12.訪れた出会い
ジョンたちと別れてホテルを出ると、真柄は車に乗り込んだ。
(残るは黄柳院の黒幕……おおよその見当はついているが、一つ腑に落ちない点がある……)
確かめるべきは、殺意。
皇龍と良正。
この二人に会う必要がある。
二人とも屋敷から動かないため、外での接触を図るのは厳しそうだ。
(その前に、ティアと話をつけておく必要があるかもな……最近のオルガの様子も、確認しておきたい)
電話をかけると留守番電話サービスにつながった。なので、メッセージを残した。
車に乗ってエンジンをかける。と、ティアから折り返しで着信が入った。スピーカーフォン設定にし、アクセルを踏む。
声の調子を整える気配のあと、ティアの声が聞こえてきた。
『すみません。トイレに入っていました』
「俺こそ、急な連絡で悪かった」
『何か?』
「明日、会えるか?」
『電話で話せない内容ですか?』
「そろそろ、おまえと直接会っておくべきだと思ってな」
▽
『到着しました。マガラワークス――ここで、合っていますか?』
「合っている。悪いが、シャッター横の階段から上がってきてくれ」
室内の様子をうかがいながら、ティアが事務所に足を踏み入れる。
「失礼します」
時刻は夕刻前。今の事務所には、真柄以外誰もいない。
殻識島からマガラワークスの事務所までは距離がある。ティアは、体調不良を理由に早引きしてきた。このあとの動きを、オルガの下校時間に合わせるためである。
「遠いところを悪かったな」
「…………いえ」
飲み物の準備をしようとデスクを離れる。ティアは、どこか呆けた様子だった。目を丸くしている。
「様子が変な感じだが……どうした?」
「その……あなたが?」
(ああ……初めて”真柄弦十郎”を目にして、戸惑っているわけか……)
「そうだ、俺が真柄弦十郎だ。想像していたイメージと、違ったか?」
「ええ、違いました」
棚を確認してから、冷蔵庫を開ける。
「出せそうなのは、コーヒー、紅茶、麦茶、緑茶……あとは、オレンジジュースあたりか。何がいい?」
「…………」
「ティア?」
やはり様子が妙だ。
「七崎悠真とのギャップが、そんなにも激しかったか?」
「と、いうより」
(なんだ……?)
ティアは口もとを手で覆うと、顔を背けた。そして小声でつぶやいた。
「正直なところ……どすとらいく、なのですが」
「…………」
「まずい、これはまずいですね、非常にまずい」
真柄は理解した。
(意外と言えば、意外だが……)
「ひょっとして、こういう顔がタイプなのか?」
「みたいです」
正直な回答だった。
「フン、悪印象よりはマシだな。それで、何を飲む?」
「……オレンジジュースを、いただきます」
ソファにちょこんと座るティアの前に、オレンジジュースを注いだグラスを置く。ペコリとティアが会釈する。
「ありがとうございます。いただきます」
「古めかしい事務所で悪いな。掃除は、それなりに行き届いているとは思うんだが」
「気にしません。比べものにならないほどひどいところで、私は幼少期を過ごしていましたから。それより、七崎ゆ――いえ、真柄さん。失礼ですが、おいくつですか?」
(俺の年齢……?)
年齢を告げると、ティアは真剣な面持ちで何やら思案を始めた。
「年の差から考えると、犯罪になりますかね……?」
「ティア?」
「いえ……この国では、未成年同士であれば許されるのでしたか? とすれば……七崎悠真の身体を通してならば、法的に問題は……」
「本題に入っていいか?」
小さなあごに手をあてたまま、視線だけを向けるティア。表情の筋肉にほぼ変化はないが、少し自分を恥じているような感じが見受けられた。
「どうぞ。すみません、先のことを考えすぎていました」
「フン」
「何か?」
「大人びているからつい忘れがちになってしまうが、おまえも年頃の女の子だったな……今まで、少し配慮が欠けていたかもしれん」
「年頃の少女に、真柄さんはどのような配慮をしてくれるのです?」
「どんな配慮をしてほしい?」
「つかぬことをお聞きしますが、恋人はいますか?」
「……いないが」
「そうですか」
こほんっ
ティアが咳払いした。
「どうぞ、本題を」
(表情と声の調子のせいで、どこまでがジョークかわかりずらいな……この子のポーカーフェイスは、武器ではあるんだが……)
その武器をジョークの添え物として使われると、なかなかに厄介な代物である。
真柄は気を取り直し、ティアにホワイトヴィレッジとの交渉が済んだ件を話した。七崎悠真の時よりも傾聴の度合いが高い気がしたが、ともかく、ティアはおおむね状況を理解してくれたようだった。
「なるほど……つまりホワイトヴィレッジは、これ以上ベルゼビュートとやり合うのは割に合わないと判断したわけですか」
「組織内の派閥争いも判断に影響したようだがな」
「これは……黄柳院オルガの件は、ほぼ片がついたと考えていいのでしょうか?」
「いや……おまえには、もうしばらくオルガの警護を頼みたい」
