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ソード・オブ・ベルゼビュート  作者: 篠崎芳
最終章 SOB 極彩色の世界
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31.キミのこと


 ジムを出ると、悠真たちは予定通り激辛のタイ料理を出す店へ向かった。


 バスに乗り殻識島を出て、マガラワークスのあるK県Y市に入る。


 行列ができていたが、席は予約していたので店にはそのまま入ることができた。


 事前調べによると、ガパオライスとトムヤムクンが絶品とのことだったのでそれを頼んだ。


 ガパオライスの方は悠真も初めて食べる。バジルを使った鶏肉の飯ものと考えればよいのだろうか。


 辛さが選べたので、悠真はスタンダード表記の3辛にしておいた。


「ではわたくしは、10辛で」


 MAX――10辛。


 目を丸くして「本当によろしいのですか?」と確認をとったタイ人の店員にオルガは満面の笑みでうなづいた。


 店員はもう一度、確認を取るように悠真を見て「10辛はこちらの方がお食べになるのですか?」と聞いた。


 オルガはにっこり笑って「いいえ、わたくしですわ」ときっぱり答えた。


 メニューを目にしたあとのオルガは、上機嫌を通り越して露骨にテンションが上がっていた。


 そうして雑談していると料理が運ばれてきた。


 オルガの注文した赤みの強烈な料理を目にした途端、悠真は思わず目を覆ってしまった。


(正気なのか、オルガ)


 場の空気すら変わった感じがあった。


 結果から言うと悠真は3辛でも困難を極めた。


 唇がヒリヒリして、頭がピリピリする。


(選択を、誤ったか……)


 久住や氷崎は真柄弦十郎はいつも選択を間違わないなどと言うが、あっさり見誤った。


 紛うことなき、選択ミス。


 しかしオルガを見ると平気な顔で美味しそうに食べている。あの沼みたいな真っ赤なトムヤムクンを。


(正気なのか、オルガ)


 待てよ、と思い直す。


 もしかすると店員は悠真とオルガの料理を間違えたのかもしれない。確認を取った店員と、運んできた店員は違った。


 辛さ度を想像させる見た目は悠真のトムヤムクンの方がマイルドだが、世の中というのは見た目がすべてではない。


 客観的判断力に欠けているのは重々承知で、悠真は一縷の望みに賭けた。


 もし違っていたら、今からオルガの料理と交換してもらうことは可能。


「すまない、ひと口もらえるか」

「え? ええ、もちろんですわ! ふふ、とっても美味しいですわよっ? さあ、どうぞ? と、特別に……アーンしてさしあげますわっ……ほら……」


 真っ赤なスープにたっぷり満たされた木製のれんげを、オルガが差し出してきた。


「――――」


 試すにしても、あの量はマズい。


 失敗した際のダメージが大きすぎるのは、明白。


 悠真は即座にそう判断した。


「いや、自分のれんげで食べさせてもらう」

「あら……もしかして七崎くん、照れていますの?」

「いや、今は照れている余裕もない」


 真顔で回答すると、悠真は改めてオルガを観察する。


「?」


 今まであのスープを口にしていた彼女に特別な変化は見られない。その様子は少なくとも悠真のトムヤムクンの倍以上の辛さのものを食べている人間のそれではない……と思える。


(ふむ……これはやはり、店員が間違えたという線が――)


 推論を確たるものとすべくオルガのトムヤムクンを一匙もらう。


 口に含む。


 ぱくっ


「――――ッ」

「し、七崎くんっ!? どうしましたのっ!?」

「――――――――ッッ」

「七崎くんっ!?」



     ▽



 タイ料理店を出た二人は再びバスで殻識島へ戻った。


 殻識市内に入ったあと、オルガの家の近くで一緒にバスを降りた。


 当初の予定ではここでこのまま別れることになっていたが、オルガの提案で近くの公園へ寄ることになった。


 今、オルガはエナジードリンクを飲んでいる。刺激的なものが好きなのだろうか。


「今日はありがとうございました、七崎くん」

「ああ、俺も楽しかった」

「七崎くんのおかげでジムの件も解決しましたし、タイ料理も美味しかったですわ。七崎くんが美味しかったのかどうかは、わかりませんが……」


 苦い笑みを浮かべるオルガ。


「…………」


 今も腹が辛さという刺激に悲鳴を上げている感じがある。


 オルガが空になったビンをベンチの脇に置いた。


「七崎くんと出会うまで……わたくし、忘れかけていましたわ。誰かと一緒に出かけるのが、こんなにも楽しいものなのだと」

「最後にこういう感じで人と出かけたのはいつだ?」

「そうですわね……最後の記憶は、お母さまと一緒に出かけた記憶でしょうか」


(オルガの母親か……)


