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ソード・オブ・ベルゼビュート  作者: 篠崎芳
第二章 SOB シェルターズフィールド ネクストステージ
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19.過去はいつも輝いて


 氷崎の指定した店は、中心街にほど近い場所にある小洒落たバーだった。


 下品でやかましいタイプの半地下のバーには過去に何度も足を踏み入れた経験があるが、こういう品のあるバーにはあまり足を踏み入れない。まれにドレスコードのあるバーも存在するため、服装は一応フォーマルを意識してきた。しかし真柄の場合、そういう店でくつろげた経験があまりなかった。正直、マガラワークスの従業員たちとたまに行く小料理屋の方が気楽である。


 店に入ると、氷崎はもう到着していた。


 今日の氷崎は黒のドレスを着ていた。ただしドレスと言っても派手派手しいものではない。ノースリーブで肩こそ露出しているものの、比較的落ち着いた雰囲気のドレスである。あの程度なら、街を歩いていても風景に溶け込めるであろう。だが、スカートのあの深いスリットだけは一部の人間の目を引きつけてしまうかもしれないが。


姿で会うのは久しぶりね、真柄君」


 前回会った時は、斑鳩透の素体に入っている氷崎小夜子だった。よく考えてみれば実際に”氷崎小夜子”と再会したのはこれが初めてとも言える。


 さほど違和感を覚えなかったのは、久住と同じで昔と比べてもあまり外見の変化がなかったせいだろう。


 片目が隠れがちになるヘアスタイルも変わっていないし、年齢にそぐわないと当時感じた独特の妖艶さも変わっていない。顔立ちは昔から久住よりやや穏やかな印象がある。もし容姿を活かす道へ進んでも十分に成功したであろうと思うほどには、容姿端麗な人物である。


 学生時代は彼女が久住と二人でいると、よく男の学生たちからナンパされていたそうだ。そういう時は戸惑う久住と対照的に、あしらいに長けた氷崎が器用に追っ払っていたと聞いた。


「先にバーだと順序が逆な気もするけど、大丈夫だったかしら?」

「かまわないさ。少し腹に入れてきたしな」


 しかしそう言ってから、真柄弦十郎の胃袋には何も入れていないことに気づく。


(そうか、オルガの作った担担麺は七崎悠真の胃におさまっているんだったな……まあ一、二杯程度なら問題あるまい)


 バーカウンターの席に座る氷崎の隣に腰を降ろすと、真柄はバーボンの水割りを頼んだ。氷崎が続く。


「じゃあアタシは、オレンジブロッサムを」


 注文した酒が出てくると、軽くグラスを傾けて再会を祝した。


 とりあえず、一段落した空気が流れる。


「久々の再会のはずなのに、あまり久々な気がしないな」

「一度、男として会ってるしね」

「久住もだが、おまえも昔とあまり変わらないな」

「これでも変わらないよう、アタシなりに努力してるのよ?」

「得意の科学でそこもどうにかならないのか?」

「アタシは年を取るのも楽しむ方の人種だからねぇ……年を取るたびにできることとできないことが変わっていくのって、けっこう面白いものよ?」

「しかし、外見の若さは保っているようだが」


 冗談っぽく返す氷崎。


「そりゃあ女だもの。当然でしょ?」


 クールに微笑むと氷崎はタバコのパッケージを取り出し、口に一本咥える。


「あ――真柄君って、吸っても大丈夫な人だったかしら?」

「慣れてる。遠慮なく吸ってくれ」


 ライターを取り出した氷崎の表情が曇った。


「あらやだ、ガス欠」


 真柄は、懐から取り出したジッポライターで火をつけた。


「あら? ありがと、真柄君。えらく準備がいいわね」

「まあな」

「彩月のためでしょ?」

「……まあな」


 バーにしたのも、喫煙しやすい場所だからだろうか。


 氷崎が紫煙を吐き出す。


「今日はごめんなさいね」

「何がだ?」

「ほんとは真柄君、彩月と二人きりで食事したかったでしょ?」

「否定はしないさ」


(とはいえ誘ったのは久住だから、氷崎が謝ることでもないがな……)


