24.黄龍のなみだ
「終わらせる、だと……?」
「正しくは、もう終わっている」
「くっ、仕方ない!」
羽司馬は狙いを定めた。
「全員、障害を排除!」
号令をかけるも、誰一人、動き出す気がない。
(なんだ……?)
誰も、動かない。
横目でマムシをうかがう。
「どうしたっ!?」
「わ、わからねぇ……なぜか腕が、動かない」
「何?」
「……こちらもだ。身体が、動かない」
地獄の学校。
約三年に及んだ欧州の悪夢的混乱期。
当時を知る一部の者はその三年間を地獄の学校と呼ぶ。
あの悪夢の三年の戦場を生き延び”卒業”した凄腕の傭兵、グラスマンが狼狽していた。
何か、異常事態が起きている。
狐面を睨む。
「……何をした?」
質問するとほぼ同時に、威嚇射撃。
――カチッ――
「――っ!?」
引き金を引くも、射撃が行われない。
(弾詰まりっ!? いや、違う……あの狐面の仕業か!?)
思い返せば、存在すら認めていないような扱いをされて、あの殺し屋サイドの連中がおとなしくしているはずがない。
振り向いて殺し屋たちを見る。
もしや、と羽司馬は思い至った。
自分の制止サインで止まっていたのではなく、彼らは――
(元から、別の理由で動けなかったのか?)
「くっ、魂殻なら使用可能なはず!」
沈黙。
夜の虫の鳴き声だけが、物静かに辺りを飛び交っている。
「だめだ、羽司馬――」
凍りついたマムシの声。
「魂殻も、動かない」
次の瞬間、全員の魂殻が収縮状態へと移行。
汗が眉間を伝う。
収縮は、自分の意思ではない。
何か別の者の意思によって”強制終了”された。
狐面の艶やかな髪が、そよ風に優しく揺れる。
「告げたはずだ、もう終わっていると」
あの場から狐面は動いていない。
(今の強制解除は、魂殻能力か? しかし、狐面の身体のどこにも変化は起きていない……そうか! あの狐面が、魂殻――)
「この狐面が、余の魂殻だと思ったか?」
「!」
「目を読めば思考くらい容易に看破できる。本心を隠して生きるという意味では、余の方が何枚も上手らしいな」
(狐面が魂殻でないとすれば、彼の魂殻はどこに出現しているんだ……っ!?)
「今宵の余は心持ちがよい……頼ってほしい者に頼られるというのは、幸福なことだな。だから特別に、余の魂殻をおまえたちにも”見える”ようにしてやろう」
狐面が言うと、周囲一帯に蛍の光ほどの光点が出現した。
金色の光。
「集合させた上で、さらに肉眼でも見えるよう発光させている」
「まさ、か――」
声を発したのは、大賢者。
「気づいたか、余の魂殻の正体に」
「大賢者、何か思い当たったのかっ!?」
「超ミニマムの、魂殻」
「その通りだ」
狐面が、肯定した。
「”龍泉”は言うなれば――極小ナノマシンサイズの、無数の汎用型干渉魂殻」
ナノマシンレベルの魂殻。
無数のそれらが、自分たちを取り囲んでいる。
ゾッとした。
ならば自分たちは今、喉元へ刃を突きつけられているのにも等しい。
汎用型、と狐面は言った。
つまり、様々な用途があるということ。
例えば、車の前輪の動きを一瞬で止めたり、身体の動きを止めたり、銃器の機能を奪ったり……。
(なんだ、それは……そんな、魂殻――)
無敵、ではないか。
しかも、あの狐面はなんと言った?
”龍泉”?
羽司馬も当然知っている。その名が意味するものは――
「五識家を束ねる、黄柳院家の――黄柳院、冴……っ」
世界最強とも称される魂殻使い。
「なんだってっ!?」
マムシがその名に反応した。
「黄柳院冴だとぉ!? そいつは話が違うだろ羽司馬! 今回の作戦、五識の申し子はかかわっちゃいるが、そいつは出てこないはずだ!」
アサルトライフルが勝手に分解され、部品が地面にバラバラと散らばる。
「ぁ――」
ほぼ放心状態で、羽司馬は、足もとに散乱した銃器の残骸を眺めた。
眺めるしか、できなかった。
手袋を纏った細指が、優雅に結び糸をほどき、面の端をつまんだ。
化かしの面が、外れる。
そうして狐面の下から現れたのは――羽司馬の予想を遥かに超えた、浮世を離れた美貌であった。
冴が懐中時計を取り出し、長い睫毛を伏せて時刻を確認する。
「そろそろか」
憧憬と畏怖を混在させた羽司馬の声は、震えを帯びていた。
「何が、だ」
マムシが口を動かしてる。しかし声が出ていない。他の者はおそらく”龍泉”によって言葉を発すのを禁じられている。
「おまえたちの中に侵入した”龍泉”が、そろそろ余の指令を完遂する……明日の朝まで、おまえたちが目覚めることはない」
冴がそう言った直後、仲間たちがバタバタと地面に倒れ始めた。
続き――重く、鈍く、乾いた、独特の、音。
そんな音がそこかしこで発せられている。
羽司馬は寒気を感じた。
(眠りながら、骨折している……?)
