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ソード・オブ・ベルゼビュート  作者: 篠崎芳
最終章 SOB 極彩色の世界
119/133

27.黒き幕の向こう側


 紫条良正の住む屋敷は、黄柳院の屋敷とそう離れてはいない。黄柳院の屋敷から車で十数分も行けば到着する距離にある。


 夜はまだ明けておらず辺りは暗い。


 門構えの立派な純和風の屋敷。


 時代が違えばかがり火でも焚かれていそうな佇まいだ。


 各所に置かれた調度品は高価なものばかり。空調等、現代的な設備も充実している。


 その屋敷の奥の一室。


 屋敷の雰囲気とは趣を異にする洋室。部屋の電気は点いていない。


 紫条良正は、沈黙したまま椅子に座していた。


 早朝の足音がそろそろ聞こえてくる時間帯にもかかわらず、老体を休ませることなく、彼は大きな樫の机に肘をついていた。


 何かを待っている感じがある。


「誰だ」


 厳めしい声。良正が、部屋のドアの前に溜まる闇に問うた。


 その闇から姿を現したのは、蠅のマスクをつけた真柄弦十郎。


 良正が片目を開き、確と、真柄を見据える。


「……屋敷にいた護衛たちは、殺したのか?」

「いや、ほとんどは気絶させた。命まで奪う必要はあるまい」


 良正は真柄の登場に困惑した様子もなく、そうか、とだけ言った。


 ガタイの大きな皇龍と比べると細身の老人である。だが、老いと呼ぶには瑞々しすぎる感情がその声には含まれていた。


 しかしその瑞々しさの正体は、決して褒められた感情ではなさそうだ。


 陽ではない陰の感情。


「こんな夜更けまで、誰かの大切な連絡をじっと待っていたのか?」


 真柄のその問いに良正は答えなかった。が、しばらくすると、諦めたように息を吐いた。


「ここへ貴様が来たということは……儂の目論見は、失敗に終わったわけか。ふん……所詮、極生流と言えど名ばかりの雑兵にすぎなかったか」


 良正は真柄弦十郎も極生流だと知らない。知る必要もないだろう、と真柄は断じた。


 霧間千侍への物言いに対しては思うところもある。けれど今は、他に優先すべき質問がある。


「二つほど、聞きたいことがある」


 推し量るように、良正が真柄を見据える。


「儂がこの一連の出来事の黒幕かどうか……か?」

「それは知っている。聞きたいのは、その先の話だ」


 この事件でわかっていない事柄は、二つある。


「一つは、この一連の出来事は黄柳院皇龍とあなたの共謀だったのかという点についてだ」


 真柄から露骨な敵意を感じないためか、良正の警戒心がわずかに薄まった気配があった。とりつく島がありそうだ、と思われたのだろう。


「半分、ノーだな」

「半分?」

「皇龍に口利きはしたというあたりが、妥当な線じゃろう。今のところ、それ以上は話すつもりがない」


 会話をきすぎるのも危険である。それに本当に知りたいのは、動機につながるであろう二つ目の疑問。


「では、二つ目の質問だ」


 一拍の間を置き、真柄は問うた。


「なぜ……実の孫である黄柳院オルガを、殺そうとした?」


 良正の眉が上がった。


「貴様、オルガが儂の実の孫だと知っているのか」


 オルガの母は、表向きには現在あの島で軟禁状態にあるあの北欧系の女となっている。


 しかし実際のところオルガは、良正の娘である紫条月子の腹から生まれた子であった。つまり冴とオルガは、異母姉妹ではなく、同じ母の腹から生まれた姉妹なのだ。


 となると、良正がオルガを殺そうとする動機が掴めない。


 実の孫となると、妾の子が目障りだから殺すという跡目争いにありがちな動機が成り立たないのだ。


 純霊素の存在が明らかになったことで黄柳院の女に起こるという力の暴走も危惧する必要もなくなった。万が一そのことで黄柳院の伝統が見直され、力の暴走を克服したオルガが仮に次期当主候補となったとしても、どのみち実の祖父である良正の現在の地位が揺らぐことはないだろう。


