21.雨、あがる
一撃を加えるとほぼ同時、悠真は分銅を引きつつ巧みに遠心力を加え、再攻撃をかける。その間に、もう一つの分銅がヒット。
そのさなかも悠真は、戦台の上を舞踏場のごとく駆けまわっている。
(どうだ? 攻撃をどう組み立てようとしても、どんな結果になるかわかってしまう恐怖は)
活路を見い出そうとしたのか、ゲージの減少の早い部位を晒すのを覚悟で小平太が加速攻撃を連発し始めた。
しかし、どれもあたらない。
七崎悠真どころか、周囲を飛び回る分銅や鎖にかすることさえない。
「ぅっ……うぁ……うわぁぁああああっ!」
小平太は軽い恐慌状態に陥っていた。
「ひぃぃぃぃいいいい! ひぁぁああああ――――っ! 消えろぉ! 消えろ消えろ消えろ、消えろぉぉぉぉおおおお!」
長い時をかけて水滴で肉を打ち、骨を削り、やがて死に至らしめる拷問方法がある。意識がある状態のまま緩慢に死へ近づいていく恐怖。死の未来を理解しながらも、そこからのがれられない恐怖。一瞬で死を迎えるよりもよほど恐ろしい死に方であろう。
(悪いな、柘榴塀小平太。このルールで宣言通り勝つには、これしか思いつかなくてな)
一日という期限が悠真の準備を急かし選択肢を狭めたは、経緯を考えれば仕方あるまい。
(だが、存分に誇るといい……それほどおまえの持つ加速能力と防御力が、脅威だったということだ)
事実、使い方次第で彼の加速能力は非常に強力な武器となる。例えば部分的に加速を発生させるすべを身につければ、戦い方に無限の多様性が出せる。さらに加速に緩急をつけることで、相手の感覚を揺さぶることもできる。けれど今の小平太には、そんな戦法を思いつくだけの心的余裕はなかった。
「どけぇ! 寄るなぁ! このハエがぁ! おれに、たかるなぁ!」
理性を喪失し、剣を無造作に振り回す。一撃でもいい。何かの間違いで分銅を破壊し、鎖を断ち切れないか――そう祈っているような攻撃であった。
この試合での敗北は彼にとってイコールで死に等しいのかもしれない。そう思わせるほどの恐怖色が、彼の心のカンバスを染め上げている。一方の応援団の勢いは、機能停止と呼べるほどに失われていた。萌は血の気を失った顔で、口を手でおさえている。
あるいは会場全体すらもが、恐怖という膜に覆われているのかもしれなかった。
歓声はない。誰もが、言葉を失っていた。
ただ淡々と、無機質なディスプレイのゲージだけが魂の残量を減らしていく。
ガィンッ! ガッ!
さすがの運動量に、全身のいたるところから汗が噴き出してきた。しかし、動きは止めない。
「ふぅっ」
ひと呼吸だけ置き、攻撃を――続行。
(強靭な七崎悠真の身体といえど、さすがにこの運動量は酷らしいな……右半身の痛みも、なくなったわけではない……また、痛みがぶり返してきたか……)
それでも真柄弦十郎は、七崎悠真の身体に感謝していた。
(だが、十分だ……この試合中よく持ちこたえてくれた。おかげでゲージを減らし切るのは間に合いそうだ。感謝するぜ、七崎悠真……)
恐慌状態に陥りながらも、小平太は何度か爆速超撃で事態を打開しようとしたが、虚しく空振りを繰り返すに終始した。魂殻へ積み重なったダメージの影響で、彼の動きも重さを増している。
「がぁぁぁあああぁぁああああ――――っ!」
全力攻撃を込めた勇者の牙は、結局、誇りを穢す獣の身体に二度と喰らいつくことはなかった。
乱打がやむ。
死へといざなう”雨”が、あがった。
「ぐっ、ぅ……ぅぅ……っ!」
ガッ
地面に両膝をつき、小平太がうなだれる。
彼のソウルシェルゲージは、もうあるかないかほどの残量しかなかった。
あと一撃でも喰らえば、試合は終了するだろう。
余談ではあるが、奇しくも今の構図は、先の特例戦で黄柳院オルガと御子神一也が後半に見せた構図と酷似していた。
ガバッ!
