11.BとI
結論から言えば、黄柳院オルガは決闘をあっさり受けた。
殻識学園には学内序列――いわゆるランキング制度が存在する。
ランキングは主に各期ごとのトーナメントや評価テストによって決定される。
ただしその二つ以外の方法で順位が上下するケースがある。
それが、特例戦である。
もう一つ模擬戦と呼ばれるものも存在するが、こちらは勝敗によるランキングの変動がない。一方の特例戦――御子神一也が決闘と称したもの――は、勝敗によってランキングが変動する。
特例戦が行われるのは、挑まれた側が承諾した場合に限られる。
普通に考えるなら、ランキング上位者が下位の者を倒して得られるものはない。ゆえに、特例戦が成立するケースは稀である。よほど下位の者が提示した条件が魅力的でなければ、上位の者が特例戦を受けることはない。
(ただし黄柳院オルガは一日一回に限り、どんな者からの特例戦の申し込みであっても受ける……か)
悠真は人のいない廊下を一人歩きながら、今回のオルガと一也の特例戦について考えていた。
(黄柳院オルガの学内ランキングは四位。二学年の中ではトップだ。つまりオルガには上位三名以外からの特例戦の挑戦を受けるメリットがない。となると、他の理由があるわけだ)
廊下の角を曲がる。
殻識学園では午前が普通科目で、午後から魂殻関連の授業に切り替わる。
悠真は腹の調子が悪いと言い、授業が始まるなり特別教室を抜け出してきた。
もちろん、嘘である。抜け出す際、霊素値が低くて恥ずかしいから逃げたのだと陰口を叩かれたが、むしろそう思われたならそう思われたで不自然さが薄まるのでありがたかった。
ただ、腹の不調は嘘なのだが、目指しているのはトイレである。
(他の生徒もオルガが特例戦を無条件で受ける理由までは知らないようだった。ここはやはり、あとで本人に聞いてみるべきか……他にも、気になることはあるしな)
悠真は入口付近の壁によけてあった”清掃中”のコーンを立て、トイレの中に入った。
洗面台に手をつき、耳元に手をあてる。
「ビーだ」
場所と状況によるが、交信時は互いが決めた単語のイニシャルで呼び合っている。もっとも盗聴を防ぐ安全策を使ってはいるので、安全性は確保されているが。悠真――真柄は通信相手の要望で”ベルゼビュート”の”B”を使用している。
『アイだ』
なめし革の鞘から取り出したばかりのナイフのような、鋭くぎらついた声。
「御子神一也という男について調べてほしい。殻識学園の生徒で、クラスは2−C」
『今、プログラムを走らせた』
「今日は一日待機を頼んで悪かったな」
『クク……このオレをデスクワーク探偵代わりに使うなんざ、アンタ以外にゃできねぇ芸当だぜ』
「感謝はしている。今度、美味い飯をおごるさ」
『ハッ、いらねぇよ。オレはあんたを手伝うのが好きだからやってるだけだからな。バイト代なんざ”月給”だけで十分だ。そうだな……自分が金に困る姿をもし夢に見るようになったら、そん時はアンタからボーナスをもらうとするぜ』
「なら今回の報酬は、金で買えない飯をおごってやるよ」
『いいね、それでいこう! で、学生生活はどうだ? 満喫してるか?』
「ああ、怖いくらいに」
『ハハハッ! やっぱ怖いモンなしだよな、アンタは!』
彼はマガラワークスの”従業員”の一人だ。
実に、優秀な。
今ほど彼は真柄弦十郎に怖いものがないと言ったが、彼こそ、真柄弦十郎からすれば怖いほど優秀な男である。
時間を確認する。
「そろそろ、戻る時間だ」
『今のところオレの目から見て、アンタの興味を惹きそうな”スペシャルな情報”はねぇみてぇだな……わかった、ならデータをあとでまとめてから報告する。時間はいつがいい?』
特例戦は放課後。
