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ソード・オブ・ベルゼビュート  作者: 篠崎芳
最終章 SOB 極彩色の世界
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36.花声


 オルガを待つため真柄は車のところへ戻った。


 近くに別の車がとまっている。


 見覚えのある車。


 車から一人の女が出てきた。


「ご無沙汰しております」

「久しぶりだな、水瀬兼貞」


 彼女は四〇機関に所属する久住彩月の上司だ。


 今日も黒のパンツスーツ姿。


 真柄は自分の車に寄りかかった。右手の缶ジュースを投げて寄越し、水瀬が聞いてきた。


「尾行、気づいてましたよね?」


 缶をキャッチする。


「まあな」


 若干の違和感を覚え、真柄はラベルに視線を落とす。


(『おしるこ〜んぽたーじゅ』……)


 水瀬があっけらかんと尋ねる。


「どうしました?」

「いや、なんでもない」


 プルタブを開けずに、とりあえず真柄は缶を手の中で遊ばせることに決めた。


 真柄は水瀬を見た。 


 これからする質問は今回の一連の出来事を解決するのには不要だった。だからこれまで知ろうとはしなかった。しかし、いささかの興味はあった。


「今回のオルガの護衛依頼はおまえの望みだったと聞いている。それに久住が協力した形だと」

「はい」

「所属するヨンマルに極秘裏で動くリスクは相当だったはずだ。それでもオルガを守ろうとしたのはなぜなのか。その理由が、気にならなかったわけでもなくてな」

「要するに、理由を知りたいと?」

「ヨンマルが今回の件でホワイトヴィレッジやキュオスの動きを黙認していた理由も、気になると言えば気になる」

「そうですねぇ」


 水瀬が飄々とした雰囲気で思案する。そして、彼女は真柄の隣に立った。


「このたびの真柄さんの活躍ぶりを考えれば話すべきなのでしょうね。ただし、私がここで話す情報は絶対に外部へ漏らさぬようお願いします」

「わかった」


 小気味よいプルタブの音を立てて、水瀬が自分の分の奇抜飲料の缶を開けた。ひと口飲んで「ふぅ」とひと息つくと、彼女は真相を語り始めた。


「機関の目的は純霊素でした」


 なるほど、と真柄は言った。


「ホワイトヴィレッジが純霊素を手に入れたらのちに、ヨンマルにも供与する約束していたといったところか。その代わりに、黄柳院オルガを捕える際に起こる国内での動きをヨンマル側は見逃すと」

「ええ、そんなところです」


 その流れなら目的の純霊素を労せず入手できる。自ら動く必要はない。さらに言えば、ホワイトヴィレッジとの関係性を強めたいという意図もあったと思われる。


「機関は五識の申し子を危険視しています」


 五つの典外魂殻。


 中でも絶対最強を誇る黄柳院冴の”龍泉”の名は広く知れ渡っている。それ以外の申し子の持つ魂殻もあのホワイトヴィレッジが用意した手練れたちを圧倒し、蹂躙するレベルの強さを持っている。


 一方で四〇機関には広く名を知られる魂殻使いがいない――表へ出ている情報では、だが。


 水瀬が困ったみたいに微笑む。


「彼らの魂殻性能は異常なんですよ」


 以前から機関内では五識の申し子に対するいざという時の対抗手段が存在しない現状を問題視する声が絶えなかったそうだ。


「そこで五識の申し子に対抗すべく機関内からメンバーが選出されました。そうして新たな特設チームが結成されたのが、一年前の話です」


 缶を傾け、虚空を見据える水瀬。



「その特設チームは、名を” 艦隊 フリート”と言います」



 まるで複雑な胸中を吐露するように、水瀬は曖昧な微笑を浮かべた。


「実は私も、そのフリートの一員でして」

「おまえも魂殻使いなのか」

「はい。ま、人工的な”改造式魂殻使い”と言い直すべきなのかもしれませんけどね……」


 水瀬が缶を手にしたまま首を傾ける。彼女が髪が、サラッと頬に垂れた。


「ちなみに私の魂殻は”飛龍”と言います。ただし、未完成ですが」


 未完成。


 四〇機関が純霊素を欲しがっていた理由、がわかった気がした。


「そのフリートの改造魂殻を完成させるための最後のピースが、純霊素だったというわけか」

「はい」


(例の新設部隊設立の情報がヨンマルへ伝わって、機関側の焦りに拍車がかかったのかもしれんな)