「なぜだ? なぜ、あなたは黄柳院オルガの命を奪おうとした?」

「くく」


 良正は、濁り気味に低く笑った。


「よかろう、教えてやる」


 机に腕をのせ、良正は上体を前へ出してきた。まるで、威圧するように。


「復讐じゃ」

「復讐? 何に対する?」

「黄柳院という、狂った魔境に対するな」


(黄柳院への、復讐……)


「儂の娘……紫条月子が今どうしているか、知っておるか?」


 紫条月子。


 彼女は現在、殻識島には居をかまえていない。黄柳院が別の県に所有する屋敷で家政婦たちと暮らしている。ただ、彼女について調べても特に気になる情報はなかった。通いの医師が、定期的に屋敷へ検診に訪れる程度だ。


「月子は儂のすべてだった」


 遠い目をして、良正が語り出した。


「儂に似て気性は荒かったが、そこがまた魅力の一つだった。まあ、儂に対してはいつも優しかったがな。あれは芯も真面目な子でのう……そして、美しかった。冬の夜空に浮かぶ月がそのまま実体化したような子じゃった……正直なところ、あんな優柔不断な男にやるのは惜しいと思っておった」


 あんな優柔不断な男というのは、夫の総牛のことだろう。


「じゃが……冴を生んだことで、月子は変わってしまった」


 声には、憎しみが込められていた。


「黄柳院当主の妻が女児を生む――これがどういう意味を持つか、貴様にわかるか?」


 忌み子。


 世継ぎを得るため、生まれてくる子に男児が望まれた時代があった。


 望まれぬ子。


 そんな子がいてはならない。理想としてその考えは存在する。しかし、現実は時にその甘さという幻想を損なうようにできている。


「生まれたのが女児だと伝えられたあの子の豹変ぶりは、筆舌に尽くしがたいほどだった。その変貌ぶりを見て、なぜか儂はその時意味もなく涙を流してしまったほどだ。人が変わったような錯乱ぶりじゃった。あの、月子が……聡明で優しかったあの子が、あんなにも取り乱して……」


 当時を思い出して感極まったのか、良正が目頭を押さえる。


 今の話を聞いて、冴が母の話題を避けたがる意味がわかった気がした。

 

「じゃが、そこは黄柳院……リスク管理はできておった。あの代々受け継がれてきた手袋の力で、冴は、男児として育てられた。じゃが月子は女児を生んだことに重い責任を感じ、次こそはと……次の子を、もうけた。しかし――」


 つまりそれが、


「次に生まれてきた子も、女児じゃった」


 黄柳院オルガ。


 怒りを抑え、真柄は努めて冷静に言った。


「黄柳院オルガを殺したところで、あなたの娘があの子を生んだ事実は消えないだろう」

「どうかな」

「どういう意味だ」

「月子は――」


 表情を怒りとも哀しみともつかない不思議な形に歪め、良正は、叩きつけるように言った。



「オルガを生んだことを、



(覚えていない……?)


 覚えていないとは、どういうことなのか。


「オルガが女児だとわかった途端、月子は、冴の時をこえる錯乱ぶりを見せた。急に気を失ったかと思えば、力尽きるまで叫び続けたりしていたよ……いや、あの叫びは言葉にすらなっていなかった。儂には……呪詛に、聞こえた」


 良正が、目を細める。


「月子の記憶からは以後、オルガを出産したこと自体……そもそも妊娠したこと自体が消失した。それと一緒に、あの子は正気も失った」


 良正は、拳を握りしめていた。


「じゃが今はそれでも落ち着いてきておる……ゆっくりとだが、快復してきている。しかしもしあの忌み子が再び月子と出会うようなことがあれば――今度こそ月子は、完全に正気を失うだろう」


