7.殻識学園の転入生
七崎悠真は第一殻識学園の正門前に立っていた。
天気は快晴。
これほど澄み渡った空も珍しい。
心地よい青空の下には、白壁にブルーのラインのよく映える殻識学園の校舎が広がっている。
(一時的とはいえ、こんな形で学生生活をやり直すことになるとはな……世の中、わからんものだ)
かつては真柄弦十郎も高等学校に通っていた。
しかしさる事情により出席日数は卒業できるギリギリだった。テストの点はソツなくとっていたが、特に目立つ点数ではなかった。素行は悪くなく、運動面ではなるだけ目立たないようにしていた。
目立つ必要を、見い出せなかった。クラスメイトたちからすれば、たまに登校してくる珍しい生徒という程度の印象だっただろう。
登校日数の少なさもあってか、高校時代の印象深い記憶は皆無に等しい。真柄弦十郎のこれまでの人生で学生生活と呼べるものは、その大半が、久住彩月たちと過ごした大学時代で占められているように思えた。
意識をより”七崎悠真”へ強く移行させ、真柄弦十郎は殻識学園へ足を踏み入れる。
七崎悠真の身体は悪くない。
昨夜と今日の早朝、色々と身体を動かしてみた。
自分の手足のように――実際、自分の手足でもあるのだが――とまではいかないが、突発的な戦闘行為に対処できる程度の自在さは確認できた。
(まあ、贅沢は言えまい)
まだ自分の身体でない身体に入っているという不思議な違和感は残るが、この感覚を気にしすぎていては今後の行動に悪影響が出かねない。なので、今はこの違和感を極力意識しないことにした。
(この感覚にも、いずれ慣れるだろう)
人は適応する生き物だ。拒否反応の多くは慣れていくにつれて次第に薄れていく。そういうものだ。
正門を抜け、手入れの行き届いた並木道を行く。
(こうしてスムーズに潜入できるだけで、今は十分だ)
ひと気はまばらだった。
初日は職員室へ行って担任教師との顔合わせがあるため、今日は通常の登校時間より早く登校している。ひと気の少なさはそのせいだろう。
(渡されたデータによれば、黄柳院オルガは自宅から通学している。わけありの娘とはいえ、黄柳院の者ともなればさすがに学生寮はないか)
殻識学園には学生寮が存在する。地方や海外から来た生徒は、その大半が学生寮を利用している。
この学園の学生寮はそこそこ値の張るホテルと比較しても見劣りしないレベルの施設を備えていた。
また入寮者であれば街を定期巡回しているバスを無料で利用できる。さらに月額2万円分のタクシー用電子マネーまで支給されるというのだから、至れり尽くせりである。
そしてこれほどの厚遇ながらも、年間にかかる費用は得られる恩恵と比して驚くほど安い。
もちろん学園側としても、一つの施設で殻性者をまとめて管理できるというメリットはあるわけだが――しかしいずれにせよ、一部の生徒の世界を一変させるくらいの恩恵があるのは事実である。
(要は、それだけ殻性者は貴重な存在なわけだ。そして……その貴重な殻性者の中でさらに稀少な特別性を持つのが、今回の護衛対象というわけか)
データで受け取った黄柳院オルガの風貌を脳裏に再現する。
気品を宿すブルーの瞳。
黒のカチューシャの添えられた薄色の金髪。
父親である黄柳院総牛は日本人だが、瞳は空色。
髪は煌めく金色。
劣性遺伝子など関係のない血筋なのか。
それとも、新世代の遺伝子工学の賜物か。
あるいは奇跡の産物か。
整った細い眉。
高貴さを醸し出す大きなツリ目。
ふわりと長い睫毛。
ミルク色の白い肌。
薄い桜色の唇。
人相の専門家ではないから、手元にあった画像では人となりまでは判断できない。せいぜい信頼性のないお遊びソフトで性格診断ができる程度だ。
昇降口から本棟へ入り、悠真は職員室を目指した。
職員室のドアを開けて足を踏み入れる。
声は爽やかに、そして、誠実そうに。
表情は柔らかく、けれど適度な自主性は持っていると印象づけるように。
「失礼します。本日この学園へ転入となります、七崎悠真といいます。担任の狩谷先生はいらっしゃるでしょうか?」
