2.龍の泉
「七崎くん、今日のお昼は外で一緒に食べませんか?」
昼休みになると、弁当の包みを手にしたオルガがそう提案した。悠真はビニール袋を鞄から出す。それは、登校途中にコンビニで買ってきた昼食だった。
「俺はかまわないが、どんな心境の変化だ?」
今まで昼食の大半は教室で食べていた。
オルガが窓の外に広がる青空を示す。まるで、プレゼンでもするみたいに。
「ほら、今日はよいお天気でしょう?」
「天気のいい日は、今までもたくさんあったが……」
「ふ、雰囲気を変えたいのですわっ」
素晴らしい提案だと言わんばかりに、ふくよかな胸をはるオルガ。
「マンネリの打破というやつですわねっ」
オルガの様子から、悠真はなんとなく察した。
「……ティアと俺は別に何もないぞ? 少なくとも、おまえの思っているようなことは」
「んもぅ!」
弁当の包みを胸に抱きしめ、オルガが顔を紅潮させる。彼女はギュッと目をつむり、声を上げた。
「察しがよすぎですわ、七崎くん!」
▽
そうして外の広場で昼食をとろうと、オルガと並んで昇降口を出たところで、悠真は騒ぎの原因たちと顔を合わせることとなった。
昼休みに入ってから教室のざわつきが気になってはいた。目的地の昇降口へ近づくにつれ、喧騒は大きくなっていった。オルガは騒ぎの原因となっている人物たちを認識するまで「何かあったのでしょうか?」と呑気な様子だった。
「あれ、は――」
オルガの視線が引き寄せられたのは、琥珀色の髪を持つ小柄な少年。
悠真も、視界の端にその妖麗の少年を認めていた。
(……黄柳院、冴)
しかし悠真の視線の正面を占拠しているのは、悠真よりも背の高い、さながら粗野な王子とでもいった雰囲気の男。
豪放さと気品が混在した不思議な空気の男だ。男は悠真に歩み寄ると、品定めでもするかのように顔を近づけた。
「テメェが七崎悠真だな?」
「あなたは?」
「オレは、朱川鏡子郎だ」
(そうか、この男が――)
「朱川家の……」
「ほぅ、オレを知ってんのか?」
「直接会ったことはありませんが……この殻識学園に通う生徒なら、誰もが五識の申し子の存在は知っているでしょう」
鏡子郎が、悠真のあごをつかむ。
「どうにも、似合わねぇな」
(やれやれ……このやり取りも、これで何度目になるか……)
「もしかして、俺の敬語がですか?」
「ほぅ、自覚アリか」
「どうも、俺の敬語は嫌われるみたいでして」
「オレもよくわかんねぇが、なぜかテメェの敬語にはひでぇ違和感がつきまといやがる」
本質を見極めようとでもするみたいに、鏡子郎が目を細める。
「そうだな、まるで……何もかもが間違った字幕の映画でも観てるみてぇな感覚、とでも言えばいいか? 要するに”字幕”が”映像”と合ってねぇわけだ」
「面白い表現をしますね」
「オレにとって面白ぇのはテメェだがな、七崎悠真」
鏡子郎が、悠真のあごを解放する。
「光栄ですね」
グイッ
今度は鏡子郎が悠真の制服のタイを掴んで、因縁でもつけるように引き寄せた。
「今後、オレにその敬語はNGだ。いいな? 次このオレに対してその気味の悪ぃ敬語を使いやがったら、テメェのツラへ唾を吐きかけてやる」
「……いいだろう」
悠真は言葉遣いを改めた。
「おまえがそれを望むなら、こっちも自然体でいかせてもらう」
「それでいい」
鏡子郎が満足げにタイを放す。
「クソみてぇな字幕が、元に戻った」
(朱川鏡子郎か……なかなか勘の鋭い男かもな。さて――)
「俺に何か?」
「テメェの特例戦はすべて観させてもらった。どこであの戦闘技術を身に着けた?」
「大したものじゃない。言うなれば、昔取った杵柄というやつさ」
鏡子郎が愉快げにあごを上げる。
「若人の使うことわざじゃねぇだろ、そいつは」
鏡子郎がオルガを一瞥し、歩き出した。通り過ぎ際、彼は悠真の肩に手を置いた。
「ま、今日は挨拶だけにしとくぜ。ああ、もし冴のアホが特例戦をテメェに申し込むなんて真似をしてきたら、すぐこのオレに言え」
「……黄柳院冴は、誰かの言うことを素直に聞く人物なのか?」
「聞かせるさ」
獰猛さを奥に秘めた冷徹な視線を、鏡子郎が、今はただじっと黙している冴へと滑らせた。
「力づくでもな」
「……できると、いいがな」
声量を落とさず悠真がそう言うと、鏡子郎は目を丸くした。次の瞬間、彼は白い歯を覗かせて笑った。
「ハハッ! このオレに対して、そんなふざけた口をききやがるかっ!」
鏡子郎は肩から手を離すと、悠真の背へ言い放った。
「ここの生活で何か困ったら、このオレを頼れ」
悠真は淡々と返す。
「だったら、俺のことは放っておいてくれないか? 俺はおまえにさほど興味がない」
ポケットに手を突っ込んだ鏡子郎が、首を傾けながら振り向く。
「なら、このオレに興味を持たせるまでだ。それに、オレの方から口説くってのも面白そうだしな」