 あの島に軟禁状態にある女性。


 彼女は実の母親ではないが、幼いオルガが共に成長期を過ごした相手だ。


 良正の死で黄柳院の状況が変わった今なら、育ての母親とオルガの関係を修復できるかもしれない。


 そんなことを悠真は考えた。


 正味な話、実の母親の紫条月子との関係を修復するのはほぼ不可能に近いだろう。


(だが、オルガにとって良い思い出のある育ての母親なら――)


 飲み終えたコーヒーの缶をゴミ箱に捨て、悠真は聞いた。


「ところで……誘拐の影響の方は大丈夫そうか? その後の調子は?」


 オルガが”誘拐”された件は、ティア・アクロイドの見舞いに行った時に聞いた体にした。もちろんティアが知る由もない情報は、口に出さないよう気をつけねばならない。


 ちなみにオルガはティアと虎胤の見舞いはすでに済ませている。


「わたくしは大丈夫ですわ……力を尽くして救ってくださった、皆さまのおかげで。その後も特に、問題ありません」


 オルガは、己の無力さを恥じるような微笑を浮かべた。


「心配や迷惑をたくさんかけてしまった点は、反省しておりますけれど……」

「誘拐の話を聞いたが、おまえに落ち度はなかったと思うぞ」


 誘拐の犯人は”国際犯罪組織”とされた。公には、ホワイトヴィレッジや黄柳院の私兵部隊の存在は隠ぺいされている。


「ですが、黄柳院の娘ということでこんなにもたくさん人に迷惑をかけてしまったことが、なんだか……申し訳なくて」


 笑ってはいるが、寂しそうな目だった。


「わたくしは、もしかすると……生まれてきたことそのものが、間違いだったのかもしれませんわね……」

「少なくとも俺は、感謝しているさ」

「え?」

「おまえが生まれてきてくれたから、俺は黄柳院オルガという人間と出会うことができた。だから俺は、おまえが生まれてくれてよかったと思っている」

「……七崎くん」

「それに、誘拐された時にはおまえを救った人間がいたんだろう? だったらおまえは、誰かに必要とされているんだ」

「五識の申し子の方たちは近々創設される部隊にわたくしを入隊させるつもりらしいのです。あ、もちろん救っていただいたのは感謝していますわよ!? ただ――」


 トーンが落ち、オルガの表情が曇る。


「もし自分に魂殻能力がなかったら、誰かわたくしを救ってくれた人はいるのかと……つい、そんなことを考えてしまいまして」

「もしおまえが誘拐されたと知ったら俺は助けに行くさ。誘拐事件について何も知らずにいたのは、痛恨の極みだがな」

「それは仕方ありませんわよ。さすがに七崎くんがあの時わたくしの誘拐を知るすべはありませんもの」


 ベンチから腰を浮かせると、オルガが笑みをこぼした。


「くすっ」

「どうした?」

「いえ、その……どうしてかはわからないのですが――実は、誘拐されて薬で眠らされていた時、七崎くんがわたくしを助けに来てくれた夢を見ていましたの」


 オルガが悠真の正面に立つ。


 それから控えめな仕草で手を差し出すと、彼女は、照れくさそうに悠真の両手を握った。 


「きっと七崎くんならわたくしが誘拐されたのを知ったら、助けに来てくれる……わたくしは心の中で、そう信じていたんだと思いますわ」

「……だが実際に救ったのは俺じゃない。五識の申し子だ」

「いいえ」


 オルガが首を振る。


「キミはわたくしを救ってくれましたわ。誘拐された時、目の前のこの誘拐犯を相手に助かる確率は低いと理解しつつ……わたくしは、助かりたいと思った。叶うなら、またあの学園に戻りたいと思えた。以前の自分だったら、これで人生が終わってもいいと自暴自棄になっていたはずですわ。結局、何をどうがんばっても自分は救われないのだと……」


 悠真の両手を、オルガが両手で包み込む。


「だけどキミのおかげで、生きたいと思えた」


 彼女の手は少し震えていた。


「……オルガ?」


 まつ毛を伏せて一つ吐息を漏らすと、彼女は、空色の瞳でまっすぐ悠真を見つめた。



「キミのことが好きです」



 今は、寒さを感じるような気温ではない。



 なのに、



「学園でも今日のジムでも……キミには仮初めの恋人役になっていただきました。ですが、今度は――」



 彼女の声には、かすかながら、小刻みな震えがまじり込んでいた。




「本当の恋人に、なっていただけませんか」




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