17.集
女の警戒心が強まる。
「……どちらさまですか?」
「オルガさんの知り合いの者です。オルガさんのことで少しお話をうかがいたいのですが――」
「お帰り下さい!」
ドアが閉まる。
「あの子について話すことは何もありません!」
予想通りの反応。
もう一度チャイムを押してみたが、反応は返ってこなかった。
停めておいた車に引き返しかけた時、正面の家の前に一人の老婆が立っているのを見つけた。
「どうも」
「あの家に何か用かい?」
「あなたはあの家を監視されているのですか?」
冗談っぽく質問してみる。
「さあね」
(この反応……黄柳院に言われて監視しているわけでは、なさそうだが……)
「あたしの質問に答えな。ここらじゃヨソ者は目立つんだよ。ま……あの女ほどじゃないがね」
「こういう者です」
偽の名刺を差し出す。名刺を見た老婆が疑り深い目を向ける。
「探偵ぇ?」
「それは”探偵ごっこ”をするために作った偽の名刺です」
「ふん、口先だけは達者そうだね。で、ニセモノの探偵さんはあたしに聞き込みをしたいわけだ?」
老婆がてのひらを差し出す。
「金をつかませないのかい? 定番だろ?」
「お金を渡された場合、あなたはより警戒するタイプですね?」
「……よくわかってるじゃないか。ほら……あたしが偏屈者だとわかったなら、とっとと帰んな!」
その時、大きな身体の犬が門の奥から飛び出してきた。
「ワゥゥン! グルルルゥッ!」
「咬まれて狂犬病になっても責任は取らないよ? あんたは”不法侵入”で咬まれたんだ」
「よく訓練された犬だ……飼い主への忠誠心も高い。とても大事にされているようですね」
真柄は屈むと、威嚇してきた犬をゆっくりと撫でた。すると犬の空気が穏やかになり、クゥ~ンとないて真柄の頬を舐め始めた。
「大事にしているから当然、予防接種もしている。狂犬病の話はハッタリですね? 違いますか?」
「……こいつは驚いたね。多郎丸があたし以外の人間に心を許すとは……あんた、悪人じゃないな?」
「動物好きの悪人かもしれませんよ?」
「ふん……本当の悪人は、はなから悪人ぶったりはしないさ。必死になって善人を装うもんだ。だが、あんたにはその必死さがない」
「たとえば、あなたみたいに?」
「……ふん」
老婆の空気が和らいだ。
「何が聞きたいんだい?」
「あの家に住んでる女性を個人的な事情で調査しています。彼女の娘と知り合いでしてね。まあ、おせっかいも込みな事情なんですが」
「悪いけど、あれはあたしにもよくわからん女なんだよ。もう十年以上あの家に住んでる。仕事をしてる様子はないね。そのわりに家のリフォームなんかはたまにするし、金に困ってる様子はない。で、たまにおカタい格好をした連中が訪ねて来る。食料や日用品なんかを運んでるみたいだね」
(黄柳院総牛の妾の扱いとしては理解できる範囲の待遇ではある、か……)
「セキュリティも万全って感じだから、お偉いさんかヤクザの情婦じゃないかってみんな噂してるよ」
「なるほど」
「真相は知らんがね。あの女は、近所付き合いも避けてるから」
老婆が視線を滑らせた。
「それと、あそこのあんたの車をうちの裏手に回しな……ほれ、さっさとする!」
言われた通り、真柄は車を老婆の家の裏手に回した。
次に老婆に言われ、彼女の家の中に入った。色あせたカーテンの隙間から、外の様子をうかがう。
二台の車が連なって近づいてくる。車はオルガの母親の家の前でとまった。男が四人降りてきて、老婆に尋ねる。
「誰かあの家を訪ねてきただろう?」
「もう帰りなさったよ。取りつく島もなく、突っ返されたみたいだけどね」
「そいつの特徴は?」
「男だよ。ありゃあけっこうな年だね。あとはそうさね……まあ、それなりに太ってたな。そんくらいしか覚えてない」
「どっちへ行った?」
「あっち」
嘘の特徴を伝えたあと、老婆は真柄が車を停めた場所と真逆の方向を指差した。
「おい、行くぞ」
男たちは車に乗り込み、そのまま走り去った。家から出ると、真柄は礼を言った。
「助かりました」
「あんたの方があいつらより男前だからね。あたしは、男前の方の味方さ」
「玄関に飾ってあったあなたの昔の写真を見ました」
「プライバシーってもんを知らんのか、あんたは」
「今も変わらずお綺麗だ」
「こんなしなびたババアに世辞を言っても、なんも出ないよ?」
「何か出てくるのを期待しているわけではありませんから、今のは世辞ではありません。もう聞きたい情報を聞いたあとですし」
