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ソード・オブ・ベルゼビュート  作者: 篠崎芳
最終章 SOB 極彩色の世界
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28.悪しきもの、良き正しさ


「……儂を、殺すか?」

「必要だと思えば俺は殺す。殺人行為の倫理的是非を議論するつもりもない。悪魔の名が示す通り、俺は所詮”悪しきもの”の側だしな」

「黄柳院の身内であるこの儂を殺す、と? あの哀れな忌み子のために?」


 良正が深く息をつく。


「つまりオルガの人生には実の祖父殺しの罪が追加されるわけだ。やれやれ……つくづく罪の深い女じゃな、アレは」


 良正には怯えの色がない。なぜかは知らないが、この局面でまだ自分が有利だと考えているようだ。


「あの子が背負う罪など何一つない。あの子は何も知らないからな。この俺の存在すらも」

「なるほど、そうか……直接オルガに接触させていたのは、貴様があの学園に送り込んだ七崎悠真という学生だものな」

「……まあ、そういう考え方が妥当だろう。いずれにせよ――おまえを殺すのが罪なら、どのみちその罪は俺一人のものだ」

「殊勝なことだな。それにしても……護衛共はいとも簡単に屋敷への侵入を許し、心水橋も極生流も己の仕事を果たせず……どいつもこいつも無能で、困ったものだ」

「おまえは彼ら以上に役に立つと?」

「……儂をなめるなよ? 若い頃は武闘派でならしておった。修羅場も人並み以上にくぐってきておる……そうやって、裏の世界の連中とやり合ってきた。いいか? 紫条家をここまで大きくしたのは、この儂の功績じゃ」


 雨音。


 外で、パラパラと雨が降り出した。


「小僧、儂をふんぞり返って指示を出すだけの男だと思わん方がいいぞ?」

「それで――」


 語調を変え、真柄は淡々と言った。


「机の下に隠し持っているその拳銃で、俺を撃つわけか」


 良正の瞳が戦意を帯びる。


「ああ――弱り切った、小うるさい蠅をな。これ以上馬鹿な真似を続けるならば、だが」

「…………」

「くく、儂は見切っておるぞ? 平気な感じを装ってはいるが、今の貴様はひどく弱っている。極生流と戦った影響だな? 本当は、今にも倒れそうなのではないか?」


 沈黙で応える真柄。


「マスクをしているのも、弱った顔色を悟られないためだろう。ベルゼビュートは、銃にも勝る剣術を使うと聞いている。であるのに、あえて銃を選んだのは……その弱り切った身体でも引き金を引く程度ならできると、そう判断したからではないのか?」


 無理をしているのは、事実だった。


 車の運転すら難儀な状態なのは確かである。


 図星をつけたとばかりに、良正がくぐもった笑いを漏らした。


「…………」


 霧間千侍との死合いによって受けた負荷は、あまりにも大きすぎた。


 今は気力で身体を動かしている状態と言ってもいい。


 実はこうして腕を上げているのもやっとの状態。引き金をまともに引けるかどうかも、怪しい。


 つまり良正の勘と観察眼は正確と言えた。


「しかし今ここで撃ち合ったとすると、今の貴様なら、精度でもスピードでも儂に負けるはずだ。儂にはわかる。事実、貴様はいまだに引き金を引けていない。くく……儂をただの無力な老人だと読み違えたことで、逆に、追い詰められる形となったようだな?」


 しばし沈黙し、真柄は口を開いた。


「では、俺も一つ看破してやろうか」

「……何?」

「おまえの正体は――哀れな半端者だ、紫条良正」


 良正の表情がゆっくりと、怒りの相を成す。


「……口の利き方に気をつけろよ、薄汚い小バエが」

「本当は、怖いんだろう?」

「儂が何かを恐れていると? 何をだ? 儂は、何も恐れてなどおらん。儂が恐れるとすれば、月子を失うことくらいだ」

「いいや、おまえは恐れているさ――例えば、黄柳院冴を」

「――――」

「先ほど言っていたな? 今はまだ手を出せない、と。どんなに黄柳院が憎くとも、おまえは冴が怖くて手が出せない。だから皇龍を通した回りくどいやり方で、チンケな嫌がらせをすることしかできない」


