22.アンバランス
「ではまた明日、七崎くんっ」
「ああ、またな」
その日の放課後、悠真はオルガと昇降口の前で別れた。
(オルガも出会った頃よりだいぶ表情がやわらかくなったな……逆に言えば、それほど張りつめた学園生活を送っていたということか)
久住たちと飲んだ翌日は何ごともなく過ぎ去った。
ここまでは。
昨夜、氷崎から受け取ったデータ。
帰宅後から寝るまでの時間ですべてをチェックできたわけではないが、御子神一也のデータには優先的に目を通した。
御子神の右腕には、彼自身の持つ霊素とは違う性質を持った霊素反応が確認されていた。
(要するにあの右腕は、御子神一也にとっては異物なわけだ。そして、右腕の変異時の反応からして本人に自覚はなかった……他の何者かの意図が働いているのは明白だろう)
狙いはわかりやすい。
黄柳院オルガだ。
あの変異タイミングからして、オルガの霊素に反応して攻撃が行われるようにされていたのはほぼ確実。
オルガと御子神の特例戦を見て、その可能性は考慮していた。
しかし御子神の腕の変異への反応が演技でなければ、彼は右腕について何も知らされていなかったことになる。
(殺害に至る危険性はあった。オルガの純霊素を狙っている者が裏で糸を引いているのなら、誘拐ではなく殺害までいくのはいき過ぎに思えるな……)
死体に霊素が残存する確率はゼロに等しい。一部の学者が提唱する通り霊素が魂を形成する要素だとすれば、死後に霊素を失うのは筋が通っている。
死者は霊素を持たない。
(だから、オルガを殺せば純霊素は手に入らない。オルガの命を狙っている別の勢力がいる、ということか?)
黄柳院オルガの死自体を目的とする何者かがいる。
御子神一也のデータの中には、一つ気になる情報があった。それは氷崎が自力で探ってくれた情報で、学園のデータベースには存在していない情報である。
御子神の魂殻のメンテナンスを行っている企業の名は”QOS”。
(キュオスは魂殻関係の事業を主力に据えている企業だな……昨日軽く調べたところでは、不振続きのドン底から一転、最近になってようやく復活の兆しが見えた企業という印象だが……)
魂殻の技術が話題になり始めた頃は、新世代の技術の分野で先行すべく、誰もがこぞってその分野に参入しようとしていた。どの世界でも先行者の利益は大きい。ただし同時に、夢破れた死体も数多く転がっていた。
(結局、三賢人とのコネクションと恩恵を得られた企業だけが生き残ったわけだが……その流れの中で死に体となっていた企業の一つが、キュオス……)
殻識学園の生徒が使用している魂殻の開発およびメンテナンスを行っているのは、二葉重工。二葉重工が、旧財閥体を背後に抱えた企業なのは周知の事実である。
一方、キュオスは旧財閥体とのつながりを持たない企業。
(このところのキュオスの復活劇の起爆剤は、少ない霊素で大きなエネルギーを生み出せる新技術の開発、だったか)
たとえるなら、他の企業の車よりも格段に燃費がよい車を開発したようなものだ。
最近はその技術を盛り込んだ新世代型の魂殻開発をアピールしているせいか、株価もかなり上がってるようだ。
(しかし純霊素の性質次第では、せっかくの新技術も無用の長物になりかねない、か)
キュオスからすれば、新エネルギーの存在は脅威であろう。
もし純霊素が抽出可能なものだとして、たとえば”コモンウェポンの性能ですら格段に引き上げられるスーパー霊素”などという話になれば、話題性という意味でも、ようやく手に入れかけた栄光に影がさすのは間違いない。
その脅威は未知数ではあるものの、キュオスからすれば、放置しておくにはあまりにも危険な存在である。
表に出るものはほとんどないが、傭兵時代に企業同士の利益を巡る暗闘は何度も経験している。その中には、企業が利益のために人の命を簡単に奪うケースも存在していた。
(しかしこの仮説には一つ弱点がある……家から不遇な扱いを受ける腹違いの娘とはいえ、あの黄柳院の人間に手を出すのはリスクが大きすぎる……いや、だからこその御子神一也だったのか?)
