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ソード・オブ・ベルゼビュート  作者: 篠崎芳
第一章 SOB シェルターズフィールド
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6.七崎悠真


「おまえが黒雹だったとはな、氷崎」

「そのヒゲ、なかなか似合ってるじゃない」


 信頼できる人物だと久住がお墨つきを与えたのも頷ける。

 そしてこの技術があれば、ヒゲの有無どころか、整形以上に正体を隠せるだろう。


「アタシもあれから、色々あってね」


 久住彩月がヨンマルにスカウトされて大学に来なくなってから、真柄は氷崎小夜子とも疎遠になっていた。

 氷崎は工学部だった。


「大学を出た後はどうしていた?」

「色々やってるうちに、ヨンマルがバックにいる”ご立派な企業”からスカウトを受けてね。でも、水が合わなくて退職したのよ。研究費を使いすぎだと文句を言われ続けたせいで、なんだかどうでもよくなっちゃってね。そしたら、彩月から連絡があって”ウチに来ないか?”って」

「黒雹としてはいつから?」

「そうねぇ。解釈を敷衍ふえんするなら、大学時代からかしら? ちなみに彩月に正体を明かしたのは、退職後のスカウトがあってからよ」


 これには三度、驚かされた。

 当時から異彩を放っていた女だったが、まさか黒雹だったとは。

 その頃から氷崎はレッドページともつき合いがあったのだろうか。けれどレッドページと自分との関係は、ここでは出さないでおくことにした。


「ふふ、シミュレートではアタシ自身が成功例だっていうのを説得の材料にしようとしたんだけど、真柄君には必要なかったみたいね。でも、あなたらしいわ」

「おまえが異性の身体に入っているのは、身元を隠すためか?」

「それもあるわね。ただこの技術、素体の適性があってね。アタシの場合はこの男性型の素体しかなかったのよ。素体自体にしても、金喰い虫だしねぇ……」


 数を用意できないわけだ。


「俺が入る素体は、俺との適性は問題ないのか?」

「この素体、とある欠点と引き換えに適性の幅が広いのよ。だから、大丈夫だと思う」

「というより、今回の作戦にはこの素体しか用意できなかった。すまん」


 久住が言い添えた。


「そーゆーこと。さて……一旦”斑鳩透”に戻っておこうかしら。氷崎小夜子としては、また今度ゆっくりね?」

「その言い振りだと、元の身体に戻ることも可能みたいだな」

「可能よ。だからこそ、より適性が重要なわけ。アタシも氷崎小夜子の身体は気に入っているし……んんっ」


 喉の調子を確認する氷崎。

 彼女は以後”斑鳩透”に徹するようだ。

 混乱しないよう、真柄も会話の意識を斑鳩透にフィットさせる。


「続けてくれ、斑鳩」

「この素体なら失敗率は限りなく低いはずだよ……理論上はね」


 室内の機器が真柄に青白い光の投射を開始した。ボード上の数値の羅列を眺めていた斑鳩が「よし……適性値は、問題なし」と呟いた。斑鳩の操作していたボードが消える。


「小難しい説明は省くけど、この技術は霊素とも関係がない。そうだね……噛み砕いて言えば、人間の持つ量子情報を分別しながら抽出して転写する、ってイメージを考えてもらえればいいかな? まあ、厳密に言えばそれも微妙に違うんだけど」


 皺を寄せた眉間に久住が指先をあてる。


「論理的思考にはそこそこ自信があるつもりなんだが……そっち方面が、どうも苦手でな。もう少し噛み砕いて説明してくれないか?」

「んー、そうだね……もっと乱暴に言ってしまうと、一般的に魂と呼ばれているものを取り出して別の身体に入れてしまうってことさ」

「今の説明なら、わたしにも理解できる」

「ただし一つ、問題がある。これはすでに、彩月にも伝えてあるんだけど――」


 斑鳩がケースの表面を指でなぞった。


「真柄君が入る予定のこの素体……霊素値が、殻識学園の入学時に最低値として必要とされる50geなんだ」

「問題ない」


 真柄は即答した。


「まあ、実際は入れ替わりを終えてからでないと断定はできないが……当然のことが当然のようにできるのなら、護衛に支障はない。もし相手が殻性者であっても、対処のしようはあるしな」


