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ソード・オブ・ベルゼビュート  作者: 篠崎芳
最終章 SOB 極彩色の世界
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38.たったひとつの冴のやり方


「なんだと? 要、するに――」


 話を聞き終えた冴は真柄に背を向けた。


「真柄弦十郎と七崎悠真は……同一人物だった、と?」

「そういうことだ」


 表情はうかがえないが、冴らしからぬ放心っぷりが伝わってきた。


「…………」


 どうも思考停止しているようだ。


 細い冴の身体がぐらりと揺れた。


 後ろへ倒れ込む冴の肩を支え、真柄は抱きとめる。


 冴の動揺ぶりは想像以上だった。真柄も少し戸惑う。


「大丈夫か……?」


 冴は貧血を起こしたような顔をしていた。


 心身ともにこれほど弱った様子の冴の姿は初めて目にしたかもしれない。


「ぅ、うぅ……なんということだ、弦十郎……だとすれば……余は、お、おまえに対してあの数々の冷言れいげんを……」


 すっかり血の気の引いた様子の冴。まるで悪夢にでもうなされているみたいだった。


「気にするな……平時の黄柳院冴はあのように振る舞うべきだと、俺も理解している」

「待ってくれ、余の方はまるで理解が追いついておらん――あぁ、だが思い返せば……七崎悠真の振る舞いにはどことなく弦十郎らしさがあったような気も、する」

「肉体の入れ替わりなど普通は信じんだろう」

「少なくとも今は信じたくないぞ、弦十郎」


 ふらつくものの冴は自分の足で立った。


 しかしショックが抜けていないせいだろうか、しなだれかかるように、真柄の身体に再び寄りかかってきた。


「すまない。思った以上に、余は動揺しているようだ」

「気にするな。いつでも支えてやる」

「おまえはいつでも優しすぎるな、弦十郎……」


 少し血の気の戻り始めた唇で、冴がかすかに笑みの形を作る。


「いや、しかしそうか……あの娘を守るのであれば殻識生として学園に潜り込むのが最適……同級生であれば、より近づきやすいか」


 依頼主のことは話さなかった。


 オルガの身を守りたい人物から依頼を受けた、とだけ冴には話した。


 四〇機関の技術や人間が間接的に関わっているのを”黄柳院冴”に話すのはかまわない。


 しかし”黄柳院の当主”として知る必要はないと判断した。


 知ってしまったことで無用な混乱を引き起こすケースもある。世の中には、知らぬ方が上手く運ぶこともあるのだ。


 蒼ざめた顔の冴が細い手首を額にあてた。


「……余の数々の冷言れいげんを詫びさせてくれ、弦十郎」

「謝るのは、俺の方だ」

「なんだと?」

「俺は今までおまえを欺いていた」

「何を言う……おまえの行動に咎はなかろう。真柄弦十郎の思惟しいたがえはない。余が知るべきでないと真柄弦十郎が判断したのなら、余はそれを受け入れるだけだ」

「買い被りすぎだと言いたい点もあるが、次期当主らしい寛大さに感謝するよ」

「勘違いしてもらっては困る」


 寄りかかったまま目を閉じると、冷や汗を浮かべながら、冴は真柄の胸に強く顔を寄せた。


「余がここまで寛大になるのは、おまえにだけだ」



     ▽



「それにしても……それほどの技術がこの国に存在していたとはな。さすがの余も、驚きを禁じ得ん」

「外に対しては秘匿されているテクノロジーだがな。技術者によれば、適性やコストの問題で実用化に何年かかるか知れたものではないそうだ。仮に世へ出ても人権や倫理性の問題は確実に噴出するだろうしな」


