30.悠真とオルガ
待ち合わせ場所にオルガが近づいてきたのはすぐわかった。
少し遠くの周りの反応を見れば注意を惹く何かが現れたのは一目瞭然。
今日のオルガは薄手の黒いタートルネックに白のスカート、黒いニーソックスという出で立ち。肩にはスタイリッシュなスポーツバッグをかけていた。
タートルネックには襟元と肩にフリルがあしらってある。黒という色のせいか可愛らしいというよりは少し大人びた印象を受けた。
人目――主に異性の目を惹いているのは、タイトな上着のせいで胸のサイズが強調されているのもあるのだろうか。
「あ、七崎くん」
オルガが悠真に声をかけた瞬間、周囲からいくつかの「え?」という反応が上がる。
あいつがカレシ?
釣り合ってないだろ。
そんな心の声が聞こえてくる。
(七崎悠真は身長もそこそこあるし、顔も普通に整っている方だと思うんだが……)
自分自身の真柄弦十郎の顔となると評するのは難しいのだが、形としては他人に等しい七崎悠真の容姿なら客観的に分析できる。
(目立たないために俺が平凡さを出そうと振る舞っているせいで、平均的に見えてしまうのかもしれないな。もしくはオルガのレベルが高すぎるせいで、こうして並ぶと落差が出てしまうのかもしれない)
ただ、当人のオルガは周囲の反応など気にしていないようだった。
「待ちました?」
「……これがやりたかったのか?」
「ええ、やっぱりこういう感じがいいですわっ」
最初は家まで迎えに行くと提案したのが、こういう感じで待ち合わせをしたかったらしい。
「じゃあ、行くか」
「はいっ」
二人並んで歩き出す。
「昼は済ませたのか?」
「軽くにしておきましたわ。夕方以降が本番ですから」
すきっ腹に辛いものは、胃が荒れるのではないだろうか。
「はぁ……新境地、楽しみですわ……」
危惧する悠真をよそに、オルガはうっとり顔だった。
「その前にまずは例のジムの件か」
「申し訳ありません。七崎くんにこんなことを……ですが、やはり七崎くん以外に頼めそうな人が思いつかなくて」
丁寧に事情を説明すれば、生徒会長の蘇芳十色あたりなら手伝ってくれそうな気もした。
「それに恋人役をお願いするなら、やっぱり――」
オルガが視線を落とす。悠真は、彼女の背を優しく叩いた。
「ほら、前を見ないと危ないぞ」
こそばゆそうにするオルガ。
「……はい、すみません」
幸せを噛み締めるような表情に見えた。誰が強いのかを競う戦闘行為よりも、黄柳院オルガはこうした日常こそが似合う少女なのかもしれない。
悠真はそんな風に思った。
▽
そうして二人は、普段オルガが通っているジムに到着した。
自分が払うと言い出したオルガを素早く言いくるめてその日の利用料金を支払うと、悠真はレンタルしたスポーツウェアに着替えた。
中は普通のスポーツジムとそう変わり映えしなかった。普通と違うのは魂殻用の練習場があるくらいか。
オルガは早速トレーニングマシンを使っている。
と、そこに一人の男が歩み寄ってきた。
「久しぶり、黄柳院ちゃん。どうしたの? このところ見なかったけど。心配したよー」
遊び慣れてそうな印象の男だった。
接し方に露骨さはない。一見するとサバサバした感じだ。異性にがっついていない雰囲気の演出は巧みと言える。
悠真はそれなりの”役者”だと察する。
オルガは動きを止めてタオルで汗を拭き、返事をした。
「最近、何かと忙しかったもので」
「そっかぁ。じゃあ復帰祝いってことで、このあとメシでもどう? あ、心配しないで! おれの友だちとそいつのカノジョも一緒だから。二人とも気のいいやつらでさ! あの……実はさ? 君のこと話したら、二人から一回会ってみたいって言われちゃって」
両手を合わせて頭を下げる男。
「お願いできないかな!? この通り! 人助けと思って! ……無理そう?」
とにかく相手の警戒心を下げようと躍起になっているが、同情作戦は失敗に終わったようだ。失敗とみるやいなや、男は方針を転換した。
「あ、そうだ! 今まで言ってなかったけど、実はおれ、ソウルスポーツでそこそこ活躍してる魂殻使いでさ。もしオルガちゃんが会いたい選手とかいたら、引き合わせられるかも」
決して上等とは言えないが”撒き餌”の使い方もこなれている。名前呼びに自然と移行する流れも、嫌みのないスムーズな感じだった。
ただし、ミスもあった。
目つきを隠せていない。
オルガの身体を舐め回すように見ていた。垂涎の獲物を前にして、本能を抑えるのに必死という感じである。
口調や雰囲気は下心を隠せていたが、詰めが甘い。
(一応は人物像を見極めるつもりだったが、あれは悪い虫で確定らしいな)
悠真は二人に近寄ると、オルガと男の間に割って入った。男の目つきが豹変レベルで不機嫌になる。
「……何?」
「俺のツレに、何か用ですか?」
さめた目で男が悠真を指差す。
「は? 何コレ? 君、アレなの? 言い寄られて困ってる女のコをカッコよく助けるとか、そういう感じの流れやりたいわけ? ハハ、マジでウケる。ドラマとか漫画の見すぎだろー。ああいうのは最初から脚本的に善悪決まってるけど、現実じゃ役柄とか決まってねーから。身の丈考えずにイキるのもいいけど、ちょっとは後先考えて行動した方がいいよ?」