職員室は広く、外国の新進気鋭のベンチャー企業あたりが好みそうなスタイリッシュなデザインの内装だった。ここがシリコンバレーのそういった企業のオフィスと言われても、信じてしまいそうだ。
眼鏡をかけた男が「ああ、君が七崎君ですか」と近づいてくる。
一見すると細身。しかしその教師が鍛え上げた身体の持ち主だと悠真は見抜いた。顔立ちは質実そうな印象。品も感じられる。しかし上品ぶった感じはなく、人あたりはよさそうだった。
「今日から君の担任になる狩谷です。よろしくお願いします」
「七崎悠真です。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「こっちへ来てもらっていいかな?」
そう言われ、奥の応接スペースへ通された。
狩谷が手元のタブレット端末を起動し、テーブルの上に置いた。
ディスプレイ上には七崎悠真の情報が表示されているのだろう。
端末を眺めていた狩谷の視線が、停止した。
「おや? 七崎君は、入寮届を出してないのですか?」
「ええ、人との共同生活が苦手なもので」
「七崎君」
狩谷の表情が真剣味を帯びる。
「君は、入学基準における霊素値が最低値だと聞いています。だから、ですね――」
狩谷は慎重に言葉を選んでいた。
「その……殻性者は、霊素値がすべてではありません。だからもしそれを気にしているのなら――」
「お気遣いありがとうございます、先生。ですが、自分が人との共同生活が苦手なのは本当ですよ。何かと一人でいる方が、気が楽なんです」
自分の霊素値が学園内で最低値なのを気にしているから、入寮届を出さなかった――そう狩谷は解釈したらしい。最低霊素値の七崎悠真と他の生徒との共同生活を一般的な感覚で想像するなら、誰もがその肩身の狭さを容易に想像できるだろう。
(どの道登校してしまえば、そこはもう逃げ場のない”共同生活”の場になるがな……)
ちなみに入寮届を出さなかった理由は単純明快である。
黄柳院オルガが入寮していないからだ。護衛対象が入寮していたなら、当然、七崎悠真も入寮届を出していた。
その後、狩谷は基本的な学園の規則や注意事項について話した。すでにどれも久住から渡されたデータで頭に入れていた知識だったが、復習のためにもう一度聞いておいた。
予鈴が鳴ると、狩谷は話を止めた。
「ああ、もうこんな時間か。では、教室に案内するよ」
狩谷に連れられて職員室を出る。
学内のひと気が増えていた。
白と赤を基調とした制服姿の生徒が廊下を行き来している。
各々、自分の教室を目指しているようだ。
ネクタイの色は、学年別に分かれている。
一年は白、二年は黄、三年は黒。
女子のスカートにフリルめいた装飾があしらってあるのはいささか乙女趣味な印象だが、それ以外はゴテゴテしたところのないスタイリッシュな制服である。
聞けばどこぞのベストデザイン賞をとったのだとか。そういった広告で殻性者の入学意欲を促すのも、戦略の一つなのだろう。
「もう HR だぞっ。ほら、教室に入れっ」
教室前まで来ると、狩谷が廊下で談笑していた生徒を促した。
生徒の反応を見る限り人望は厚そうだ。
教室に入ると、他の生徒の視線が悠真へ注がれた。
ただし転入生の到来に湧く様子はない。
それもそのはずである。
殻識学園はge値が基準を超えた生徒の存在を確認するなり、全国各地へ出向き転入を奨励している。
なので、転入生は珍しくない。
狩谷からの軽い紹介があってから、悠真は自己紹介した。
「七崎悠真です。よろしくお願いします」
自己紹介をしながら、視界の端で”ターゲット”を捉える。
窓際の一番後ろから数えて二番目の席。
あの席だけ、教室内において上品な華やかさが際立っていた。
浮世離れしたあの空気は果たして、黄柳院の遺伝子が形成するものなのか。
ほんの僅かだけ、悠真は実物の輝きに気圧された感覚を味わった。
(あれが、黄柳院の稀少鉱脈……なるほど、確かに色んな意味で、出来が違うらしい)