26.ソード・オブ・ベルゼビュート
△
昨日、七崎悠真は斑鳩にもう一つ頼みごとをしていた。
リストを呼び出しソード型コモンウェポンを選別している斑鳩へ、悠真はもう一つの頼みごとを伝えた。
「悪いが、コモンウェポンの霊素値……攻撃力の調整も頼みたい」
「ん? 要するに、コモンウェポンの攻撃力を引き上げるってことかい? うーむ、そいつはなかなか難しい注文だな。今のところ、どうしてもコモンウェポンには限界があるからね。だから、望みに応えられるかというと――」
「いや、逆だ」
「逆?」
「攻撃力を下げてもらいたい」
斑鳩は数秒、思考を停止していた。
「なんだって? 攻撃力を下げる? あのティア・アクロイド相手にかい?」
「ああ、そうだ。それと……ティア・アクロイドの過去データから、あの娘の魂殻の最大防御値を可能な限り算出してもらいたい」
HALが捉えていた放課後の蘇芳十色との戦闘映像からも、得られるデータがあるはずだ。
「戦う相手の防御値を知りたいっていうのはわかるけどね……しかし、あえて攻撃力を下げるっていうのは……」
斑鳩が、ふぅむ、と唸る。
「まあ君のことだ。何か考えがあるんだろう。で、あえて攻撃力を下げる理由を聞いても?」
悠真は巻いてあった包帯をほどき、小指をみせた。
「その指……」
小指は腫れ上がり、内出血を起こしている。
「意識的に威力を抑えて試してみたんだが、七崎悠真の身体では見ての通りだった」
包帯を巻き直す。
「それでも今回は、こいつを使わざるをえない相手らしい」
「なるほど。身体への負荷を抑えるために、攻撃力を削るってわけか」
「少し、違うな」
悠真は蠅の王の貌を覗かせ、真相を告ぐ。
「これは、ティア・アクロイドを殺してしまわないための処置だ」
▽
イメージは、糸。
糸を束ね、最終的にはイメージを一本の弦へと仕立てあげる。
開始点は、足。
エネルギーの最大点に到達した時に”弦”は完成する。
開始点に生じたエネルギーを”1”とする。
体内で糸を紡ぎ、束ね、段階的に糸の強度を上げていく。
足の底から、膝、もも、腰、腹、胸へと、糸は太さを増しながら紡がれていく。
剣を握る右腕を目指し。
最初に発生した”1”のエネルギーは”2”へ。
さらにその”2”は”32”へ。
右腕の先に達する頃、足の底で生まれたエネルギーは、数百倍にまで跳ね上がっている。
あとはインパクトの瞬間に、その膨張したエネルギーを解き放つだけ。
業の名を”極弦”。
極へ達するこの弦を紡ぐための最初のトリガーが、剣型の武器であった。
しかし問題もある。剣型の武器を使用すると、この弦が無意識に紡がれてしまう。トリガーが意図せず引かれてしまうのだ。
ゆえに剣を使用する相手は、選ばねばならない。
かつて”極弦”を知る者はこう言った。
『人体の理を超えたその技は、まさに必殺と呼べるだろう。だが、その必殺の性質ゆえに扱いに困る技とも言える』
必殺。
自らの制御で命の保証を発行できない凶の技。
それが”極弦”の撃である。
必殺を成立せしめるこの弦を、真柄弦十郎は最大十本まで紡ぐことができた。
ただし先日の試用感覚からすると、七崎悠真の身体では、おそらくは最大で七本が限界。しかも最大数を紡げば、七崎悠真の身体は修復不能なまでに破壊されるだろう。ティア・アクロイドの生存率も急激に低下する。
だからこの特例戦で紡ぐのは、三本まで。この本数が、七崎悠真の身体を今後も存続させるための限界本数。真柄弦十郎の身体であれば、連続で数時間放ち続けても、三本であれば身体への影響は皆無に等しい。
しかし七崎悠真の身体では、一撃が限度。
十分。
足から、右腕を目指す一本。
左手から、足を目指す一本。
左手と足の両点から、腰を目指す一本。
王は、三の弦をもって――嵐巻き起こす黒き聖騎士を、討つ。
――ミシッ――
七崎悠真の身体が、糸を紡ぐ過程で軋みを上げた。
(三本紡げれば上等だ、七崎悠真)
弦は、極へ。
超高圧縮の霊素刃を今まさに放たんと、ティア・アクロイドの腕が駆動を開始。
隙を見つけるのも機先を制すのも至難の強の者。
だが――糸辿る道筋は、すでに視えている。
蠅王の剣はすでに己が意識の敷いた王の道筋を、ただ、なぞるだけでいい。
◇
ティア・アクロイドは、なぜ自分が七崎悠真に戦いを挑んだのかを、改めて問い直していた。
今、七崎悠真は剣を構えている。
彼が今手にしているものは、勝利を与えぬ剣。
次にティアが攻撃を仕掛ければ、この特例戦は 終結 となる。
だから、この問い直しは、無駄な思考といえる。
しかしとめどなく溢れ出る感情が、思考の弁に詰まった迷いを押し出した。
なぜ自分は七崎悠真に戦いを挑んだのか?
