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ソード・オブ・ベルゼビュート  作者: 篠崎芳
第二章 SOB シェルターズフィールド ネクストステージ
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エピローグ.ミチシルベ


 翌朝、昇降口でティアが挨拶してきた。


「おはようございます、七崎悠真」

「ああ、おはよう。今日から登校する気になったのか?」


 昨日よりティア・アクロイドは七崎悠真の”所有物”となったが、登校を強制はしてしていなかった。


「ずっと家にいても、無意味に時が過ぎるだけですから」


 ティアの家は寮ではなく、悠真と同じく近辺の賃貸マンションだそうだ。


(見方を変えれば、この娘には登校する”意味”ができたわけだな……)


 続々と昇降口へ入ってくる生徒たちが、視線を物珍しそうにティアに留める。そしてハッと我に返ったようになり、そそくさと通り過ぎていく。


 ティア・アクロイドは人目を集めるほどの端麗さを持つ少女と言える。霊素変異による鮮やかな色彩と、ほのかに漂う精巧なドールのような端正さが、自然と人の目を引き寄せるのかもしれない。


 悠真は平淡に、冗談めかして言った。


「この学園に、初等部はないぞ」

「せめて、中等部と言ってください」


 ティアも淡泊に返す。


「幼く見えるのは、メリットでもあるさ」

「スイッチ式の爆弾を、私の身体に巻きつけでもするつもりですか?」

「……穏やかじゃないな。大抵の大人は子どもには優しくしてくれる、という意味だ」

「ではあなたも、もう少し私に優しくすべきですね」

「俺は高校生だからな。まだ子どもの部類さ」


 ティアが声を潜めた。


「あなたの所有物になったのは、間違いでしたかね?」


 不満の色素の含まれた響きだったが、成分は冗談めかしたものだった。


「俺の手元から去りたければ、好きに去ってくれていい。物忘れには慣れてる」

「なんですか、それは」

「去る者は追わずという意味だ」


 一瞬、悠真の意識からティアが外れた。


(いや――)


 脳裏によぎるのは、殻識の学園長。


(去っても追いかけたくなる女が、この世には一人だけいたな……意外と俺は、未練がましい人間なのかもしれない……ん?)


「去りませんので」


 意識が外れた一瞬の間に、ティアが懐へもぐり込んできていた。体格に比してアンバランスな二つの膨らみを悠真の腹部に押しつけ、こちらを見上げている。


 もし先読みを除外した速度のみのまともな勝負をしたら、七崎悠真の身体能力ではかなうまい。相手の意識が外れた瞬間を狙って動いたのも、さすがと言える。


(やはり戦闘のセンスは抜群か。この感性は、野生とも言えるな。ティア・アクロイド……とんだ”拾いもの”だったかもしれん)


 昨日さくじつの保健室での”取引”を、悠真は思い出す。



     △



「私が、あなたの所有物に? それがもう一つの命令ですか?」

「いや、違う……もう一つの命令は、卒業まで黄柳院オルガに特例戦を挑まないという誓約だ」

「それは別にかまいませんが……トーナメントの出場を認めないという条件の方がよいのでは?」

「いや、特例戦だけでいい」


 家から遠ざけられているとはいえ、オルガはあの黄柳院の血を引いている。例の純霊素の件もある。もし彼女が真に覚醒すれば、ティアに迫る――いや、それ以上の戦闘能力を持つ未来はありえるだろう。


 黄柳院オルガにとってティア・アクロイドは乗り越えるべき一つの壁だ。おそらくそこは七崎悠真が光を照らす領域ではない。オルガが、自分自身の力で闇を振り払うべき領域だ。


 他の意味でも、ティアはこのままトーナメントに出すべきだと判断した。ティアがトーナメントに出ないと知れば、さすがにあの皇龍も何かあると怪しむはずだ。皇龍に不審を抱かせるのは、得策ではない。


(それに、だ……ティアにそんな約束をさせたと知ったら、オルガは俺を責めるだろう。あれはそういう娘だ。このままオルガの信頼を得たいなら、俺はこれ以上トーナメント関係に手を出すべきではない)


