8.ホワイトヴィレッジ
冴と別れたあと、真柄はアイと会うために街のカフェへ足を運んだ。
チェーン店のカフェである。学生の帰宅時間と重なっているのもあってか、店は賑わっていた。
アイは奥の席に腰かけていた。見ればすぐにわかる。アイが手を上げた。
「よぉ、真柄」
真柄は、アイの対面の席に腰をおろした。
「やはりおまえは目立つな、五百旗頭」
切れ長の目で真柄を見ながら、アイ――五百旗頭築は、銃を向けるような仕草をした。
「顔がウリの海外の俳優さながらの容姿に、黒ずくめの出で立ち……見映えするスラッとした背丈……そして、画竜点睛とばかりに生やされたセクシャルなひげ――目立つって意味じゃ、イイ勝負だろ」
「フン、馬鹿を言え」
コトッ
カップをテーブルに置く。
「おまえの前では、すべてかすむさ」
五百旗頭築をまず特徴的たらしめているのは、やはり、綺麗に剃りあげられたスキンヘッドであろうか。
耳にはピアス。ファーのついた革製のジャケットと、こちらも同じ革製のパンツが彼の雰囲気にマッチしている。へヴィメタルのバンドマンと言われても納得してしまいそうな出で立ちだ。
細面でシュッとした顔立ちをしており、目鼻立ちはマネキンと錯覚するほど整っている。
彼は日頃から眉を剃り落していた。そしてその失った眉の黒を補わんとばかりに、顔面には黒のタトゥーが走っている。
「またタトゥーが増えたな」
五百旗頭が頬の”新顔”に触れた。
「ああ、一つ増やした」
「前から思っていたんだが……そのタトゥーの模様に、何か込めた思いはあるのか?」
「ない。無慈悲なまでに、ない」
「あくまで、実用性だけか」
「あくまで、実用性だけだ」
ちなみに、彼のタトゥーはすべてシールである。
調査に赴く時、五百旗頭は変装をする。
ウィッグをしたり、眼鏡をかけたりする。
そして彼が変装すると驚くほど個性が消える。まるで、目にした数秒後には忘れ去る通行人のようなレベルの印象値になる。
真柄は過去に、彼からこんな話を聞いた。
『いいか、真柄? これは人の記憶についての話だ。
人の記憶力ってものは実に曖昧で、シンプルで、無責任だ。初対面でオレを覚えようとするやつは、大抵オレを”スキンヘッド”とか”タトゥー”っていう特徴で覚える。
たとえばだ。
オレを思い出そうとしているやつが、
”あの人、だれだっけ? ほら、あの人っ!”
と記憶を探った時、そいつは次にこう言う。
”スキンヘッドで、タトゥーの人っ!”
とな。
人間ってやつは、まず特徴的なものから覚えていくようにできてる。
変わった苗字とかな。
コマーシャルに当たり障りのない本物の美人が起用されず、特徴的な顔立ちをした”賛否両論”の人間が使われるのも、そういうことだ。わかるな?
そう、たとえばあんたのヒゲも同じだ。
あんたのことをうろ覚えしているやつでも、多分”ヒゲの人”って特徴くらいは覚えてるはずだ。
しかしある日、あんたはそのヒゲを剃り落す。
そしてあんたをぼんやり特徴で覚えていたやつは、ある時、ヒゲのないあんたを目撃する。しかしそいつは、最後まで真柄弦十郎だと気づかない――気づけない。
あんたが、特徴を失ったからだ。
そう、その通り。ククッ……今のあんたの顔は、ピンときたって顔だ。賢い人間の顔さ。そう、賢者だよ。大賢者になった。今、あんたはクラスチェンジしたのさ。
もう理解したな?
