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ソード・オブ・ベルゼビュート  作者: 篠崎芳
第一章 SOB シェルターズフィールド
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24.きっと、二度とはないつぶやき


 オルガの買い物袋を手に持つ悠真の視線の先には、微細なヒビの入った壁のワンルームマンションがあった。


(なんとなく想像がつき始めてはいたが……なるほど、何か事情があるらしい)


 口もとは微笑みを描いていたが、オルガの内心は気まずそうだった。


 殻識島はマンションやアパートが特に目立つ土地だ。比べて数が多くない一軒家の大半は郊外に集中しており、殻識学園が位置する島の中心部近縁には集合住宅がひしめいている。


 黄柳院オルガの住居もそんな集合住宅の一つであった。徒歩だと学園からいささか離れている印象。スーパーWAKASAGIの位置が、ちょうど学園とオルガの住居の中間くらいだろう。


(家はそう遠くないとオルガが話していたから、黄柳院家の屋敷でないのはすぐに察したが……)


「期待外れかもしれませんが、どうぞ入ってください。飲み物の味は、家の大きさでは決まりませんわ」


 皮肉のこもった言い回しだった。彼女にしては珍しい種類タイプの皮肉である。


 悪い意味での気恥ずかしげな笑みを浮かべると、オルガはアナログな鍵を開けて悠真を招き入れた。部屋は二階の隅にあった。


(落ち着いた内装の部屋だが、どこか上品な印象がある……掃除が行き届いているからか、家具の配置の妙か……いずれにせよ、家主の性格がよく出ている)


 収納用のロフトが確認できた。エアコンは少し古びている。主な家具はベッド、ナイトテーブル、デスク、衣装ケース、化粧台といったところか。よく着る衣服はクローゼットの中だと思われた。


(広さは十畳ほどか。俺の今の家よりも広い。学園からの距離は、圧倒的に俺の方が近いが)


 あごをいじりながらセキュリティの問題を考えていると、オルガが声をかけた。


「どうぞ、こちらに」


 淡いグリーンのクッションを敷き、そこへ腰をおろせと促すオルガ。悠真は部屋を見回した。


「他にクッションが見当たらないが」

「真っ当な客人が来たことがないので、クッションが一つしかありませんの。近々、もう一つ買っておきますわ」


 あれは彼女がいつも使っているクッションのようだ。


「いや、俺は絨毯の上でかまわない。気にするな。越して来た今の部屋なんざ、まだフローリングが剥き出しだしな。絨毯があるだけで、天国みたいなものだ」


 こういう感じで拒否をする悠真にそれ以上勧めても無駄だと学習したらしいオルガは、優しげな笑みを残すと、パタパタとキッチンへ向かった。


「缶コーヒーが好きだとおっしゃっていましたわね? なら、コーヒーでよろしいかしら?」

「ああ」


 待っていると、ドリップコーヒーが出てきた。


「ドリップか」

「だめ、でした?」


 ひと口すする。


「いや、うまい」


 ホッと胸を撫で下ろすオルガ。


「お口にあったようで、何よりですわ」


 カップの趣味も悪くない。というより、よく見るとイギリスの有名な陶磁器メーカーのものだった。高価な食器を扱うことで名高いメーカーである。ただ、このカップだけ他の調度品と比べて浮いているようにも感じられた。


 買い込んだ野菜や肉を冷蔵庫に詰めてから、オルガは自分の紅茶を淹れて、ローテーブルへ戻って来た。制服のスカートをおさえながら、膝を揃えて彼女は正座した。佇まいが武家の娘みたいだなと思った。


「武家の娘みたいだ」


 口に出してみると、オルガの顔に自然な笑みが戻る。


「ふふ……なんですの、それ?」

「あながち的外れでもあるまい。黄柳院は古い家だしな……すまないが、トイレを借りていいか?」

「ええ、そちらですわ」


 部屋の外をオルガが手で示した。実はもよおしたわけではない。護衛の一環として部屋の構造を掴んでおきたかったのだ。


(神経質すぎる気もするが……こっちも一応、確認だけしておくか)


 トイレと間違えたフリをして、悠真はバスルームのドアを開けた。


「し、七崎くん!? そっちはっ――」


 バスルームには下着類が干してあった。二階と言えど、不在時に外から見える場所に干しておくのは気が引けたのだろう。そして客人を招くのなら、目につかない場所に干しておく必要がある。


 心の中で自身を叱咤する。


(どうも、頭が回っていない感じがあるな……)


「悪い。間違えた」

「あ、いえ……」

「すまない。配慮に欠けていた」

「き、気にしないでよろしいですわよ? 間違いは、誰にでもありますから」


 これにはいささかの罪悪感を覚えつつ、次にトイレに入る。かすかに香る程度の芳香剤のにおい。先ほど見たバスルームと同様、掃除は行き届いている。


 すぐに出てしまっては怪訝に思われてしまうので、閉じた便座に腰を降ろし、悠真は少しだけ時間を置くことにした。



     ◇



(ふぅ……びっくりしましたわ。ですが、彼も意外と抜けているところがあるんですのね)