 小馬鹿にするように、真柄は鼻を鳴らした。


「フン……武闘派でならしただと? ならばその自慢の腕っぷしを使って今すぐ冴を組み伏せてみればいい。なぜそうしない? 簡単だ。冴を恐れているからだ。だからこそ、クスリ漬けにするなどと情けないことを口にしたわけだろう? 正面からでは、手が出せないからな」


 雨が強さを増し、風に煽られた横殴りの雨が、勢いよく窓を叩いた。


「……貴様」

「頼みの皇龍にしても、弱みにつけこんで洗脳しなければ何もできなかった。結局のところおまえはその程度の矮小な男なのさ、紫条良正」

「……黙れ」

「何より気になるのは、だ……復讐がすべてだと言うわりには、妙におまえの行動が保身的なのが気になってな」


 良正の顔には血管が浮き出ていた。怒りで、顔が赤くなっているのがわかった。


「おまえはコソコソ裏で動いてばかりで、なんとしても火の粉が自分まで及ばないよう立ち回っていた。だが、本物の復讐者とは己のすべてを捨ててでも復讐を果たすものだ。そういう者たちを俺は何人も見てきた。しかしおまえの行動からは、今の地位を捨てたくないという未練が感じられる……だから半端で、回りくどい真似ばかりしていた」


