28.ティア・アクロイド
(その膨大な霊素値に黄柳院が目をつけたか……)
ティア・アクロイドは、過去を語り始めた。
「私が生まれた家はとても貧しい家でした。きょうだいもいましたが、私はいつも殴られたり、自分の分の食事をとられたりしていました。ですので、きょうだいへの情もありません。親に対してもです。親は幼い私を殴り、蹴り、昼間は街で物乞いをさせていました」
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ティア・アクロイドは、弱い自分が嫌いだった。
ある時、街で物乞いをしていた幼いティアは、目つきのおかしな男たちに乱暴されそうになった。
恐怖を抱き、反射的に抵抗した。しかし栄養の十分に行き届いていない細い腕や足では、彼女の抵抗など無意味に等しかった。
そうして抵抗しているさなかに発現したのが、霊素の刃。
猛獣じみたモノクロの刃は男たちを容赦なく切り刻んだ。
男たちは肉の切れ端となり、地面に転がった。
ティアの肌はその日、褐色になった。
髪が白く染まり、瞳は琥珀色へと変化した。
両親やきょうだいはティアの変化を気味悪がった。
数日後、大金の入ったトランクを手にしたスーツ姿の男がティアを引き取りたいと家へやって来た。
腐りかけた木のテーブルに積まれた大金。
目を粘っこく輝かせる両親。
こうしてティア・アクロイドは、躊躇なくその身を親に売られたのだった。
ティア・アクロイドは、弱い自分が嫌いだった。
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「この力が、私をあのゴミ溜めからすくい上げたのです」
ティアがこぶしを握り込む。
「強くあり続ければ今よりもマシな環境へ行ける……以来、それが私の不文律となりました」
「まあ、間違ってはいないな」
こぶしを握る力をティアがゆるめた。
「少し変わった人ですね、あなたは」
「そうか?」
悠真はティアの考えに正しさを見い出していた。
力なき孤立者が生き残りたくば、力を得るしかない。
世界に余裕などない。
弱者へ差し伸べられる手の総量は決まっている。
その手をつかめなかった者は、幸運を含んだ力を得るしかないのだ。
闇に閉ざされた道へ光をあてるには、自らの力で闇を振り払うしかない。
孤独であるということは、そういうことだ。
孤独にあろうというのは、そういうことだ。
他者への期待など、抱いてはならない。
決して。
「この話をするとほとんどの者が”かわいそうに”とか”強さだけがこの世界のすべてじゃない”とか、無責任な言葉を口にします。私は理解しました。結局それは、その人がその場だけ気持ちよくなるための言葉であって、そういう人は大抵その後に何も実際的な行動をしません。”思いやり”を持つだけなら、タダですからね」
ティアが侮蔑を含んだ目つきになる。
「思いやりなど、くそくらえ。
思いやりよりは、ひと切れのパンを。
同情よりは、一枚の紙幣を。
言葉だけが立派な人間を、私は侮蔑します。究極を言えば、感情だけを優先した言葉に価値などありません。何かを生み出す結果のみが、この世において価値あるすべてなのです」
(だからこそ、道具としてのみの価値を見い出していた黄柳院とのドライな関係はある意味、この娘にとって好ましかったのかもな……純粋と言えば、純粋な娘だ)
ティアの語る人生の教訓に一定の理解を示しつつ、しかし、悠真は反対の意見も述べておくことにした。
「その人生訓も否定はしないが、おまえの言ったパンや紙幣を与える原動力も、おまえの否定する思いやりなのかもしれない」
「それは大人の詭弁ですね」
「大人は誰もが詭弁家さ。そして誰もが、そんな空想上の”大人”を憎んでる」
「あなたはまるで、大人をわかったような口を利きますね」
「精神年齢という意味では、半分は大人なのかもな」
悠真は姿勢を崩す。
「まあ、俺もおまえの身の上には同情するさ……そんな話を聞けばな。ただし、感情移入はしない。逆に、おまえがさっき毛嫌いした連中はティア・アクロイドに感情移入してくれたのさ。中には多分、普通にイイやつもいる」
「同情と感情移入は、同じものでは?」
「客観と主観の違いだな」
同情は、客観。
感情移入は、主観。
同情は”すべきもの”で、感情移入は”してしまうもの”だ。
だから感情移入ができない真柄弦十郎の方が、冷酷ともいえる。
「同情が、客観?」
「少なくとも俺の中ではそうなってる」
「そんな話、聞いたことがありませんが……あなたの感性は、少し壊れていますね」
「客観的な意見を、どうも」
ティアは若干イラッとした風に唇を結んだ。
「さて、黄柳院がおまえをこの学園に送り込んだ目的だが――」
「黄柳院オルガを、トーナメントで優勝させないためです」
悠真が言うより早く、ティアが答えを口にした。
「おまえのような殻性者がいれば、並大抵の殻識生では歯が立たないだろうしな……聞くだけ聞くが、そいつは黄柳院総牛の意思か?」
「私の飼い主の名は、黄柳院総牛ではありません」
(糸を引いていたのは、現当主の総牛ではない? オルガのトーナメント優勝を阻もうとしているのは、父親の意思ではないのか?)