 真柄は理解した。


 他の黄柳院の者から離れ、月子が外界との接触を断っているのは、黄柳院オルガとの接触を避けるため。


 オルガを黄柳院へ近づけさせようとしないのも、少しでも月子へ近づく機会をなくすため。


 黄柳院オルガの存在を、思い出させないようにするため。


(どれも、良正の思惑か……)


 霊素変異によって瞳の色が変わったのをこれ幸いとした良正は、皇龍と結託して偽の母親を用意し、オルガが妾の子であるという偽の事実を作り上げた。


 そして、最終的に良正は黄柳院オルガという存在そのものをこの世から消しさろうとした。


 愛する娘のために。


 復讐のために。


(純霊素を持つ黄柳院オルガを取り巻く今回のホワイトヴィレッジの動きは、それに乗じてオルガを消す絶好の機会だった、というわけか)


 ホワイトヴィレッジを囮、あるいは、隠れ蓑にしようとしたのだろう。


 いや、ホワイトヴィレッジにもしオルガが攫われれば社会的にはそのまま消えたも同然となる。それを知っていたとすれば、ホワイトヴィレッジの目論見が成功していればそれでよかったのかもしれない。手持ちの部隊や霧間千侍はあくまで保険だったとも考えられる。


 良正の目は、血走っていた。


「どれもこれも、すべては黄柳院という魔境が元凶じゃ。そもそも月子があの総牛に惹かれさえしなければ、こんなことにはならなかったのだがな」

「皇龍は……すべてを知っているのか?」

「くく」


 嗜虐的な笑みを漏らす良正。


「皇龍には必要は情報だけ渡してある。ちなみに今のアレは、ほぼ儂の操り人形も同然だ」

「皇龍ほどの人物が、そう簡単に洗脳されるとも思えんが」

「といっても、アレも所詮は人間じゃ。当主の座を退いたとはいえ、実質的には黄柳院の長とも言える存在……その重圧を利用してやれば、マインドコントロールくらい容易いことよ。儂は、洗脳にはそれなりに覚えがあってな?」


 洗脳は、特殊能力ではなく現実的な技術として存在する。


 特に黄柳院のような閉鎖された場所では、有効な手段かもしれない。


 時間もたっぷりとあったはずだ。


「例えば皇龍は、身内である儂を強く信頼しておる。以前からあいつの相談には積極的に乗ってきたし、親交を深める酒も幾度となく汲み交わした。あの男はな……身内以外には、弱いところを見せられんのさ。しかし息子の総牛は失敗作だと思っておる。さらにあやつは、女という生き物を憎悪し、同時に、ひどく恐れておる」


 冴の実質は女だ。皇龍はもちろん、それを知っている。


「となると――身近な黄柳院の身内で心を開けるのは、紫条良正だけというわけか」

「その通りだ。今のあいつはすっかり儂に依存し切っておる。じゃがさすがは黄柳院の元当主……無意識下では、儂の洗脳にまだ抵抗しているらしい。その副作用で、今は人格がぐちゃぐちゃになっておるようだがな。何も知らぬ者が見れば、多重人格に見えるかもしれん」


 薄闇の中、良正は邪悪に笑む。


「皇龍の洗脳に成功したおかげで、儂の黄柳院への影響力は圧倒的に強くなった。比例して、儂を通した皇龍のちぐはぐな指示のせいで黄柳院の力は確実に弱くなってきておる……その分、他の四家が少々言うことを聞かなくかってきたがな」


 確かにこの一連の出来事の中で、他の四家の申し子たちは比較的自由に動いていた。それも五識家の中で黄柳院の影響力が落ちてきていたことの証左か。


「ともかく、こうして皇龍は役立たずと化し、総牛は性格が災いして当主の器とは言えない。だからこのところは、あの小生意気な冴が黄柳院の一切を背負うことになっていた。女として生まれてきたことで、儂の大事な娘を傷つけた……あの、にっくき冴がな!」