 マスク越しに、しかと良正の目を見据える。


「愛する娘のためと言いつつ、手に入れたすべてをその娘のためになげうつこともできない――紫条良正は、そんな哀れな半端者でしかない」

「知ったような口を、利きおってっ……古ぼけた傭兵崩れが、ぬけぬけとっ……っ!」

「その”古ぼけた傭兵崩れ”の安い挑発に乗っている時点で、おまえの負けだ」

「この、紫条良正を――」


 良正は素早く机の下から銃を抜くと、銃口を真柄へ向けた。そして、引き金に指をかけた。



「愚弄するかぁぁああああ――――っ!?」



 硬く乾いた音が、室内にこだました。


 ドサッ、と倒れる音が続く。



 机の上に前のめりに倒れたのは、紫条良正。



 磨き抜かれた机の上に、額を中心として血が広がっていく。机に突っ伏した後頭部には、銃弾による、小さな風穴が空いている。


「あの子たちにとって、紫条良正の存在はマイナスにしかならない……それを見極めることができたのは、幸いだった」



 引き金は”極弦”を使用し、ほとんど無理矢理に指を動かして引いた。



 今の状態で糸を紡ぐのは多少時間をかけないと確実性に難があったため、会話を引き延ばせたのも幸いだったと言える。


 背後で、部屋のドアが開く。


 控えめな拍手と共に、一つの気配が室内に侵入してきた。


「いやぁ、見事な煽りだった」


 真柄の背後の闇から姿を現したのは、五百旗頭築。


 今はスキンヘッドではなく、黒髪のウィッグをつけている。


 顔の整った好青年風の男という以外に、さして特徴の感じられない没個性な風貌。服は、点検業者の作業着を着用していた。


 誰かが目撃してもさほど印象に残らない外見であろう。


 良正を撃ち殺した銃を五百旗頭に手渡し、真柄は確認した。


「あんな感じでよかったか?」


「ああ、上等だ。このジイさんがって状況の方が、何かと今後の手間が省けるからな」


 このあとのために、良正を殺すならできるだけ逆上させた状態で殺してほしいと、五百旗頭から頼まれていた。


 どうにか、成功したようである。


「あんたはいつも淡々としてるから上手くハマると煽り効果もてきめんだな。演技も、見破りづらい」

「演技だと見破られないコツは、真実の配分をできるだけ多めにすることかもな。そして……そこに、小さな嘘をまぜる」

「…………」

「どうした?」

「煽りの演技自体は自然さがあって見事なものだったが……あの煽りの中に、本当に嘘がまじってたのかと思ってな」

「それは想像に任せる」

「カカッ」


 短く笑うと、一度、五百旗頭は部屋の外へ出た。それから意識を失った良正の護衛を一人、引きずってきた。


 先ほど真柄は護衛を”ほぼ殺していない”と良正に言ったが、実はまだ一人も殺していなかった。


 ただ、これから五百旗頭の引きずってきた男を殺す未来がありえるのを知っていた。だから先ほどは、あえて”ほぼ”と答えたのだった。


 五百旗頭が、気を失っている護衛の男に、真柄が良正を撃ち殺した銃を握らせる。


 真柄は手袋をしている。


 銃に、指紋はついていない。


 ちなみに五百旗頭も指紋が残らないよう、極めて薄手の透明な手袋をはめている。


 五百旗頭は次に机に倒れ伏した良正のところへ行くと、慎重に良正の腕を動かし、良正の握る銃を、気絶している護衛の男の方へ向けた。


 護衛の男は真柄がおさえて立たせた状態にしてある。


 そこで、五百旗頭は停止した。


 どうやら彼は何かを待っているようだった。


 沈黙の中、雨の音だけが耳を叩く。


 その時だった。


 閃光がカッと煌めいて、雷が轟音を伴って落ちた。


 雷が通り過ぎると、護衛の男の胸には、血の染みが広がり始めていた。


 発砲音をかき消すため、落雷の音を重ねたかったらしい。


「良正の銃には消音器がついてねぇからな。雨音でも音は軽減されるが、念には念を入れといたぜ。ま……こんな山ん中で銃声を聞きつけるやつも、いねぇとは思うがな」


 こうしてできあがったのは”雇い主の紫条良正を撃ち殺した護衛の死体”と”自分を撃ち殺した部下に一矢報いた紫条良正の死体”。


 五百旗頭が戻ってきて、倒れ伏す護衛の男を見おろす。


「調べてみたらこの男、違法地下金融の金主なんざしてやがったからな」


 裏の世界で言う”金主”とは、違法な詐欺行為をする集団に金を出す人間のことを指す。言うなれば、詐欺の出資者である。


「さらにPCのデータを掘ったら、投資詐欺の高ランク名簿まで出てきやがった。おそらく、次の儲け先を地下金融よりも大口の投資詐欺にランクアップさせるつもりだったんだろうぜ」


 良正を”殺す”役は、五百旗頭が独断で選出した。


「しかもこいつは八年前に自分の息子を虐待死させた上、妻にはDVで逃げられてる。紫条良正殺しの罪を被る役としちゃあ、適任だろ」


 霧間千侍と戦った影響で車の運転が怪しいと判断した真柄は、最終的に、五百旗頭に協力を仰いだ。


 この状況で真っ先に適任だと思えたのが、彼だった。


 五百旗頭は二つ返事で駆けつけてくれた。


 車の中で経緯と今後の予定を話すと、五百旗頭は、良正が死んだ際に現場を偽装することを車中で提案してきた。


 良正とその護衛たちの携帯端末やPCをあっという間にハッキングする五百旗頭の能力は、相変わらずさすがと言えた。


 そこから怪しそうなファイルをピンポイントで探り当てる手並みのよさも、相変わらずだった。ちなみに五百旗頭に言わせると”黄柳院やキュオスと比べたら、まるで向こうから門を開いてくれてるようなガタガタのセキュリティだったぜ”とのこと。


「こういう偽装はオレの得意分野だからな」

「良正殺害の動機はどうする? 黄柳院のネームバリューをあてにして、地下金融で設けた金の資金洗浄の手伝いを頼んだら良正が難色を示し、そのことで揉めた果てに殺した――あたりは、どうだ?」


 五百旗頭が、パチンッと指を鳴らす。


「そいつでいくか」


 仮に地下金融や詐欺といった非合法な方法で大金を手にしても、すぐに豪遊三昧の日々が送れるわけではない。なんの収入も確認されていない人物の羽振りがある日突然よくなったら、当然ながら、お国の組織が目を光らせ始めるわけである。


 だからこそ、裏世界の犯罪者や非合法組織は資金洗浄マネーロンダリングを行う必要がある。


 フロント企業などを使い、表に出せない汚れた金を”正しい収益”へと転化するわけだ。


 五百旗頭の調べによれば、犯人役として選ばれた護衛の男には、地下金融で儲けた金をどう”洗浄”するか悩んでいた形跡があったらしい。となれば、資金洗浄の協力を良正に求める可能性は十分ありうると考えられた。