(ホワイトヴィレッジをまだ信用し切れていないのもある……それに、例の主流派が暴走する可能性もまだ捨てきれない。もう少し、様子を見る必要がある)
ちなみにティアがいない今は、マガラワークスの従業員にオルガの警護をしてもらっている。
学園にいる時以外は黄柳院の派遣した警護がついているのだが、その派遣主が信用できなくなった今、片がつくまでは別の警護を個人的につけておいた方がいいと判断した。
「わかりました。では、このまま黄柳院オルガの警護を継続します」
「助かる」
「……私も、信用されたものですね」
「ん?」
「それほど長いつき合いでもないのに、ここまで信用してよいのですか? 形としては、私は黄柳院側の人間なわけですし」
「俺は、信用できると判断した。見誤ったのなら、それは俺の判断力が甘かっただけのことだ」
前かがみになったティアが、垂れてきた髪を手で払った。
「ずるい言い方ですね」
「それに――」
「それに?」
「おまえと確かな信頼関係を築けたと思ったからこそ、こうして真柄弦十郎として会うことにした」
両手でグラスを包み、ティアが口もとに持っていく。
「真柄さん、人たらしです」
こくっ、とティアがジュースを飲む。
顔を見せたのは、顔を知っておいてもらった方が有益だと判断したからでもあった。もちろん、信頼の証でもあったわけだが。
「ところで、最近のオルガの様子はどうだ?」
「たまに寂しそうな様子ですが、元気にやっているようですよ。先日あなたが会いに行ったのが効果を上げたのでしょう」
「周囲で何か変わったことは?」
口の端についたジュースの水滴を、ティアがペロッと舌で舐めとる。
「黄柳院オルガに接触を図っている、五識の申し子がいます」
「誰だ?」
「鐘白虎胤です」
「鐘白家の?」
(五識の申し子の中では、最も毒のない人物という印象だが……)
「黄柳院オルガに黄柳院冴の話をしているようです。私としては、黄柳院冴に好印象を持ってもらいたいのだと推測します。それから、兄妹の仲が冷めているのを気にしている節も感じられますね」
冴のよいところをオルガに一生懸命ふき込んでいる、といった感じか。
(特に対処の必要はなさそうだな……)
葉武谷宗彦や青志麻禊あたりなら探りを入れる必要があるかもしれないが、鐘白の子なら問題なさそうである。何より、五識の申し子はオルガの身を守ろうとしている側だ。現時点でオルガに害をなすとは考えられない。
それからティアといくつかの簡単な確認をし合った。
最後に、時間を確認する。
「そろそろ、時間か」
「今後、真柄さんは?」
「俺は黄柳院を探る。早速これから動くつもりだ。黄柳院オルガの件に、これで片をつける」
ティアがソファから立ち上がり、ちょこちょことスカートを直した。
「ご武運を。それと……私の雇い主がこの件の根源だった場合、私は生活基盤を失う恐れがあります。ですので、学園へ通えなくなると思います。その点は覚えておいてください」
なので学園での警護任務は不可能になる、と言いたいのだろう。
(ふむ……話の転がり方によっては、トーナメントでオルガの優勝を阻止する役割も必要なくなるわけか……)
「今後のことは、何か考えているのか?」
「アルバイトでもなんでも暮らしていく方法はあるでしょう。少なくともこの国に来る前よりは、ロクな生活が送れるはずです」
「ティア」
「はい」
「この件のすべてが終わったら、ここの従業員にならないか?」
「私が?」
「諸々の手続きは気にするな。俺がどうにかする」
「……まあ正直に言いますと、それを期待していなかったわけでもないですが」
「期待には、応えるつもりだ」
「ですが、他の従業員の方もいるでしょう? こんな無愛想な女、受け入れてもらえるでしょうか? もちろん、私なりに受け入れてもらう努力はしますが……」
「癖の強い連中だが、おまえなら大丈夫だろう」
「そこも私を信頼している、と?」
「ああ」
「…………」
ティアが事務所のドアの方へ歩いていく。歩くたび、髪を結んでいるリボンが揺れていた。
「やはり、人たらしです……」
「口説いているという意味では、間違ってはいない」
「…………」
「殻識島まで、車で送ろう」
「いえ……黄柳院オルガの件が片づくまでは、一緒にいるところを見られる危険をあえておかす必要はないでしょう。バスで帰ります」
真柄は立ち上がり、ティアの背中に声をかけた。
「ティア」
「はい」
「今日のリボンは、前と違うやつだな」
前に見た赤いリボンではなく、黒いリボンをしていた。デザインも、前の赤いリボンより少し大人びているだろうか。
ティアがリボンに触れる。
「気づいていないのかと思いました」
「それくらい気づくさ。そっちのリボンも、悪くない」
ティアは立ち止まると、ぶんぶんと細い首を振った。そして右手を胸に添えて、ボソッと言った。
「計算でやっているに決まっています……計算で、やっているに……」




