19.白の到来
鐘白虎胤。
五識の申し子の一人であり、鐘白家の長男。
身長は167cm。冴より高いが、禊よりは小さい。
他の申し子の例に漏れず端正な顔立ちをしているが、どことなくあどけない無邪気さが抜け切っていない印象がある。冴は年齢より大人びた雰囲気を持つが、虎胤は逆に年齢より幼く映ることが多い。
「食堂の人たちが新メニューがどうとか言ってたからさ、無理言って味見させてもらってたんだ」
五識家の者には一般の生徒とは違う別メニューが出される。そして五識の申し子は普段、学園の食堂を利用しない。ただ、虎胤だけは自分からすすんで利用していた。
虎胤は食堂の人間たちに好かれている。虎胤自身も彼らに懐いていた。生徒の間でも、五識家の中では最も気さくに触れ合える人間として認識されているようだ。
「理由はわかったがよ……そんなことで遅刻すんのは、感心しねぇな」
「だからごめんって謝ったじゃんかー、キョーシロー。うーん、悪いなーとは思ってるんだけど……岡部のおばちゃんが、どうしてもおれの感想を聞きたいっていうからさー。すげーうまそうだったし……」
岡部というのは食堂の古株だと聞いている。彼女は特に虎胤を可愛がっているのだとか。
「まあ、今日の集まりは急遽決まった話だしな。それに、虎胤の本領はこういう場ではない」
宗彦が言った。禊が容赦ない問いを投げる。
「それって、虎はいてもいなくても別に影響がないって遠回しに言ってるよね?」
「その通りだ」
こちらも容赦ない宗彦の返答。虎胤が哀しみを訴える。
「うわっ! いつものことだけど、ムネひでー!」
鏡子郎がため息をつく。
「宗彦の言ってることは正しいだろうが……どーせてめぇは、冴の側につくんだろ?」
「え? そんなのあたりまえじゃん」
即答。
喚いていた虎胤の表情は、一転”なんで今さらそんな当然のこと聞く必要があるの?”と言わんばかりの顔になっている。
「ちっ……この、冴信者が」
鏡子郎が投げやりな態度になる。
「宗彦、虎への説明は任せた」
「つくづく人任せな男だな、おまえは」
「適材適所と言ってくれ」
宗彦が虎胤に状況を説明する。
「で、冴はなんて言ってんの?」
案の定の返答がきた。その反応を予期していた鏡子郎は、スマートフォンの通話ボタンを押そうとした。
するとはかったように、冴から着信がきた。
「……オレだ。冴……てめぇ、この部屋の会話を盗聴してるわけじゃねぇよな?」
『どういう意味だ?』
「今ちょうど、てめぇに電話しようと思ってたところでな」
『もし盗聴をしていたら、余であればこんなタイミングで電話はしない』
「ま、それもそうだな。で、そっちの用件は?」
『今回の待機命令の件だ。おまえたちには一応、余から説明しておくべきだと思ってな』
「ちょうどいい。こっちもその件についての話だった。先に言っとくぜ、冴……今回の件、オレと禊、宗彦の三人は自由にやらせてもらう」
『そうか』
「……てめぇがオレたちを止めに動くってんなら、抵抗は覚悟しとけ」
『虎胤はそこにいるのか?』
「……いる」
『代わってもらえるか?』
鏡子郎は、虎胤にスマートフォンを渡した。
虎胤が通話を始める。
「オレは、冴が動くなっていうなら動かないよ。もし、ここでムネたちをおさえておけって言うなら……え? うん……うん……わかった。ムネたちに、そう伝えればいいんだね? よかったー……おれだって、できればムネたちと喧嘩はしたくないからさ……それだと、すげー嬉しい。うん、じゃあ」
虎胤が電話を切った。手を差し出し、聞く。
「冴はなんて?」
虎胤からスマートフォンを受け取る。
「”余は家の命で動けないが、おまえたちは好きにしろ”って。で、おれには”三人に協力してやれ”ってさ」
「……冴が?」
虎胤は嘘をつけないタイプだ。もしごまかそうとしていれば、ボロが出ているはずである。
「冴が手伝えっていうなら、おれもそのホワイトヴィレッジの関わってるっていう件を手伝うよ。おれは冴の味方をするってだけで、別にキョーシローたちと仲悪くなりたいわけじゃないし」
鏡子郎は受け取ったスマートフォンを眺めた。
「様子が、おかしかった」
「え? 何が?」
「ここ数日……冴のやつの様子がおかしい」
