9.小心者
こういう時、五百旗頭築はドライである。
会話を遮られたことに激昂したりもしない。
小奇麗な感じの店長が奥から現れて、キャップ男に事情をうかがい始めた。眼鏡の店員は居心地悪そうに唇を噛み締めている。わずかに、怯えもうかがえた。
キャップ男と同じ席にはガラの悪そうな男が他に三人座っている。三人はチャラけた軽い空気感を出しながら、にやにやと状況を楽しんでいた。
「ちっ、るっせぇなぁっ……おい、グダグダ客に責任押しつけてんじゃねぇよ! バイトクンもイイ大人だろ? 恥ずかしくねぇわけ!? おらっ!」
キャップ男が足払いをすると、眼鏡の店員が「ウッ!」と尻もちをついた。
「ぎゃははっ、やっべぇ! こいつの転び方、ザコ感ありすぎ!」
「うめき声も真に迫りすぎなんだよ! ほらほら、もっとネタとして楽しませるってサービス精神ねぇのかよ!? 一応、サービス業だろー!?」
「きたきたきたーっ! 冴えないバイト君の人生にぃぃ……一大、デンジャラスイベントぉぉぉおおお!」
「どう切り抜けるか見ものだなー……ほら、店長サンもサポートしてあげなきゃ! 連帯責任なんだからさ!」
同席の男たちが愉快そうにはやし立てる。
「おい……二人並んで、そこで土下座しろや」
キャップ男がドスの利いた声で言う。
「うわー、リョウ君マジ外道ー、チョーコワーイ……将来は、ヤクザ屋さんですか?」
「るっせぇつーの。社会人のマナーがわかってない店員に、このリョウ様が社会人の作法を教えにゃいかんのよ」
「本物の大人、クソカフェに降臨っ! やべー! これ、現代の世直しじゃん! クソバイトとクソ店長を……世直しリョウ君が、成敗! ぎゃはははっ!」
「おら! 動画に撮っからさっさと土下座しろや! それとも、全裸土下座にすっか!? あっ!?」
「あ、でもリョウ君! 動画とかネットに上げると、即晒されておれらの大事なSNSのコミュとか炎上するから、身内だけの武勇伝フィルム枠でヨロピク」
「わかってるっつーの」
店内は重苦しい緊張感で満たされていた。
そそくさと出て行こうとした客が何人かいたが、男たちに恫喝で呼び止められて出て行けなくなった。逆に、入店しようとしていた客は異様な空気を察して入店をやめた。他の店員も青ざめ、動きが取れなくなっている。
真柄は息をつき、腰を浮かせかけた。しかし、五百旗頭の手が真柄の腕をつかんだ。
「そいつは、まずオレがあんたのことを好きな理由を話してからだ」
五百旗頭が、口の端を吊り上げる。
「ちょうどそれを説明すんのにおあつらえ向きの状況が今、目の前で繰り広げられてやがるしな」
店の空気など一ミリも気にした様子なく、五百旗頭が身を乗り出す。
「いいか、真柄? 世の中には、自然な流れってものがある……あそこで起きてることに割り込む人間なんざ、普通はいない。
みんなああやって、自分ではない誰かが警察なりなんなりに電話するのを待ったり、早くこの居心地の悪い非日常が終わってくれと、ただひたすら祈るだけだ。
なぜか?
自分が動いても何も得がないのをわかっているからだ。仮に小さな解決の糸口があったとしても、関わるのが無益なのを知っている。むしろこのあと、あの男たちに因縁をつけられる危険だってある。だから、沈黙が正解だ。
あの店長と店員はおそらくこのまま土下座をして、あの四人組は満足し、ようやく嵐が過ぎ去ってホッとした客たちが帰れば、この世界は平和になる。元通りの日常を取り戻す。それで終いだ。
一定数の人間が不快になり、モヤモヤを抱え、あの四人組はしばらく今日のことを栄誉ある行動として語り、そしてまたしばらくしたら、あっさり忘れ去る……それが、自然な流れってやつだ。
失われるのは、あの店長と店員のちっぽけな尊厳とこの店にいる人間のささやかなひと時……大したものじゃない。これは、自然に任せていい流れってやつだ」
五百旗頭が指で、テーブルを叩く。
「なのにあんたは、その自然に逆らおうとする。聞くが……あの店長や店員は、あんたの知り合いか?」
「いいや」
「なら、この店はあんたの行きつけのオアシスか? 大してうまいコーヒーを出すわけでもないのに?」
「……初めて足を運ぶ店だ」
「そういうことだ」
空になったカップを、五百旗頭が逆さに置いた。
「あんたがさっきしようとした行為は、要するに不自然なのさ。自然の流れに逆らってる」
「相変わらず、迂遠な言い回しを好むやつだな」
「急がば回れだ。近道には、罠がたくさんある」
「俺はただ、目障りなものが嫌いなだけだ……英雄になりたいわけじゃない。俺は所詮、悪魔の側の人間だしな」
「だからだよ」
五百旗頭が席を立つ。彼は、土下座する店長と店員をスマートフォンで撮ろうとしているキャップ男たちの方へと歩き出した。
「カカッ……だからオレは、あんたが好きなのさ。その不自然さは、正しくイカれてる」
