12.女王蜂の特例戦
放課後になるとオルガは特例戦の準備へ向かった。
声をかけようかと思ったが、オルガが集中状態にあったのでやめておいた。傭兵時代を思い返すと、作戦の前に 精神集中 を乱されるのを嫌う者も多かった。例えば、一流のアスリートの中にもイヤホンで音楽を聴くことで雑音をシャットアウトし、集中力を維持する者がいる。
何よりアイからの報告を受ける必要がある。
オルガを黙って見送ると、悠真は本棟の裏手へ向かった。
ひと気がないのを確認し、耳に手を当てる。
「Mgr10ksrBe」
パスワードを音声認識すると耳内の端末が起動し、アイと繋がる。
「悪い、少し遅れた」
『クク、不良だな』
「これでも模範生を心がけてるつもりなんだがな。で、御子神一也の件は何か出たか?」
『アンタの興味を引きそうな情報だが……驚くことに、何も得られなかった』
「何も得られなかったこと自体が奇妙だと言いたげだな」
『ビンゴ』
アイは愉快そうに答えた。
『御子神一也の情報にアクセスしようとすると、強引にダミー情報の方へ連れて行かれやがる。要するに、当たり障りのない美しきライフログの山へ強制ハイキングってわけさ。クソ山の方には、普通の方法じゃ連れていってもらえねぇ』
何者かが御子神一也の正確な情報を秘匿しているわけだ。何かあるのは確実だろう。
悠真は時間を確認する。
(試合場へ、急ぐべきか……)
「クソの山へ行く方法はありそうか?」
『時間はかかるが、やれねぇこともない。ただ――』
アイが舌打ちする。
『これだと、今日中は無理だな』
「おまえでもそこまで時間がかかるとなると、よほどのプロテクトだな」
『オレを買い被りすぎだぜ。おだてて木に登るのは、ブタだけだ』
「登らずとも木の下を掘って見つけてくれればいい」
悠真は時間を確認。
「悪い。これから急用がある」
『こっちこそ悪かったな。正直言うと、今回の件を少しナメてかかってた』
「おまえの慢心は責められないな。事実、慢心に値する能力を持っているわけだし」
『クク、そう言われると余計にプレッシャーだぜ。厳しい上司だ』
「見返りは弾むさ」
通信を切ると、悠真は特例戦の行われる試合場を目指した。
▽
悠真は特例戦や模擬戦の行われる試合場に入った。
試合場の数はいくつか存在する。この試合場はそのうちの一つだ。
中の見た目は、昔海外で目にした屋内の兵器実験場を連想させた。けれど場内のデザインは記憶にある実験場の多くと違い優しくシャープなものだし、観戦席は温かみのない高密度強化ガラスで区切られてはいなかった。
上方を仰ぐ。天井は高い。煌々と灯るライトがなければ、天井のダークグリーンを色として目視するのは難しいだろう。
試合場の八割をギャラリーが埋めていた。
特例戦には普段からこれほど人が集まるのか、もしくは黄柳院オルガが注目を集めているのか。
観戦席に腰掛け、学生に配られる学生用携帯端末のスリープを解除。
学内ランキングのデータを呼び出す。
(黄柳院オルガは、全学年のランキングで四位)
次に、直近のトーナメントデータへ移動。
(前回のトーナメントでは、準決勝進出が決まった時点での不調により辞退か……それでも、その時点での四位を下していたためにランキング五位へ昇格。黄柳院オルガは三年生がランキング上位を占める中、唯一、二年生で全学年ランキングの十位以内に喰い込んでいる)
歓声がひと際高まった。
オルガと一也が入場してきたのだ。
制服姿の二人は、試合場中央に設置された 戦台 で対峙。
試合進行は学内ネットワークを統括するAI”HAL‐九型”が行う。
人間の声と遜色ないHALの音声が試合ルール説明を開始。観戦者への諸注意が述べられたのち、透明なバリアウォールが戦台を取り囲んだ。諸注意の説明をしながら、別のトーンの音声が注意を促す。
