21.その月はとても美しく
「それこそ君の学園生活の方はどうなんだ、真柄?」
やや声量を落として、久住が尋ねた。氷崎と二人で行ったバーと違って個室なので、護衛任務関係の話も多少はしやすい。
「悪くはないな……学園生活を、やり直している感じだ」
「わたしの知る限り、穏やかな学園生活とは言えないようだがね。なんといっても転入早々、ランキング上位を二名も倒してしまったのだから……あの霊素値で彼らとあそこまで戦えたのは、君だからだろうね」
「特例戦を含めて、派手にやっているのは護衛任務の一環だがな」
実のところ個人的な感情も少々交じっている。そこは、真柄自身も認めていた。
焼酎をチビチビ飲みながら、久住が聞く。
「護衛対象との関係はどうだ?」
「悪くはないと思っている。やりやすい相手と言えば、やりやすい相手だ」
その一方で、真柄が調子を狂わされる珍しいタイプでもあるが。
しみじみした顔をする久住。
「個人的な要望で悪いんだが……日常面でも、可能な限り黄柳院オルガの力になってもらえると嬉しい」
「オルガとおまえに、何か個人的なつながりが?」
「いや……彼女の置かれた立場を考えると、わたしなりに不憫と感じるところもあってな。特例戦を無条件で受けるという話は知っているが、なんというかな、生き急いでいるような印象があるんだよ……おそらく彼女なりに、黄柳院の名にふさわしくあろうとしているんだろうが……」
久住は、例の取り決めを知らない。それでも彼女はことの本質に近い洞察をしていた。
(久住とその上司の腫れ物に触るような黄柳院側への対応……やはりこの任務、ヨンマル機関の意思によるものではないと見てよさそうか)
とすれば、誰かの個人的な理由による依頼なのだろうか。
その依頼を持ちかけた人物がここにいる。本来なら、ここでもっと護衛任務に関する話をするべきなのだろう。
しかし、真柄としては護衛関連ではなく、むしろ久住と個人的な話がしたかった。彼女の多忙さを考えると、次に二人きりで時間を取れる機会がいつになるかわからない。それに、護衛関連の方は氷崎からバーで受け取ったデータがあるので、今日の収穫としてはもう十分――自分にそう言い訳をしてみる。
「その、久住」
久住が焼酎をおかわりし、視線をこちらへ戻した。
「ん? どうした? 珍しく、言い出しづらそうな顔だね?」
「ん……プライベートに踏み入るような質問で、悪いんだが……その、だな……」
「君らしくもないな。一体、何を言い淀んでいるんだ。わたしと君の仲じゃないか。どんな質問でも、ドンときたまえ」
「そうか。なら、聞くが……今、独り身か?」
「へ?」
ばつが悪くなって、真柄はウーロン茶に口をつけた。
「悪い……今のは、忘れてくれ」
しかし、久住に気分を害した様子はない。彼女は姿勢を崩しながら微笑んだ。その崩した姿勢が、やけに色っぽく映った。
「ふん……ヨンマルと学園の長を掛け持ちしている人間に、生活にそんな種類の色をつける暇はないよ。大学を中退してから、わたしはずっとヨンマルで働きづめだったからね……機関の特質上パートナーのいる人間も少ないと聞いているし、これは仕方あるまい。無論、独り身さ」
「……そう、か」
「そういう君の方はどうなんだ?」
「俺か?」
質問の前に、久住がくいっと残っていた焼酎を飲み干す。
「ふぅ……ええっと、結婚は?」
「一度もしていない」
「予定者は?」
「あいにく、予定者にも縁がなくてな」
真柄は即答した。
「え? そうなのか? 君なら、その……そういう関係の者が途切れずそばにいたとしても、驚かないが……」
「俺も俺で、そこそこ忙しい身の上だからな。任務上、夫や恋人を装うことはあったが」
久住が焼酎を飲みながら、自嘲気味に鼻を鳴らす。
「お互い、仕事が恋人か」
「……俺はどうせなら、そういう関係を一人の相手と築いていきたいと思っている。少なくとも、二人以上の相手と同時にというのは好かなくてな」
「ふふ、君ならいずれ現れるさ……きっと、ふさわしい相手が」
真柄は迷った。傭兵時代ですら、これほど迷ったことはなかったと記憶している。
「久住」
「ん?」
「もし、だぞ?」
「ああ」
「俺がそうなりたい相手が今、近くにいるとしたら――」
ガンッ!
