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ソード・オブ・ベルゼビュート  作者: 篠崎芳
最終章 SOB 極彩色の世界
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11.パトリオット


 真柄の宣言を聞いて、ジョンは微笑んだ。結論が出たとでも言いたげに。


「我々を本気で敵に回す、か。勇者か愚者か……これは、判断に迷うところだな」


 裏の意図の有無を確認すべく注意深く真柄を見つめながら、ジョンは続けた。


「ベルゼビュートが取引に応じなかった場合、我々は君を抹殺することとなっている。何年かけても」


 ジョンが身を乗り出す。


「アメリカは、正義であり続ける。アメリカは、勝利し続ける。そうあり続ける運命を、我々は背負っている」


 紳士的なその笑みは、崩れない。



 強調こそするが、ジョンは声を荒らげなかった。平静さが崩れることもない。ひたすらに”個人”が排除されている。


(なるほど……これが、ジョン・スミスか……)


「ちなみにここで私を殺してもかまわないが、ジョン・スミスは替えのきく”役職”でね? だから、私を殺しても組織に致命的ダメージは与えられない。まあ、組織内で最も優秀な者が”ジョン・スミス”を継ぐシステムだから、命令系統に短期的ダメージを与えることくらいは、できるかもしれないが――」


 ジョンが手を広げた。受けて立つと、言わんばかりに。


「それで、どうする? 早速、ここでるか? 私の典外魂殻――」


 空気の質が変わる。




「”愛国者パトリオット”と」




 張りつめた空気が、室内を満たした。


 真柄は、静かに、糸を紡ぐ。


 指輪をしたアレックスの指が、ピクッと動いた。


 その時、


”兄さん”


 ヒリついた空気を元に戻したのは、英語で発されたセシルの声だった。彼は小ぶりの鈴のような声をしていた。


”どうした、セシル?”

”緊急連絡が入っています”


 差し出された通信機を受け取り、ジョンが耳にイヤホンを入れた。


”手早く頼む”


 しばらくして、ジョンの眉根がかすかに皺を刻む。


”なんだと?”


 何やら怪訝そうな表情。


”……わかった”


 イヤホンと通信機をセシルに返すと、ジョンは椅子に座り直した。それから思考を整理するように、彼はその滑らかな指先でミニグラスの表面をしばし撫でていた。そして言った。


「驚いたよ、ベルゼビュート」

「何にだ?」


?」


(一体、何があった? 急に態度が変わった感じだが……)


「何者だと、言われてもな……俺としては、おまえたちの調べた通りの男だとしか言えない」


「先ほど”クロトヘイム財団”から、ホワイトヴィレッジの上層部に連絡があったそうだ」


 クロトヘイム財団。


「…………」


 知らぬ名ではない。


「”ベルゼビュートから手を引け”と、言ってきたらしい。この件に関しては、まずそれを最優先事項としろと」


 後ろの二人も、わずかだが意外そうな空気を発していた。


「我々の意思決定に容易に口を挟める外の者など、この世には存在しない。ただし、あの財団に関してはいささか事情が複雑でな……この国はアメリカとヨーロッパをまとめて”欧米”と表現するが、実際、我々とユーロ圏の結びつきは強い。もはや、兄弟と言ってもいいだろう」


 仕切り直すように、ジョンはテーブルの上で手を組み直した。


「かつて、イギリスがEUから離脱しかけたことがあった……しかし結局、それは実現しなかった。離脱が実現しなかったのは、クロトヘイム財団が裏で動いたからだと言われている。要するに、クロトヘイム財団は長きに渡りヨーロッパを裏から操ってきたフィクサーのような存在……しかし、わからないのがここからでね」


 値踏みするように、ジョンが真柄を見る。


「ヨーロッパ諸国に絶大な影響力を持つあの財団が、なぜ一介の元傭兵にこれほどの便宜を図るのか? あの財団の中核にいる人物を動かすなど、仮に国家元首であっても困難なはず……だから君とあの財団にどんなつながりがあるのかは、実に興味がある」


