10.もう一人の灰色
悠真は、学園の廊下を歩いていた。
(オルガの護衛の一部は、ある程度まではティアに任せても大丈夫そうだな……)
察しもいいし、のみ込みも早い。霊素値の高さだけが自慢の娘ではないようだ。
何より悠真がオルガのそばにいられない時、その場の状況を悠真へ伝えられる人間の存在はかなりの強みとなる。
(ティアがそばにいても心配そうな相手は、今のところあの”臓物卿”か……あっちの方は、俺が始末をつけるべきだな)
キュオスの背後にいるとおぼしきホワイトヴィレッジ。
そちらは引き続き、五百旗頭が追ってくれることになった。
相手が相手なだけに、危険性を考慮して彼にはここで降りてもらってもよかったのだが、当人が続けると言い張ったので、そのまま調査を続行してもらうことにした。
あのレベルの調査能力を持ち、かつ、信頼できる相手を今から手配するのは難しい。ありがたいと言えば、ありがたい申し出だった。
(黄柳院オルガを取り巻くこの一連の流れには、関わっている者や勢力が多すぎる)
一つ一つ潰していくこともできなくはないが”一心双体”の七崎悠真と真柄弦十郎だけでは、やはり時間がかかりすぎる。
(それに……予定外の”イロモノ”たちが、この殻識島に帰ってきてしまったからな)
「俺に何か用ですか?」
悠真は振り返り、背後の男へ問いかけた。
「葉武谷先輩」
五メートルほど後ろの廊下の角から、葉武谷宗彦が姿を現す。
「なかなかイイ鼻をしているじゃないか、七崎」
宗彦は悠真の前まで歩み寄ると、無感動な瞳で見おろしてきた。先日凱旋した五識の申し子の中では、彼が最も身長が高い。
宗彦が、悠真を廊下の壁際へ追い詰めた。
「あそこに立ちっぱなしでは、他の生徒の通行の妨げになるからな」
周囲にひと気はない。悠真を逃がさないための措置だろう。
「俺に用件とは?」
眼鏡の奥の深く怜悧な瞳が、七崎悠真の風貌を映す。
「おまえが”調教”に値するかどうか、品定めをしようと思ってな」
温度の低い冷徹な目つきだった。
「葉武谷先輩は、将来はブリーダー志望ですか? 残念ながら俺は、ブリーダーに興味は――」
ガッ
立ち去ろうとした悠真の進行方向に、宗彦の長い足が立ちはだかる。電車の踏切で、いきなり足止めをくらった感覚だった。
「なかなか軽口ほざくじゃないか、七崎」
「そういう先輩は、なかなか素行が悪いようで」
足をおろすと、宗彦は自分のタイの位置を直した。
「荒っぽく扱われるのが好きか?」
「荒事は好みません」
「逃げ上手だな」
「根が、臆病なものですから」
「なるほど。ただの臆病者ではなさそうだ」
この男は何かを見極めようとしている、と悠真は察する。
宗彦が片手をポケットに入れた。
「おまえの経歴は一部、黒く塗りつぶされているようだが……まあ、俺から深くは問わないさ。それに五識家の一部は、もう七崎悠真の調査に動いている。ただ今のところは、結果が”白”すぎて困っているようだがな」
「それを俺に教えるなんて、親切なんですね」
「ふん」
宗彦が口端を笑みとは逆の形に歪め、眼鏡の蔓に触れる。
「一応確認しておくが……五識家は、知っているな?」
遊びのキャッチボールを放棄し、本題へ移ることにしたようだ。
「ええ」
「その五識家が主体となり、現在、とある部隊を創設する計画が進められている」
(五識家が中心となって部隊を創設……これは、初耳だが――)
「それは、俺に話していい内容なんですか?」
「口答えは認めていないぞ、七崎?」
昏く支配的な瞳が悠真を射貫く。
「黙って聞け」
「…………」
(ふむ……まずこの男に話をさせて、得られる情報だけでも得ておくか……)
「素直でけっこう。ああ、そうだ……タダで得られる情報は、とりあえず得ておくといい」
(こちらの意図は、お見通しか。なかなかキレる男らしい)
「話を戻すぞ。その部隊のメンバーの候補としてリストアップされた者の中に、おまえの名がある」
「……しかし、全会一致ではないと」
「察しがいいな。そうだ……今のところおまえを推しているのは、朱川鏡子郎ただ一人。そして最終的な決定権を持つ黄柳院冴は、否定的だ」
宗彦の目つきには支配的なものがあった。しかしそれは、単純な支配欲ではない。もっと複雑なものだ。