 持ち上げた腕を、苦笑しながら見つめる水瀬。


「今のままで十分、バケモノみたいな魂殻だとは思うんですけどねぇ」


 水瀬の空気がゆるむ。彼女は憂鬱そうに肩を落とした。


「いやぁ……しかもフリートは私が紅一点なんですがね? なんというかその……あれこれ面倒な男どもでして。いやまあ、これはただの愚痴なんですけどね?」


 目を糸状にし、大仰なため息をつく水瀬。


「機関内に女性ファンが多いくらい見た目がイイのは認めざるを得ないんですが、いざ近くで働くとなると……これがもうほんっと面倒くさい人たちでして。特に立場的に上司にあたる二人がもうほんと厄介で……司令の息子だけはまあ、なかなか素直でいい子なんですけど……」


 ヤケ酒でも飲むみたいに水瀬がぐいっと缶の中身を飲み干す。ぷはぁっと口を袖でぬぐって、彼女は続けた。


「そんなチームメンバーのフォローに日々追われている身としましては、久住や氷崎と過ごす時間が何気に貴重な癒しなのですよ。実は二人を誘って女子会的な催しを定期的に行っています。あの四人を前にしても目がハートマークにならない同性に、溜まったものを色々吐き出したくて……まあそういう経緯で、二人とは特に仲がよくなったわけです」


 そんな関係性を続ける中で、酔いの回った久住から真柄弦十郎の存在を知ったのだそうだ。


(要するに久住は愚痴の聞き役を押しつけられたわけか……やれやれ、あいつもそういうお人好しなところがあるからな……)


 とはいえ、久住や氷崎から水瀬の愚痴やら悪評を耳にしたことはない。


 だから水瀬兼貞はあの二人から好かれているのだろう。


 話を聞く限り、水瀬は有能な苦労人といった感じのようだ。


「なるほど、今回の件に対するヨンマルの立ち位置はわかった。が、まだ水瀬兼貞が危険をおかしてまで黄柳院オルガを守ろうとした理由を聞いていない」


 と、水瀬の空気が変わった。


 緩い雰囲気は鳴りを潜め、胸に感傷を秘めた大人の雰囲気を纏い始める。決して明るくはない過去を、理性という檻を使って胸奥へしまい込んでいる人間の顔。


 水瀬はそれから、オルガと出会った頃の話をした。


 真柄は黙って話を聞いていた。


 そして水瀬が語り終えたあと、真柄は、オルガの母の家の方角を眺めた。


(たとえ血が繋がっていなくとも、オルガにはよい”家族”がいたらしい。なるほど、オルガには――)


 黄柳院オルガには血のつながった母親以上に母親らしい母がいた。


(血のつながらない姉もいたというわけか)



