間章.五識の申し子たち
青志麻家。
葉部谷家。
鐘白家。
朱川家。
黄柳院家。
この五つの旧家を総称し、五識家と呼ぶ。
□
一台の豪奢なリムジンが殻識市の市内を走っていた。
余分な装飾こそないが、使用されている素材やパーツ一つ一つが一級品で固められた車内。
豪奢な革張りのソファが、大理石のローテーブルを囲んで並んでいる。
そのソファに悠然と座る四人の少年たち。
座っていてもその身体つきの均整がとれているのが十分わかる男が、言った。
「虎胤のやつは、こんな日にも寝坊かよ」
自負に満ちた通りのよい声。
年は二十歳にも満たない十七だが、彼の漂わせる風格は、年齢を霞ませるほどには醸成されている。
朱川家の長男、朱川鏡子郎。
首筋の露出を軽減する程度の長さを持つ髪は艶めき、まるで王へ対して一糸乱れぬ敬礼でもするかのように、その毛先は整っていた。髪は適度に乱れているが、不思議とバランスが取れていると感じられる。放埓に乱れようとする王を、どうにか品を保とうと家臣たちが常時支えているかのようだ。
深い蒼氷の瞳には豪放さと思慮深さが同居している。しかしその二つを常に支配しているのは、傲岸と呼ぶのもおこがましいほどの王の気風。
長い脚を組み、ソファにもたれ掛るその姿には、幾たびの侵略行為を重ねた帝王の風格がある。
甘いルックスの持ち主と言われればそうだが、しかし、彼が放つ支配的な荒々しさは、その造形の持つ甘みを打ち消している。
「問題ないだろう。話し合いの場に虎胤は不要だ。やつの到着くらいなら、遅れてもいい」
髪型には野性味があるが、その外見の野性味を抑え込むほどには落ち着き払っている。そんな雰囲気を持つ眼鏡の男が、鏡子郎の問題視の言を切って捨てた。
葉武谷家の長男、葉武谷宗彦。
美男子と呼べる風貌を持つ細面の男だが、理知の光を宿すその瞳の内に、彼は奇妙な野性を飼っている。
皇帝の風格を持つ鏡子郎に対し、どこかベテランの執事めいた品位と謹厳さがあった。けれど、執事のようなへりくだった印象はない。
何もかもを下から睥睨するような、独特な空気を持つ男である。掴みどころがない、とも言えるだろうか。
「虎胤の真剣の図太さは、見習いたいところだけどね」
鏡子郎の隣に座る藍色の髪を持つ糸目の男。彼が、綿のようなフワフワした調子で言った。
青志麻家の長男、青志麻禊。
骨格のがっしりした印象の鏡子郎や宗彦と比べると、やや細身な印象を与えるだろう。
雰囲気にしても、磊落な鏡子郎や厳めしい宗彦と対称的で、柔和な印象を持つ男だ。顔立ちの整った涼しげな男だが、どこか油断ならない雰囲気がある。
独特の静寂と鋭い空気を放つこの空間において、禊は一人飄々と緩い空気をまとっていた。
宗彦が鞄から書類を取り出す。
「ところで、例の特設部隊の件だが……ピックアップは済ませた。現在殻識では、この三名が条件を満たしている」
第一殻識学園の生徒の人物データ。それが印刷された用紙を宗彦が卓に置いた。誰も手に取らなかったが、宗彦は気にせず話を進めた。
「柘榴塀小平太、蘇芳十色、ティア・アクロイド。この三名が入隊候補で問題はないはずだ。むしろ総合的に考えれば、この三名以外の入隊は難しいだろうな」
言い終えると、宗彦が聞いた。
「何か、異論のある者は?」
「大いにあるぜ、宗彦」
言ってローテーブルの縁に靴底を置いたのは、鏡子郎。
「テメェの選出したその三名に文句はねぇ。ティア・アクロイドは黄柳院の息がかかってるようだが……データを見りゃあ、使いもんにはなりそうだ」
「……なら、何も問題はないように聞こえるが」
「だが、その選出じゃあ足りねぇ」
鏡子郎は自分の革の鞄から用紙を二枚取り出すと、ぶっきらぼうに卓の上へ放った。
「黄柳院オルガと、七崎悠真。オレはこいつらを推す」
「……黄柳院オルガ?」
宗彦が眼鏡の蔓に触れ、鏡子郎へ含みのある視線を送る。