 魂殻使いを想定した戦い方は、その技術が出てきた頃から考えている。


「それに――」


 ケースの中で眠る少年の素体を見下ろしながら、真柄は言った。


「他に選択肢がないのなら、あるものでやるしかない。完璧な環境なんて、この世には存在しないからな」

「ふふ、さすが真柄君。あの久住彩月が好意を寄せるだけはある」


 久住がジト目で斑鳩を睨む。


「おい、氷崎……今のは余計なひと言だぞ? 今は仕事に集中しろ」

「はて? 氷崎とはどなたかな?」

「何?」

「ボクは斑鳩透ですが」


 肩を竦め、すっとぼける斑鳩。


「ぐぬぬぬぬ……今のくだりは、時間の無駄だろうが……っ」


 悔しげに拳を震わせる久住。


「そういう表情をすると、シワができるよ……理論上はね」

「うるさい! ほら、さっさと続けるんだ!」

「はいはい……悪いわね、真柄君」


 今だけ口調が氷崎小夜子に戻っていた。


「いまだにアタシたち、こんな感じなのよ」


 ウインクする斑鳩。

 懐かしい光景だと思った。

 自然と僅かに口元が綻んでいるのに、しばらく経ってから真柄は気づいた。

 気が強そうに見えて繊細な久住。彼女が四〇機関のような組織でどうにかやれているのも、氷崎が傍にいるからなのかもしれない。心の中で、真柄は氷崎に感謝した。


 斑鳩が指先でケースを叩く。


「この素体は霊素値が低い分、筋肉や骨密度の方はかなりサービスしてある。と、いっても――」


 双眸を細め、新たなボードを興味深そうに睨みつける斑鳩。


「真柄弦十郎の身体には、遠く及ばないけどね」


 柔らかな雰囲気が崩れ、研究者の顔になっていた。

 切り換えるように目をつむってから、斑鳩は表情を戻す。


「さて……今すぐにでも素体移行ができるよう準備はしてあるけど、どうする?」

「護衛開始はいつからだ?」


 久住に尋ねる。


「わたしたちとしては、早ければ早いほどありがたい」

「手続き等の準備は?」

「もうできている」

「準備がいいな」

「……君に断られたら、別の人間を用意するつもりだったからな」

「白羽の矢は立ち続ける、か」


 気まずそうに視線を伏せる久住。


「数年ぶりの再会がこんな形で、すまないと思っているよ……」

「気にするな。さっきも言ったが、再会できただけで十分だ」

「ありがとう、真柄」


 気を取り直し、久住が言う。


「それから、君は仕事ではないと言ったが報酬はきちんと支払う。報酬については――」

「報酬の話は後でいい。なんなら、10円でもかまわねぇさ」

「君に10円で仕事をさせたら、わたしの良心の方が耐えられんよ」

「わかった。だが、報酬の話はまた今度だ」

「そうか、君がそう言うのなら……それで、いつから護衛につける?」

「明日からでも問題ない」

「本業の方はいいのか?」

「どうとでもなる」


(ウチには、有能な従業員たちもいるしな……)


「この護衛の件、俺の裁量で協力者を選んでも?」

「ああ、かまわない。君のしたいようにしてくれ。守秘関連も護衛対象への接し方も、基本は君の裁量に任せる。現場での経験なら、わたしより優秀だろうしな。ただ、その――」

「わかっている。こちらのヘマがあった場合、我関せずの尻尾切りが起こると心に留めておけばいいんだろう?」


 久住は一瞬、答えに窮した。


「すまん」

「謝らなくていいさ。理不尽な条件には慣れてる。下の人間ではどうしようもないことなど、この世界にはクソより多く溢れてるからな」


 途端、後ろめたさを漂わせる久住。


「この理不尽な流れにさらなる追い打ちをかけるみたいで、悪いんだが……もう一つ、君に伝えておかないといけないことがある」


 何かを切り出すタイミングを彼女がずっと計っていたのは察していた。


「遠慮なく言ってくれ」

「今回の護衛の件は、黄柳院オルガには伝わっていない」

「ふむ……今後、伝える予定は?」

「現時点ではない」

「護衛対象が、自分の状態を知らないわけか」


 殻識学園には四〇機関と五識家が関わっている。

 おそらくはこの両者の関係性への過剰配慮だろう、と真柄は推測する。


「すまない。我々から彼女へ伝えることはできないんだ。複雑なんだよ、色々と」


 作戦に関わっている者の正体が内通者に知られる危険を考慮しているのだろう。ヨンマルの誰かが護衛対象に接触すれば必ずどこかに”ログ”が残ってしまう。


(あるいはこの作戦はあくまで表面的なもので、真の目的は内通者を炙り出すためのフェイクとも……いや、これは早計だな)