「私の飼い主は、黄柳院皇龍です」
「黄柳院皇龍、か」
黄柳院家の前当主。
オルガにとっては、祖父にあたる人物だ。
(これで違和感の正体が一つわかったな……オルガを家から遠ざけようとする意思と、オルガを守ろうとする意思が同時に存在していた意味が)
瞬時に悠真が弾き出した推測はこうだ。
祖父の皇龍はオルガを黄柳院の家から遠ざけようとし、父の総牛はオルガを守ろうとしている。
ただしいまだに前当主の祖父の影響力は強く、現当主である総牛であっても前当主の皇龍には表立って逆らえない。
オルガを家から遠ざけようとする皇龍の方が、黄柳院家の中ではいまだに強い権力を持っているのだ。
ゆえに総牛によるオルガへの支援や監視警護はあるものの、皇龍の目があるために、決して足るとは言えない状態となってしまっているのだろう。
(しかし皇龍のやり方は、オルガの命まで取ろうとしているようには見えない……オルガの存在そのものを消したいのなら、こんな嫌がらせのようなトーナメントの優勝潰しをする必要はない……黄柳院家の前当主が主導するなら、もっと確実な方法が取れるはずだ)
つまりオルガを殺そうとしている勢力は、また別に存在していると考えられる。
(そこに加え、純霊素が目的でオルガを攫おうとしている勢力か……やれやれ……ずいぶんな人気者だな、オルガ)
「しかし、今回の一件で私の価値に影響が出たのは事実でしょうね。私はもう、黄柳院にとってはキズモノになりましたから」
ティアのその言葉に悠真は否定を返す。
「そうかな? オルガの優勝を阻止する役目は、まだ続行可能だろう」
「……それは、そうですが」
「黄柳院皇龍のことだ。おまえが思っているほど、一度きりのチンケな特例戦の結果になんざ興味はないだろうさ」
「今の言いぶり……黄柳院皇龍と面識が?」
「深い仲というわけじゃない。向こうも俺など知らんだろう。ただし、人物像は知っている」
眉根を寄せるティア。
「本当にあなたは、何者なのですか?」
「どこにでもいる、普通の高校生だ」
「……愚問でしたね」
(普通、か)
悠真はティアを見ずに聞いた。
「おまえは自分を特別だと思うか?」
ティアは気の抜けた表情をした。そこには、かすかに自嘲と皮肉がまじっていた。
「特別でした。しかし最強の座を手放した今は、もうエネルギーの源泉が尽きた気分で……飼い主の名をあなたに教えたのも、自分の存在証明を失って自暴自棄になっている証拠なのかもしれません。なんというか……途端に、人生の意味を見失った感じなのです」
声に力がなかった。
「むしろあの”声”こそが、ティア・アクロイドのすべてだったのかもしれません。思えば、最強であり続けること以外……」
抜け殻のような表情でティアが天井を眺める。
「私には、何もなかったのですね」
何もないからこそ、最強という”目的”を求め続けるもう一人の自分を彼女は作り出していたのかもしれない。
今まで力しか信じられるものがなかったから。
(やれやれ……最強を奪い取った責任くらいは、取るべきか……)
「一つ提案がある、ティア・アクロイド」
「提案?」
「物品扱いには慣れていると言ったな?」
悠真は淡々と告げた。
「今日から、俺の所有物になれ」