「七ぃ、崎ぃぃ……!」
小平太が顔を上げる。目の光は死んでいない。窮鼠の表情と呼ぶべきか。声の中で怨嗟がとぐろを巻いていた。その執着と呼ぶべき精神力には、悠真もわずかながら感心を覚えそうになった。
「はぁっ……はぁっ……! こんな、勝ち方……認め、られっかよっ! この、卑怯者、がっ!」
憎しみを放出する窮鼠が、朗々と、大仰な仕草で観客席に呼びかけた。
「そうだろ、みんなっ!? これは、正々堂々とした戦いじゃない! 彼はおれと同じ形状の武器で戦うべきだった! あの鎖鎌は、卑怯者の使う武器だ! 誇りを賭けた戦いにはふさわしくない! 違うか!?」
ガソリンを注入されたように、応援団に生気が戻っていく。
「そ――そうだぜ! あんな戦い方があるかよ! なあ、みんなっ!?」
「そ……その通りだ! 小平太さんと同じ形状の武器で、やり直しを要求すべきだ! こんな試合、無効だ!」
「反則負けにならなかっただけありがたく思えよな、七崎!」
「そ、そうよ! こんなの殻識生の試合とは認められないわ! ねぇそうでしょ、みんな!? こんなの、おかしいわ……間違ってる……こんなの絶対、おかしいよ!」
オルガの顔つきが変わった。肩が震えている。
「あなたたち、い、いい加減にっ――」
「いい加減にしないかっ!」
オルガの言葉を遮った恫喝は、なんと、狩谷から放たれたものだった。オルガが驚いた顔で、観客席で立ち上がった狩谷を見る。
「特例戦中に教師がこうして介入するのは問題があると思ったから、黙って見ていたけど……なんなんだ、君たちはっ!? 何が卑怯者だ! 何が誇りを賭けた戦いだ! 何がやり直しだ! あの試合を見て、君たちは何も感じなかったのか!?」
「な、なんだよ……先生、か……?」
「七崎君は、君たちの側が設定したルールに沿って戦った! その中で彼は針の穴を通すような勝機を見つけて、そして、この試合に挑んだんだ! この試合を見ていればわかる! 霊素値が最低値の彼には、あの方法しかなかったんだ! なぜ君たちにはそれがわからない!? なぜそれすらも、わかろうとしないんだ!? おかしなことを言っているのは、君たちの方じゃないか!」
狩谷の一喝に、応援団が黙り込んだ。
「七崎悠真は素晴らしい戦いをした! 僕は担任として、七崎君を誇りに思う!」
信念を示すように、狩谷が大声で言った。
「狩谷、先生……」
オルガが腰を降ろし、意外そうな顔を狩谷に向けていた。多分、普段はああして激昂することのない人物なのだろう。
「…………あ、あたりまえでしょ!? わかるわけないし、わかる必要もないわ!」
そこで唯一反論を口にしたのは、萌だった。
「みんな、今の聞いたでしょ!? あの先生、七崎悠真の担任よ! 要するにあの人は、ランキング三位に勝った生徒の担任っていう肩書きが欲しいのよ! だから難癖をつけて、どうにかこの試合で七崎悠真を勝たせようとしてるんだわ!」
おそらくそう思われるのを知っていたから、今まで狩谷はあえて悠真の擁護に入らなかったのだろう。
「そうでしょみんなっ!? この試合場にいる九割が正しい条件でのやり直しを求めたら、きっとこの試合はやり直せる! アタシたちの誇りを正しい方法で守れる! さあみんな、声を上げて!」
「そうだぜ! 萌さんの言う通りだ! 自分の利益しか考えてねぇあの教師に騙されんな! みんなぁ! 声上げろぉ! やっりなおし! やっりなおし!」
「「「やっりなおし! やっりなおし! やっりなおし……やっりな、おし…………やりな……お、し……」」」
応援団の声が、徐々に萎んでいく。
今この試合場で必死に声を上げているのは、十数人の小平太の取り巻きと萌だけだった。
「な、何よみんな……っ!? どうしちゃったってのよ!? さっきまで、会場の半分以上が小平太を応援してたじゃない……っ!? みんな、どうして声を上げないのよ!?」
冷めた空気が、漂っていた。
ボソボソと、応援団に向かって陰口を叩く生徒も現れ始める。
「いやー……途中から思ってたけど、柘榴塀応援団のはしゃぎっぷり……ちょっと、ヒくわー……」
「なんか、自分たちに酔いすぎ……キモいっつーの……正直、試合見るのにむちゃくちゃ邪魔だったし……」
「つーかさぁ、あの狩谷先生に対してあんな言い方なくない? いや、七崎君とかはよく知らないけさ……狩谷先生、ちょーイイ先生だし」