『ただいま、バリアウォールが展開されました。危険ですので、皆さま、決して戦台にはお近づきになりませんようお願いいたします』
バリアウォールは一定値以上の霊素を通過させないだけで、霊素を含まない人間や物質の通過は可能である。
(一定値以上の霊素か)
バリアウォールが弾く霊素の判定値を呼び出す。
(52ge以上の、霊素値……)
要するに――霊素値が50geの七崎悠真であれば、魂殻を展開してもバリアウォールを抜けられる。
(これなら、必要になればいつでも飛び込める。どんなものにも使える個性は備わっているものだ。七崎悠真の身体に、感謝だな)
HALが、特例戦の開始を告げた。
◇
試合開始後、御子神一也は魂殻を展開した。
自らも魂殻を展開しながら、黄柳院オルガは一也の魂殻を観察する。
白の手甲に白刃の刀。
そして、刀を納める鞘。
それ以外の武装は見当たらない。
現在の服装に変化が生まれないため、あれは装着重視型の”デモニックタイプ”だとわかる。しかしタイプの判別が困難なほど彼の武装は攻撃型に突出している。
(確かに、あそこまで攻撃に特化したタイプの魂殻は珍しいですわね……ですが――)
戦蜂、展開完了。
(このわたくしの魂殻が、負けるとは思えませんわ)
肌の内側が火照った熱を持つ。
まるで微熱を持つ極薄の膜を全身の肌に貼りつけられたみたいな感覚が、オルガを満たした。
直後、肩から手にかけて、股下から太ももにかけてと、頼りない感覚が襲ってくる。
レオタードに似たスーツ姿になり、地肌が露出するためだ。
オルガは独特の視線を覚える。
主に、異性の生徒から注がれるものだ。
(産まれたままの姿に近づけることで、霊素感応値を高める……そのための露出とされていますが……この妙な気恥ずかしさは、いまだに慣れませんわね……)
この展開重視型の”エンゼルタイプ”は現在、女性にしか発現が確認されていない型である。エンゼルタイプは衣服の可逆変換まで効果が及ぶが、能力は基本的にデモニックタイプと比べて高めであるケースが多い(ちなみに、あくまでパラメータの最低値が水準以上というだけであって、エンゼルタイプを上回るデモニックタイプは多数存在している)。
威厳を帯びた涼やかな声で、オルガは御子神一也へ告げた。
「これが、私の魂殻……”戦蜂”。さあ、キミに――」
魂殻の後背部が唸りの羽音を立てる。
「敗北を与えて、差し上げましょう」
オルガの堂々たる宣告に、しかし、一也は笑って応えた。彼はオルガとの戦いを望んでいたと返し、魂殻の刀を構え直した。
「この舞台に、僕は感謝する」
――バシュッ!――
その言葉を一也が言い終えると同時、オルガは後背部のビットを射出。
射ち出された数機のビットが蜂型へと変形する。
巣から放たれた兵隊蜂のごとく、ビットが一也に襲いかかった。
一也は最初、巧みな足さばきでビットをかわしていた。
しかしよけきれずに一撃を受けると、彼の回避行動はダムが決壊したかのような勢いで崩れた。
その後は、オルガのビットによる一方的な乱打が続いた。
タイミングを見計らい、ビットを停止。
刀を鞘に納め膝をついた一也の前に立つ。
威厳を放つよう腕組みをしながら挑戦者を見下ろし、オルガはリタイアを促した。
「潔く負けを認めれば、これ以上痛い思いをせずに済みますわよ?」
けれど一也は、まだ微笑んでいた。
「ざ、残念ながら……僕は、諦めの悪い方でね? それに――気づいているかな、女王様?」
一也が立ち上がる。その時、危険を告げる鋭い針がオルガの意識に突き刺さった。
「最も僕が得意とする技の射程圏内に、君が、侵入してしまっていることに」
オルガは理解する。
彼はあえてボロボロになり、相手の油断を誘おうとしていた。
ただし、オルガには油断があったわけではなかった。