「まあ、おまえともゆっくり話す時間がほしかったのも事実だ。久住も言っていたが、おまえたちと三人で過ごす時間は俺も嫌いじゃなかった」

「アタシと二人きりで過ごすのは?」

「悪くはないが、久住よりは落ちるな」


 愉快そうに笑う氷崎。


「あははっ、真柄君ってそういうところ明快だからほんと好きだわっ」


 氷崎がカクテルに口をつける。


「あなたも、中身はあまり変わってない印象だけどね……ま、蠅の王様になった時代の話はあえてアタシの方からは触れないでおくわ。真柄君も、そんな積極的には話したくないみたいだし」

「忌避感はないが、面白い話でもないからな」

「ま、アタシが黒い雹に至った話も別に面白い話ではないしね。そこは、お互い様かも……でも、あなたがあの”ベルゼビュート”だと知った時は、普通に驚いたけど」

「色々あるのさ、俺にも」

「らしいわね。昔と比べて、影の濃さが違うもの」

「影の濃さ、か……詩的だな」


 皮肉っぽく、細く煙を吐き出す氷崎。


論理ロジックの世界の果てにあるのは、詩的な世界やオカルトが常よ」

「オカルトと言えば、霊素は科学の範疇なのか?」

「個人的には、観測されたファンタジーってとこね。嘘くさいけど、確かに存在しているって意味で」

「魂殻もそうだが……俺からすると、素体と入れ替わる技術こそ魔法にしか見えないがな」


 そこで真柄は、せっかくなのでオリジナルと素体の疲労の関係性について聞いてみた。このあたりは、店員に聞こえないよう微妙に配慮しつつの会話となった。あえて素体の細かな話題を控えているのも、やはり内容が内容だからである。ちなみに同じ理由で、護衛任務の話もここでは避けていた。


 エクトプラズムのごとく吐き出された灰色の煙を眺めながら、氷崎が質問に答える。


「アタシは”魂の疲労”って呼んでるけど……七崎悠真として休んでおいた方がいいのは、事実でしょうね。アタシも疲労に関しては同じことを考えたわ。でも、なぜか眠気とかだるさを微妙に”引きずる”のよね……肉体は、別モノのはずなのに。


 アタシは、おそらく霊素を媒介としてオリジナルの肉体と素体はつながっていて、量子的な情報を一部共有させているんじゃないか――って推測してるんだけど」


「つまり今も、斑鳩透の疲労の一部を氷崎小夜子の中に”引きずっている”と?」

「そういうこと」


 難しい話はともかく”入れ替われば今感じている疲労はなくなる”というのが無理なのはわかった。氷崎によれば、疲れている方の身体の疲労は、その身体として休息をとらなければ、蓄積されたまま大部分が残ってしまうそうだ。