「卒業生のおれの兄貴も、狩谷先生がすっげぇ親身に進路の相談のってくれたおかげで今の仕事につけたって言ってたしなぁ……その狩谷先生に、あの言いぐさはねーわ」
「うちらの狩谷先生にあいつら、何ふざけたこと言ってるわけ……? あいつら全員、顔、覚えたし」
「てかさ、コモンウェポンであの小平太に勝った七崎悠真って……やっぱ普通にすごくない?」
「うぅ……やばっ……なんでおれ、さっきまで柘榴塀先輩を応援してたんだろ……」
「あたしも……なんか、場の空気にのまれてた気がする……」
観客の言う”空気”とは、流行の一つの姿に似ている。流行っているものが流行る。見方によっては、それは病とも取れるかもしれない。
会場の空気を察した小平太が、悠真を睨めつけて問うた。
「催眠術か!?」
「……何?」
これには、悠真も眉をしかめた。
「あの分銅で奏でた特殊なリズムで、おまえはこの会場の人間を催眠術にかけた……だから今、彼らは催眠によっておまえの味方をしている! 強い心を持っているおれの仲間だけが、おまえの催眠を打ち破ったんだ!」
「……正気か?」
悠真は口端を吊り上げた。
「フッ……本気で言っているとしたら、それはそれで大した才能かもしれんな。しかし柘榴塀よ……おまえはこの特例戦をも笑いものにするつもりかと、この試合でそう俺に問うたが――」
鎌の方で、小平太を指す。
「存外おまえこそが、この特例戦を笑いものにした道化師だったとは考えられないか?」
「ん、だとぉぉおおおお……っ!? 黙れぇ! 口汚い侮辱も、いい加減にしろ! おまえのような卑怯者の言葉など、おれの心には響かない! 正々堂々戦うまで、おれは負けを認めない!」
「フン……ならば教えてくれないか、柘榴塀小平太?」
鎖鎌を片手に小平太を見下ろす。
「おまえが提示した明らかに俺に不利益しかないルールによる特例戦を無条件で受け、おまえの魂殻武器の何十分の一の性能しかないコモンウェポンのみを武器とし、そのコモンウェポンの威力を最大限に活かすため自らの魂殻によって投擲時の踏み込みや腕力の増強を行い、そして、生身による攻撃をルールという鎖で封じられた七崎悠真は今、おまえのソウルシェルゲージを宣言通りゼロにして、勝利しようとしている」
鎖が擦れ音を上げる。
「これを正々堂々と呼ばないのなら、一体どんな戦い方が正々堂々と呼べるのかを教えて欲しいものだな、柘榴塀先輩」
「剣だ!」
「…………」
「鎖鎌など、邪道武器だ! 同じ剣同士の戦いで勝ってこそ、正々堂々と言える!」
剣。
「いいのか?」
「な、何……?」
悠真の声色が奇妙な変化を見せたのが、小平太にはわかったようだ。
「剣を手にした俺との再試合など望んで――おまえは、本当にいいのか?」
ゾクッ
「何、を……っ」
小平太の背筋が凍りついたのがわかった。
「ところで、柘榴塀……」
悠真はゲージの並ぶディスプレイを眺めた。
「俺の注意を惹きつけて試合を引きのばし、とどめの一撃が来る前にタイムアップが来るのを狙っているようだが……残念だったな」
しきりに残り時間を気にする小平太の視線が、すべてを伝達してしまっていた。
残り、十秒。
催眠術だなんだと喚き立てたのも、卑怯だなんだと騒ぎ立てたのも実はタイムアップを狙っての意図的な茶番だったのかもしれない。せめて、ソウルシェルゲージをゼロにされての勝利宣言の実行だけは、防ぎたかったのだろうか。
真実を知るのは、仕掛け人の勇者だけだが。
「ぐ、ぐぅぅぅぅ……うぅぅぅうううううう……っ!」
小平太の表情が、ぐちゃぐちゃに、崩れていく。
超速撃。
まだ攻撃に使用する霊素が残っていたようだ。
ヒュゥッ!
「しちさきぃぃ……悠ぅぅぅ、真ぁぁぁああああああぁぁぁぁぁぁあああああああああ――――――――っ!」
ドシュッ!
ヒュッ! ガィンッ!
最低値の武器は、超速の勇者よりも速く、相手に届いた。
「ぐっ……っ! が……っ!?」
残り試合時間、四秒。
柘榴塀小平太のゲージが底をついた。
小平太の魂殻が、消失。
ビィィィーッ!
試合終了のブザーが鳴った。
『一方のソウルシェルゲージがゼロとなったため、試合を終了します』
HALが勝者の名を告げた。
『勝者、七崎悠真』