キュオスと御子神一也とのつながりは三賢人の一人”黒雹”が探りを入れて、ようやく出てきた情報だ。普通に探っても、まず辿りつけまい。
(何より、今は証拠らしい証拠がない。キュオスはあくまで転入前から御子神一也の魂殻管理に関わっていた、というだけだ)
御子神一也の件は、あのアイでも苦戦する相手だ。キュオスは存外、隠ぺい能力の高い企業なのかもしれない。
いずれにせよ、オルガを狙う勢力が一つではない可能性が出てきた。これは十分頭に叩き込んでおくべきだろう。
(まあ御子神一也とキュオスのつながりくらい、アイならもう辿り着いているかもしれないがな。ふむ、俺の方も余裕があればキュオスには探りを入れてみるべきか……ただ――)
悠真は思考を広げながら、学園の本棟裏の方へと歩いていた。
今日は、ずっと何者かの視線を感じていた。
(こちらの方を、先に片づけるべきかもな)
「今日はずいぶんと俺に興味を持ってくれているようだが、何か用か?」
校舎の角の向こう側。
気配を消す技術はかなりのものだ。
「さすがですね、七崎悠真」
角から姿を現したのは、小柄な女生徒。
顔立ちは整っているが、表情のせいか感情が薄く感じられる。
褐色の肌。白に近い銀髪。その銀髪を結ぶ白のラインが入った黒いリボン。
ひと際目を引くのは、その鮮やかな琥珀色の瞳であろう。
(あの、瞳の色は……)
細身ではあるが、身体つきは健康的で引き締まっている。脚には黒のニーソックスを穿いていた。
どことなく音のない冬の日本庭園に降り積る雪のような静かな上品さを覚える。しかし一方で、どこかケモノじみた、挑発的な誘いのニオイも放っていた。
制服のネクタイの色は黄。
(俺やオルガと同じ二年生か。しかし制服を着ていないと、小学校を出たばかりと言われても信じてしまいそうだが――)
女生徒がトコトコと歩み寄り、立ち止まる。
「私のことは、ご存じでしょうか?」
(顔立ちや体格はともかく、落ち着いた話し方のせいか、立ち振る舞いは逆に大人のそれだな……奇妙で、アンバランスな娘だ)
「朝と休み時間……それと、昼休みにも俺の様子をうかがっていたな?」
「それは認めましょう」
「おまえの顔にも、見覚えがある」
一応、調べてはいた。
「学内ランキング一位、ティア・アクロイド」
「ご存じいただけたようで助かりました。無駄なやり取りは極力省きたいタチですので。自己紹介という形式も多くは無駄な手間です。どこかで会員証を作るたびに、何度も何度も名前や住所や年齢を書くのが、私は大の嫌いです」
「流暢な日本語だな。育ちはこの国か?」
”母国語で話しかけても、ほとんどの人は困った顔をします。この国には《郷に入れば郷に従え》という言葉があります。多様性を大事にすると主張するわりには、意外と押しつけがましい国です”
「…………」
”こちらがあなたがたにわざわざ合わせているのが、わかりませんか? ほら、今のあなただって、同じような――”
”その言葉、米語ではないな。英国のイントネーションがある。生まれは、英国か?”
英語での会話を中断し、ティアが口をつぐむ。
「……日本語で、けっこうです。ええ、生まれはイギリスですよ」
「不服そうな顔だな……ああ、無駄なやり取りが嫌いなんだったか。すまなかった」
「あなたこそ、堪能な英語ですね」
「一時期、欧州にいた」
ティアが訝しそうに片目を細める。
「何歳の頃ですか?」
「若い頃」
ティアの表情にはかすかな変化が出ていた。
(多少の揺さぶりは効く相手、か。そのあたりは、年相応と見てよさそうだな。さて……どうも、この娘――)
瞳の光から悠真は、ティアの意図を読み取っていた。
「俺と、ヤりたいのか?」
ティアは手を腰にあてると、腰をかすかに捻り、立ち姿を変えた。悠真よりかなり小柄であるのに、人を見下ろすような独特の風格が出ていた。
「話が早くて、助かります」
「口で言わずとも、目がヤりたがっているからな。今すぐにでも、と言わんばかりの目だ」
「わかるものですか」
悠真は、双眸を細めた。
「戦闘狂か」
「あなたと蘇芳十色の特例戦の録画映像を、見ました」
戦闘狂という評には肯定も否定もせず、ティアはスルーして続けた。
「登校するのは、もう今後は卒業式とトーナメントだけでよいかと思っていましたが……先日の試合を見たあと、七崎悠真と戦いたいと強く感じました。そこで本日、久々の登校となったわけです」
「一つ聞いても?」
「ええ、無駄話でなければ」
「過去の試合に閲覧不可申請を出したのは、なぜだ?」
「愚問ですね」
愚かな問いと、ティアは斬って捨てた。
「私を楽しませてくれそうな実力者がせっかく転入してきても――私の試合の録画を観て、戦う前におじけづかれてはつまらないからです」
(勝利ではなく、戦いそのものを楽しむタイプか? いや、違うな……これは自分が勝つことが、当然の前提となっているタイプだ)
「戦いもせずに白旗を上げられるのは、非常に不快です」
わずかにあごを傾け、自然な威圧をまとうティア。
「前回トーナメントでの決勝戦の、蘇芳十色のように」
というわけで、ようやく連載の再開ができました。期間があいてしまい申し訳ございません。若干余裕ができたので、今は少しずつ執筆を進めている状態です。この『ソード・オブ・ベルゼビュート』は少なくとも一旦第二章の終わりまでは書き切るつもりですので、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。