(おおよその見当なら、つかなくもないが……)


「さあな。俺の口からは、なんとも言えん」


 見当はつくが、あえて口にする話でもない。


 その人物とは、たとえるなら黄柳院冴との関係に近いだろうか。


(とはいえ、こうして便宜を図ってくれるとはな……あの財団を動かすのも容易ではなかったはずだ。いずれ、俺なりに礼を言いに行く必要はあるだろう……)


 真柄弦十郎の持つ人とのネットワークこそが最大の不思議というようなことを五百旗頭が言っていたが、確かに、クロトヘイム財団とのつながりとなると、これは不思議に思われても仕方がないのかもしれない。



     ◇



「わがままを聞いてくださってありがとうございました、おばあさま」


「愛しの孫の頼みだからな……断れるわけもあるまい。しかし、おまえがベルゼビュートにそこまで入れ込んでいたとはな」


「彼は自分にとって、もう一人の兄ですから……血は、つながっていなくとも」



     ◇



 ジョンの追及は適当にはぐらかした。


 しかし、真柄の知人が財団の中核にいるとジョンは察したようだ。反応を見ればわかる。


「あの財団の誰かとのつながりが生まれたとすれば、君が傭兵業をしていた頃か……財団は今までこの件に関する我々の動きを静観していた。だがベルゼビュートが関わっているとわかった途端、急に干渉してきた。さすがの我々も、こればかりは寝耳に水というやつでね」


 ジョンが指先で、数回、テーブルを叩く。


「”伝説の傭兵”――その肩書きを、少々我々は軽く見積もりすぎていたらしい」


 椅子を引き、ジョンが立ち上がる。


とあれば、この私も引き下がらざるをえない」


 座ったまま、真柄は確認した。


「ホワイトヴィレッジは黄柳院オルガから手を引く……そう受け取っていいんだな?」

「ああ、そう受け取ってくれてかまわない。我々はあの財団と揉める方が損失が大きいと判断した。我々は今後一切、黄柳院オルガからは手を引く」

「もし先ほどの電話がブラフで、今の話が俺を油断させるための罠だという線は――」

「おい、ベルゼビュート」


 真柄の言葉を遮り、初めてアレックスが話しかけてきた。


「ジョンが口にしないからおれが言っておくぜ。今回の純霊素を巡る一連の動きは、軍産複合体を母体とするホワイトヴィレッジの主流派が先走って動いたことの結果でもある。つまり、今回の件に乗り気でなかった一派も内部にはいるわけだ」


 アレックスが何を言いたいのか、理解する。


「ホワイトヴィレッジの内部にはこの件の引き際を模索していた一派もいた……今回のクロトヘイム財団の物言いが、逆に、待ちかねていた鶴の一声となった派閥もあったわけか」


 アレックスが指先を向けてきた。


「ビンゴ」


 いやにあっさり引き下がったのには、そういう内部事情もあったらしい。


 ――パチンッ――


 アレックスが、指を鳴らす。


「今回の財団の介入で、暴走しがちな主流派をしばらく抑え込みやすくなった。むしろ非主流派としてはあんたに礼を言いたいくらいだろうぜ、ベルゼビュート」


(今の物言いだと、このアレックスという男がその非主流派という可能性もあるな……だが、今の俺には関係のないことだ)


 アレックスという男には妖しげな雰囲気があった。その妖しさは、どこかヴァンパイアめいたものを思わせる。


(ホワイトヴィレッジも一枚岩ではない……か。膨れ上がった組織はいずれ内部の意思統一に綻びが生じる。こればかりは、どこの組織も逃れられない宿命なのかもしれんな……)


