14.分裂
待っていたのはオルガ一人だった。
今回、狩谷の姿はない。あのルール破りスレスレの戦い方はさすがの彼も受け入れられなかったのかもしれない。しかし、責めることはできまい。
「とりあえず、昇降口に行くか」
「はい」
オルガと並んで歩き出す。
「それと七崎くんに、狩谷先生から伝言ですわ」
「狩谷先生から?」
「『僕の度肝を抜く試合だったよ。まるで手品でも見ているようだった。おめでとう、七崎君』と、そう伝えて欲しいと」
「……そうか」
ちなみにオルガによれば、狩谷がここへ来なかったのはまだ試合場に残っているからだという。先ほどの特例戦の結果に対し渋い顔をしている他の教師たちに、七崎悠真が勝つにはあの戦法しかなかったと、長々と熱弁をふるっていたらしい。要するに、悠真の肩を持ってくれているのだ。
(やれやれ……お人好しにもほどがあるな、あの教師は。そんな行為は自分の立場を悪くするだけだろうに……どうやら七崎悠真は、教師運には本当に恵まれたらしい)
「おまえは、大丈夫だったのか?」
「はい? 大丈夫だったか、と言いますと?」
「ああいった絡め手を用いた、殻識生からすれば邪道とも言える戦い方のことだ」
「わたくしはあれも戦いにおける一つの手段だと思っています。七崎くんを責める人はいるかもしれませんけど、この先、もし魂殻使いとして戦場に赴くことがあるのなら……当然、ああいう戦法を使ってくる相手もいるはずですわ。
今は感情が納得しないかもしれませんけれど、長期的に考えれば、よい教訓になったのではないかと」
「ずいぶん冷静だな」
「いえ、そんなことありませんわ! し、試合中は冷静ではいられなかったのですから!」
目もとが少し赤みを帯びている。彼女の性格からすると、敗色濃厚な悠真の姿を見て感情が溢れ出たのかもしれない。
「いらん心配をかけたみたいだな。すまなかった」
「キミの勝利を、う、疑っていたわけではありませんのよ!?」
「わかっている」
「……疲労の方は、大丈夫ですの?」
(この感じ……そうか、試合中に七崎悠真の弱点を見抜いたか。黄柳院オルガも、戦闘の嗅覚は本物と言えるな)
「心配無用だ。家に帰るくらいの体力は十分、残っている」
ただし言葉通り、家に帰ったらすぐ眠りについてしまうだろう。
特例戦の直後のためか、すれ違う生徒たちの注目が悠真に集まっていた。ただし皆、まだ悠真への感情を整理できずにいるようだ。今回の特例戦で七崎悠真のとった戦法は、一部の生徒にとってはショックだったのかもしれない。
注目を受け流しながら昇降口を出ると、歩きながらずっと隣で何かを迷っていたオルガが、おずおずと切り出した。
「た、体力はまだ残っているんですのよね?」
「あと二、三時間は大丈夫だろう」
「その……ささやかな祝勝として、ジュースを、ごちそうしたいのですけど……あちらで、いかがかしら?」
オルガがちょんと指差したのは、昇降口の近くに設置されたベンチ。近くに自動販売機も設置されている。
悠真は誘いにのった。了承した時の彼女の笑顔。あれにはどうも弱い。
二人は並んでベンチに腰かけた。悠真は缶コーヒーでオルガはミルクティー。
臀部を動かしながらさりげなくオルガが距離を詰めてきた。本人はバレないようにやっているつもりらしいが、悠真にはバレバレであった。
カコッ
オルガがプルタブを開けた。
「強いですわね、七崎くんは……あの蘇芳先輩にも、勝ってしまうなんて」
「余裕のある戦いではなかったがな。ランキング二位は、伊達ではなかった」
もっと驚いたのは、二位と三位の実力差だが。
「あの……今回の特例戦、なのですが」
「ん?」
「やっぱり、その……わたくしのせいなのでしょうか?」
申し訳なさそうにおもてを伏せるオルガ。
「前にも言ったが、おまえはとばっちりを受けただけさ」
「実は、それも気になっていたのです。その”とばっちり”というのは、どういう意味なのですか?」
「そうだな――」
ちょうどよい機会なので、悠真は説明することにした。
蘇芳十色という男が抱えているであろうものについて。
「蘇芳先輩は、わたくしというよりは南野先輩を憎んでいた……ですか?」
「ああ。おそらく蘇芳十色は、幼なじみである柘榴塀小平太が例の勇者症候群のような状態になった大きな原因が、南野萌にあると考えている」
『個人への過剰な執着は、時に人をゆがませる』
十色自身の言葉からも推察できるように、彼は過剰な個人的な執着――個を憎んでいた。
「あの男は学園の秩序――つまり、やつの言う”公共”を守ることを何よりも大事にしていた。多分あの男は昔から、個人よりは社会全体の利益みたいなものを優先する人間だったんだろう。それが、社会に生きる人間の正しいあり方だと信じているタイプだな」
