2.追加ルール
「俺はかまいませんよ」
悠真は二つ返事で申し出を受け入れた。十色は眉一つ動かさず、悠真を視線で見下ろす。
「よかった。万が一にも君が臆病風に吹かれて申し出を断っていたら、この場で僕が黄柳院オルガに特例戦を申し込まなければならないところだった」
十色がオルガを一瞥。
「そうなれば、おそらく君の言っていた”場外”での決着となっただろう。
その場合、当然こちらは生徒会メンバーを中心とした全員で先手を打たざるをえなかった。逃げずに受けてくれて、正直言うと安堵している。僕としても、卑劣な手段を使わずに越したことはないからな」
自負に満ちた人物という印象。一方で、客観的な理性による自信との距離の取り方もわかっている感じがあった。
蘇芳十色。
三年生。
学園のデータに目を通した際、その名を目にした記憶がある。
(殻識の生徒会長か……これは先日の放送に問題アリと踏んで、対処しにきたと見てよさそうだな)
オルガを狙う一派との関連性は今のところ薄いと思われる。
十色を観察する。
一見すると小平太より細身な男である。しかし立ち姿から、彼の身体のバランスのよさ、理想的な筋肉のつき方がうかがえた。あの細さは肉が絞られているがゆえの細さと見ていい。要するに、無駄な肉がないのだ。
顔のつくり自体は優しげと言えた。ただし、その厳めしい表情と攻撃的な形に固定された眉の効果により、精悍と呼ぶに足る顔つきになっている。厳格で知的なエリートといった空気だ。
瞳に”曇り”は確認できない。冷徹さと純粋さを兼ね備えた目をしている。小平太に足りないものを備えている、と言い換えることもできるだろうか。
いささか整え切れていない髪形は、しかし、優男風の風貌をほどよく野性的にする役目を担っていた。美少年と偉丈夫の狭間にいると言えるだろうか。クラスメイトの女子たちの反応を見る限り、彼が異性から魅力的に映る人物であるのがわかる。
(なるほど。この生徒会長が今朝、南野萌の話していた”王”というわけか)
「特例戦を挑んだ理由を聞かないのか?」
十色が問う。
「あなたが俺に特例戦を仕掛ける理由、ですか? 俺を倒して黄柳院オルガと特例戦をしたいからとは思えませんが……そうですね……大方、先日の放送が気に入らなかったといったところでしょうか?」
「要因の一つなのは、認めよう」
素直な答えだった。同時に、今の回答は余裕の表れでもあろう。
「日付の指定はありますか?」
「可能なら、明日を希望する。登校日ではない土曜で悪いが」
久住彩月と食事をする日時はまだ決まっていない。そして不確定な未来の要素に拘泥し眼前の選択をおろそかにするのを、悠真はよしとしていなかった。
「俺は、問題ありません」
「話が早くて助かる。こちらとしては今日の放課後でもかまわないんだが、一日くらい君に準備の時間を与えるべきだろうと判断した。でなければ、フェアとは言えないからな」
「ご厚意に感謝します。それで、俺が敗北した時の要望は?」
これがなければ特例戦でわざわざ上位者が下位者に挑む理由はない。この学園における不文律である。
「あの放送における、宣言の撤回を求める」
「ふむ」
「再度放送を行い、脅しは間違いだったと認め、誰が黄柳院オルガに挑もうとも卑劣な闇討ちなど絶対にしないと誓ってもらう。安心してくれ。放送の段取りは、こちら側でつける」
悠真は試しに十色を測ることにした。
「会長は、連日に及ぶ黄柳院オルガの特例戦をおかしいとは感じませんでしたか?」
「誰かに強制されていたのなら、問題だろうな」
これは難しいところだ。完全に自主的とも言えないが、あれは強制とも言えない。さらに特例戦を無条件で受けることへの疑問を解消しようとするなら、必然的に、内密にと言われているオルガと黄柳院家との取り決めの件を話す必要が出てくる。
マシーンのように十色は淡々と続ける。
「しかし黄柳院オルガの様子から、強制ではないと判断した。当人にも一度確認し、自発的にしているとの回答を得ている。それに彼女はトーナメントにも参加できているわけだから、そこまで過剰と呼ぶべき回数でもないだろう。一日に何度も受けているわけではないしな……学園の規則から見ても連日の特例戦に問題はないし、結果として、生徒同士の研鑽の機会にもなっている」
事情を知らなければ、そういう理解もやむなしか。感情移入をまじえて語らなければ、第三者からはそう判断されるのも仕方ない。
「むしろ問題は君の方だよ、七崎悠真」
十色が瞳に執政者の光を宿す。
「僕は小平太のように、殻識の誇りを守るなどという大層な旗は掲げない。しかし、魂殻に依存せずランキング上位の魂殻使いと渡り合う君の戦闘スタイルは、言うなれば邪道……少なくとも、この殻識においてはイレギュラーと言える。
ゆえに、君の存在は学園の自己同一性を脅かしていると言っていい。当然、霊素値の低さについては同情する側面がある。その低さをカバーするための戦闘技術というのも理解できる。だが、そういった者の存在自体が殻識生の気分を委縮させてしまうのも事実……そこにきて、あの脅迫的な放送だ」
「生徒会長の立場としては、静観しているわけにもいかないと」
「そういうことだ。君は自ら、袋小路に足を踏み入れてしまったのさ」
「では、会長も俺が敗北した際は自主休学を求めるのですか?」