卓上の食器が、わずかに跳ねた。
久住が前へ倒れ込み、彼女の額がテーブルに直撃したのだ。
「ぅ、ぐ……す、すまん……もう一度、言ってくれないか……? にゃんだが、頭がくらくらして……実はよく、聞こえらかった……ええっと……そういう関係は、一人の相手と築いていきたいん、だった、な……偉いな、真柄、は……ぅっ――すま、ん……気分が、悪い……」
しまった。
三本の焼酎ビンを認識し、真柄は自分の迂闊さに気づいた。
久住彩月はアルコールに弱いのだ。
まったく飲めないわけではないのだが、あの焼酎だと、許容量はひとビンまでだっただろう。
それが、三本。
会話に意識を集中しすぎていたせいで、いつの間にか久住の酒の量が加速しているのに気づかなかった。大失態である。
学生時代は主に氷崎が久住の酒の量をコントロールしていた。そして最初の頃は氷崎がいた。だから氷崎がいなくなったあとも、そのまま油断を引きずってしまったようだ。
(とはいえ、だからといって言い訳にもならんな……しかし、久住も自分の酒の弱さは知っているはずなのに、どうして次々と酒を入れたんだ……?)
「悪かった久住。酒の量が増えているのに、気づかなくて」
耳まで真っ赤になった久住が、ゆるく手をあげた。
「いぃや、わたしこそしゅまん……気ぢゅいたら、どんどん飲みしゅしゅめていた……あぅぁぁ〜……イイ年をしてわたしは、何をやっているんらぁ……」
真柄はひとまず残っていた自分のウーロン茶を久住にやってから、店員に水を頼んだ。
ぽやっとした顔になっている久住の色香にはいささか感じ入るものがあったが、今は介抱が先決だ。
「しっかりしろ、久住」
久住が手だけふらふらさせる。
「……らいじょうぶだ、もんらいらい」
(だめだな、これは)
呂律が怪しくなっていた。
「とりあえず、水を飲め。きついようなら、横になっていていい。無理はするなよ? 他のことは俺がやっておくから……今は、気が楽になることだけを考えろ」
「うぅ〜……しゅまん、げんりゅーろー……」
(……弦十郎、か)
「さて――」
(今の久住の家を、俺は知らない……そういえばここに来る途中に見たが、すぐ近くに公園があったな……そこへ行ってひとまず休ませつつ、夜風にあたらせるか……?)
その時、着信が入った。
(……氷崎?)
「どうした、何か忘れ物か?」
『忘れ物っていうより、ちょっと確認……彩月、酔っぱらってないかなと思って』
「……ビンゴだ」
『ふふ、やっぱりね』
「やっぱり?」
『あの子、罪悪感を和らげる必要がある時には多分、お酒を飲むと思ったから……案の定、許容量超えちゃったか』
(罪悪感?)
「こうなるのを、予想していたのか?」
『というか真柄君、アタシが気を遣って出たの気づいてたわよね?』
「……まあな。氷崎も遠慮しすぎだとは思ったが、感謝はしている」
『ま、彩月のためでもあるしね。それで、彩月のことなんだけど……どうする?』
「どういう意味だ?」
『真柄君がお持ち帰りしちゃう? 真柄君なら、彩月も納得すると思うけど』
「そういう流れは、俺の趣味じゃない」
『ふふ、そう言うと思ったわ。それじゃあ……そのお店のすぐ近くに、公園があるんだけど』
「場所は把握している」
『ああ、なら話は早いわね。アタシがそこで君たちを拾っていくから、そこまで二人で来てもらえる?』
「この展開を読んでたのか、氷崎?」
『確率的にありえると思ってただけよ。これは、観測のお電話』
「なるほどな。助かるが……車か?」
『ええ、自慢の愛車でございます』
「おまえも、アルコールが入っていたと思うが」
『殻識島限定だけど、ようやく流行し始めた自動運転ってやつ。運転代行業者を脅かす、黒船ね』
「……今から店を出て、公園に向かう」
『おつかれさま、真柄君』
途中の道が混み合っているので、少し時間がかかるかもしれないとのことだ。
真柄は支払いを終えると、店員に頼んでビニール袋をもらった。
店員に礼を言い、久住の腰を腕で支えながら店を出る。
外気には冷たさがまじっていた。火照りを冷ますのには、ちょうどいいだろう。
「うぅぅ……吐いたらすまん、真柄……」
「吐きたかったら遠慮なくこの袋に吐け」
久住はぐったりしていた。
「うぅ、情けないよ……学生時代からわたしは、何も進歩していないらしい……」
「気にしなくていい。他では、しっかりやってるだろ」
「その優しさに甘える自分が、わたしは――う、ぷっ!?」
「ほら……無理をするな」
背中をさすってやる。
「俺と氷崎の前では、何も気にしなくていい……吐き気の方は、大丈夫そうか?」
「……うん」
仰ぎ見れば、夜空は晴れ渡っていた。澄み切った空に浮かぶ白銀に彩られた月が、とても美しい。空を見上げながら、真柄は言った。
「今日は、月が綺麗だ」
いつもお読みくださりありがとうございます。
実はしばらく書く時間が取れそうにないため、数日、連載を休止いたします。来週中には再開したいと考えていますので、少しお待ちいただけますと幸いです。
次話からは、舞台の中心はまた学園へ戻る予定となっています。