午後の授業は15:45に終わる。
HRが終わると、通常の下校時間は16:00。
「16:10」
『了解。他に調べておいてほしいことはあるか?』
「とりあえずは御子神一也だけでいい。悪いな」
『やめとけ。謝んのは、続けると癖になるぜ』
「いいさ。スナック感覚の礼儀だ」
『やっぱ最高だよ、アンタ』
通信を遮断。
トイレを出てコーンを戻すと、悠真は授業の行われている教室へ戻った。
▽
午後の魂殻授業は教養と実践に分かれている。
魂殻に関する知識は元々それなりにあったため、授業内容は右から左に流しても問題のないレベルだった(一応、聞いてはいたが)。自身に適性がなくとも、敵として魂殻使いが現れた時を想定して最低限の知識はあらかじめ詰め込んであった。敵の”装備”を知ることで仕事がスムーズに運ぶなら、知識を入れる手間を厭う理由はない。
今日の実践科目は魂殻を使用した様々な測定だった。
こちらは初めての経験だったので、最初に多少の手間取りがあった。
殻識の生徒が学外で魂殻を使用する場合、ネットワークを介した学園側の承認が必要となる。その承認を無視した使用に対しては厳しい罰則が設けられている。三賢人の技術なら使用不可の制御をかけることも容易なのだろうが、緊急時に身を守れるよう、使用自体は承認がなくとも可能となっているようだ。
ただし使用履歴はネットワークを通じて確実に伝わる。
余計なログを残したくなかった悠真は、まだ一度も魂殻を使用していなかった。
「魂殻、展開――」
身体中の細胞が一斉に何かと共鳴する感覚。
心地よいとも取れる浮遊感。軽微で柔らかな熱。
「――装殻――」
チェックと準備を行うワード”魂殻展開”。
魂殻を顕現させるワード”装殻”。
この二つのプロセスを経て魂殻は発現する。
明言はされていなかったと記憶しているが、魂殻は、おそらく一度サーバー的な空間に存在する霊素システムを介し、必要な霊素的粒子を”物質情報”として使用者に送り込むことで発現させているのだろう。
(要するに、三賢人の用意したシステムを一度介さなければ魂殻は使用できないというわけだ。これでは三賢人に管理――掌握されているようなものだな)
七崎悠真の装殻が完了。
右腕の肘から拳にかけてと、左足の足首からつま先まで。
色は灰色。
灰色は、最も霊素値の弱い魂殻色とされている。
気の毒そうな視線が悠真に注がれた。
同情、憐れみ、嘲笑……。
しかし悠真は意に介さず、授業中は、この限られた魂殻で何ができるかを試すのに注力した。
学園内での――特に授業中における装殻ならログとして残っても問題はない。
今のうちに確認できる点は確認しておきたかった。
(なるほど……右手は手甲としての防御力と、筋力の瞬発的な増強。左足は瞬発的な加速をもたらす、か)
魂殻を収縮にし、悠真は魂殻の消えた腕の調子を確かめた。
軽微の疲労感が残っていた。そう都合のよい代物でもないらしい。
さて、護衛対象の黄柳院オルガはというと、この実践科目中は魂殻を展開せずにずっと座って見学していた。放課後の特例戦に備えているのだろうか。しかし悠真には、そうも思えなかった。それだけの理由で授業を見学するような人物には見えない。
(ともかく、これで七崎悠真の魂殻の性能は把握した。なに……適性すらなかった真柄弦十郎には元々こんな”上等なオモチャ”は備わっていなかった……あるだけマシというものだ)
悠真が初めて魂殻を装着した後、同情や嘲笑が飛び交う中、オルガだけは唯一表情から感情を読み取れなかった。そんな護衛対象を眺めながら、悠真は自身の魂殻への確信を得ていた。
(これで、十分だ)
そして一日の授業とHRが終了し、特例戦の始まる放課後がやってきた。