「あえて俺が黄柳院オルガを選出しなかった理由が、おまえにはわからなかったのか?」
「どうせ、クソみてぇな理由に決まってる」
鏡子郎はあごを上げると、これまで黙していた対面に座す少年に声をかけた。
「そうだろ、冴?」
冴と呼ばれた少年は、輝く黄金の髪の持ち主であった。
芸術性を究めた飴細工をそのまま人に置き換えたような人物、とは、初めて某国のリーダーが冴を目にした時に口からこぼした評である。
確かに、耽美性を追及した物語の中からそのまま飛び出してきたと言われて思わず首を縦に振ってしまう程度には、妖怪的な麗と美を持つ少年であった。
黄柳院家の長男、黄柳院冴。
ややウェーブがかった髪は、瑞々しい黄金色の波を形成している。四人の中では色素が薄く感じられ、その白い首筋はミルクのように滑らか。
両手には、怪奇な紋様の刻まれた純白の手袋をはめている。
薄っすらと赤の虹彩を帯びるブラウンの瞳は、妹の持つ澄んだ空めいたブルーとは違う色彩だ。
長いまつ毛は中性的な蠱惑を備え、その薄く小さな唇は、ルージュの宣伝用に作られたサンプルと思えるほど形が整っている。
冴は四人の中では目に見えて小柄であり、彼と比べると禊ですら大柄に感じられてしまう。制服を着ていてもわかるほど華奢な身体つきをしており、仮に誰かが彼の身体を熱情的に強く抱きしめたとしたら、その細い腰は粉々に砕けてしまいそうに思えた。それほど、壊れ物めいた雰囲気を醸し出す少年であった。
こうして黄柳院冴の身体的、あるいは外見的な特徴だけを並べ立てると、他の三人と比べてひどく弱々しい印象を受けるかもしれない。
しかし冴の放つその空気は、浮世を離れし圧を宿している。
「黄柳院オルガ、か」
かすかに憂いを帯びた調子で、冴が言葉を発した。
「鏡子郎がそこまで推したいのであれば、余はかまわん。元より候補の選出はおまえたちに一任してある。基本としては、おまえたちの好きにするといい……ただし、あの娘の”世話”もおまえたちに任せる」
見た目は線の細い白皙の美少年なのだが、黄柳院冴の声には、彼の存在のサイズを大きく錯覚させるほどの威厳が備わっていた。
鏡子郎の持つ帝王の覇気に対し、冴のそれは帝の格と言えるだろうか。
「だが――」
冴がまつ毛を伏せる。
「七崎悠真に関しては、入隊を認めるわけにはいかん」
鏡子郎は足を広げ、姿勢を崩す。
「宗彦がピックアップした三人の候補……そいつらと七崎悠真の特例戦の映像は見たのか、冴?」
「一応はな」
「あの三人より強ぇ男が入隊候補になれねぇ理由を、聞きてぇところだ」
「あれは、魂殻使いとしての強さではない。新設の部隊は魂殻使いの”宣伝”も兼ねている。それは知っているな?」
「バリエーションの広さを見せるのも、大事だろ」
「それは黄柳院の意思ではない」
「黄柳院の意思、ね」
鏡子郎が冴の目の前に移動し、ローテーブルの上にのって屈み込んだ。そして、ガンでも飛ばすように冴を睨みつける。
「テメェの大好きな黄柳院だけが、五識のすべてじゃねぇんだぜ?」
それは品のない行動と姿勢だったが、不思議と、鏡子郎には気品の残滓が確認できた。どんな粗野な振る舞いをしようと、培われた育ちのよさは隠せないということなのか。
「その気性の荒さは昔から変わらんな、鏡子郎」
「ああ、変わらねぇさ――」
鏡子郎が、ローテーブルの縁に座り直す。すると冴の目前で、鏡子郎がわずかに見下ろす形になる。
「オレたちの立場もな」
冴は微塵も動じず、細いあごを上げて鏡子郎を見る。
「朱川が、黄柳院の意思に逆らうというのか?」
ガンッ
鏡子郎が、冴の頭部の横に片足で蹴りを入れた。
「テメェは変わったよな、黄柳院冴」
冴は、微動だにしない。
「いつまでも仲良しこよしではいられん。それがわからぬ朱川鏡子郎でもあるまい」
「違ぇな。わかるつもりがねぇんだよ、冴」
