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ソード・オブ・ベルゼビュート  作者: 篠崎芳
第三章 SOB アウトフィールド
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4.黄柳院冴


 学園の正門前で待機していた車の後部座席に黄柳院冴が乗り込むと、助手席の武城たけぎが声をかけた。武城は冴の世話人兼”監視役”である。


「冴様、小橋こばし様からお電話がありました。できるだけ早く、折り返しの電話がほしいと」


 小橋こばしみずち


 力のある官僚に太いパイプと巨大な影響力を持つ政財界の大物。彼が五識家に果たす役割は大きい。


 現在の官僚機構がヨンマル機関に染まり切っていないのは、小橋の持つ影響力によるものだと言われている。国会議員の側は五識家の息のかかった勢力が強いのだが、官僚機構の方はヨンマル機関の勢力が幅をきかせていた。


 だからこそ小橋は、五識家にとって重要な存在と言える。


 その小橋の娘がどうも冴に熱を上げているらしく、黄柳院冴であってもむげには扱えないのだ。


 小橋に対して冴はうっとうしい男という程度の印象しか持っていないが、皇龍や総牛からは表向きだけでもいいから”かまってやれ”と言われていた。


 無言で手袋をはめた手を差し出し、冴は武城から旧型の二つ折り携帯電話を受け取った。


「……余だ」

『おぉ冴クン! 忙しいところすまないねぇ!』


 小橋の胴間声。


(白々しい男だ……)


 それでも不満を声には出さない。立場としては黄柳院の方が上なのだが、小橋は自分の価値を理解している。


「余に何か?」


『実は頼子よりこが君と会いたがっているんだよ。忙しいとは思うが、少し時間をもらえないかね?』


(俗物め……)


 小橋が一人娘に甘いのは有名な話だ。冴は時間を確認する。


「五分ほどなら」

『実は頼子からは、最低でも一時間は時間を取ってほしいとせがまれていてねぇ。忙しい身だとは思うが、どうにか頼めんかね?』


 冴の瞳が凍度を増す。


「二十分」


 小橋の声のトーンが落ち、駆け引きのトーンに変わった。


『上手くすれば近々、防衛省の事務次官と”お近づき”になれそうなんだよ。ううーん、だがねぇ……わかるだろう? 世の中っていうのはギブアンドテイクだ。聡明な冴クンなら……わかると思うんだが』


 思わず舌打ちが出そうになった。


「着々と陣地を広げているようで何よりだな、小橋」

『私は陣取りゲームが得意なんだよ。時間はかかるがね』

「……いいだろう。幸い今日の予定は変更がきく」

『おぉ、さすがは冴クンだ! はっはっはっ、男として生まれたことが不幸だったと思ってくれたまえ。とはいえ、うちの娘はそこいらの男にはなびかんのだが……君に限っては、崇拝レベルだからなぁ。まあ、君が女として生まれていたら……それはそれで、喜ばしい話だったかもしれんがね』


 絡みつくような、ねばっこい調子。


 小橋は好色で有名な男だった。先ほど学園で、もし五色の長男の誰かが女児として生まれていたらと鏡子郎が仮定の話をしていたが、一人でも”長女”が五識の次期当主として名を連ねていたのなら、あるいはその者は小橋の毒牙にかかっていたのかもしれない。


(女など、五識の子には不要だ。そう、女など……)


『すぐに頼子を向かわせるよ。いやぁ、冴クンは物わかりがよくて助かるねぇ。皇龍様にも、よく言っておいてくれたまえ』

「……伝えておこう」


 小橋のご機嫌を取るのが黄柳院の意思であるならば、それに従うのみ。


 黄柳院冴は、黄柳院の意思の体現者でしかない。


 頼子からはすぐに電話がかかってきた。待ち合わせ場所は繁華街をやや外れたホテルのカフェ。あの女の好みそうな場所だ、と冴は思った。


 カフェの落ち着いたトーンを壊しかねない派手なドレスで着飾った頼子は、席に着くなり、冴にとって興味のない事柄について一方的にまくしたてた。半分以上の言葉には相槌を打つ暇すらなかった。彼女は”黄柳院冴の相手”としてこの空間に自分がいることに価値を見い出し、満足していた。


 彼女の瞳が映すのは”黄柳院冴”という偶像に過ぎない。その偶像の中身は彼女の願望で満たされており、彼女が欲しているのは”容器”のみ――すべてを凌駕する芸術としての”黄柳院冴”なのだ。


