26.あとの始末
霧間の言っていた部屋は施錠されていなかった。
部屋の前やそこへ続く廊下には、傭兵と思しき者たちの死体が転がっていた。あれらもすべて霧間がやったものだろう。
部屋に入っても黄柳院オルガ以外の生者とはやはり遭遇しなかった。
オルガは、部屋の隅にあった簡易ベッドで眠っていた。
様子を確認する。
ひとまず外傷はなさそうだ。着衣に目立った乱れもない。
だが、呼びかけてみても目を覚ます気配はない。例の薬の効果が強いのだろう。
それに今の自分は”七崎悠真”ではなく真柄弦十郎だ。だから、今はオルガが眠ったままの方が何かとスムーズかもしれない。
そう考えた真柄は、眠ったままのオルガをそっと抱きかかえた。
「ん――、……七崎、く、ん……」
悠真の名が唐突に出て驚いたが、寝言だったようだ。
真柄は来た廊下を戻り、再び霧間千侍と死合った場所を通りかかった。
霧間の姿がなくなっていた。
残されていたのは血だまりと――血文字。
”この灯が消えるのを、あとはただ静かに待つ”
真柄は理解した――真柄弦十郎だからこそ、理解できた。
極生流の人間の首には今も莫大すぎる賞金がかかっている。そんな極生流の死体が出たとなれば、一部の界隈では大騒ぎになるだろう。
しかも、死んだのが霧間千侍とわかれば、息を潜めている極生流の誰かが動き出す可能性がある。
あのコミュニティには、霧間が思うより彼を慕っている者たちもいた。
例えば”キリシマセンジン”の正体に気づけなかった者、あるいはその最強を決するシステムに興味のなかった者であっても、あの霧間千侍が死んだとなれば”殺したのは誰か?”という情報を探り始めるケースは考えられる。
中には復讐者となる者も出るかもしれない。
結果、霧間千侍を手にかけたベルゼビュート――真柄弦十郎が、再び他の極生流と戦うことになるかもしれない。
それを避けるため、霧間は人知れぬ場所でひっそり死を迎えることを選んだのだろう。
(あの深手で……それも、おまえの誠実さか……)
霧間千侍の最後のメッセージを受け取った真柄は、靴裏で血文字を擦り、判読不能にした。
オルガを抱きかかえたまま、しばし血だまりを眺める。
もう、二度と会うこともないだろう。
そうして真柄は敷地の外で待機している五識の申し子たちのところへと、足を向けた。
▽
敷地を出て少し歩いていくと、車のボンネットに腰かけていた朱川鏡子郎が真柄に気づいた。
オルガを見て、鏡子郎が聞いてくる。
「終わったのか?」
「……ああ」
「ふん、さすがは伝説の傭兵ってとこか。オレたちの出る幕は、なかったみてぇだな」
「いや、あるさ」
葉武谷宗彦が会話に割り入ってきた。
「そうだろう、ベルゼビュート?」
真柄は、敷地の方を振り向く。
「中にいた敵のほとんどは死んでいた。それを実行した人間も……今は、無害だ。あとのことを任せてもいいか?」
鏡子郎のアイコンタクトにうなづき、宗彦が返答した。
「いいだろう」
今の霧間千侍は無害だ。
そして霧間千侍が無障害化した以上、五識の申し子がいればこの敷地に障害は存在しまい。
国内に入ったという数名の傭兵の方も、手は打ってある。
(とはいえ、冴には無茶をさせてしまった……だが、今回の相手に関しては冴でなければ確実だと思えなかった。いずれ、この埋め合わせはしないといけないな……)
「それと――」
真柄は視線を落とし、懐で眠るオルガの顔を一瞥する。
「この子のことを、おまえたちに頼みたい」
「俺たちに?」
「黄柳院オルガはベルゼビュートがここへ来たことを知らない。ほぼ薬で眠らされていたようだ。だから、この子はおまえたち五識の申し子が救出したことにしてくれないか?」
鏡子郎が真柄の目を見る。
「あんたなりの事情があるのは察するがよ……あんたはそれでいいのか? オルガにとっちゃ、あんたは自分を救ってくれた王子様だろ」
「フン、王子という年でもないしな」
「……わかった。オルガのことは、オレたちが責任をもって引き受ける――おい、禊」
「うん」
「もう一台、車を――」
「もう手配したよ」
「……そうか」
今オルガを預ける相手としては、ここにいる五識の申し子たちが最も適役といえる。
先日の戦いの件も含め、彼らがオルガを守るために動いているのはほぼ確実だ。戦力的にもバックアップの厚さ的にも、この時点で彼らほどの適任もいまい。
だから彼らがここへ来たことは、真柄にとっては僥倖でもあった。
安心してオルガを任せられる。
オルガを車の後部座席に寝かせると、真柄は、宗彦と軽く流れの確認とすり合わせを行った。
葉武谷宗彦は有能な男だった。交渉力や理解力も高く、また、客観的なものの見方もできている。若さを考えても、将来が楽しみと言えた。
朱川鏡子郎は粗暴な物言いをする印象が強いが、頭の回転は速い。理性的な面もある。おそらく彼は曲がったことが嫌いなのだろう。筋さえ通せば話のわかる相手という印象だ。ただ、彼の最大の強みはやはりその戦闘能力であろうと思われる。
(そして――)
青志麻禊。
宗彦や鏡子郎に比べるとやや二人の陰に隠れている印象だが、真柄にはわかった。
(青志麻の子は五識の申し子の中で唯一、裏の深い世界を見てきたニオイがある……)
どちらかと言えば、こちら側。
青志麻家の歴史を考えればそれも理解はできるが。
何より彼のようなタイプがいることは、オルガを預ける上で安心感を上乗せしてくれる。チームにこういうタイプが一人いるだけでバックアップの質には差が出る。たとえるなら、真柄にとっての五百旗頭の存在に近いだろうか。
打ち合わせを終えると、宗彦が尋ねてきた。
「大丈夫か?」
「ん?」
「何も問題ないように振る舞ってはいるが、相当なダメージを受けていると見えるが」
ロングコートで隠してはいるが、顔や手の負傷は隠せない。いや、といっても顔や手の負傷は大したものではない。
問題は十弦の状態で行った、様々な戦闘行為の負荷である。
(しかし、俺のダメージに気づいたか。葉武谷宗彦、か……観察力も、さすがといったところだな)
「問題ない。今のところはな」
「……そうか」
それ以上、宗彦は真柄のダメージに言及しなかった。それから、宗彦は他の二人に改めて今後の動きを説明した。
説明を聞き終えると、ボンネットから腰をおろして鏡子郎が言った。
「オレたちが今後やるべきことは、把握した。で……あんたの方はこれからどうするんだ、ベルゼビュート?」
若干ながら、以前より真柄への敬意がニュアンスとして含まれているのに気づく。
黄柳院オルガを狙った、この一連の事件。
最後に一つだけ、どうしてもケリをつけねばならないことがある。
「今回の件は、ほぼ解決したに等しいが……一人、どうしても真意を問い質したい相手がいてな」
ポケットから車のキーを取り出す。
紫条良正。
「これからその人物に、会いに行く」




