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ソード・オブ・ベルゼビュート  作者: 篠崎芳
最終章 SOB 極彩色の世界
127/133

35.Another、Mother


「おや、あんたかい」


 オルガの母の家の前まで来ると、その家の正面に住む老婆が声をかけてきた。


 この老婆と真柄は過去に面識がある。彼女は以前、オルガの母の監視役に見つからないよう自分の家に真柄を匿ってくれた。


 照りつける太陽のせいか、はたまたお洒落が目的かは不明だが、老婆はいやにスタイリッシュなサングラスをかけていた。


「性懲りもなくあの家の女性を訪ねてきました。こちらの事情に変化があったというのもありますが」


 真柄が言うと、老婆は窓にカーテンのおりた正面の家を眺めた。


「あの子はいい子だよ」


 以前と比べるとオルガの母に対し親しげな空気を感じる。


「家にこもってばかりだと気が塞ぐだろうから、何度か訪ねたんだ。しつこく訪ねてるうちに、会話してくれるようになった」


 今は交流を持ち始めたらしい。


「あたしがそういう行動を起こせるのも、最近あの奇妙な連中があまり姿を見せなくなったのもある。あれかね? 囲っていたヤクザの親分が、あの子に飽きちまったのかねぇ?」


 老婆が、ぺっ、と地面に痰を吐き捨てた。いやにきっぷがよく見える吐き方だった。


「いつの時代も男ってのは勝手なもんさ。女の気も知らんでな」


 黒服たちの訪問頻度が激減したのは、良正の死と、その件以降皇龍が寝込んでいるのが影響したと考えられる。


「で、あんたは何をしにきたんだい? あんたのことは一応信頼してるけど、あの娘を傷つけるような用事はご法度だよ?」

「見方によってはご法度の範疇に入るかもしれません」

「……どういう用事か言ってみな」

「何年も会っていない彼女の娘を連れてきました」


 老婆がサングラスを外す。彼女は蔓を閉じると、アロハシャツの胸ポケットにそれを突っ込んだ。


「そいつは、追い返すわけにはいかんわな」


 大股に歩く老婆のあとに続き、オルガの母の家の玄関先まで行った。


 老婆がチャイムを押す。


「あたしだよ! あんたに客だ! 追い返すにしてもせめて話だけは聞いてやりな! 悪い人間じゃねぇから!」


 しばらく沈黙が漂っていたが、少しして、足音が近づいてくるのが聞こえた。

 恐る恐るといった動きで玄関のドアが開く。


「どういった、ご用でしょうか」


 真柄を認めると、女は怯んだ気配をみせた。


「あなたの娘のことで少し、お話をさせていただけませんか」


 一瞬のうちに女の瞳が恐怖に染まる。


「か――帰ってください!」

「紫条良正が、亡くなりました」


 良正の死を口にすると、閉じられかけたドアが途中でピタリと停止した。

 猜疑心の残る怯えた瞳で、女が真柄の顔を見上げる。


「本当、ですか」

「確かです。そして今は皇龍も床に伏せっている状態です。最近あなたを訪ねてくるあの家の関係者が少ないのが、その証拠になるかと思いますが」


 しばし考え込んだあと、ドアが再び人を迎え入れる広さまで開かれた。


「……どうぞ、お入りください」

「じゃあ、あたしはこれで」


 老婆が踵を返す。


「大丈夫だとは思うけど、何かあったら迷わず大声を出してあたしを呼ぶんだよ? いいね?」


 女が深々と老婆に頭を下げる。


「ありがとうございます」


 真柄も老婆に礼を言い、家に足を踏み入れた。



     ▽



 黄柳院オルガが紫条月子の実の子であると知っている旨を話すと、女は、観念したように話し始めた。


「私は、元々この世に存在しなかった人間でした」


 座布団に腰を落ちつけ、オルガの母はそう切り出した。