 ちなみに良正は、その護衛の男に色々と汚い裏の仕事をさせていたようだ。どうやら彼らは、持ちつ持たれつの関係にあったようである。


「この屋敷で、死人以外であんたの姿を目撃した人間は?」


 五百旗頭が聞いた。


「いないはずだ」


 闇に乗じて一人ずつ気絶させた。監視カメラにも映らないよう慎重に動いた。


 皆、何もわからぬままに気を失ったはずである。黄柳院の屋敷ほど警備が強固でなかったのも、幸いした。


「カカカ、さすがだな。あんたと動くと何もかもがスムーズでノーストレスだ。ああ、気絶してる護衛にはオレが特製の薬を嗅がせておいたぜ。もうしばらくは心地いい夢の中だろう。そうだな……気絶の原因も、適当にでっち上げてそこの犯人役に押しつけとくか」


 五百旗頭が身体を伸ばす。


「さぁて……じゃあ、あんたは車の方で少し待っててもらえるか? これから現場を”自然な現場”にしねぇとだからな」

「いけそうか?」

「海外ドラマに出てくる科学捜査班みてぇな連中でも出てこない限りは、大丈夫だろ。偽装能力で、オレの右に出るやつはいねぇよ」

「この国の警察は優秀だぞ」

「いざとなったら、オレが哀れな羊スケープゴートになりゃあいい」

「それは――」

「先に言っておくぜ、真柄」

「…………」

「オレが捕まっても、あの女だけは面会に寄越すなよ?」


 これ以上はナシだ、五百旗頭の視線が告げていた。


「……それでも謝罪だけはしておく。またこうして巻き込む形になってしまって、すまなかったな」

「カカカ、そいつは的外れな謝罪もいいところだぜ! オレは好きでやってるだけだからな! いいか、真柄?」


 五百旗頭は凄惨な悪魔のように笑むと、まるで意思表示でもするかのように胸の前で手を掲げた。



「オレはなんにでもなれるが、は数えるほどしかない」



 真柄の胸を、五百旗頭が人差し指で押す。


「真柄弦十郎の相棒というポジションは、その数すくねぇ心地いい役柄の一つなのさ。まあ、別に今の話は理解しなくてもいい。つまるところこれはオレの嗜好の話だからな。嗜好ってのは尖れば尖るほど、理解されなくなってくもんだ」


 要するに、五百旗頭はこう言っているように思えた。


 誰かのためにやっているわけではない。


 これは、自分ためにやっていることだと。


 だから真柄は、こう短く返した。


「恩に着る」


 良正をニヤニヤと見ながら、五百旗頭が言った。


「それにしても、つくづく思うぜ」

「ん?」

「真柄弦十郎って男は、絶対に敵に回したくねぇ相手だ」



     ▽



 事務所に戻ると、真柄はソファに腰かけた。


 辰吉を通して冴の方に関する連絡が来ていた。どうやら、向こうも問題なく片づいたようだ。


 横になる前に、真柄は久住に電話をかけた。電話が来るのを待っていたかのように、ワンコールでつながる。


「今、大丈夫か?」

『問題あるわけないだろう! どうだ、状況はっ?』

「終わったよ」

『そ、それは……良い意味で、と受け取っていいのか?』

「ああ、決着はついた。オルガは救出したあと、五識の申し子に引き渡した。俺なりにそれが最善だと判断した上でだ。そして、黄柳院オルガを取り巻く危険要素もほぼすべて取り払えたはずだ。ただ――」

『ただ? どうした?』

「今回ばかりはさすがに俺も少し疲れた。他のことについての報告は、少しだけ睡眠を取ってからにしたい。それでいいか?」


 もうすでに真柄の身体は限界をこえている。何かするにしても、少し休息を取らないと、身体も頭もまともに働きそうになかった。


『ああ……わかった。その、真柄――』

「ああ」


『今回のこと、本当に感謝しているよ』


 真柄は穏やかに微笑んだ。


「おまえからその言葉を聞けただけで、今回の件を受けた価値はあったらしいな」

『私の言葉でだと? ふっ、それはさすがに”ベルゼビュート”を安売りしすぎだな。では……起きたらまたあとで連絡をくれ。ああ、無理はしなくていい。しっかり休めよ?』

「……ああ」


 通話を切ったあと、真柄はスマートフォンを眺めた。


(やれやれ……安売りも何もないんだがな。むしろ他でもない久住彩月に頼まれたからこそ、俺はこの件を引き受けたんだが……)


 しっくりこない気分のまま、目覚ましのタイマーをセットする。


 それからソファに横になると、真柄はすぐに目を閉じた。


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