「鏡子郎」
冴の瞳が、淡く発光した。
空気がヒリつく。
車内の空気が、怯え始めた。
鏡子郎が双眸を細める。彼に。動揺の色素はない。
「ここで、やるってのか?」
「話し合いが通じぬ時は、力でねじ伏せるのが正しい道であろう。それが、唯一だ」
「テメェが戸惑った顔を最後にいつ目にしたか、まるで思い出せねぇ」
「黄柳院の意思に逆らうなど、愚かな行為だぞ」
鏡子郎の右手に、霊素の粒子が集まる。
装殻のシステム認証を済ませていないにもかかわらず、彼の手には、薄っすらと剣型の魂殻が出現しかけていた。
「愚かなのはどっちか……ここらで試してみるのも、悪くねぇかもな?」
二人の間に、剣呑な空気が漂う。
「よしなよ、キョウ」
割って入ったのは、禊だった。鏡子郎が視線だけを禊に向ける。
「……なんだ、禊?」
「五識の王は今も昔も黄柳院だよ。キョウの気持ちもわかるけど……今の僕らの中では、冴が最終的な決定権を持つ。それは、変えられない」
禊が薄く目を開き、深い藍色の瞳を覗かせていた。瞳を覗かせると、なぜか普段の穏やかな禊とは印象が一変して見える。
「わかるだろ、キョウ?」
禊の言葉を受けた鏡子郎が、足を引く。
「……チッ。わぁったよ、禊」
変化しかけていた禊の雰囲気が、元に戻った。
「ふぅ、よかった……幼なじみ同士が本気でいがみ合うのは、よくないからね」
鏡子郎は一瞬だけ、感傷的な視線を冴に向ける。
「もうオレたちも、あの頃みてぇにはいかねぇみてぇようだな……こんなつまらねぇ序列ができたら、これまで培ってきた幼なじみの間柄もお終いだろ」
一時の感傷が消え、王の気風を取り戻す鏡子郎。彼の放つ空気には、棘がまじっていた。
「悪ぃがオレはオレで好きにやらせてもらうぜ、冴」
「……あの七崎悠真という男は、殻識学園にとっての癌だ。黄柳院としては、黄柳院オルガ以上に認められる存在ではない」
「黄柳院としては、な。だが朱川としては、七崎悠真と黄柳院オルガの能力と資質を評価している。こいつはそれだけの話だ。伝えるだけ伝えとくぜ、黄柳院冴」
「一つの意見として余の耳に入れるだけは入れておいてやる、朱川鏡子郎」
鏡子郎と冴はしばし、互いに威圧するように、無言で視線を合わせていた。
それからしばらくすると鏡子郎は威圧を消して、元の席に戻った。
「……しねぇとは思うが、念のために言っておくぜ。七崎悠真に特例戦を挑んで退学させるなんてつまんねぇ真似はすんじゃねぇぞ、冴?」
「案ずるな。路傍の石に勝負を挑む帝など、この世には存在しない」
「二人とも、わかっているな?」
今までタブレット型端末を黙っていじっていた宗彦が、不意に口を挟んだ。
「俺たち五識の申し子に特例戦は認められていない。トーナメントの参加もだ」
「改めてテメェから言われなくても、わかってるっつーの……で、宗彦よ? テメェはオレと冴の側、どっちにつくんだ?」
「五識の王は、黄柳院だからな」
淡々と即答する宗彦。ちなみに冴は、今は瞑想でもしているかのように黙って目を閉じていた。もう学園に到着するまで、言葉を交わすつもりはないようだ。
つまらなそうに、鏡子郎があくびをする。
「チッ……虎胤のやつは、昔から冴を妄信してやがるしな。こっちに禊がついたとしても、二対三か……こいつは、分が悪ぃ」
「冴と戦争でも始めるつもりか、鏡子郎?」
「るせぇよ」
ガッ
行儀悪く、鏡子郎が両足を卓の上にのせる。
「んなこたぁテメェで考えろ、コウモリ野郎」
鼻を鳴らす宗彦。
「コウモリ野郎とは、ずいぶん的を射た物言いをするじゃないか」
タブレット型端末のディスプレイから目を離さず、宗彦は続けた。
「朱川家の皇帝のお褒めに与り、光栄だ」
鏡子郎は腕を広げてソファにもたれ掛ると、車内の天井を仰いだ。
「ふざけやがって」
気怠く、鏡子郎は悪態をついた。
「褒めてねぇっつーの」