 五識の中心である黄柳院家の者にヨンマルの息のかかった者が非公式に接触するのはリスクが高すぎる――久住の上司とやらはそう考えているのだろう。


(ログが残りすぎる社会も、息苦しいものだ)


「気にするな」


 隣に立つ久住の肩に手を置く。


「だからこその、俺だろう」

「昔から君は、わたしを絶対に責めないな……」

「責める理由がないからな」


 真柄が肩から手を離したところで、久住が意識を切り替えた。


「すまないが、そういうわけだ。だから、護衛対象にはボディーガードの件を隠す方向で動いてくれるとありがたい」

「相手にボディーガードの件を隠しながらの護衛か。難しい注文だな」

「上の意向なんだ」


(予想通り、やはり上の意向か……)


「五識家との間に煙を立てたくない小心者が、おまえの上にいるわけだ」


 上とやらが久住に面倒を押しつけている気がして、つい皮肉が口から出てしまった。久住が苦笑する。


「そう言ってくれるな。あれであの人も苦労人なんだ」


 表情と声の調子からして、久住は上司に信頼を置いているらしい。

 またなんとなくではあるが、今の言葉から、今回の作戦は久住の上司の独断によるものなのではないかと真柄は思った。


「もし護衛対象に俺がボディーガードであると知られた場合は?」

「その時はわたしを通して上の判断を仰ぐ。ただ、黄柳院オルガが協力的なら……作戦は続行の可能性は高い」

「わかった。心に留めておく」


 それから夜が深くなる時間帯まで、今回の件に関する情報を頭に叩き込んだ。

 各情報は予備としてデータファイルにもまとめてもらったが、そのデータはスタンドアローンの携帯端末にだけ入れておくことにした。オンラインだと、データを抜かれる懸念が残る。

 世界は広い。この世界には想像もつかないほどのハッカーやクラッカーがひしめいている。できるだけ、リスクは回避するべきだ。


「伝えるべき情報は、大体こんなところか……」


 言って、久住が時間を確認する。


「む、もうこんな時間か……長々拘束してしまって悪かったな、真柄」

「必要な時間的拘束は無為とは言わない。拘束する相手が久住彩月なら、余計にな」

「なっ……それは、ど、どう反応していいのか……わからないだろう。その、なんだ……そういう言い方は……困る」


 指で目の疲れをほぐしながら、斑鳩が言った。


「昔と変わらず、真柄君はほんと優しいよねぇ」



     ▽



 さらに今後の方針を軽く確認し合い、いよいよ素体に入ることになった。

 成功事例が一件しかないにもかかわらず、真柄の中には不安がなかった。技術を統括しているのが斑鳩――氷崎だからだろうか。


 空のケースに入る。


(いや、それだけじゃないな……)


 ケースの蓋が閉じて行くのを眺めながら、真柄は思う。

 

 分の悪い賭けなど、これまで数えきれないほどしてきた。

 今さら何を物怖じすることがあるのか。

 何もない。


(そう、何も……)



     □



 意識がどこにあるのかさえ、今の真柄にはわからなかった。


(そういえば、素体の名はなんだっただろうか……)


 頼りなく揺らめく炎を静寂の中で何年も眺めているかのような、そんなぼんやりした感覚の中で、素体の名を思い出す。


(そうだ、素体の名は……)


 七崎悠真しちさきゆうま


 それが真柄弦十郎の、次なる偽の名だ。


 お読みくださりありがとうございます。

 ブックマーク、評価、ご感想、誤字のご報告をしてくださった方々にも感謝申し上げます。


 次話からいよいよ七崎悠真として学園へ転入となります。


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