。
「こいつがそこそこ、優秀らしくてな」
「見事だ」
八割がた破壊された魂殻の手甲。その指の部分に一本だけ、魂殻糸が発生していた。
構えを解かず、真柄は目を細める。
「この距離なら、おまえの糸より俺のナイフの方が速い……おまえも、それはわかっているはずだ」
「ああ」
次の瞬間、ファイアスターターの全身が燃え上がった。
「知っている」
魂殻糸を自分に触れさせたのだ。
自決。
ファイアスターターは自らの炎で、灰と化した。
(先ほど目の色が変わった時……なんとなく、その選択を選ぶような気はしたがな……)
少し前まで人体だった灰を眺めながら、真柄は思った。
(見たところ、あの男の左手の小指はおそらく義指……能力を手に入れたあと、自分の小指に糸を触れさせ、自分に効果があるかどうかを確認したのかもしれない……)
あの発火能力は一見すると一瞬で燃え上がっているように映るが、実はわずかなタイムラグが存在している。
(全身に燃え広がる前に、実験台として使用した小指を切り落とした……あの義指からは、そういった推測もできるか……いずれにせよ、それは魂殻がなければ起きなかった出来事)
魂殻に選ばれた人間。
その者は果たして、幸福と言えるのだろうか?
過ぎたる力は身を滅ぼす。
秀でた個性や力を持つことは、幸福への道筋を得たのと同義と考えてもよいものなのか?
(そればかりは、俺にもわからない。だが、力を得たからこそ失われずに済んだものもあった……それだけは、確かだ)
持てる力を使うことに迷いはない。
ただ、己の道を行くのみ。
ソードブレイカーを拾うと、真柄は上の階を目指した。