「おまえも同じことを思っていたか、鏡子郎」
宗彦が言った。
「確かにここ数日、冴の雰囲気が微妙に違っている……よく観察しなければ、わからない程度ではあるが」
「なんつーかな……たまに、昔のあいつみてぇに感じることがあるんだよな……」
「キョウにとっては、いいことじゃないの?」
禊が言う。
「……まーな」
「何か気に入らないみたいだね、キョウ?」
鏡子郎は舌打ちした。
「だったら……もっと早く、昔みてぇになっとけってんだよ……あの、馬鹿野郎が……」
「キョーシローは昔から、口悪すぎだよなー」
準備運動の仕草をしながら、虎胤が言った。
「でも、キョーシローは不思議だ」
「あ? 何がだよ?」
「言葉では冴のことを悪く言ってるのにさ……なぜかおれ、キョーシローには全然イライラしない」
「……うるせーぞ、虎胤」
虎胤が、ニカッと鏡子郎に笑いかけた。
「やっぱ冴に悪口言っても許されるのは、この世界でキョーシローだけだ」
◇
ホワイトヴィレッジがキュオスを通して新たに用意したアジトへ向かう途中、部隊の本隊が襲撃を受けた。
しかし襲撃した側は、返り討ちにあってしまった。
「いやぁ、まさに目論見通り……気持ちがいいよねぇ……目論見が成功するっていうのは、本当に、心地がいい……」
ゆったりと拍手しながら、ブラウンのコートを着た男が前へ出る。
男の名は”スクリーム”。
本隊のまとめ役を買って出た男だ。
小さなうめき声こそ聞こえるが、襲撃者たちはほとんどが死に体だ。そこかしこに血が飛び散っている。
スクリームはうつ伏せに倒れている男の髪をつかむと、引きあげた。目の前に鼻の潰れた顔面が現れる。まだ男には息があった。
「ぐ、ぅ……っ!」
「襲撃ポイントをひと気のないエリアにしたのは、あまりよくなかったねぇ……本気でやるなら、もっと無関係な罪なき肉の壁のたくさんいる場所でなくては……あー、そうかぁ……君たちには、常識とか優しさが残っているんだねぇ……」
ちなみに今回の仕事はホワイトヴィレッジとの取り決めで、一般人の犠牲者が確認されると報酬から差し引かれることになっていた。なので、この作戦に金目的で参加している者たちは、できるなら一般人の犠牲者を出したくないと思っているだろう。
ホワイトヴィレッジの目的はあくまで黄柳院オルガの確保。これは殺戮を目的とした作戦ではないのだ。
ただし、目的達成を阻む”障害の排除”は存分にやってよいと認められている。
情報の隠ぺい、その他諸々はホワイトヴィレッジ、四〇機関、キュオスがすべて取り計らってくれると聞いている。
そう、わきまえるところさえわきまえれば――この島では、やりたい放題。
”黙、れ……っ”
髪をつかまれている男が、英語で言った。
”んー? おやぁ? もしかしてどっかで会ったことがあるかねぇ、君ぃぃ? 知り合いだったかなぁ?”
わざとらしく聞いてみる。
”忘れたとは、言わせない……ジェシーの、ことを……っ!”
”ジェシー……あぁ、思い出した! 思い出したよぉ!”
”あの子はおれたちのすべてだった……だが、おまえが……おまえが……っ!”
目の前の男には娘がいた。そしてスクリームは、その娘を過去に殺していた。スクリームは、傭兵業につくまえは殺人鬼だった。
”ああ、覚えているよ……あの子はとてもよい叫び声の持ち主だった……特に、最後の演奏はとてもよかった……”
むくんだ顔を歪ませて笑うスクリーム。おどけた調子で彼は男に言った。
”『おねがい、助けて! パパー! ママー!』”
”このっ……ぶっ、殺してやるっ!”
つかみかからんばかりの勢いで、男が吠える。男は、娘の復讐が目的だったようだ。
自分たちの情報をあえて流した目的はもう一つあった。自分たちに恨みなどの暗い感情を持つ連中を、この島で一網打尽にできると思ったのだ。”足跡”をホワイトヴィレッジたちが”雪”で覆い隠してくれるのなら、これは絶好の機会だと思った。
そして、すべてではないだろうが、直情的な正直馬鹿が何人か引っかかったようだ。
”だが、復讐に燃える君は私たちに返り討ちにあった……弱き父を天国から見ているジェシーは、きっと悲しんでいるねぇ”
男がもがく。
”殺す! 殺してやる! 殺してやるぅぅうううう!”