「わかりませんね。先に自分の所有物にすれば、いくらでも命令を聞かせられるのでは?」

「俺の所有物になるかどうかは、おまえの意思に任せる」


 怪訝を示すティア。


「私の意思に?」

「おまえが望むなら、俺がおまえに次の”目的”を与えてやる」


 ティアの表情に変化がさす。


「次の、目的……」

「ただし、きっちりと働いてはもらうぞ。黄柳院へのスパイとしてな」

「なるほど。今度はあなたが、私を道具として使うと」

「そうだ。どうせ、黄柳院へは思い入れなどないんだろう?」

「別にあなたに対しても、深い思い入れなどありませんが」


「俺なら、黄柳院より上手くおまえを使える」


 笑みとまではいかなかったが、ティアの口もとがわずかに緩んだように見えた。


「自己陶酔した保護欲に駆られていない点は評価します。ここで感動ドラマさながらのうっとうしい感情論をぶつけられていたら、私は確実に拒否していたでしょう」

「おまえは人の情を信用していないようだからな」

「当然です。情でつながった関係よりは、使う側と使われる側という関係性の方が明確で信用に足ります。ですが、七崎悠真」

「なんだ?」

「このティア・アクロイドを、あなたは”調教”できますか?」

「さあな。俺は”調教”よりは”共存”を選ぶタチでな。放牧が趣味なんだ」

「……愚問でしたね」

「だが、身の安全は期待していいかもな」

「この件で敵対するのは、あの黄柳院ですよ」

「問題ないさ」


 七崎悠真の奥に潜む蠅の王が、ニヒルで不敵な笑みを浮かべる。するとティアは不意に、冷気を覚えたような表情をした。


「俺の”所有物”に手を出す連中は、どこの誰であろうとタダではおかない。それがたとえ、黄の柳の主であろうともな」


「……黄柳院には覚えなかった恐怖を、今、あなたに感じました。愚問と知りつつ三度みたび聞きます……あなたは、何者なのですか?」


「言ったはずだ。どこにでもいる普通の高校生だと。ただ――」


 悠真は、自分のこめかみを指を添えた。


が少しばかり、普通じゃない」



     ▽



「七崎くんっ!? ななな、何をやっていますのっ!? それと、身体の方はもう大丈夫なんですのっ!?」


 ティアが悠真と身体を密着させる光景を、登校してきた黄柳院オルガが目撃してしまった。


 狼狽はしているが、きちんと悠真の身体を気遣う発言がまじっているあたりがオルガらしい。


 対称的に冷静そのものの顔で、ティアが首を動かす。


「……黄柳院オルガですか」

「朝っぱらからあまり褒められた光景じゃないな、これは……状況を察して、急いで俺の身体から離れてくれるとありがたいんだが」

「思っていたより、アホっぽい娘ですね」

「ティア」


 促す意図で名を呼ぶと、ティアが再び見上げてきた。


「今の離れろというのは、所有物への命令ですか?」


「いいや、だ」


「私があなたのお願いを聞くメリットは、ありますか?」


「……あとで何か食べ物でもおごってやる。何か、好きな食べ物はあるか?」

「ツナマヨおにぎり」

「……好きなのか?」

「無敵です」


 ティアが二本、指を立てた。


(ピースサイン?)


「二個で、手を打ちましょう」


 表情は薄いが、わずかに瞳がキラキラしている。


(たった、二個でいいのか……)


「自分では買えないのか?」

「生活に必要なものを買う以外、自由になるお金はもらえていません。毎日の献立も決められています。それに、これ以上無駄な肉をつけるなと」


 むにぃぃっ


 アピールするように、ティアが胸を押しつけてきた。


 オルガが耳まで紅潮した。


「神聖な学び舎で、は、破廉恥ですわーっ! だ、誰かーっ! し、七崎くんが痴女に襲われていますわーっ!」


 ティアがジト目になる。


「なんと……私が嫌疑をかけられる側ですか。あなたは相当、黄柳院オルガに信頼されているのですね」

「当然だ。日頃の行いがいいからな」

「どこにでもいる普通の高校生は、この状況でそんなに落ち着いた反応はしないと思いますが」

「普通の女子高校生も、男に胸を押しつけてそんなに落ち着いた反応はしないと思うがな」

「…………」


 敗北宣言とばかりに、ティアが息をつく。


「で、取引の正否は?」

「わかった。ツナマヨおにぎり二つだ。ほら、取引が成立したなら離れてくれ。いい加減、オルガが卒倒しそうなんでな」

「はい」


 ティアが離れると、オルガが血相を変えて駆け寄ってきた。オルガは、庇うように悠真の腕をつかんだ。


「一体、何が目的ですのっ!? ティア・アクロイド! まさか、昨日の特例戦の仕返しか何かですのっ!?」

「仕返しも何も、私は七崎悠真の所有物ですから」

「へ?」


(その件はまだオルガには秘密だと、話しておいたはずだが……)