     ◇



 真柄弦十郎にすべてを語り終えたあと、軽く会話を交わしてから、水瀬兼貞は自分の車へ戻った。


 空になった缶を車内のゴミ箱に放り込む。


 エンジンをかけ、ハンドルに手を添える。


「そう、私は――」


 オルガの入っていった家を遠目に見つめ、水瀬は、誰にともなく呟いた。


「大切な”妹”をまた失うわけには、いかなったんですよ」



     △



 数年前のことだ。


 ある日、水瀬兼貞はすべてを失った。


 水瀬はそれまで妹のためにがむしゃらにがんばってきた。


 その頃の水瀬にとって人生のすべてはたった一人の妹に集約されていたと言っていい。


 親を失ってから姉妹二人で懸命に生きてきた。


 血をわけたたった一人の妹。


 美人で評判の妹。


 自慢の妹。


 けれどその妹が交通事故で、あっさり死んだ。


 なんの前触れもなく。


 無免許の老人が運転する車が道路を逆走し、信号で停止していた妹の車に突っ込んだのだ。


 事故の際に老人が乗っていたのは、事故防止の補助機能がついていない車だった。


 趣味で乗っていたクラシックカーだったそうだ。


 老人は無傷で助かった。


 しかし妹は、助からなかった。


 老人は自分がなぜ事故を起こしたのかも、そもそも何が起こったのかも覚えていないと話したらしい。


 ぽっかりと心に穴があいた感覚だけが、残された。


 積み上がっていた仕事を機械のように処理してから引き継ぎを終えると、水瀬は半年の休みをもらった。


 問題なく長期休みを取れたのは、これまで積み上げた努力のおかげだった。


 妹の大学の学費やら生活費のために必死で働いて得た功績。


 結果としては、無意味な功績となってしまったが。


 半年間の休養。


 結局、心の空疎さは埋まらなかった。


 まるで。


 微塵も。


 半年後、仕事に復帰した。


「君には渉外部しょうがいぶへ行ってもらう。黄柳院家の担当だ。君は優秀だからな。半年のブランクも、すぐに埋まるだろう」


 埋まる?


 馬鹿を言え。


 何も埋まってなどいない。


 気づけば、水瀬は黄柳院家の屋敷の前にいた。


 時代感覚を失いそうな門構えだと思った。


 厳めしい立派な門をくぐる。


 どうでもいい。


 どうでも、よかった。


 雨が降っていた。


 と、屋敷から一人の少女が出てきた。


 なんとなくだが、妹を思い出した。


「あなた、名前は?」


 敬語を忘れ、名を尋ねた。


「オルガ」


 晴れ空みたいな澄んだ微笑だった。


「黄柳院オルガですわ」


「いい名前だね」


 適当に言った。


 少女に手を引かれて屋敷に上がった。


 本来は他の家の者に挨拶をすべきだったが、どうでもよかった。


 気づけば雨があがっていた。


 オルガと二人、庭の見える縁側に立つ。


「わたくしにはお姉様がおりませんの。お兄様は、いるのですが」


「ふーん」


 興味ない。


「だから兼貞さんがわたくしのお姉様になってくれたら、嬉しいですわ」


 ドキッ、とした。


 少女の顔に刻まれていたもの。


 深い孤独。


 しかしそれは、自覚のない孤独だった。


 なんて悲しい少女なのだろう。


 そう思った。


 我に返ると、水瀬は少女の頭を撫でていた。


 まるで昔、妹にしていたみたいに。


 自分でも水瀬は驚いた。


 オルガが笑った。


 くすぐったそうに。


 嬉しそうに。


「ありがとう、オルガ」


 今度は、適当な言葉ではなかったと思う。


「どうして兼貞さんが、ここでわたくしにお礼を言うのですか?」


「先へ進むことが、できるかもしれないから」


「先に? わたくし、よくわかりませんわ」


 気づけば自分も微笑むことができていた。


 しばらくしてから、水瀬はそのことに気づいた。


「代わりには、ならないけど――」


 しずくのように小さなつぶやきが口から漏れる。



「埋めることなら、できるのかもしれない」



 雨に濡れたヒペリカムが庭に咲いていた。


 黄色い花をつけている。


 別名は金糸梅キンシバイというのだったか。


 花言葉はなんだっただろう。


 死んだ妹は花が好きだった。


 兼貞は、妹から色んな花の花言葉の由来をよく聞かされていた。


 記憶を探りつつ、剥き身のゆで卵みたいなオルガの滑らかな頬を撫でる。


 そうだ。


 思い出した。


 雲間の間から青空が覗いた。


 太陽の白い光が降り注いでくる。


 ヒペリカムの花言葉は”きらめき”と――




「”悲しみは、続かない”」




 ヒペリカムの花びらの先端から陽光にきらめく雨しずくがポタリと落ちた。


 そのしずくはまるで、涙のようにも見えた。


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