13.新たなる挑戦者
(俺を探していたのか? 探しに行く手間は省けたが……)
悠真は壁際に寄った。
「さっきは災難だったな」
「先生たちに経緯を話していたら、キミの姿が見えなくなってしまって。人に聞いたら、聴取が済んだらさっさと試合場から出て行ったと……」
「長居する理由もなかったからな。で、俺に何か用か? ええっと……黄柳院、さん」
「オルガでいいですわ。キミの”さん”づけは……なぜか違和感が大きいので。わたくしも話しづらいですし」
「なら、オルガと呼ばせてもらう。で、俺を探していたのか?」
「ええ。先ほどの特例戦で起きたことについて、その……」
「あの御子神という男の腕の異変は、通常の魂殻によるものとは思えないな」
「え? ええ、そうですわね……彼自身も、制御できていなかったみたいですし」
反応からして、やはりあの腕のことは何も知らないようだ。
「まあ、御子神の方は学園側が対処するだろう」
実際は”こちら側”でも調べているが。
「俺としては、おまえが無事で何よりだった」
「え?」
虚をつかれた顔をすると、オルガは面をかすかに伏せた。
「あ――その……」
そわそわとしだすオルガ。滑らかな白い頬に朱が差しているのは、照れがあるためか。少なくとも悪印象は持たれていない。オルガがブンブン首を振った。自分に叱咤するような感じだった。
「先ほど、なんの用かと聞きましたわね? わたくしは……あなたに、お、お礼を言いにきたのですわ」
「礼儀正しいんだな」
「と、当然ですわっ! わたくしは、黄柳院の娘なのですからっ」
胸もとに手を添え、オルガは強く胸を張った。サイズが微妙に合っていないのか、制服に詰め込まれた彼女の胸は少し窮屈そうに見えた。
高らかとなされた誇示に対し、悠真はペースを変えずに応えた。
「”黄柳院を期待するな”と言っていたわりには……今の言い方は、黄柳院を強く意識しているようにも聞こえたが」
「あっ――それ、は……」
「すまない。野暮な返しだったな」
「と、とにかくですわっ!」
咳払いをして、ツンとあごを上げると、オルガは自分の中にある何かから目を逸らすようにして視線を逃がした。
「危ないところを助けていただいて、か、感謝しておりますっ」
これは少し意外に思えた。想像していたより感情が顔に出やすいタイプだったらしい。
(相手に心を許していくにつれて感情を出してくるタイプか。これを御しやすいと取るか、不安要素と取るか……しかし――)
礼を言いたいというわりには、素直になり切れていない印象である。
(いや、違う……これは、心から礼を言うのに単純に慣れていないせいだな。感謝の出し渋りからくるものではない)
「な、何を人の顔をじっと見つめていますのっ?」
「ん? いや、宝石みたいに綺麗な瞳だと思ってな」
半分は真実なので嘘とも言えない回答。鋭い感性の持ち主とはいえ、これを見破るのは難しいだろう。
「ん、なっ――」
予想通り、みるみる顔が赤くなっていった。褒められ慣れている印象があったが、これも読み違いだったようだ。
(これが黄柳院の娘か……想像していたよりちょろい印象だが……)
これにはいささか悠真も面食らった気分だった。”黄柳院”を意識しすぎているために、普段は本来の自分を出せていないのかもしれない。
想定外の感情豊かな反応にはやや面食らったものの、すぐさま、ヒビの入った気持ちをセメントで固め直す。
「さて……そっちの用事は済んだようだし、俺の方の用事を済ませても?」
「わたくしにですか? ええ、どうぞ」
「聞きたいことがあってな。なぜおまえは、無条件で特例戦を――」
「ここにいたか、七崎悠真」
何者かの声が悠真の言葉を遮った。
オルガがやって来た方向から、一人の男子生徒が姿を現す。
整った顔立ちをした黒髪の少年。引き締まった顔つき。力強い眉が彼の意志の強さを示していた。一見すると中肉中背だが、制服の上からでもわかるほどにその身体は鍛えられている。
(2−Bの生徒とは纏っている空気の質が違う……何者だ?)