女の悲鳴があがった。男がハッとする。
”レベッカ……?”
”あれは君の奥方だね? よい知らせだ。今度は……彼女に、私の楽器になってもらおうと思うんだよ”
”な、何っ!?”
”いやぁ、素晴らしい前奏だねぇ……娘の復讐に燃える夫婦……その失敗から始まる悲鳴演奏会……ああ、最高じゃないか……”
”よせ! よせぇぇ!”
”娘も妻も救えず、とても哀れだ……確か君が元保安官で、妻が元傭兵だったかね? いやぁ、夫婦そろって実に無能だ……だけど、安心するといい。きっと、私の部下たちが、君の妻に新しい命を与えてくれる……ああ、大丈夫だ。君たち夫婦は、すぐには殺さないよ? この作戦を終えて帰国した時の、私の新しい楽器なのだから……今度は、長く使わないとねぇ……復讐製の楽器は、よい音が出る……”
スクリームの部下が、レベッカの服を脱がそうとする。
”いやぁ! やめてぇ! 助けて、ロバート!”
”レベッカぁぁ!”
その時、レベッカの首が斬り落とされた。
ほぼ同時に、夫であるロバートの首も斬り落とされる。
すると、首を斬り落とした少年と似た装束を身にまとった男たちが、まだ息のあった襲撃者たちの息の根を次々と止めていく。その光景はなんとなく、かつて日本であったというカイシャクを連想させた。
血の付着した刃を、優男風の日本人が布で拭く。
時代劇にでも登場しそうな装束を着ている。この血なまぐさい場にそぐわぬ微笑みを浮かべるその男は、美少年と言えた。
スクリームの顔に不快の影が落ちる。
「何をするんだね、君……とんでもない妨害行為だよ、今のは」
飄々とした空気の少年は、刀を鞘に納めながら答えた。
「いやだなぁ……そんなの、あなたのやることが不快だったからに決まってるじゃないですか」
「私の楽しみを、君は不当に奪ったのだぞ?」
「だから?」
少年は真っ向からスクリームに、笑顔で問うた。
「ああいうのは、僕の趣味ではありませんので……不当に苦しみを与えて、あなたは何が楽しいんです? 彼らは復讐を目論んだ。だけど失敗した。それ以上でもそれ以下でもない。敗北者だからといって、苦しみ続ける必要はない」
「彼らは私の大事な楽器になる予定だった。今は仕事上、君と仲間とはいえ……許さないよ?」
「なら――」
朗らかな空気を崩さぬまま、少年が一瞬で、スクリームの首筋に刃を突きつけた。
「死にますか?」
スクリームは動じず、自分の胸ほどしか背丈のない少年を見おろす。
「面白いことを言うねぇ? 君が……私を、殺すだって?」
チャキッ
少年が、刃の向きを逆さにした。
「試してみますか?」
「私は、かまわないがね?」
スクリームは、魂殻の展開準備に入った。
「よせ、円」
厳めしい顔の男が少年に声をかけた。美男子ではあるが、彼の方は、少年とは逆に愛想のない表情をしている。
「朽波さん」
五泉羽円。
朽波骨介。
彼らは”斬組”という名の傭兵部隊で、この作戦の直前にホワイトヴィレッジからねじ込まれた者たちだった。
「身をわきまえたできた上司に感謝するのだな、マドカ」
スクリームは嫌味たらしく言ってやった。すると、骨介が円に言った。
「斬るに値しない男を斬っても、無意味だ――”キリシマセンジン”にとってはな」
「ほぅ?」
軽視的な侮辱をスルーし、スクリームが片眉を上げる。
「まさか君があのキリシマセンジンなのかね、マドカ?」
「いいえ、全員です」
円がにこやかに答えた。
「ボクたち全員が、キリシマセンジンです」
この時、円と骨介はスクリームを見ていなかった。
彼らの瞳は、スクリームの背後にとまっている車の後部座席にひたすら無言で座っていたファイアスターターと、車の屋根に座ってずっとフードの向こうから一連の光景を眺めていた天野虫然を映していた。
「あの”臓物卿”を倒すほどの実力者……その者との、死合い……この作戦におけるぼくらキリシマセンジンの目的は――今のところ、それだけです」
すると、今ほど何か連絡を受けた骨介がイヤホンマイクのスイッチを切った。
「どうしたんですか、朽波さん?」
「朗報だ、円」
ファイアスターターと天野虫然の目が、骨介を見た。
「五識の申し子が動く」