攻撃を停止して一也に近づいたのは、これ以上、相手が無駄に傷つく理由がないと感じたからだった。生身で魂殻ビットの攻撃を受け続ける彼を、見ていられなかった。
「鬼葬流、抜刀術――”白鳴――」
今まさに、御子神一也の技が発動しようとしていた。
この時、ほんのごくわずか、オルガは口元に微笑を湛えていた。
どんなに視力がよい者でも気づかないであろうと思う程度には、薄く、儚い笑みだった。
(これがおそらく、このわたくしの中に残る甘さなのでしょう……)
だが、予期していた攻撃は……来なかった。
直前まで攻撃へ移ろうとしていた一也が、なんと苦悶の表情を浮かべていた。彼の右腕が赤い光を発している。彼は歯を食いしばり、驚きを浮かべていた。
一也の右腕が異形化していく。
これにはオルガも戸惑いを隠せなかった。
「キミは一体……なんなの、ですか?」
鬼の形相と喩えるに十分なその腕が、オルガに狙いを定めた。
まさに喰いかかる寸前の状態。
オルガは一歩、後ずさろうとした――が、踏みとどまった。
(今、目の前で未知の危険が起こっている……もしかすると、観戦している生徒たちにも危険が及ぶかもしれない……ならばここは、なんとしてでもわたくしが――)
全身に微弱な電流が走っているかと錯覚させるほどの凶性の威圧感を前にしながら、オルガは覚悟を決めた。
(彼を、止めなくては!)
その時だった。
何者かがこの危険渦巻く戦台の中央へ、飛び込んできた。
(えっ!?)
思わず口からも「え!?」と声が出てしまった。
(七崎……悠、真……?)
「き、キミは何をしているのです!? ここは、危な――」
ガッ!
警告を言い終えるより早く、七崎悠真は、勢いよく御子神一也の右腕を払いのけた。
躊躇など、なかったように映った。
次に悠真は目で追うのがやっとの速度で一也の背後へ回り込んだ。そして鮮やかと称賛を投げたくなるほどの動作で一也の首を締め、気絶させた。
悠真の足元に気を失った御子神一也が倒れている。
一也の異形化していた右腕は元に戻り、彼の魂殻も収縮状態になった。
悠真の顔に緊張はなく、息も乱れていなかった。
「キミは、一体……?」
「決闘とやらの最中に割り込んでしまって、悪かった……だが、どうも嫌な予感がしてな。許せ、黄柳院オルガ」
まだ状況がのみ込めなかった。
オルガの胸は今、奇怪極まりない早鐘の音に占拠されていた。
気づけば、このような未知の危険が起こりつつあった場所へなぜ飛び込んできたのかと悠真に問うていた。軽作業でも終えたみたいに息をついて、彼はこちらへ向き直った。
「その未知の危険に晒されていたのが、黄柳院オルガだったからだ」
「え?」
「おまえが危険だと感じたから、つい、飛び出してしまった」
(わ、わたくし……が……?)
彼が何を言っているのか、オルガにはしばらく理解できなかった。
◇
事態が収まった後、狩谷を始めとする教師たちに試合場で的確に経緯を説明し、悠真はすぐに試合場を離れた。
一時の騒ぎはおさまり、他の生徒も今はもう下校へと移行していた。
夕日の光が本棟の壁を橙に染め上げている。
オレンジの光の差し込む廊下を一人、悠真は歩いていた。
(御子神一也……なるほど、どこぞの誰かが情報を隠したがっているわけだ。さて、やはりあの御子神一也が転入してきた理由は――)
悠真はこのままアイに連絡を取るかどうか迷っていた。
だが、少し廊下を歩いたところで連絡を取らないことに決めた。結果として、急かすだけになってしまいそうな気がしたからだ。
(あいつなら、やると言ったらやる。だから御子神一也の件は、今はあいつからの連絡を待つとしよう。さて……俺の方は、黄柳院オルガを――)
来た廊下を戻ろうと、踵を返した時だった。
「あっ――」
息を弾ませたオルガが先の廊下の角から姿を現し、悠真を呼んだ。
「見つけましたわ、七崎くんっ」