「そんな私を良正様が引き取り、この国で生活の面倒を見てくださったのです」


 引き取り手の名や霊素持ちという違いはあるものの、ティアも皇龍に引き取られたという経緯を持っていた。


 皇龍のものか良正のものかは不明だが、黄柳院にはそのような”身請け”を生業とする者たちとのパイプが存在するようだ。


「黄柳院のために裏仕事をする人材を育てるのが目的だったと聞いております。ですが、元の生活を考えれば私には夢のような生活でした」


 日本語が堪能だ。聞けば四か国語を流暢に話せるという。カタコト程度なら、八か国語が話せるそうだ。


「血縁者がいないも同然の人間は切り捨て安い――良正様はそうおっしゃっていました」


 いくつかハードルはあるものの裏の”道具屋”を介せば、この国の戸籍やパスポート、健康保険証、生きている口座などの入手は可能である。


 さらに黄柳院の力をもってすれば、存在しない人間を”存在する人間”として仕立て上げるのはそう難しくないのだろう。


「私は、捨て駒扱いをされてもよかったのです。衣食住の足りた生活。それが、いかに素晴らしいことか」


 オルガの母はそこで視線を伏せた。


「私は黄柳院に仕える人間となるべく日々勉強を積んでいました。そんな、ある日のことでした」


 良正の娘が産んだ子の母になれと命を受けた。


 やや若いものの、年齢的にはオルガの母として適役だった。


 しかしやはり何より大きかったのは人種だったという。


 もっと言えば、瞳の色。


 霊素変異により色が変質したオルガの青い瞳と、彼女のブルーアイが、都合のよい符号の一致をもたらした。


「事情を聞くことは許されませんでした。それでも良正様に見放されたら行き場のない私は、オルガの母を演じる覚悟を決めました」


 しおれた様子で訥々と話すオルガの母。


 懸命に感情を押し殺しているのが、語り口からうかがえた。


「一つ疑問があります」


 真柄は口を挟む。


「あなたは総牛の妾だったとなっている。しかし……黄柳院ぐるみであなたが総牛の妾だったという過去を偽造するにしても、総牛は承知したのでしょうか?」

「あの方……総牛様は、ひと言だけこう答えてくださいました。『自分は父の命には逆らえません。それが黄柳院という宿痾なのです』と」


 現当主といえど元当主で父である皇龍の命令には逆らえない。


 自分が妾を囲っていたという嘘の人生遍歴を、総牛は受け入れた。受け入れざるをえなかった。


(あるいは……紫条月子ではなくこの女と結ばれていた方が、黄柳院総牛にとっては幸福だったのかもしれんな)


 オルガの母の口もとがかすかに綻ぶ。綻びは、思い出の残滓から生まれ出たものに見えた。


「不思議なもので……自分の本当の子でないとわかっていても、次第に愛情のようなものが芽生えてきたのがわかりました。あの子は、本当によい子で」


 オルガを大切に思っていたのが伝わってきた。


 普通の生活を送れていたなら、彼女は普通の幸福な女性として生きていたのだろうか。


「特技、というほど大層なものではありませんが……良正様に拾われる前は、縫い物をして細々と小金を稼いでおりました。その経験を活かしてぬいぐるみを作ってあげるとあの子はとても喜んで……その喜ぶ顔が見たくて、また一つ、また一つと……」


 無意識にだろうか。オルガの母の手がわずかに、縫い物をするような動きを紡いでいる。


 手の動きが、止まった。


「ですが、私はあの子を裏切りました」


 良正の命令によって彼女は、別れも告げずにオルガのもとを去った。


 そしてここへ連れてこられて再び”存在しない人間”としての生活を始めることになった。


「良正様によると、本来なら私は文字通り消されることになっていたそうです。しかし総牛様が、命まで奪うのはあまりに酷だと……良正様にそう訴えてくださったと聞いております」