自分のこの能力は社会のために使うべき。
追及するのは個の利益ではなく、社会全体の利益である。
自分はその社会の奉仕者であるべきだ。
それが、正しい。
そういう思考の人間だったのだろう。
社会を尊ぶ者としては文句なしに正しい考え方だ。
「しかしあの二人……柘榴塀小平太と南野萌の存在が、蘇芳十色をおかしくさせた。蘇芳十色と柘榴塀小平太が幼なじみの間柄にあるのは知っているな?」
「ええ。ただ、あまり仲がよさそうな風には見えませんでしたけど……」
「蘇芳十色は基本、個人的な感情を強くおもてに出さないようだからな」
小平太とは実際、距離を置いていたのだろう。
個と個の結びつき――友情を、優先しないために。
「その一方で十色は、萌とつき合い始めた小平太がおかしくなっていくのに気がついていた」
「あ、なるほど…つまり、こういうことですわね? 気づいたはいいものの、柘榴塀先輩と南野先輩の関係に踏み入るのは、蘇芳先輩が悪だと考えている”個人への過剰な感情”によるもの……」
「そういうことだ。二人の関係に深く踏み入るのは、蘇芳十色からすれば、自分の生き方に反するわけさ」
深く踏み入れば、今までの自分の生き方を否定してしまうことになる。
踏み込みたいのに、踏み入ることができない。
南野萌を否定したいのに、否定できない。
その終りのない葛藤の連続は、蘇芳十色の中に生まれた苛立ちを静かに醸成させていった。
「ええっと、要するに……わたくしに強い言葉を投げた時の蘇芳先輩は、七崎くんとわたくしの関係に、柘榴塀先輩と南野先輩の関係を重ねていたと?」
「あの二人と重ねられるのは不本意だが、おそらくな」
「し、七崎くん? それは、つまり――」
ぴとっ
オルガが桃色を増した白い頬に缶をあてた。
「蘇芳先輩には、わたくしと七崎くんが、こ、恋人同士に見えていたということですわよね……?」
「……校内放送で恋人同士だと宣言したから、そう見えるのも当然と思えるが」
「あ、ぅっ……そ、そうですわよね……ええ、当然の話でしたわ……」
がっくりと肩を落とすオルガ。
(ふむ……あまり意図して好意を積み重ねすぎるのも、あとあとを考えると酷な行為なのかもな……)
これまでの彼女の学園生活と性格から想像する限り、七崎悠真に好意的な強い感情を抱いていても不思議ではない。
(といって、黄柳院オルガの場合だと意図して素っ気ない態度をとるのはいまいち気がのらないが……)
なぜかこの少女の悲しそうな顔は、見たくはないと感じる。
(任務の一環なら冷徹にこなせるつもりだったが……どうも黄柳院オルガに関しては、調子が狂いがちだ……)
悠真は舌を缶コーヒーの酸味で湿らせながら、気を取り直して説明を続けた。
「それから蘇芳十色は、幼なじみのかたきを取る意思はないと言っていたが……俺は、実際は少しそういう感情もあったのではないかと推測している」
その個人的な感情が特例戦を挑む後押しをしたのではないか。また特例戦の日取りが翌日という気の早さも、蘇芳十色の逸る”感情”を物語っている気がした。
「あの男はどうも本心を隠したい時、あえて口に出してそれを否定する癖があるように思える。例えば特例戦の直前、やつは秩序がどうこうについて改めて口上を述べただろう? あれは、前日おまえに放った個人的な感情による言葉を反省し、改めて自分が公共の奉仕者であると自らに言い聞かせていたんだと思う」
(小平太と違い自省の余地が残っているからこそ、逆に適当な態度で矛盾を抱え込めない性格とも言える……生真面目すぎるのも、難儀なものだ)
学園のしもべたる生徒会長としての自分と、個として南野萌を憎む柘榴塀小平太の幼なじみとしての自分。
彼は常にその”二つの蘇芳十色”の間で揺れ動いていた。
「もしかすると、あの男の魂殻の能力である分身――二人の蘇芳十色は、やつの葛藤がある段階を超えた時に発現した能力だったのかもしれないな」
分裂した二人の蘇芳十色。
こじつけではあるが、柘榴塀小平太の魂殻に兜が発現したのは、ついに彼へ警告を発する声すらも届かなくなった時期、とも考えられるのではないか。兜で耳も塞がれ、勇者の目にはもう、自分を憧れのまなざしで見る者たちと敵の姿しか映らなくなっていたのかもしれない。
説明を聞き終えたオルガは、腑に落ちた顔をした。
「なるほど、そういうことだったんですのね……」
悠真は、空になったコーヒーの缶を投げた。
ガコッ
缶は確かな放物線を描き、ごみ箱に入った。
「結局、どれも憶測にすぎんがな」