オルガが悠真の腕に組みついてきた。彼女の腕はひどく汗ばんでいた。汗が冷たく感じられる。
「七崎くんは正真正銘、わたくしの恋人ですわ!」
「へー」
興味なさそうに視線を逸らすと、男は鼻の下を指でこすった。
「つーかさ……ぶっちゃけカレシ持ちとか別に関係ないんだよね。相手に恋人がいるとかいないとか、恋愛の世界だと無意味に等しいし」
「あ、あなたっ――」
「いやいや、そりゃあ相手が結婚してたら法的に色々問題あるよ? でも、他人の恋人にアプローチかけるのは別に法律違反じゃないじゃん? お子ちゃまは知らないだろうけど、この国って法的に問題さえなければけっこうやりたい放題なんよ。ま――」
一等気安いノリで、男が悠真の肩に手を置いた。男が爽やかに微笑む。
「こういう視野の狭い自己完結系な外野が、ピーピーうるさかったりはするんだけどさ」
悠真は挑発的な言葉を口にした男をスルーして、オルガに耳打ちした。伝え終えるとオルガは頷き、前へ出て告げた。
「わ、わかりましたわ! そんなにおっしゃるのでしたら、決闘でこのわたくしへの気持ちを示してほしいですわ!」
「は? 何? 決闘? 昔のヨーロッパの貴族みたいな?」
このジムには魂殻用の練習場がある。
殻識生は原則として学外での魂殻使用を禁止されているが、殻識学園と提携している一部施設では限定的に使用を認められていた。
その一部にはこういった施設の練習場が含まれているケースも多い。
「も、もし七崎くんにあなたが勝ったら、あなたの言うことをなんでも一つ聞いてさしあげますっ」
野次馬たちが沸く。
「ですが七崎くんが勝ったら、もう二度とわたくしに声をかけないでくださいっ」
男が親指を立てる。
「アツいね、その展開」
すると男は「あ、ちょっと待ってて」とジムの従業員のところへ駆け寄った。従業員のタブレット端末で何かデータを閲覧しているようだ。
と、噴き出そうになった男が手で口を覆う。
悠真は察する。
利用料を払ったあと、悠真はジム側に霊素値を計測された。おそらく男は仲のよい従業員に頼んで特別に悠真のデータを閲覧させてもらったのだろう。
思わず噴き出しそうになった理由は明白だ。どう考えても悠真が強気に出られるような霊素値ではなかったからである。
悠真は試合の準備に取りかかった。
すべて、目論見通り。
背後に立った男が、更衣室で着替え終った悠真の肩に手をかけてきた。
「カノジョの前だからさっきは引き下がれなくなったんだろーけど、自分から蟻地獄にツッコんだの気づいてる?」
「…………」
「わかってるぜ? おれが”スポーツ選手”だから、戦闘形式の試合なら余裕だと思ってんだろ? でも、あんまスポーツ選手ナメない方がいいよー?」
(ここで余裕を見せすぎると、訝しがられるかもしれんな)
「うるさい」
そう言って悠真は男を払いのける仕草をした。露骨な予備動作をしたので、男は余裕で避けた。
「うわー! 最高に小物感ある反応どうもー! 何? 頭に血がのぼって啖呵切ったはいいけど今になって状況のヤバさ実感してきたとか? けど、もう遅すぎるんだよなー!」
「だまれ」
「ハハ、安心しろって。てめーのカノジョはおれがしっかり可愛がって、おれの思うように磨き抜いてやるからよ」
嗜虐心たっぷりのニヤけ面を浮かべて、男は言った。
「負けた時の”七崎くん”がどんくらい顔面ソーハクになるか、マジ期待してるから」
しかしその期待はあっさり裏切られ、男は悠真にボロ負けした。
最初はコモンウェポンしか使えない悠真を嘲っていたが、悠真のゲージを一ミリたりとも削ることができず、ひたすら空回り状態で男は翻弄され続けた。
そして最後は顔面蒼白になって、念仏のように現実逃避の文言を唱えるという有様だった。
男は試合開始前に、
”この身の程知らずのカッコつけクンにおれが勝ったあとは、今このジムにいるみんなで祝勝会やろーぜ! 全部おれが奢るからさ! だからみんな応援の方マジで頼むぜ! といっても、おれの圧勝で終わる可能性大だからあんま盛り上がんないかもしれないけどな! けど、圧倒的な勝ち戦を見るのも意外と悪くないっしょ!”
と息巻いていたが、試合後は、フラフラした覚束ない足取りで逃げるようにジムをあとにした。
(あれだけ気炎を吐いた上で、さんざん馬鹿にしていた年下の学生に完封勝利されたとなれば――特に自尊心の強そうなあの男のことだ。恥ずかしさで、二度とこのジムには顔を出せまい)
それを狙っていたので、ある程度の騒ぎにする必要があった。そうしなければまた別の日にオルガに絡んでくる可能性があったからだ。
ああいうタイプとの口約束はあてにならない。
社会の法だルールだと屁理屈をこねるタイプであることを考えても、いずれ”世の中だと口約束に強制力はない”などと言って、また平気でオルガに声をかけてくるだろう。
結局のところ今日だけあの男を追い払えても、今後オルガがこの立地条件のよいジムを使えなくなってしまっては意味がないのだ。
なので、男が二度とここへ顔を出せないような流れを作った。
(何より――)
礼を言うオルガに優しく微笑みかけながら、悠真は思う。
(今後は”七崎悠真”がこのジムに付き添える機会があるとも、限らないからな……)