倒れ伏す彼らの体内で”龍泉”がそれを実行している。
だが、彼らが痛みで目を覚ます気配はない。
否、目覚めることができないのだ。
冴の”龍泉”の命によって。
「羽司馬と呼ばれていたな? 一つ、伝言を言い渡しておこう……おそらく明日の朝には、すべての決着がついている。おまえたちの出る幕はない――以上が、伝言だ」
「なん、だ……と……?」
その時、猛烈な眠気が襲ってきた。
「この場でただ一人余に殺意を抱けなかったらしい貴様には、わずかばかりの慈悲を与えてやるとしよう。最後の後始末をする者も、必要であろうしな……目覚めたら全員、この一切から身を引け」
「おれ、たちは……依頼、を……」
「案ずる必要はない。目覚めた時には、すべてが終わっているはずだ。あの者は――」
黄柳院冴の声が再び、柔らかさを取り戻した。
「終わらせると言ったら、必ず、終わらせる男だ」
羽司馬が意識を失う直前、その瞳におさめたのは―――誰かを想うがごとく月を仰いだ、絵画めいた白麗の横顔であった。
◇
黄柳院冴は、通信機のスイッチを入れた。
遠くで待機させている総牛の私兵部隊へ連絡するためだ。
彼らを率いているのは、辰吉藍。
『はい、冴様』
「やるべきことは終わった。後の始末と回収を頼む」
『かしこまりました』
手が必要なら今回は彼女たちの力を借りろと真柄弦十郎から言われていた。彼女たちなら信頼できる、と彼は言っていた。
ここまで車で冴を送り届けたのも、辰吉たちである。
「…………」
倒れ伏すターゲットたちを、冴は無感動に眺めた。
明日の朝までにはすべてを終わらせるから、できるだけそれまでは無力化しておいてほしい――真柄は冴にそう頼んだ。
だから黄柳院冴の役目は、ここまで。
通信機のスイッチを、切る。
ちなみに日頃から使用しているスマートフォンは起動していると皇龍に位置を特定されるため、電源を切ってある。
不意に、眩暈。
ふらつく足に力を込め、冴は踏みとどまった。
自分は血の気を失っている。それがわかった。おそらく今、顔は蒼白であろう。
薄い唇から洩れる呼吸も、本来宿っているべき精力を削がれていた。
仕方あるまい。
屋敷で待機しろという皇龍の命令を破り、無理をおして飛び出してきたのだから。
黄柳院の一族は呪われている。
呪われているのは細胞、と言えるか。
父や祖父に逆らう行為は、現実的な負荷を子や孫に与える。
得も言われぬ恐怖感、膨らみ続ける不安感、とめどなく湧き上がる嘔吐感、胸を締めつける苦しみ、全身を軋ませる鈍い痛み……。
黄柳院の一族が孕みし”呪い”。
命を破ろうとすると、そんな呪いが一斉に襲いかかってくる。
冴はそれらすべてに耐え、振り払ってから、屋敷を出なければならなかった。
呪いの効果は、屋敷を出てからもしばらく続いた。
だが、屋敷に戻る選択肢はなかった。
真柄弦十郎が自分を必要としてくれているのだ。冴にとってそれは呪いを凌駕する祝福に等しい。
だから、耐えられた。
ちなみに狐面をつけてきたのは、万が一のケースを考慮し、顔色の状態を相手に知られないためだった。相手が猛者に値する者だった場合、今の冴が長期戦に耐えうる身体状態でないのを悟られたら、長期戦に持ち込まれてしまう。
懐中時計をしまいながら、冴は滑らかな口の端に自嘲を滲ませる。
(余にとって”猛者”の基準が高すぎるのは、重々承知なのだがな)
黄柳院冴にとっての”猛者”の基準は、真柄弦十郎である。その彼が警戒しろと口にする相手となれば、そのような準備も必要だと判断した。
とはいえ、杞憂が過ぎた。
相対した相手は誰一人として彼に遠く及ばなかった。
「……、――っ」
頭部に痛みが走り、額をおさえる。
この痛みは、呪いによるものではない。
(少し……力を、使いすぎたか……)
冴の”龍泉”は強力な魂殻だが、かかる負荷は他の魂殻の比ではない。
真柄弦十郎に遠く及ばぬとはいえ、敵の質も決して低くはなかった。干渉対象も多かった。さらに、呪いによる身体の不調までもが重なった。
それらが合わさり、ここまでの負荷を及ぼしたのであろう。
(この”龍泉”……本来なら、黄柳院の男子の身体では扱い切れぬ代物なのかもしれぬな……)
とはいえ、女子の身体ではすぐさま暴走してしまう。
男として扱うには、器の大きさが足りず。
女として扱うには、制御そのものができない。
(もしくは”龍泉”は、余には過ぎたる力なのかもしれぬ……)
てのひらに、温かい水分の感触。
確認すると、指に、赤い液体が付着していた。
魂殻の負荷で目の奥から出血したようだ。
血のなみだ。
酷使された身体からの、無言の訴えであろうか?
呪いに逆らうことも、魂殻を使うことも、黄柳院冴の身体は快く思っていないのかもしれない。
「仮に――そうだとしても、かまうものか」
誰にともなく、つぶやいた。
遠くからエンジン音が近づいてくる。辰吉たちの乗る車が近づいてきているようだ。
どこまでも続く夜空に星が広がっている。
すぐ手が届きそうだと思えるも、決して届かない星の大河。
思い出したように、春の夜風がふき寄せた。
双眸を細め、冴は、流れる月色の髪を手でおさえる。
「おまえのためならばこの程度の涙……わたしは、いくらでも流そう……」