 火照った頬に手を当てながら、オルガはしとやかに息をつく。


 場合によっては勢いのまま駆け出し、膨れ上がった恥じらいを爆発させ、相手を突き飛ばしてしまっていたかもしれない。けれど彼の反応が冷静だったせいか、カァァーッと頭にのぼった熱は一瞬でストンと引いた。もし彼が照れてあたふたと騒ぎ始めていたら、自分もこうして冷静ではいられなかったかもしれない。


 カップの底に手を添え、紅茶をひと口飲む。


(それにしても七崎くん、そんなに興味がなさそうでしたわね……ん……ありがたいことのはずですのに、不思議と、少し残念に感じている自分が……)


 ガチャ


(あ、七崎くんが出てきましたわ)


 水を流す音がして、悠真がトイレから出てきた。こちらの部屋に入ってすぐのところには鏡つきの手洗い場がある。彼はそこで手を洗い、タオルで拭いてから席に戻ろうとした。


「さて、オルガ――」


 その時だった。


 ガッ


「七崎くん?」


 悠真が片膝をついた。さらに次の瞬間、信じられないことが起こった。


「え? あ、あの……ちょっ――きゃっ!?」


 ドサッ


「し、七崎くんっ!? 何、をっ……!?」


 なんと、オルガに悠真が抱きついてきた。否、この場合は抱きついてきたというよりも、押し倒してきたと言った方が正確であろう。


 急速に意識を包み込んだ困惑の影響もあって、オルガはそのまま悠真に押し倒されてしまった。


「あっ――そ、そこはっ……! 七崎、くんっ!? ん……ひ、ぁっ――」


 悠真の膝が股の間に押しつけられていた。しかも抱きついたままの彼は、オルガの胸元に顔をうずめている。


(だ、男性の……七崎くんの、におい――い、いえっ! そ、そんなことを考えている場合ではありませんわ!)


 制服越しとはいえ、自分と違うにおいを持つ異性とこれほど密着したのは、下手をすると人生で初めてかもしれなかった。


 心臓が激しく暴れ回っている。感情がごちゃまぜになっていた。今の感情は”甘い恐怖”とでも表現すればいいだろうか。未知への恐怖があるのに、奇妙な甘い胸の高鳴りが感情の核として存在している。それは、初めて自分の中に湧いた感覚だった。


「だ、だめですわっ……七崎くんっ! キミのことは、その……嫌いではありませんわよ? ですがそのっ……あっ……ん……こ、こういうコトは清いおつき合いを、経て……ん……つまり……もっと段階を、踏んで、から……っ」


 恥じらいによって震える声で、オルガは必死の説得を試みた。けれど、声が届いている気配がない。このまま強引に押し切るつもりなのだろうか。


(そ、そんな……わたくし、ここで――彼と……七崎くんと、ここ、で……)


「七崎、くん……せ、せめて……ん……せめてベッド、に――――あら?」


 一時的に覚悟を決めて頭の熱が下がったおかげか、オルガの現状認識能力は急激に回復した。


「すぅ……すぅ……」


 悠真はすやすやと寝息を立てていた。


「あ……」


(これは、まさか――)


 オルガは理解した。


 彼は今日の特例戦で尋常ならざる運動量をみせた。魂殻を使用してあんな苛烈な運動をしたら、魂殻解除時のフィードバックによって、あのまま試合場で気を失っていてもおかしくなかっただろう。いや、魂殻なしと考えても相当な疲労が蓄積されたはずだ。むしろ今まで平気な顔で会話していたこと自体、今では異常だと思えた。


(放課後からキミはずっと、そんな素振りは一切見せなかったではないですか)


 ちなみに倒れ込んできた彼が身体的なアプローチをかけてきたと勘違いしてしまったのは、狼狽していた自分の動きで彼の身体が一緒に動いていたせいだったらしい。


 オルガは自らの不明を恥じた。


 気づかなかった。


 悠真の中にあった極度の疲労の存在に。


 どころか彼は、逆にオルガの体調の方を気遣ってくれていた。買い物袋も持ってくれた。誘ったあとは文句ひとつ言わずに、この家までついてきてくれた。


 それにだ。街を歩いてる時、不思議と自分を守ろうとしてくれている空気が彼から発せられている気がした。こんな状態の彼から、である。


 悠真の寝顔は穏やかだった。変な表現だが、年相応の少年に見えた。


 ふと、なぜかオルガは胸の上で寝ている人物が”七崎悠真”ではない別の誰かのような錯覚に囚われる。けれどそんなはずはない。目の前の彼は確かに”七崎悠真”だ。


 感情を強く表に出さないクールな態度で、たった数日で黄柳院オルガの深い領域へズカズカと足を踏み入れてきた少年。


(この前、わたくしがあなたに尋ねようとしていたこと……それは――)


『今のは、このわたくしを口説いたつもりだったりするのかしら』

『一応は』


 わかってはいる。あれは、話かける糸口を掴むためのひと言だったのだと。けれど一度、言葉で問うてみたかった。


 胸の中で寝息を立てる悠真の髪を撫で、オルガは、口もとを優美にほころばせた。


「あの”一応は”の真意は、なんだったんですの?」


 一度きりと決めていたその問いは結局、誰に届くこともなく、静まり返った部屋の空気にのまれた。


 そして、そっと消えた。


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