 悠真は無言の圧を送った。平静を装いつつ、ティアが冷や汗を流す。


「……いえ、今のは冗談です。そう、ですね……………………私は特例戦で負けた腹いせに、七崎悠真を性犯罪者に仕立て上げようと、先ほどの行為をしていました」


「…………」

「…………」

「…………」


「ティア」

「……今のも、冗談です」



     ▽



「あの場を綺麗におさめるとはさすがですね、七崎悠真」


 ティア・アクロイドが引っ掻き回した平和な朝は、現在、元の平和を取り戻していた。


 目をぐるぐる回しながら混乱するオルガには、理詰めの淡々とした弁解をしてから、これからティアに少し話があるからと言って先に教室へ行ってもらった。渋々な様子だったが、オルガは「胸の大きさなら負けていませんわ!」と奇妙な対抗意識を燃やした台詞を残し、小走りに立ち去った。


 穏やかな風に揺れる木の葉を眺めながら、悠真は口を開いた。


「俺の方から誘っておいてなんだが……おまえはこれでよかったのか?」


”悪くはありませんね。身軽になった気分です”


 ティアが急に、仏語で返してきた。


”フランス語もいけたのか”

”あなたの英語には、本当にわずかですが、フランス語のニュアンスがまじっていました”

”残念ながら、語学の才には恵まれなくてな”

”まあ、よく聞かなければほぼ確実に気づかない程度のニュアンスですが……昔、あなたはフランスに?”

”……少しばかりな”

”不思議な人ですね。昨日、七崎悠真という人物について個人的に調べてみたのですが……”

”どうだった?”

”綺麗な人生です。私とは比べ物になりません。そして、フランスに住んでいた記録はない。しかもその話し方は、語学学習で身につくレベルではありません”


 彼女が閲覧したのは、久住と氷崎が用意した架空の経歴。


”おまえの閲覧した経歴データには、空白の期間があっただろう”

”ええ”


 七崎悠真の経歴には数年の空白期間が存在する。


 そこを用いればどうとでも言い訳がきくように、真柄が氷崎に頼んで入れてもらったデータである。あの空白はこういう時に役に立つ。見事に七崎悠真と真柄弦十郎の間にある溝を、埋めてくれる。


”その期間、俺はフランスにいた”


「……そうですか」


 ティアの方から、日本語に戻った。


 青々とした新緑のにおいが、鼻を通り抜ける。


 木の葉の擦れ合う音。


 見ると、木漏れ日が地面に溜まっていた。まるで、光が乱反射する水たまりのように。


 陰鬱な誘拐計画や殺害計画の存在など信じられないほどの、凪のような穏やかな風景。


「おまえは、どこに行くつもりだった?」

「何がですか?」

「卒業までオルガのトーナメント優勝を阻止したとして、その後は、どうするつもりだった?」


 落ちてきた葉をティアが器用に指でつまんだ。


「挑戦権を手に入れ、最強の座をかくたるものとするつもりでした」

「挑戦権?」


「黄柳院オルガのトーナメント優勝阻止の報酬は、への挑戦権でしたから」


「彼ら?」

「彼らは殻識生であって、殻識生ではありません。特例戦は行わず、トーナメントにも出場しない――ですが、それも当然でしょう。彼らは、特別すぎる存在なのですから」


 今の言葉で悠真は、ある程度の察しをつけた。


「今そいつらは、西の第二殻識学園に在学しているはずだが」


「彼らは一時的に第二殻識学園の在校生となり、広告塔となっているだけです。ですが時期がくれば、彼らはこの第一殻識学園に帰ってきます」


 ティアが木の葉を手放す。


「そして先日、その”帰省”の時期が早まったと聞きました」

「つまり――」


 この国を裏から総べるヨンマル機関に対し、勢力的な対抗馬として存在する五つの旧家。



 五識家ごしきけ



 全員が同じ年の皐月(五月)に生を受け、そして、その全員が次期当主たる長男という運命的偶然を起こした五人の子ら。


「彼らが、帰ってきます」


 木の葉が宙を舞い、悠真の目と鼻の先を通り過ぎた。




「五識の申し子たちが」





 これにて、第二章は完結となります。お読みくださりありがとうございました。

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