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ソード・オブ・ベルゼビュート  作者: 篠崎芳
第三章 SOB アウトフィールド
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6.穏と陽


(あの時は驚いたが、今となっては冴の性別に対する驚きはない……)


 公園のベンチに並んで座ると、冴が手袋を外そうとした。


「いいのか、冴?」

「かまわぬ」


 穏やかに微笑む冴。


「この一帯の電子機器は今、の力で機能を喪失している」


 公園内に設置された監視カメラが冴をレンズにおさめることもない。


「余の気配も……今は弦十郎以外、常人で感知できる者はいまい」


 そうして、冴手が袋を外す。



 黄柳院冴が、と変化する。



「皇龍と親以外で余がこの姿を見せるのは――この世ではおまえだけだ、弦十郎。今までも……きっと、これからも」


 元より冴は中性的な風貌をしているが、手袋を外した冴は明らかに男性的な一切を喪失している。身体つきは明確に女性的なラインを示しており、質量を増した胸はその窮屈さに無言の文句を発していた。


「どちらの姿でも冴は冴だが……こっちのおまえには、やはり男としての感情が持てる」


 コーヒーの入った紙コップ片手に真柄はそう言った。ただ、本心を語った。照れも何もなく。


 冴は、心地よい清流の音を全身に染みわたらせるかのような、そんな微笑を浮かべた。


 グレープフルーツジュースの入ったコップを上品に両手で持ち、冴が言う。


「だが、余は黄柳院の意思そのものでなくてはならない……女であっては、いけないのだ」


 黄柳院の当主は、男でなくてはならない。


 冴からは、これが黄柳院の掟だと聞いている。


「黄柳院の意思……それがおまえにとってかけがえのないものなら、俺はそれを変えようとはしない。だが、俺は”おまえ”の存在を否定しない」


 女としての黄柳院冴を、真柄弦十郎は否定しない。


「その言葉があれば余は十分だ。しかし、黄柳院の中枢に女は不要。そう……女など、な……」


 かつて久住と交わした会話の中で黄柳院オルガの話題が出た。その時、真柄はこう発言している。


『黄柳院には、年頃の娘はいなかったはずだが』


 今思えば口が滑っていたと言える。その一方で真柄は、心のどこかで女としての冴を否定し切れなかった――否、したくなかった。それが思わず言葉に出てしまっていたのだろう。確かに失言だったが、しかし、あれは真柄弦十郎なりの冴に対する誠実さだったと言えるかもしれない。


「これは、弦十郎に話したことはなかったはずだが……黄柳院の女児は、歴史的に忌み子とされてきたのだ」

「……何?」

「昔は女児が生まれた際、問答無用で間引いていたと聞く」


 けれどある時期から一切男児に恵まれぬ”不作”が続いた。


 そんなある時、専属の術師――この術師は陰陽師だと言われている――が龍脈の一部から抜き取った霊糸によって編み上げた手袋を、黄柳院家の当主に献上した。


 その手袋には”呪い”を中和する効力があるとされ、それを女児がはめると陰と陽のバランスが”正常化”し、男児の姿へ”戻る”とされた。


 この話を初めて冴の口から聞いた真柄は、腹の底に昏い怒りが溜まっていくのを感じた。


 それまで聞いていたのは、黄柳院の当主が男でなくてはならないという話だけだった。この考えは時代遅れにすぎると言えるが、一方で、いまだに伝統に重きを置く旧家ではさほど珍しい話でもない。しかし、忌み子とまでなると――


(まさに魔境の産み出したエゴ……黄柳院冴は、その犠牲者だ。だが……その魔境の持つ力はあまりに巨大すぎる。何より、冴自身が――)


「確かに忌まわしき伝統かもしれない。しかし余は黄柳院の意思を継がねばならない……意思の体現者であり続けなければ、五識家はヨンマル機関にのみ込まれてしまうであろう。五識家の中心を担う黄柳院の次期当主たる余が、五識家を守らねばならぬのだ」


 冴が手袋を眺める。


「ゆえにたる余は、不要」


 女児が忌み子とされるのにも一定の理由が存在している、と冴は説明した。聞き終えた真柄は、神妙な面持ちでつぶやく。


「黄柳院の女はその力を制御できない、か」

「ああ……短時間ならともかく、女の状態のままでいるとこの身に流れる力が暴走してしまうらしい。龍の泉から溢れ出る膨大な力を、黄柳院の女は制御できぬのだ……」


 これに真柄は一つの疑問を感じる。


 制御できないのは、もしくは女が男よりも力を増幅できてしまうからなのではないだろうか。


(待てよ。となると……オルガはどうなる? 異母とはいえ、オルガも総牛の血を――)


「五識家の歴史において、黄柳院の女は五識家に厄をもたらしてきた……本来、存在すら許されぬ立場なのだ」

「はっきりと言わせてもらえば、馬鹿馬鹿しい話だがな」


 冴は苦笑する。


「弦十郎にとっては、そうかもしれん。だが、余は――」

「言ったはずだ、冴」


 真柄は冴の頭を撫でた。


「ん、む……」

「もしおまえが望むのなら、俺は黄柳院といつでも戦争を始める覚悟がある。おまえを、救いだすために」



     △



 あの時、誘拐された冴をレーヌの手から救い出したまではよかった。


 しかし、冴はもう黄柳院の家に戻りたくないと言った。


 自分は忌み子。


 代用品。


 彼女は真柄に己の絶望を吐露した。


 今まで溜めてきたすべてを、解き放つかのように。


 なので真柄は冴を連れて一週間ほど、車で欧州を放浪することにした。


 あてのない旅だった。


 一応黄柳院の人間に冴は無事だと連絡は入れたが、居場所は教えなかった。


 その二人旅の間に冴とは色々な話をした。最初は冴も警戒して口数が少なかったが、次第にその言葉数は増えていった。最終的には、黄柳院の追手を二人で撒くことに一種の楽しみさえ見い出しているようだった。


 初めて飲むというグレープフルーツジュースを口にした時、冴はとても驚いた顔で言った。


『……おいしいな、これは』


 さらに、真柄としては説得などするつもりはなかったのだが、一週間後、冴は黄柳院の家へ戻る決意を固めていた。一週間前と比べると、冴は年相応の少女が浮かべる表情に戻っていた。


 そうして、別れの時。


 別れ際、冴が白い手袋を手に取って言った。


『この一週間の弦十郎との旅を、余は決して忘れまい』


 この時の冴の笑顔は、真柄にとっても忘れられないものとなった。初めて黄金の美しさを知った者の感情とは、あるいはあんな感じだったのかもしれない。


『これから余は、おまえのためだけに女であろうと思う』


 あれ以上の美しい笑顔を作れるのは、黄柳院冴以外にはこの世でたった一人しかいないだろうと感じた。


『女としての色を失っていた”わたし”に居場所をくれて、ありがとう……弦十郎』



     ▽



「黄柳院と、戦争か」


 雪解けの時節に出会う日差しのように穏やかな表情をした冴が、寄り添ってきた。


「弦十郎が言うと、絵空事に聞こえんから恐ろしい……」


 冴の髪を梳き、撫でる。


「勝てるかどうかまでは保証しないがな」


 しかし冴をりゅうの牢獄から解放するくらいは、できるだろう。


「保証などいらぬさ。本当の余を知る弦十郎が、この世界のどこかにいる――いてくれる」


 細く白い冴の手が、真柄の手を取った。


「”わたし”には、それで十分だ」


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