 冴が、印の施された手袋を見つめる。


「これの原理も、科学的には解明できておらんそうだ。あるいは、余の性別変化も魂だけが入れ替わっているのかもしれぬな」


 見ようによっては冴の”龍泉”も魔法そのものと言える。


 あらゆるものに干渉する能力。


 あの霧間千侍となると断言は難しいが、冴の”龍泉”は極生流相手にも十分通用する力だ。


 真柄は、胸の中におさまる冴を見おろす。


「だとしても魂は一つ……俺にとっては、どちらも冴に違いはない」


 苦い顔をする冴。


「七崎悠真を邪険に扱っていた余としては頭の痛い言葉だ」

「俺と七崎悠真は別と考えていい。俺自身も正体を隠すため、別人として振る舞っていたわけだしな」


 冴は少し口を尖らせた。


「弦十郎」

「ん?」

「今の余はあの娘――黄柳院オルガに憎しみを抱いている」

「オルガに? 何が気に障った?」


 うむ、とうなづく冴。


「身体が違うとはいえ、あの学び舎で同級生として弦十郎と……しかも身近でボディーガードをしてもらうなど……一等、溜飲の下がらんものがある」


 これには真柄も苦笑の念が湧いてくる。


「そこなのか?」

「小童の狭量と嗤うか?」

「いや、そうだな……年以上に大人びているせいか、俺はおまえが二十歳はたちに満たないということをたまに忘れそうになる。しかし年齢からすれば、そういった感情を抱くのもおそらく不自然ではない」


 先ほどのふらつきでやや乱れた着流しを直してやりながら、真柄は続けた。


「そもそもおまえは他の同世代と比べて、本来その年で持つべき欲望のほとんどを抑えすぎだ」

「弦十郎を困らせたくないだけだ」

「今日は、困らせてもいい」

「何?」

「何か俺にしてほしいことはあるか? おまえの協力に対して今回はまだ何も報いていない。今日は一つ、なんでも頼みを聞いてやる」

「ならば、ちょうどよい」


 考え込まずに冴は切り返した。


「実は今日おまえに見せたいものがあった。それを見てもらうことにしよう。では、しばしそこで待っていてくれ。よいか、離れることは許さんぞ?」

「わかった。ここで待っている」


 今日は元々、その何かを見せる予定があったようだ。


 草葉の揺れる青々とした爽やかな景色を眺めていると、背後にいきなり気配が出現した。


 どうやら”龍泉”で気配を遮断していたらしい。


 真柄の方も気配を察知しようとしていなかったので、完全に不意を衝かれた形となった。


 振り返ると、冴がいた。


 後ろで結っていた髪は解かれている。


 そして着流し姿ではなかった。


「他の誰にもこの姿は見せられないからな」


 手袋もしていない。


「ただ――」


 身体の凹凸や丸みを帯びた膨らみは、女のそれである。



「弦十郎にだけはいつか、見せたいと思っていた」



 殻識学園の女子の制服を着た冴が、そこに立っていた。



「余がこの制服を着用して学園へ通うことはかなわぬ。しかし――女子生徒としての余を一度でいいから、おまえに見せたかったのだ」


 不安げな冴の声が続く。


「……弦十郎? どうか、したか?」


 真柄はハッとした。


 我に返ったのだと認識し、やれやれと頭を掻く。


(見惚れて言葉を失うとはな……こんなのは、いつ以来か)


 身の置き場がなさそうに、気恥ずかしげに視線を逸らす冴。


「感想を、聞きたい」

「ひと言で言えば似合っている」

「……本当か?」

「嘘を言ってどうする。しばらく見惚れていたくらいには似合っていたさ。さっきの俺の様子を見ればわかるだろう?」


 女独特の色気を帯びた綺麗な唇を真一文字に引き結んだ冴の目が、皿のようにゆっくりと開いていく。


「そ、そうか――似合って、いるか」

「文句なしにな」


 黄柳院冴はこんなにも小さかっただろうか、と真柄は不意に思った。


 今の冴はひどく小さく見える。


(いや……普段の冴は自分を大きく見せようとしている。だが本当はこの大きさが冴の”普通”なのだろう)


 普通の十代の少女。


 本当はそうなのだ。


 覇王の気もなければ、刺々しい堅牢もない。


 ただ美しい普通の少女として過ごすことができれば、彼女の人生はどれほど違ったものになっていたのだろうか。


「この制服は今まで隠し持っていたのだ」

「例の”呪い”は大丈夫だったのか?」

「ふふ……女子の制服を所持するなとは、命じられていないのでな」


 ふと、少し冴が苦しそうにしているのに気づく。


(感情の変化によるものではない、か……?)