「おれは柘榴塀小平太。おれのことは知っているか?」
ネクタイは黒。
三年生。
「いえ。俺は今日、この学園に転入してきたばかりでして」
「気味の悪ぃ敬語はやめろ。おまえさんにゃ似合わねぇんだよ、七崎。上級生だからって、敬語はいらねぇ」
「……俺に何か?」
オルガの表情を見て察した。
この上級生は彼女の動揺を誘う程度の何かを持つ人間だ。少なくとも、彼女が悠真との会話から意識を引き剥がされる程度には。
小平太が近づいてきて、悠真の手前で止まる。何か言いかけたオルガを、彼は歩きながら鋭い視線で抑え込んだ。
悠真より少しだけ背が高い。わずかに小平太が見下ろす形になる。野生の獣めいた目つき。けれど宿しているのは気迫だけではない。純粋があった。
「おれはおまえを認めるわけにはいかねぇ」
「どういう意味だ?」
「おれと特例戦をしろ」
「唐突だな。脈絡がない」
「おれにはある」
今にも咬みついてきそうな距離で、小平太が威圧的に問うた。
「さっきの戦いは、なんだ?」
「俺は乱入者だったからな。イレギュラーな試合だったと言えるだろう」
「そういう話じゃねぇんだよ。勝ち方の話だ」
「勝ち方?」
「あんなものは、魂殻使いの戦い方じゃない」
なるほど。この男は先ほどの特例戦を観戦していた。そして、悠真の行った締め落としでの決着に何かしらの強い不満を抱いたわけだ。
「おまえには、俺の攻撃が正しく測れたようだが……」
この男には七崎悠真の攻撃が視えていた。だからこそ、あの数秒の攻撃が魂殻とは遠い場所にあるものだと理解できた。たった数秒の攻撃で、七崎悠真の実力の一端を把握できる力量を持った人物。何者だろうか。
「俺の戦い方が気に入らないから、潰したいというわけか?」
「その前に聞く。おまえはあの戦い方をこれからも続けるつもりか、七崎?」
「俺が必要な状況だと感じたらな」
「この殻識でか」
「ああ」
「今後おまえは魂殻をメインに据えて戦うつもりはないのか?」
「俺の霊素値では限界があるからな。ただし魂殻は、補助としては優秀だ。それでもだめか?」
小平太の敵意が膨張していくのがわかった。
「だめだ」
息をつく。
「で、おまえはどうしたい? おれと特例戦をして、おまえは何を得る?」
「正したい」
「正す、か。なるほど、ずいぶんとご立派な人格をお持ちらしい」
ぐいっ
小平太は悠真のタイを強引に掴むと、乱暴に引き寄せた。
「てめぇの存在は、おれたち殻識の生徒を侮辱している」
義憤に燃える小平太の瞳を静かに見返す悠真。
「解釈が大げさに聞こえるのは、俺がこの学園に来たばかりだからか?」
「おまえに実力があるのは、認める」
小平太がタイを放す。
「だが、魂殻の生徒としてはふさわしくない。だから、おれが勝ったら……おまえには、退学してもらう」
「ふむ」
「退学の手続きまでは必要ない。二度と登校しないだけでいい。おれはおまえがこの学園にいることが、我慢できないだけだからな」
いち生徒にそんな権限があるのかと問いかけたが、なるほど、自主的な半永久欠席ならば、これはもう退学に等しい。いずれ卒業に必要な出席日数も足りなくなるから卒業もできない。結果として自らの手をほぼ穢さず、気に入らない相手を再起不能まで追い込めるわけだ。もっとも、そもそもそんなことを強制できる権利が彼にあるのかどうかは甚だ疑問だったが。
「悪く思うなよ? これが、誇りを守るってことなんだ」
真っ直ぐな瞳。曇りのない宝石だった。
「お待ちなさい」
小平太の口もとが斜めになる。
「……なんだ、黄柳院のお嬢さん?」
悠真と小平太の間に割り込んだのは、オルガ。
「今の話、到底受け入れるわけにはいきませんわ」
「黙ってな、黄柳院のお嬢さん。こいつはおれと七崎悠真の問題だ。それともなんだ? 黄柳院のお嬢さんは、こいつの恋人か何かか?」
「こ、恋人っ!?」
オルガの顔に朱が戻る。
「違います、けれど……」
恋人でなければ介入できないなど暴論もいいところだ。この小平太という男、ロジックよりも勢いや空気で押し通すタイプのようである。であるがゆえに、ロジックだけでは対処しづらいタイプだ。ただ、相手が黄柳院でも引け腰にならない胆力はなかなかのものである。あるいは、ただ鈍感なだけかもしれないが。
気を取り直したオルガが口を開く。
「ですが……い、今の話は難癖すぎますわっ! 先ほどの特例戦、彼はわたくしを助けてくれたんですのよっ!?」
「あの時、あんたは本当に危険だったのか? 黄柳院のお嬢さん?」
「そ、それは……危険だったと、思いますわ」
「つまり、だ」
バンッ!
まるで退路を塞ごうとするかのようにして、小平太は、悠真の背後の窓に掌を叩きつけた。
「この七崎悠真は、ランキング四位である黄柳院オルガよりも――魂殻なしに等しい状態で、強いわけだ?」
要するになわばり意識か、と悠真は小平太の本音をまとめた。
本来ランキングの下位にいなければならない霊素値の低い者が、ランキング上位者に匹敵してしまう。
これは魂殻使いであることを誉れとしてきた者たちにとって脅威的存在と言える。生徒によっては今まで信じてきたものが崩壊しかねない。中には、こうして学園のアイデンティティを揺るがす大事件と大げさに解釈する者も出てくるわけだ。
「オルガ」
「は、はいっ」
突然の出来事に意識を完全に奪われていたのか、オルガが弾かれて返事をした。
「この男について教えてほしい。何者だ?」
死刑宣告でも告げるみたいな気まずい顔で、オルガは答えた。
「柘榴塀小平太は――学内ランキング三位の、魂殻使いですわ」