泰然と質問を受け止める十色。
「いや、そんな馬鹿げた条件を突きつけるつもりはない。あの馬鹿げた宣言を撤回して、その後は普通の学園生活を送る……僕が七崎悠真に求めるのは、それだけだ。
要するに敗北後は、殻識生として卒業までつつましく学園生活を送ってくれれば、それでいい」
(正しいな……正しすぎるほどに、この蘇芳十色という男はこの学園にとって正しい)
しかしオルガの絶え間ない特例戦を再開させるわけにはいかない。七崎悠真が守るのは黄柳院オルガであって、殻識生のアイデンティティではない。存在意義の問題は、真の統治者の立場たる学園長から”待った”が入った時に考えればいい話だ。
「会長の考えは理解しました。特例戦はその条件で受けましょう」
おぉっ
教室内がざわめく。
「君の側の条件も聞こうか、七崎悠真。でなければ、公平性がないからな」
フェアにこだわる男だ。
「そうですね……会長を含む生徒会メンバーは、卒業まで黄柳院オルガに特例戦を挑まないこと。そんなあたりでどうでしょうか? もちろんトーナメントの方は、今まで通りでかまいません」
これならオルガがトーナメントで”正しく”優勝するための道のりの邪魔にはなるまい。
十色は二秒ほど思案した。
「……いいだろう。実際は他の生徒会メンバーの了承が必要だが、必ず僕が説得してみせる」
「これで互いの”報酬”の提示は終わりましたね。さて、追加ルールの方はありますか?」
「ではまず一つ、提示させてもらう」
小平太のような戦い方の限定だろうか。
「その敬語は、僕には必要ない」
これは少々、予想外の”追加ルール”だった。
「どうにも、俺の敬語は上級生から嫌われるみたいですね」
「あの試合映像を観たあとではな。質の悪いおべっかとしか受け取れないのさ」
「俺としては上級生に対する礼儀のつもりなのですが」
「君の場合は、慇懃無礼と言う」
(ふむ……他人の身体に入った状態だと、真柄弦十郎の時よりも演技が不自然になってしまうのかもしれんな)
「わかりました。他に、追加ルールは?」
「あえて言うなら、今回、君の手足を縛るルールはなしとしたい」
再び教室を、ざわめきの波が駆け抜けた。
「柘榴塀小平太との一件は聞いている。しかし小平太は、殻識の……魂殻使いたちの誇りを守るなどと宣言するのであれば、ありとあらゆる攻撃手段を君に認めた上で特例戦を行わなければならなかった。あいつのミスは、そこにある」
十色がこぶしを胸の高さまで上げた。
「本来の特例戦の規則さえ遵守するなら、君には、ありとあらゆる攻撃、戦法、武器の持ち込みを認める」
その様は、宣誓をするアスリートにも似ていた。しかし十色はすぐさま為政者の威厳を漂わせると、厳粛な空気をまとう。
「君のすべての攻撃手段を認めた上で叩き潰してこそ、この特例戦には意味があると僕は考える。これが、僕にとっての”徹底的に叩き潰す”ということだ」
十色の気迫をさらなる情報源として、悠真は相手の実力の一端を掴めた気がした。
(なるほど、これが殻識の生徒会長……柘榴塀小平太とは持っているモノが格段に違う。ランキング三位と、これほど差があるとはな……)
「やっぱかっけぇなぁ、蘇芳会長……」
「柘榴塀先輩みたいに変なルールを設けないところも、男らしいよな」
「あれでけっこう可愛い顔してるんだけどねぇ……でも、あの威厳とのギャップがまたイイっていうか……」
「十色君、素敵……柘榴塀、無理……」
小平太と比べると羨望の眼差しが注がれる理由も納得しやすい。公明正大な人物と評しても、差し支えあるまい。
(フン……今回は名実共に、七崎悠真が悪役の側でいかざるをえないかもな……)
悠真にとってはこの学園の自分への評判など、二の次である。自分の悪評がいくらとどろこうが、今はオルガを守れるならそれでいい。
(それにこの蘇芳十色を倒せば、今はまだ息を潜めている狩人共もいよいよ”七崎悠真”情報収集を本格的に始めるかもしれないしな……花火は大きければ大きい方が、人の興味を惹きやすい)
「それから、前回トーナメントでの僕の準決勝映像の閲覧不可申請は取り下げておく。
必要なら前日に僕の魂殻”不死なる白銀王”を確認しておくといい」
特例戦を今日ではなく明日に設定したのは、あえて予習をさせるための慈悲のつもりだったようだ。
そしてあの準決勝に閲覧不可申請を出していたのは、小平太ではなかった。
「僕が閲覧不可申請を出していたのが不思議だという顔だな……なに、大した理由ではないさ。一応、僕と小平太は幼なじみの間柄にあってね」
そろそろ前哨戦も終わりだとばかりに、十色が身を翻す。
「ランキング上位に名を連ねる幼なじみが、手も足も出ずに敗北する姿を……誰もが閲覧可能な状態にしておくことに、いまいち気がのらなかっただけだ。それ以上、深い意味はない」
一拍の間があって、背を向けた十色が振り向かぬまま続ける。
「この殻識の生徒には一つ、致命的な弱点がある。僕はその弱点を突いて勝ち続けてきたと言っていい」
顔の半分だけで振り向き、十色が問う。
「君はどうだろうな、七崎悠真?」
用事を終えたとばかりに教室のドアへと歩き出す十色。
「いずれにせよ明日にはその問いの答えが出る。受けた以上は心してかかってくるといい」
後ろ手にドアを閉めながら、白銀の王は言った。
「灰色の最低値」