「それに……あのベルゼビュートが背後にいるという噂が広まれば、今後、黄柳院オルガに手を出そうとする者も減るだろう。純霊素の正体が、仮にリークされたとしても……」


 靴音を鳴らし、ジョンが優雅に近づいてきた。それから彼はテーブルに手をつき、身体を傾げると、真柄の顔を覗き込んだ。


「死んだとも囁かれていたあのベルゼビュートが再始動したという噂は、いずれ裏の世界を駆け巡る……あの天野虫然を殺し、さらには、あの鋼鉄のクロトヘイム財団がベルゼビュートに謎の便宜を図ったという”フレーバーテキスト”つきでな」


 ジョンは勢いよく真柄のネクタイを掴み込むと、かすかに引き寄せた。真柄は抵抗しなかった。ジョンに随行した二人は、静観を決め込んでいる。


「ホワイトヴィレッジに勝利した気分はどうかな、ベルゼビュート」

「黄柳院オルガを守るためにすべきことが、これで一つ片づいた。だが、まだ完全に終わってはいない。だから安堵するのは、まだ先の話だろうな」


 真柄は深海のようなジョンの瞳を見た。今の彼には、ホワイトヴィレッジという総体から離れた”個人”が少しだけ垣間見える気がした。


「蠅の赤い目は――今、何を見据えている?」

「黄柳院オルガの抱える問題は”白”だけではない。だから……今は次の色を見据えていると答えるのが、適当か」


 真柄の身体をジョンが強く引きよせた。互いの額がくっつきそうな距離。ジョンのダークブルーのその瞳には、底なしの闇が溜まっている。



「私の”愛国者パトリオット”の出番を奪ってくれて、礼を言うよ」



 そして真柄を解放すると、ジョンは悠然と微笑み、スーツを直した。


「互いに命拾いしたようだな、ベルゼビュート」


 今、ジョンはこう言った。


 、と。


(この男……俺と戦うことになった時は、そのまま死ぬ覚悟だったわけか。なるほど……俺の感じていた違和感は、これか)


 ジョン・スミスは自分の命を捨てることに躊躇がない。


 自分が死んでも代わりはいる。


 そういう言葉をポジティブな意味合いで使う者は、大抵厄介な相手と相場が決まっている。


 真柄はかすかに口端を歪めた。


(まさに、殉教者パトリオットだな)


 ジョンの言葉には今のところ、嘘偽りは認められない。


(現時点でホワイトヴィレッジに対しすべきことは、これでひとまず果たせたと言っていいか……)


 ジョンがインカムを装着し、通話を始めた。早速、殻識島に来ていたホワイトヴィレッジの部隊を撤退させる段取りに入ったようだ。あえてこの場で指示を出し始めたのは、真柄に見せつける意味もあるのだろう。


(まあしばらくは、ホワイトヴィレッジに対する警戒を完全に解くつもりはないが――)


 指示を終えたジョンが、優雅に名刺を差し出してきた。


「アナログで悪いが、我々の連絡先だ」


 名前と電話番号だけが記された、簡素な紙の名刺。


「私が出られない時はアレックスにつながるようになっている。何かあれば、連絡するといい」


 名刺を受け取り、名刺入れにしまう。


「なぜ俺に、連絡先を?」

「今回は敵対関係にあったが、状況さえ違えば互いの利害の一致するケースもあるだろう。我々としても一応、あのベルゼビュートとのパイプは持っておきたいのさ。君があの財団の人間とつながりを持っているのなら、なおさらな」


 そう言ってジョンは背を向けた。どうやら今回の”会談”はこれで終わりらしい。


 幸運を グッドラック、ベルゼビュート」


「…………」


 ここまで心の籠っていないグッドラックも珍しいと、真柄は思った。


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― 新着の感想 ―
[一言] >「アメリカは、正義であり続ける。アメリカは、勝利し続ける。そうあり続ける運命を、我々は背負っている」 こう断言されると、曇りなき瞳でこう尋ねたくなる。 「ベトナムは?」
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