「黄柳院寄りの鐘白も、否定側に回るだろう。まあ、今のところ青志麻はわからないがな」
「俺は黄柳院冴に快く思われていないようですから」
「それもあるが、そもそもおまえは部隊の理念に合わない」
何かを見極めようとする光を瞳に宿す、宗彦。
「その部隊は、優秀な魂殻使いのみで編成される予定だ」
「つまり、魂殻使いとして優秀でない七崎悠真は、部隊のコンセプトに合わない」
「よくわかっているじゃあないか。おまえが優秀な魂殻使いなら、俺も推す側に回っていたかもな」
宗彦の表情は変わらない。しかし語調には、満足げな響きがまじっている。
「ただし、今回は鏡子郎が冴に反抗的でな。今後、おまえを勧誘しようと接触してくるだろう」
「要するに葉武谷先輩は俺に、朱川先輩の勧誘を断るよう”警告”を?」
「さあな。ただ……俺は、おまえの存在が引っかかっている。そしてもしかしたら、おまえが新設の部隊に入る未来があるかもしれない。だからこそ、その時のために――」
宗彦が悠真の前髪をゆっくりと指で払いのけた。前髪のかかっている目もとをよく見たいのだろうか。
「七崎悠真がこの俺の”調教”に値する人間かどうか、少し見ておこうと思ってな」
目は言葉以上にその人物を語る。悠真は、させるがままにした。
(どうにもこの男は腹の内が読めんな……ただおそらく、この葉武谷宗彦は――)
「葉武谷先輩は、中間色ですか」
「ふむ」
宗彦の目もとがかすかに反応する。
「わかるか。五識の申し子における、俺の立ち位置が」
「五識の申し子は、五人。奇数です」
悠真が推察するに、鐘白虎胤は黄柳院冴寄り。青志麻禊は、朱川鏡子郎寄りと見てよさそうだ。
「例えば黄と白、赤と青で意見が半々にわかれた時――多数決となれば、その決定権は残った一人にあるようなものです。違いますか?」
「少し違うが、おおむねはあたっている」
髪をいじくっていた手を下げていくと、宗彦が、悠真の襟元のボタンに手をかけた。
「褒めてやる、七崎」
グリッ
制服の上着のボタンを一つ、宗彦が片手で器用に外した。
「ところで例の新設部隊の件だが……俺が、柘榴塀小平太の担当になった」
悠真の反応をうかがいながら、宗彦は続ける。
「アレは、おまえと因縁のある相手だろうが……俺が躾ければ、おまえへの恨みも仲間意識へと変えられるだろう。単純な男だからな。”調教”は容易い」
(柘榴塀小平太も、その新設部隊とやらのメンバー候補か……)
グリッ
「周囲をチョロチョロと動き回っている南野萌とかいう女は少々うっとうしいが……まあ、あの女を躾けることも可能だろう」
グリッ
「似合わないぞ、七崎」
不意に、宗彦が言った。
グリッ
「何がです? あなたもやはり、俺の敬語が気に入りませんか?」
「俺はそれほど相手の言葉遣いを気にはしない。まあ、おまえの敬語が気に障るのは事実だが……俺には、その服装の方が気になってな」
悠真の制服の上着ボタンは今、すべて外されていた。前が開いたせいで、いくぶん着崩れた格好になっている。
半歩後退すると、宗彦は悠真を不遜に睥睨した。
「ふん」
自己流のコーディネートがようやく定まったとでも言いたげに、鼻を鳴らす宗彦。
「こっちの方が、おまえにはよく似合う」
宗彦がいじったせいで、悠真の髪はいくらか乱れていた。整っていた上着も、今はきっちりとした学生を演出する力を失っている。
(気づいているわけでは、なさそうだが……)
似合う似合わないでいえば、今の出で立ちは七崎悠真よりも真柄弦十郎に似合うかもしれない。
(”獣装要塞”……葉武谷宗彦か。この男は、要塞の主だな……そして、躾けた獣をその要塞で飼い慣らしている……)
もし五識の申し子たちがこの時期に戻ってくると事前にわかっていたら、特例戦で目立つのは控えていたかもしれない。
五識の申し子。
現状敵とも味方ともつかない相手だが、今後の移り変わる世界においてまず間違いなく重要な役割を果たしていく者たちであろう。
(冴のやつが普段ああいう振る舞いを必要とするのも、わかる気がするな……こんな曲者が内輪にいては、確かに、そう易々と本来の冴の色を見せるわけにもいくまい……)