 冴がホテルに足を踏み入れた時点で、決して安価ではないロビーの調度品たちは一斉にひれ伏した。それらは自ら等級を落としたようでもあった。ロビーにいた者は誰もが冴の放つ品位を感じとり、しばし、時を忘れて彼に魅入っていた。そして今現在、このカフェでも冴の扱いは変わらない。


 羨望の入りまじった”民衆”の注目そのものに、頼子は優越感を覚えていた。


(父が父なら、娘も俗物……カエルの子は所詮、カエルの子か……くだらぬ……この見世物としての余も、それを楽しむ大衆の目も……)


「あれ? スマホが、壊れてる……」


 冴の姿を画像におさめようとした者の電子機器は、一つ残らず奇妙な不調に見舞われていた。


 それは冴と記念撮影をしたがっていた頼子も同じだった。彼女は「この役立たず!」とスマートフォンをテーブルに叩きつけた。


 しかし頼子はすぐに取り繕った笑みを浮かべると、そのまま約束の一時間を越えても話し続けた。ことあるごとに父の名を出しては、時間を引き延ばそうとした。父の存在が黄柳院家にとって欠かせぬものであることは、彼女もわかっているようだ。


 そうして冴が頼子から解放されたのは、日も落ちかけた頃だった。


「お疲れさまです、冴様」


 頼子と別れて車に戻るなり、運転手が労いの言葉をかけた。その言葉には応えず、冴は座席に腰を降ろす。


「行け」


 冬の鋼のごとく硬質な冷たい声で、そう帰路へつくよう冴は運転手に命じた。


 武城は、家へ帰るのが遅れた冴の尻拭いをするため、先に黄柳院の屋敷へ戻っていた。


(また皇龍に口うるさい説教と、折檻を受けることになりそうだな……)


 小橋の要望を聞き入れたから遅れたと説明しても、あの皇龍は冴の遅刻を許すまい。理不尽であっても、黄柳院家において皇龍の命は絶対なのだ。


 窓に寄りかかりながら、流れゆく風景を眺める。


(くだらぬ……この世界は、余にとって無色むしき。色を持たぬ世界……そして、余もいずれ色をすべて失うのであろう)


 己は器にすぎない。


 器の中に己は存在しない。


 してはいけない。


 誰にも寄りかからない代わりに、誰も寄せつけない。


 誰も信じぬ代わりに、誰にも己の感情を露わにしない。


 そう自分を築いてきた。


 黄柳院の意思の体現者として。


(これでよい。ただ、余にとってこの世界は――)


 その時、冴は目を疑った。


「止めろ」

「は?」


 唐突な背後からのめいに、運転手が頓狂な声を発した。


「この車を、止めろと言っている」

「で、ですが――」



 運転手が車を路肩に寄せ、停車。運転手がドアを開けるのを待たず、冴は自らドアを開けると、外へ滑り出た。


「冴様? ど、どうなされたのです?」


 時間を確認する。


「一時間ほど市内を走り、時間を潰していろ。その後は、ここで待て」

「冴様!? こ、ここで何かあるのですか!? 本日のご予定には何もありませんが――」

「それはおまえの知ることはでない」

「で、ですが……冴様の身に、何かありましたら――」

「余の身を、案ずるか」

「え?」


 琥珀色の瞳があかの彩を帯び、叱で運転手を包み込む。


「おまえは余の魂殻に勝てる魂殻使いが、この世に存在すると思うか?」


 あまりの気迫に圧された運転手は、無言で何度も首を縦に振ると、そそくさと車を出した。


 自分にしては気が逸っているのを、冴は認めざるをえなかった。


 普段より心なしか速い足取りで、すぐそばの大きな公園に足を踏み入れる。


 自然と、歩が早さを増していた。


 なぜあの男が殻識島にいるのか。


 無意識のうちに”龍泉”を使い、冴は己の気配を消していた。


 色無しきなしの黄柳院冴にとってこの世界でたった一つの色。


 この世でたった一人、色を与えてくれた者。

 この世でたった一人、色を与えてくれる者。


 その背に声をかける直前、とまっていた領域の鼓動が本来の機能を取り戻した。鼓動との”再会”に、無温の大地にかすかな熱が灯る。


「待ってくれ」


 かすれた声で呼び止めると、その人物が足を止めた。


「巨大な気配が急におかしな消え方をしたから、何ごとかと思ったが……そうか、おまえの魂殻の能力か」


 男が振り向いた時、冴の表情は”色”を取り戻していた。


「急に現れて、すまなかった。その……車で移動している途中で、おまえの姿を見かけたのだ」


 見間違えようはずもない。


 冴は、何年ぶりか知れぬ深呼吸をして自らを落ち着かせると、とても柔らかにその男の名を口にした。


「弦十郎」


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