 なので氷崎の言う”魂の疲労”の問題も相俟あいまり、半日ごとに入れ替わって一日中活動を続けるような真似はできないようだ。


 バーボンを一口飲んでグラスを置くと、真柄は話題を変えた。


「そういえば、おまえも喫煙をするようになったんだな」


 氷崎も大学時代は吸っていなかったと記憶している。


「彩月が吸うようになっていたのは、アタシも驚いたわ……ただ、彩月のは軽いやつだけどアタシのは重いやつ」


 軽いや重いは、タバコが含むニコチンの量のことだろう。


 灰皿に灰を落とす氷崎。


「それに、アタシのは嗜好品だけど、あの子のは精神安定剤ね……微妙に用途が違うわけ。真柄君は、吸わないんだっけ?」

「基本的にはな。普段は、酒も飲まない」


 海外だとまず酒を酌み交わさないとそもそも交渉が始まらないこともある。なので、場合によっては仕事の一環として酒を飲む必要は出てくる。


「医学的な見地からすれば、酒もタバコもそう健康にイイものではないしね」

「わかっていて、飲んだり吸ったりするわけか」

「人間って基本的に、どこかマゾなのよ。身体を痛めつけて、破滅願望を満たすの。それが快楽になるわけ」

「俺には理解できんな」

「理解する必要なんてないわ。要するに……自分を穢したいって欲望を、比較的安全に満たせるってだけ。たとえば、ゾンビものの映画で最も退屈になるのって、ゾンビに怯える危険がなくなった安定期でしょ? 大なり小なり、肉体や精神に対する破滅願望もそれと似たようなものだと思うわ」


 しかし真柄には、いまいちそのたとえがピンとこなかった。


「それもよくわからん感覚だな」

「多分、わからない方が幸せよ」


 氷崎はカクテルをあおると、二本目のタバコを口に咥えた。そこで真柄は足元に置いていたシックな紙袋の中身を出し、彼女に差し出す。


「海外にいた時に見つけたものだ。もう持っているかもしれないが、確か学生時代に手に入らないとぼやいていた気がしてな……もし持っていたら、実用か保存用にしてくれ」


 真柄が差し出したのは、古いレコードだった。このレコードが作られたのは真柄が生まれるより昔の時代だ。もはや化石と呼べる代物である。


「ちょっ――やだ、真柄君っ!? これ、もう手に入らないと思って諦めてたんだけど! ネットオークションですら、出回らなかったのよ!?」


 真柄は紙袋を渡す。


「どうやら、微妙な結果は避けられたみたいだな」


 大事そうにレコードを紙袋にしまいながら、氷崎は嬉しさを隠せぬ顔をしていた。


「もぅ、真柄君ったら……もし彩月の存在がなかったから、このままひと晩お相手してもいいくらいよ?」

「そんなつもりでプレゼントしたわけじゃあ、ないんだが……」

「ふふ、わかってるわよ。まあ、これをもらったからってわけじゃないけど――」


 革のバッグからフラッシュメモリを取り出し、氷崎が真柄の前に置いた。身体を近づけ、氷崎が小声で囁く。


「これは、七崎悠真が入学した以降に保存された、学園データベースへのアクセス履歴と……ちょっと危ないデータを、少々」

「危ないデータ?」

「たとえば、御子神一也の右腕の情報とか」


 思わぬところで、意外なデータが手に入った。


「久住に許可は?」

「とってあるけど、中身の詳細は伝えていないわ。でもま、大丈夫でしょ。いざとなったら責任はアタシが取るし」


 このバーにわざわざ呼び出して二人きりの時に渡したのも、いざ問題があった時に久住は知らなかったと弁解ができるようにするためだったのかもしれない。


「礼を言う、氷崎」

「あら、何言ってるの? それは元々、あなたに渡す予定だったものよ?」

「おまえが久住の傍にいてくれるおかげで、俺は安心できる」

「ああ、そういうこと……でも、別にあなたのためだけじゃないわよ。個人的に、あの純粋で危うい子がバランスを崩して崖から足を踏み外すのを、見たくないってだけ。アタシの……初めてできた、信頼できる友だちでもあるし」

「それは俺も同じだが……何年もあいつを放っておいた俺が、ここで同感を示す資格はないかもな」

「それを言ったら、彩月も同じだと思うけど?」


 含みのある微笑を浮かべながら、氷崎がタバコの火を灰皿でもみ消した。


「ふふ……真柄君って、昔からクールで大人びてるのに、彩月のこととなると途端にウブな一面が出る時あるわよね」


 真柄はグラスを手に取った。氷が、涼しい音を立てた。


「……俺の、初恋の相手だからな。そりゃあ、たまに純情なにも戻るさ」


 トントンッ


 氷崎が、タバコのパッケージを叩きながら言った。


「自分にの部分があると素直に認めるられる人こそ、ほんとの大人なのよ」


 次話から久住のターン(?)になる予定です。

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