「ふん、口の減らない男だねぇ。あんた、相当な数の女を泣かせてきただろ?」
「本命には、見事にフラれましたがね」
老婆は鼻を鳴らした。
「馬鹿な女もいたもんだ」
▽
車で橋を渡り、真柄はI島を出た。
今回はオルガの名前を出した時の反応さえわかればよかった。しかし、老婆のおかげでそれ以上の情報も得られた。
上々と言える。
オルガの母親は黄柳院から遠ざけられているが、保護はされているようだ。だが、娘のことについては触れられたくない様子だった。
(ただ、娘への忌避感は感じられなかった……あれは黄柳院に言われて、接触を禁じられているとみてよさそうだが……)
窓を開け、換気する。
(母親がオルガを殺したがっている線はないと考えてよさそうだな。人の悪い女ではない、と思えた……黄柳院へ権力を行使できる立場にあるとも思えない。むしろ、あれは軟禁状態に近いと言える……)
心地よい風が窓から吹き込んできた。風が髪を揺らし、肌を撫でる。
(何かが俺の中でつながりそうだが……まだだな……まだ何か、ピースが足りない……)
キュオスの方は引き続き五百旗頭が調査してくれている。
その五百旗頭から、連絡が入った。イヤホンマイクのスイッチを押す。
『明日だ』
「明日?」
『明日、村の使いたちが殻識島に入る』
「向こうの動きも迅速だな」
『先発隊がまさかの初日で壊滅したから、予定を前倒ししたんだろうさ』
今のところは先手を打てている。だが、疑念もあった。
「オルガの味方をいぶり出すために、連中があえてこちら側へ情報を与えている可能性もあるな」
『先日の件も、総牛の私兵を潰すために向こうがあえて情報を流したと?』
総牛の私兵を罠に嵌める狙いだった、とも考えられる。
「そうしたらその情報をおまえにつかまれてしまい、結果的に、俺まで伝わってしまった……その線も、考えられる」
『そいつはありえるかもな……言われてみれば、プロテクトのレベルが絶妙な加減だった。やろうと思えば、ネットに転がってるフリーの暗号解読ソフトで解けるレベルの暗号だったからな。なら……今回もその線は、頭に入れといた方がいいだろうぜ』
信号待ちになる。
「いずれにせよ今回はおまえのおかげで助かっている」
『他の連中は危険に晒せねぇからな』
「あいつらは、まだあっち側の人間だ。こちら側にはなるべく引っ張り込みたくない」
マガラワークスの従業員は五百旗頭の他に三人いる。だが、真の意味で裏の世界にいるのは真柄と五百旗頭だけだ。
『あいつらが動かせりゃあ確実に仕事は楽になるんだがな……まあ、あのクソ女だけは気に入らねぇが』
「そうは言うが、有能さは認めてるんだろ?」
『認めるしかねぇだろ』
舌打ちする五百旗頭。
『だから余計に、腹が立つわけだ』
五百旗頭がこれほど素の感情を向ける人間は珍しい。
『それより、もう一つあんたに伝えておくことがある』
「なんだ?」
『今の時点でわかっている分だが、次に送り込まれる予定の本隊の中に”ファイアスターター”と”キリシマセンジン”。それと――』
五百旗頭が一拍置いた。
『天野虫然が、いるらしい』
(天野虫然か)
最初の二人は真柄も初めて知る名だったが、五百旗頭によれば、二人とも裏の世界で名をあげ始めている新星だという。
天野虫然の方は知っている。生粋の傭兵だ。直接の面識はないが、真柄が傭兵をしていた時代からその名は広く知られている。
「わかった。助かった、アイ」
『幸運を』
五百旗頭との通話が終わると、着信が入った。サブの方ではなく、プライベート用のスマートフォンの方だった。
(知らない番号だが……)
信号待ちが終わったので、近くのコンビニの駐車場へ入る。まだコールは続いていた。
表示されていた番号をネットで検索してみる。迷惑電話のリストには引っかからない。今度は、別の特殊なデータベースに照合してみた。これでも出ない。
留守番電話サービスに移行。伝言メッセージが残された。
『あなたと親しい女性の上司と言えば、わかるでしょうか?』
涼しげで柔らかな女の声。記憶にはない声だ。
『お話したいことがあります。折り返しお電話をいただけましたら、ありがたいです』
「…………」
コンビニで缶コーヒーを買ってくると、真柄は車に戻ってプルタブを開けた。
缶コーヒー独特のほどよい酸味のきいた甘みと苦みを味わってから、発信ボタンを押す。
『はい』
電話が繋がる。
「俺に、話があるらしいな」