 一方、娘であるオルガが生かされていたのは皇龍の意向だったそうだ。


 過去に黄柳院の女児の間引きが行われた時代の当主は、例外なく非業の死を遂げている。


 蔵してある文献にそう残っているらしい。


 過去の非業の死が偶然なのかどうかはわからない。


 ただ皇龍はそれを”呪い”として恐れ、オルガを殺すのを強く躊躇ったという。


(黄柳院皇龍か……出色の人物ではあったが、女という生き物に対する恐怖だけはついぞ克服されることはなかったらしい)


 良正の洗脳すらはねのけるほど、皇龍は”女”という呪いを恐れた。


 皮肉なことに、そのおかげでオルガが良正の手にかかることはなかった――皇龍が、頑なにそうさせなかったようだ。


「オルガはきっと私を憎んでいるでしょう。あの子を捨てたこの私を……いいえ、あの子の中ではきっともう私は――」

「生きています」


 差し挟まれた真柄の言葉にオルガの母が顔を上げた。”生きている”という言葉の真意を測りかねている表情をしている。


「あなたは今もあの子の中で、大切な母親として生きています」


 確実にあるかどうかわからない、母という思い出の綿が詰まった、たったひとつのぬいぐるみ。


 それを捜すため彼女の娘がこれまで何をしてきたかを、真柄は話した。


 話を聞き終えたオルガの母は口もとをおさえると、嗚咽を漏らした。


「――ッ、……っ、ごめん、なさい……っ」


 くぐもった声だったが、オルガの母の口から出てきたのは謝罪の言葉だった。反射的に口をついて出たのだろう。


 誰へ向けて放たれた言葉なのかは言うまでもない。


「私はあの子の気持ちを、裏切り続けてっ……あの子がそんなにもっ……こんなニセモノの母を、想ってくれていたというのに……っ」

「ニセモノとも限らないでしょう」

「ニセモノですっ」

「いいえ、違います」


 真柄はそう言って、まっすぐにオルガの母の瞳を見た。


「血のつながりだけが、必ずしも”親子”の証とは限りません。産みの親が紫条月子だとしても……あの子にとっての”母親”は、あなたなのです」


 オルガは真実を知らない。

 そして、それでいいのではないか。

 黄柳院オルガにとってはこの女性が”母親”のままで。


「実は、娘さんを連れてきています」


 オルガの母の肩がぴくりと反応した。


「今日、あの子がここに……」

「あなたたち母娘を取り巻いていた黄の魔境の鎖は、今はないも同然です。ですから二人が会うことに今までのような危険はありません」

「ですが」

「会ったあと、すぐ親子の生活に戻ってほしいとは言いません。ただ……あの子と、会ってあげてほしいのです」


 この二人の場合は、親子の時間や感覚をゆっくりと取り戻させてあげた方がいいのかもしれない。


 雨水が、ゆっくりと時間をかけて大地に染みこんでいくように。


「ですが、仮に会うとしましても……これまでのことをあの子に、どう説明したらいいのか」

「一緒に暮らせなかった理由は黄柳院からの命令だったと言っておけばいいでしょう。その理由は知らぬ存ぜぬで通した方がボロが出なくていいかもしれません。あなたはわけもわからず、黄柳院の命令に従うしかなかった。そして、ここで軟禁状態にあった。それでいいでしょう」