「…………」


「まあ、良い見世物ではあったよ。あの娘、皇龍に命じられればどんな仕事でも無理をしてこなす。逆らえんのだよ、皇龍には。くく……表向きにはいつも平静な顔をしておったが、日に日にアレが弱っていく姿を眺めるのは、最高の愉悦だったなぁ」


「…………」


「黄柳院がいつか崩壊でもしたあかつきには、冴は薬物中毒ジャンキーにでもしてからスキモノの権力者あたりに売り飛ばすつもりだ。今はまだ、手を出せるほど弱ってはいないが……まあ、あれで容姿だけは絶品だからな。ああ……もし望むなら、時が来れば貴様に冴を抱かせてやってもいいぞ? ふん……結局、役立たずの極生流と果し合いをさせて冴を殺させる案もなくなったしな」


 目を剥き、口もとに不気味なシワを作る良正。


「わかっただろう? これは、呪われた魔境への儂なりの復讐なのだ」

「…………」

「どうした?」

「あなたがあえて俺にそこまで真実を明かす理由を、聞いても?」


 良正は引き出しから小切手を手に取ると、机の上に差し出した。


「いくらほしい?」


 小切手は、あらかじめ用意しておいたもののようだ。つまり、最初からそれを真柄に提示するつもりだったということ。


「その筋の者を使って貴様のことを調べさせた」


 確信を込め、良正がその名を口にする。


「真柄弦十郎」


「……知っていたか」

「オルガの護衛は、何者かに依頼されてやっている。しかも、大口の依頼主ではない。そうだろう?」

「依頼されたのは、事実だ」

「ならば儂が今から、貴様を言い値で雇う。脈はある……違うか?」


 真柄はここまで意識的に丁寧な態度で接していた。言葉にも、端々に敬意をまぜていた。良正のこともあえて”あなた”と呼んでいた。


 だから良正は”脈あり”と読んだのだろう。


 抱き込めると踏んだのだろう。


 ゆえに、秘密をペラペラと喋ってくれた。


「ベルゼビュートのことは、皇龍から聞いておる。使い方さえ間違えなければ、どこまでも冷徹になれるプロ中のプロだと。ならば今のチンケな依頼主とは比べものにならない破格の条件で、儂が貴様を雇おう」


 良正の口調から、傭兵を格下に見ているのがありありとわかった。金さえ積めば、傭兵などいくらでも鞍替えする人種だと思っているのだろう。


「貴様はプロだ。プロなら、護衛対象へ深い情を持つこともなかろう。でなくとも、むしろ月子の話を聞いたことで儂に同情し、黄柳院という魔境を憎む方が自然な感情の動きというもの――」


「断る」


「――なんだと?」

「自分の娘へ持てたその情を、なぜ二人の孫にも向けてやることができなかった」

「簡単だ。あの娘たちは、罪人だからだ。月子と一緒にするな」

「女として生まれてきたことが、罪か?」

「当然だ」

「フン、欠片も賛同できんな」


 サイレンサーを装着した拳銃を、真柄は懐から取り出した。


「……貴様」

「この世に生まれてくるすべての子に、生まれた時点で背負うべき罪など存在しない。だから、あの子たちが生まれてきたことにはなんの罪もない。俺はむしろ、あの子たちが生まれてきてくれたことに感謝したいくらいだ」


 大仰に呆れのため息を吐く良正。


「プロ中のプロという情報は、間違いだったか」

「おまえは先ほど、皇龍から聞いたと自分で言っていただろう。要するに――」


 良正の額に、銃口を向ける。


使と、ベルゼビュートは扱いづらいということだ」




 夏風邪を引いてダウンしていました……けっこう長引くものですね。皆さまも夏風邪にはお気をつけくださいませ。


 物語的にはようやく、残された真相に到達した感じですね。

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― 新着の感想 ―
>もし望むなら、時が来れば貴様に冴を抱かせてやってもいいぞ? 御褒美では?
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