「あぁ? なんだ、おまえ?」
キャップ男たちの席の前に立った五百旗頭は、祈りを捧げるように十字を切った。
「人類の技術の進歩は、愚者たちに分不相応の武器を与えただけでした」
「なんだ、てめぇ!? 何か、文句が――うっ」
五百旗頭の出で立ちを改めて見て、キャップ男が怯んだ。
顔面にタトゥーの走ったスキンヘッド男。その目つきも不気味な光を湛えている。
およそまともな人間ではないと、直感で理解したのであろう。
男たちはヒソヒソと話し合うと、意外なほどあっさりと店外へ出た。礼を言おうとした店長と店員に「どんな時代にもアホはいる」とだけ返し、五百旗頭が戻ってくる。
「タトゥーシールは、威圧にも使えるらしいな」
「甘いぜ、真柄。外を見てみな」
ガラスばりの壁の向こうを見ると、男たちは、五百旗頭を睨みながら店の前に陣取っていた。
「ありゃあ、店を出てから絡んでくるつもりだ。ああいうチンケな人種のよくやる手だな」
「店を出たのは、下手な騒ぎにしたくないからか……」
リンチが目的だとすれば、この店の中は不適当だ。その場合、外的な”ストップ”のかからない場所が別に必要となる。
「そいつもあるだろうが……店を出てから、気が変わったんだろ」
その身が危険な状況であるのに、たじろぐ気配が微塵もない五百旗頭。
「外に出た途端、このままおめおめと逃げ帰る自分たちが許せねぇっていう、クソみてぇなプライドが顔を出したんだろうさ」
五百旗頭が吐き捨てるように笑む。
「カカッ……そういう自然さが、連中を小物たらしめてんのかもしれねぇなぁ……」
「どうする? 追い払うなら、俺も手伝うが」
「いや、いらねぇよ。こいつは、あんたが出るような幕じゃあない」
五百旗頭がスマートフォンを操作し、耳にあてた。彼の無慈悲な眼光が、外の四人へと滑る。
「オレが攫う」
五百旗頭が電話を終えてしばらくすると、ひどくガラの悪そうな十数人の男たちが、店の外で五百旗頭を待ち構えていた四人を取り囲んだ。
四人は震え上がった様子で、そのままガラの悪そうな男たちの集団に連行されていった。
「おまえは、殻識島の人間にも顔が利くのか?」
追加で頼んだカフェオレを、ストローですする五百旗頭。
「向こうよりは、少ねぇがな」
俗に”ワル”と呼ばれる人種に対し、五百旗頭は広く顔がきく。
彼のネットワークを通して得る情報には、真柄も何度か助けられていた。いわゆる”アンダーグラウンド”を縄張りとする者たちの情報は、五百旗頭から得るのがほとんどだ。
「ああいうガラの悪ぃ連中は、どこにでも湧くからな。ったく――」
五百旗頭が引き抜いたストローから水滴を垂らすと、ストローの包み紙が、ふにょん、となった。
「オレみてぇな小心者には、まったくもって生きづれぇ世の中だぜ」
▽
「しばらく私に黄柳院オルガの護衛を頼みたい、ですか?」
翌日、七崎悠真はティア・アクロイドを校舎裏に呼び出していた。
「ああ。無理のない範囲でいい」
「私が黄柳院オルガを守るために戦えば、その時点であなたがさせている黄柳院のスパイの方はおじゃんになるかもしれませんが」
「かまわない」
(ホワイトヴィレッジが関わっていると判明した今、連中からオルガを守るのを優先せざるをえない。ホワイトヴィレッジは手段を選ばない……学園内に手駒を送り込む可能性も、捨てきれないからな……)
「何か状況が動いたのですね」
「察しがいいな」
「で、あなた自身が動くフェーズに入った」
「お見事」
「……いいでしょう。どうせ私はあなたの所有物なのです。好きに使ってください」
「見上げた忠誠心だな」
「他に忠誠心を使う相手がいないだけです。消去法というやつですね」
「素直でけっこう。まあ……護衛の方は、基本的におまえの判断に任せるさ」
ティアが息をつく。
「まあ一応、できるだけ隠密行動や変装などは心がけましょう。私のスパイとしての利用価値が下がるのも、本意ではありませんから」
(ふむ、変装か……)
「ランドセルでも用意しようか?」
「……ぶんなぐりますよ?」
「冗談ではなく、なかなかイケる手だと思ったんだが」
「本気ですか?」
「九割以上は」
子どもに変装させる手は意外と悪くないように思えた。
髪を束ねて一つにまとめ、眼鏡とカラーコンタクトをつければだいぶ印象も変わるはずだ。胸の発育具合は、さらしで抑えられるだろう。
するとティアが、照れくさそうに頬を染めた。
「ゆーま、おにーちゃん?」
(演技が若干わざとらしいが……一応、子どもっぽさは出せているか……その気になったのか?)
「悪くはないな」
ティアのジト目が、悠真を射貫く。
「この、ロリコン」
「フン」
悠真は鼻を鳴らす。
「そこで頬の一つでも膨らませられれば、完璧だ」
「ぬぐ……相変わらずこの人は、サラッとかわしてきますね……」