 あながち事実と食い違っているわけでもない。

 だから、問題あるまい。


「…………」

「あなたが本当の母親だとオルガは今でも信じています。そしてあなたは、今もオルガの母親……個人的には、それが”真実”でいいと思っています」


 黄柳院オルガの幸せを考えればそれが一番いいように思える。


 ちなみに実母の紫条月子の方だが、調べてみたところ、今後は彼女の存在を強く気にかける必要はなさそうだった。


 立て続けに女児を生んだショックによって正気を失った紫条月子がゆっくりと快復してきている――紫条良正はそう言っていた。


 しかし実際に紫条月子に起こっていたのは、快復と呼ぶにはいささか首を傾げる”退行現象”であった。


 時間が経つにつれて精神性だけがどんどん昔へ若返っているというのだ。


 良正は娘を愛していた。そして特に幸せだった時期とは、娘が黄柳院へ嫁ぐ前までの人生だったはずだ。


 つまり言動や振る舞いが過去へ戻っていく月子の”退行”は、良正にとって”快復している”と同義であった。


 幸せだった”あの頃”へ戻ってきている。


 良正はそう認識していた。


 調べた情報によれば、現在は幼児期と思えるほどまで退行しているそうだ。


 今の紫条月子は自分が子を産んだことすら覚えていない。


 オルガはおろか冴すら産んだ記憶がない。いや、今の彼女の世界ではまだ結婚すらしていないのだ。今後の彼女の人生は決して帰らぬ父――良正の帰りを、月子を介護する者たちと待ち続けるだけなのかもしれない。


 ちなみに今後の紫条の家の面倒は総牛の意向により、黄柳院が見ることになったと聞いた。


(総牛もつくづく人のよい男だ。見方を変えれば甘いとも言える。しかし……その甘さのおかげで、オルガの母親は今もこうして生きている)


 時には甘さも悪くはない。真柄はそう思った。


「あの」


 葛藤していたオルガの母が、ぽつりとこぼした。


「どんな結果になろうと……せめてひと言、あの子に謝りたいと思います。会わせて、いただけるでしょうか?」

「もちろんです。では、オルガを連れてきましょう」


 立ち上がり玄関へ足を向けたところで、一度、真柄は歩みを止めた。そしてひと言、礼を述べた。


「あの子に会うと言ってくれて、ありがとうございます」



     ▽



 車に戻った真柄は、母親が会いたいと言っているとオルガに伝えた。


 オルガは安堵と嬉しさ、そして緊張がない交ぜになった反応を見せた。ただし今は緊張が感情の多くを占めているようだった。


 無理もない。


 一つ深呼吸をすると、オルガは母からもらったぬいぐるみを抱き締めて車を出た。


 家の方まで二人で戻ると、オルガの母は玄関先に立っていた。成長した娘の姿を認めるなり、オルガの母は、感極まったように口に両手を添えた。


「オル、ガ?」

「お母、さま」


 感情に背を押されるように、どちらからともなく母娘が駆け出す。

 そして互いを、抱き締め合う。


「許してとは言わないわ。だけど――ひと言でいいから、あなたに謝りたかったのっ……ごめんなさい、オルガっ……」


 再会した母を思い出と一緒に抱き締めるオルガの肩は、小刻みに上下していた。


 母娘はしばらく言葉を交わし合った。


 二人の気持ちが少し落ちついたのを見計らうと、真柄は、二人で一度家の中に入ってはどうかと提案した。


「俺は車のところにいる。時間は大丈夫だ。だから……時間は気にせずに、親子水入らずでたっぷりと話してくるといい」


 すると、オルガが小走りで真柄の前まで駆け寄ってきた。


「あのっ――」


 感極まったように、オルガが表情をくしゃりと歪めた。


「本当にっ……ありがとうございました、真柄さんっ……」


 娘に続くようにして、オルガの母親が深々と頭を下げた。


「ありがとうございますっ……」


 それからオルガの母は上体を起こすと、今までの苦労をねぎらうかのようにオルガの背中に優しく手を添え、玄関のドアを開けた。


 オルガの母の言葉を思い出す。


『ニセモノですっ』


(ニセモノ、か)


「フン」


 ようやく再会できた母と娘の背中を見守りながら、真柄は独りごちた。


「俺にはどう見ても、本物の親子にしか見えんがな」




 完結予定だった9/16以降ご報告もせず申し訳ございませんでした。


 別作業で苦戦していたのもあるのですが、どちらかと言えば気持ち的に書くことができない状態が続いていました。ただ、ここまできたのだから本編完結はさせるべきと自分でも思っていますので『ソード・オブ・ベルゼビュート』は完結まで書き切ります。


 完結はいつまでと期限はあえて設定せず、投稿できそうなペースで投稿していきたいと考えています。


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