そう、つまりウィッグをつけてタトゥーを剥がした”調査員”のオレに知り合いが出会っても、大概はオレが”五百旗頭築”だと気づかない。
同一人物という認識が、できない。
身分を隠して動き回る時に最も危険な相手の一人は”事情をよく知らない知人”だからな』
それが五百旗頭築の心得の一つだという。
二人が口にした実用性とは、そういうことだ。
おしゃれのためのタトゥーではない。
その時、五百旗頭が鼻をヒクつかせた。次に、彼は鼻の頭に指を添えた。
「ここへ来る前、女と会ってきたか……?」
感心を込めて、真柄は鼻を鳴らした。
「相変わらずイイ嗅覚をしているな」
「それも、こいつは……とびきりの美人だ」
「ああ、とびきりの美人だった」
五百旗頭は異様なほど鼻がきく。サイコメトリーさながらのその嗅覚は、時おり第六感な力に思えることすらある。
「で、俺に直接会って伝えたい話とは?」
真柄は、本題へ話を移す。
「キュオスの背後にいる連中を掴んだ」
キュオス。
純霊素を持つ黄柳院オルガの身を狙っていると思われる国内企業の名だ。
御子神一也を送り込んだのも、キュオスだと推測されている。
「誰がバックにいる?」
五百旗頭は、備えつけの紙ナプキンを一枚取った。
「”ホワイトヴィレッジ”」
「……ホワイトヴィレッジか」
ホワイトヴィレッジは、アメリカに本拠を置くとされる企業だ。
通称”世界最強のペーパーカンパニー”。
その実態は掴めないが、確実に存在する影の勢力。
その村は確かに存在するはずなのに、足を運んでも見つかるのは、村の存在を示す”真っ白なペーパー”だけ――そんな比喩で、よく語られる。
主に判明しているのは”ジョン・スミス”というトップの名のみ。
ちなみにアメリカにおいて”ジョン・スミス”とは偽名の代名詞であり、日本で言えば”名無しの権兵衛”に近い扱いの名である。
軍産複合体や石油メジャーなども”彼ら”が裏から操っていると言われている。
一説には建国の時代から続く秘密結社という説もある。この国のヨンマル機関や五識家に相当する存在、と言えるだろうか。
真柄は納得した。
「なるほど……おまえが苦戦するわけだ」
あのホワイトヴィレッジが相手だったとすると、五百旗頭が真実に辿り着くのが難しいのもうなづける。
「だが、収穫はあった」
折り終った紙ナプキンを五百旗頭が真柄の前に放った。まるで、報告書でも提出するみたいに。
「明日、ホワイトヴィレッジの雇った傭兵チームが入国するらしい」
「何?」
「殻識市へ来るまでのルートまではわからねぇが、明日にはほぼ殻識島に入るとみていい」
「明日か……キュオスとの繋がりは?」
「受け入れの手配を、キュオスが行った」
「なるほど」
(米国は最近、魂殻の兵器化に力を入れていると聞いている……となると、オルガの純霊素に目をつけるのもうなづける……)
あの魔境たる黄柳院に手を出すなど普通は考えられないが、相手がホワイトヴィレッジとなると話が変わってくる。
「それと、殻識島のここ半年の不動産関連の取引情報を洗ったら、いくつか”鼻につく”売買が確認できた」
五百旗頭が、一枚のコピー用紙を差し出す。
「特にこいつは、くせぇ」
その人物は、殻識市の”幽霊マンション”の部屋を三部屋まとめて購入していた。
(雇った傭兵の、アジトにするつもりか)
「その購入者は?」
「”本物”のその男は今、東京で浮浪者をやっている。この目で確認してきた」
「周到だな」
「戸籍や身分証は闇市場に流れたもんを買い取ったんだろうさ。どんな国にも、抜け穴は存在するからな」
「”影”は追えそうか?」
お手上げのポーズをする五百旗頭。
「末期のサブプライムローン並みに、追跡不能だ」
白雪の上に足跡を残さない。
村に降る雪は、すべての証拠を覆い隠す。
「で、真柄……あんたはどうする? ホワイトヴィレッジが関わってるとなりゃあ、普通は慌てて手を引くぜ?」
「……普通なら、な」
アナログなメモ帳をパラパラとめくる五百旗頭。オンラインのスマートフォンやタブレットだと、ジャックされる恐れがあるためだろう。
「雇われた傭兵チームには”臓物卿”のローガンってのがいる」
「名の知れた傭兵だ。まあ、悪趣味の代名詞という意味でだが」
「他の傭兵も歴戦の勇者と呼んでいい連中みてぇだな……金で買える”勇者”ってのも、いかがなもんかたぁ思うがよ」
「まあな。ただ……ローガンは、金では買えない」
「面識があるのか?」
「昔、少しな」
「これはまた、顔のお広いことで」
(さて、ホワイトヴィレッジの目的だが……)
オルガを限定的ながら守ろうとしているのが、オルガの父である総牛。
命までは奪わないがオルガを家から遠ざけようとしているのが、オルガの祖父である皇龍。
それとは別に”殺害”と”拉致”を狙う勢力が存在すると、真柄は読んでいる。
キュオスとしては、せっかくの新技術を無意味化しかねない純霊素を持つオルガを殺害しておきたい――と考えても、おかしくはない。
ただ、ホワイトヴィレッジとしては純霊素を霊素兵器に転用したいと考えているのではないだろうか?
(しかし、目的が違うのであれば……キュオスはなぜ、ホワイトヴィレッジに協力している……?)
真柄は仮説を立てた。
(ホワイトヴィレッジの力を使ってオルガを拉致し、拉致遂行中の”不幸な事故”としてオルガの命を奪うつもりか? その線なら、ないと言い切れないかもしれない……御子神一也を使った殺害が失敗し、自分たちだけでは難しいと考え始めたのか……いずれにせよ――)
「今回の件は恩に着る、五百旗頭」
「礼なんざいらねぇよ。オレはあんたが好きだからな。だから、こいつは趣味みてぇなもんさ。なぜオレが、あんたを好きかというと――」
「ふざっけんな、こらっ! おら、さっさと店長呼べや!」
威圧的な恫喝が、店内に響き渡った。
見ると、キャップを被った男が近くの席の椅子を蹴り倒していた。
その傍には青ざめた顔の店員が立っている。店員は眼鏡をかけた、人のよさそうな青年だった。
耳の端に届いてはいたが、先ほど店員と客が何やら口論気味になっていた。店員の態度にいささか横柄さがあったのは事実かもしれないが、それは客であるキャップ男の要望が度を越えていたのもあっただろう。
言葉を遮る原因となったその光景を眺めながら、五百旗頭はかぶりを振り、ため息をついた。
「ったく……平和すぎんだろ、この国は……」