「冴、少し苦しそうだが」


 たおやかに視線を伏せると、冴はそっと自分の胸に手を添えた。


「ああ……どうやら今の余の胸では、いささか窮屈のようでな。そもそも当時これを入手した時点で、余の身体で採寸した制服ではなかったわけだしな。とはいえ……どうせ着る機会などそうそうあるまい。ゆえに、大した問題でもないさ」

「人は成長するものだ。時には、古い服を脱ぎ捨てる必要もある」


 耳までほのかな桜色に染め上げた冴が、なぜか、観念した表情で制服のタイに指をかけた。


「ぬ、脱げというのか……」

「待て、今のは比喩だ」

「……そ、そうか」


 冴が、てのひらの底で自分のこめかみを小突く。彼女は頬をほんのり染めたまま、自分を律するように言った。


「いかんな……女に戻ったせいで色気づいたのか、どうにも余は気が舞い上がっているようだ」


 七崎悠真として生活してみて一つわかったことがある。


 普段の冴の表情にはほとんど変化がない。


 取り澄ました表情。


 見下した表情。


 路傍の石を見るような目つき。


 無感動な薄い微笑。


「冴」


 手前まで近づき、冴の横髪を手の甲で撫でのける。


「弦十郎?」


 冴は小さなあごを上げて、真柄の顔を正面から見た。


「その制服姿だけではなく――おまえの笑った顔や照れる顔が拝めるのは、本当は特別なことだったんだな」


「――――――――」  


 冴が、唾をのみ込んだのがわかった。そして突き動かされたように、その小ぶりな口がふわりと開いた。


「弦十、郎」

「ん?」

「す、好き――」


 一度、言葉が途切れる。


 不可思議な短い間があって、冴は続きを口にした。


「――なのか? こういうのが」

「こういうの、というと?」


 真柄は内心若干の動揺を覚えていた。


(少し驚いたが……今のは、俺の早とちりだったか……)


「これだ」


 そう言って冴が横に一回転する。スカートがふわりと風に舞った。


 しかしよく考えてみると、それはどうにも冴らしからぬ行動に思えた。まるで何かをごまかすために、あえてそういう行動を取った風にも見える。


「この制服姿のことだ」

「もちろん、嫌いではない」

「……うむ、そうか」


 妙な感じだった冴の調子も戻ってきたあたりで、二人は、並んで屋敷の方へ歩き始める。


「余が殻識生の女子として”存在する”ためにはこれしか考えられなかったのだ。そして真柄弦十郎という一人の男にだけは、殻識生の女子生徒としての”わたし”を見てもらいたかった」

「もう一度、卒業式の日に俺の前でその制服を着てもらいたいところだな」

「なんだ、弦十郎? わたしの制服姿をそれほどにも気に入ったのか?」

「卒業式の日に、俺が卒業証書を渡してやる。殻識生の女子として卒業した証をな。要するに、二人だけの卒業式をしようと言っているのさ」

「――――、……ああ。楽しみにしているよ、弦十郎」


 屋敷が近づいてくると、冴はポケットから細い紐を取り出した。


 そして髪を後ろで括り始める。


 もう一人の”冴”へ戻る準備をしているのだ。


 長時間女のままでいると”龍泉”が暴走してしまう。


 黄柳院冴は今後もその人生の大半を”男”として生きていくのだろう。


 五識家を束ねる黄柳院の次期当主として。


「なあ、弦十郎」


 上がりがまちの前で背を向けたまま、冴が呼びかけてきた。


「ん?」

「礼を言う」


 白い脚を曲げて新品同様のローファーを脱ぎながら、冴は、感謝と別離を込めた調子で言った。



「おまえがいてくれるおかげで、今も”わたし”はどうにかここにいることができる」



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