楽しめる相手だと思ったから?
違う。
否定であり肯定。
最初は楽しめそうな相手だと感じた。
戦いを望んだ。
今の殻識学園で唯一、自分の望む楽しい光景を見せてくれそうな男だと思った。
しかし思い返せば、もう一つ、自分の中には別の感情が生まれていた気がした。
それは、漠然とした恐怖。
戦いを急いだのはなぜか?
ティア・アクロイドが特例戦の日を急いだのは、なぜか?
その恐怖を、一刻も早く、この手にある黒と白の刃で打ち払いたかったからではないか?
ある夜ティアは、食い入るように《不死なる白銀王》と七崎悠真の特例戦を観ていた。
七崎悠真は、何かが不吉だった。
直感的に、聖騎士として息の根を止めるべきだと思った。
そうしなければ、いずれ自らの王国が侵略されてしまう気がしたからだ。
自らの王であること。
それがティア・アクロイドの存在証明。
精神の王国。
(私は一体、あの男の何の影に心を乱されていたというのでしょうか……)
渦巻く感情が、絶対命令として七崎悠真との戦いを急がせた。
「――――ッ」
ティアは意識から 靄 を取り払い、気を取り直す。
(ありえません)
――両手の霊刃を、最大出力に――
ありえない。
(勝つのは、この私……聖なる影に、怯えるのは――)
解放。
(どう見ても悪魔の方です、七崎、悠――――)
「――――――――」
それは、刹那と呼べるほどの 空隙 だった。
意識に一本の白い閃光が走ったかと思ったその瞬間、味わったことのない未知の衝撃が、ティア・アクロイドの身体を襲った。
(――――、……………………え?)
気づくと頬に硬い感触。
魂殻が解除される感覚が続く。
意識がトぶ直前、自分は攻撃を仕掛けたはずだ。
仕掛けた側だったはずだ。
(突如として出現した強烈な衝撃に、打たれた……?)
例えば、意識外からスピードの出ている車にでも引かれたら、あんな唐突な衝撃の感覚を味わうのだろうか?
(一撃……? この私が、まさかたった一撃で沈んだとでも……? 何に? あの男に私は、何をされたのですか? この目で追えぬ速度の攻撃が、この世にまだ存在していたなど……)
「ぁッ……ぅ……ぐ……」
ヒューッ、ヒューッ
口からは声にならない苦しげな息が、たよりなく漏れるだけ。
むしろいま意識を保てているのが、不思議なくらいだった。
「おまえの魂殻には、俺の想像以上の防御力があったらしいな……そこは嬉しい誤算だった」
「あっ――」
あごを持ち上げ、頭上を仰ぐ。
口もとから血を流す黒き影の王が、立っていた。
会場の歓声が巨大な波へ移り変わってゆく中、HALが勝者の名を告げる。
『勝者、七崎悠真』
◇
全身の痛みは、ひどいものだった。
右腕は文句と悲鳴の大合唱となっている。右手の指は総じて動かない。
蘇芳十色の時と同じ甘えの感情が、かすかに悠真の胸の内に湧き上がる。ここで気を失って倒れていいなら、どんなに楽だろうか。
(ここで気絶したら、オルガの胃に穴が空くかもしれんしな。それに、格好もつくまい……しかし――)
ボロボロになった右手を眺める。
(どうにか全壊は免れたらしい)
遠のいていた歓声が耳へ戻ってくる。ほとんどの観客が驚愕と興奮を帯びた言葉を発していた。
ふと、蘇芳十色と目が合う。
一瞬だけ口もとを綻ばせていた気がした十色だったが、悠真と目が合うと口もとを斜めにし、もう用事は済んだとばかりにいち早く試合場から立ち去った。
オルガは席から立ち上がり、胸の前で手を組み合わせていた。それほどこの試合中に気を張りつめさせていたのか、その目もとには涙が光っている。
「し、ちさ、きっ……ゆぅ、ま……っ!」
床を這うティアが意識を取り戻し、立ち上がろうとしていた。
(三本の撃とはいえ、”極弦”の一撃を受けたにもかかわらずもう意識を取り戻したか……大した娘だ)
悠真は手を差し伸べかけたが、途中でやめた。ティアが、再び意識を失ったからだ。
ティアが、HALの指示で駆けつけた救護員に運ばれていく。
悠真は試合場からティアが運ばれていくのを見届けると、戦台に落ちていた剣を、まだ痺れの残る左手で拾う。
剣には、ヒビが走っていた。
(だがこれで、一つ確証へと近づいた)
悠真はティア・アクロイドの戦闘能力を思い返しながら、剣の柄を左手で握り込む。
(殻識生としては規格外の霊素値を持ち、そして――)
――ピシッ――
(過剰にトーナメントにこだわる人物)
ヒビが一本、剣身に追加された。
(誰をトーナメントで優勝させないために送り込まれたかは、もはや、ほぼ明白だろう)