先ほどの言が不遜な物言いだったという自覚は悠真にもあったが、しかし、鏡子郎の口もとには不快ではなく、不敵の笑みが浮かんでいた。
「バカどもの決めた”規格”に合わなかろうが、オレはせっかく転がってる”宝石”を見逃すつもりはねぇ……オレは五識の意思ではなく、このオレの意思で”石”を選別する。どこぞの誰かさんみてぇに”路傍の石”ってだけで、候補から弾きはしねぇさ」
そう言い放つと、鏡子郎は昇降口の奥へと消えて行った。
(やれやれ、こいつは面倒なのに目をつけられたかもな……特例戦であえて目立ったのは、オルガを狙う連中を誘い出す狙いがあったが……どうやら、思わぬ相手も引き寄せてしまったらしい)
朱川鏡子郎という男は、まだどうにも底が見えない。
わかりやすく見えるが、肝心の部分のつかみどころがない印象。
(ただ……五識の中の誰かへの対抗意識だけは、確認できたがな……)
鏡子郎が昇降口の向こうに消えると、他の五識の子らも歩みを再開した。
通り過ぎざま、葉武谷宗彦の硬い視線と、薄目を開けた青志麻禊の視線がオルガと悠真を無感動に撫でていった。
そして今、配下のごとく蘇芳十色を背後に従えた黄柳院家の長男――黄柳院冴が、誰へも視線を注がずに通り過ぎようとしていた。
「お兄、さま――」
この場で冴を兄と呼ぶ人物は一人しかいない。
黄柳院冴をそう呼べるのはこの世でたった一人であろう。冴を目にとらえた途端、まるで金縛りにあったように動けなくなってしまっていた少女。
今呼びかけたのは、条件反射的について出た言葉に思えた。
兄へ呼びかけた直後、オルガはハッとなって口もとに手を添える。やってしまった、とでも言いたげに。
「貴様か」
冴が立ち止まった。場には、まるで大名行列の最中に大名を直接呼び止めてしまったかのような重々しい空気が漂っていた。もはや黄色い声もすっかり鎮まっている。
「誰に言葉をかけたのか、理解しているのか?」
「あ、あの……」
凍りついた言を返す冴が、無感動にまつ毛を伏せる。
「余に何か用か?」
「わたくしは、その……」
「用がないのであれば、気安く話しかけるな。己の立場くらいわきまえろ」
「も、申し訳……ござい、ません……」
オルガの膝が震えている。
言葉を発すたび、黄柳院冴の圧がこの場にいる者を襲っていた。
冴はオルガより背が低い。けれどオルガより圧倒的に巨大な存在に見えた。神話的な神々しさを放つ兄から放たれる圧の集まっているオルガは、過剰な重力でも感じているみたいに映る。
怯えるオルガに、冴が冷たい視線を置いた。
「無様な姿だ」
「――――っ!」
「そのような無様な姿を晒す者は、黄柳院にはふさわしくない」
オルガが身体をかき抱いた。バラバラになってしまいそうな身体を、繋ぎ止めようとしているみたいにも見える。
冴の琥珀色の瞳が、悠真を映す。
「鏡子郎の考えは知らぬが、余はおまえも認めぬ」
「……そうですか」
「余に対し怯えを見せぬ胆力だけは褒めて遣わすが……余の視界を鬱陶しく飛び回ることは許さん」
「気をつけるとしますよ」
冴が悠真を見上げた。幻想画の中に描かれた人間が、目の前で動いているかのようだった。
「鏡子郎は宝石などと呼んだが、余にとってのおまえは路傍の石にすぎん……今後は、おまえから余に声をかけることを禁ずる」
「…………」
「鏡子郎はいらぬ危惧をしていたようだが……安心しろ、特例戦もないと思え。路傍の石に使う余力など、持ち合わせていないのでな……」
音もなく悠真の横を抜けると、冴がオルガに視線を置いた。
「貴様も同様だ。もし、余の手を煩わせるようなことがあれば――」
冴を取り巻く空気が、電撃に似た火花を散らし始めた。
ティアの起こした霊素嵐に近いが、何か質が違うのを悠真は感じる。
「煩わしい虫を、余の魂殻が焼き払うこととなろう」
五識の申し子たちの魂殻の名を悠真は知っていた。一部の界隈において、彼らの魂殻は有名である。
青志麻禊の魂殻――”双魔使い”
葉武谷宗彦の魂殻――”獣装要塞”
鐘白虎胤の魂殻――”六六六式”
朱川鏡子郎の魂殻――”四特秘装”
そして、
黄柳院冴の魂殻――”龍泉”
現在この国において”龍泉”は最強の魂殻だと言われている。
攻撃的な黄の粒子による火花が、消える。
「下がれ」
最強の魂殻を有する黄の王が言い放つと、オルガが弾かれたように一歩下がった。
「鏡子郎には上手く取り入ったようだが……余は人に信用を置かん。余に取り入って情に訴えようなどと無駄なことは考えぬことだ。そして余は、二度とおまえのような路傍の石と言葉を交わすつもりはない」
害虫でも見るように、目の端で悠真をとらえる冴。
「今の言葉、よく覚えておくことだ」
「ええ」
唯一この場で微塵も動じていなかった悠真は、淡々と返した。
「今の言葉、よく覚えておきます」




