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ソード・オブ・ベルゼビュート  作者: 篠崎芳
第一章 SOB シェルターズフィールド
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10.はじまりは突然に


 四時限目が終わると昼休みに入る。


 悠真はブロック型の栄養補助食品を昼食代わりとして持参していたが、オルガが学食に行くようなら相席を持ちかけてみようと考えていた。

 自分の席から動く気配のないオルガは、紺色の包みに入った弁当箱を机の上に出した。日によって違うのかもしれないが、学食には行かないようだ。


(ここの食堂は、値段の割に充実したメニューと味で有名と聞いたが……)


 食堂の人気ぶりは教室に残っている生徒の数が物語っている。


(黄柳院ともなると、それ以上の質の食材を使用した弁当を持参というわけか?)


 中身が気になった悠真は、封から頭を出した栄養補助食品を手に席を立つと、オルガの横に立った。


「何か?」


 視線一つ動かさずオルガが平板に尋ねた。


「学食は使わず、教室で弁当なんだな」


 卵焼き。

 器用に包丁で切れ込みを入れた焼きウインナー。

 軽い焦げ目のついた薄い豚肉。

 焼き魚の切り身。

 ブロッコリーとプチトマト。

 アスパラガス。

 白米。

 梅干し。

 かつおぶし。


 あの黄柳院の人間の食事と考えるなら質素と呼んでいい内容か。

 各食材のサイズはお世辞にも大きいとは言えず、個数も少なかった。ゆえに、質素と感じられるのかもしれない。小食なのだろうか。

 ただ盛りつけのせいか、悠真の目には上品な弁当として映った。


(あえて周囲の生徒に庶民派をアピール……? いや、なら皆と同じ学食を使えばいいだけの話だ……)


「黄柳院の者の弁当にしては、貧しい中身と見えますか?」


 卵焼きを箸でつまみながら、オルガが言った。箸の持ち方が綺麗だ。


「思わなくもない」


 ぱくっ。

 はむ、はむ。

 ごくん。


「正直な人ですわね」

「とはいえ栄養バランスは悪くない。それに、俺も人の弁当に文句をつけられる立場じゃないしな」


 オルガの視界に入るように手元の栄養補助食品を差し出す。


「それは人類の知恵の結晶ですわ」


 今のオルガの返しを、悠真は少し愉快に感じた。


「同感だ。ところで、弁当箱の隅にあるその濃いオレンジ色のものはなんだ?」


 濃い橙色をしたペースト状のものがアルミの包みに入っていた。あれだけは悠真にもわからなかった。


「唐辛子味噌ですわ」

「唐辛子? 辛いものが好きなのか」

「…………ええ、それなりに」


 今の逡巡で悠真は察する。


(なるほど。けっこうな辛党らしい)


「ひと口もらっても?」

「あら? 食べたことがありませんの?」

「ない」


 仕方ないとばかりに細く息を吐くと、オルガは箸で唐辛子味噌をすくった。


「箸を持っていないようですが、わたくしの箸をお貸しするつもりはありませんので」


 オルガは悠真の左手を取ると、人差し指の先にそっと唐辛子味噌を落とした。


「いささか行儀が悪いですが、これでご容赦くださいませ」

「感謝する。すまないな」


 礼を言ってから、主張の激しい色のペーストのついた指を咥えて、舐めてみる。

 辛みの中に爽やかな酸味。柔らかな酸味だった。


「風味がいい。これは……ゆずか?」

「ご明察」

「炊いた白米と合わせてもイケそうだな」

「お気に召したようで、何よりですわ。なかなかご趣味がよろしいようで」

「なるほど。ただ上品なだけの弁当ではなかったか。思わぬ伏兵が隠れていたな」


 オルガが弁当箱の両端に手を添える。


「昼食はこれで十分です。それにお弁当なら、自分がその日食べたいと感じた食材を使えますし、味付けも完全に自分好みにできますから」


 確かに食堂のメニューにある料理だと味を変える場合、テーブルに置いてあるスパイスで味を調節する程度が関の山である。さらに、今の言葉は一つの事実を示しているように思えた。


「となると、弁当は自分で?」

「一切が他人任せでは、黄柳院の娘など務まりませんもの」

「ご立派なことだな」

「七崎くん……だったかしら?」


 次の言葉までに一拍の躊躇いがあった。


「少し、変わった方ですわね」

「たまに言われる。ま、唐辛子味噌も食べことがなかったしな」


 オルガは一瞬微笑みかけたが、すぐさま口もとの綻びを修正した。


「七崎くんは、なぜわたくしに話しかけてきたのですか?」


 パキッ


 悠真は栄養補助食品をかじる。


「おまえの背中を見ながらこいつをモソモソ一人で食べるのも、味気なくてな」

「といっても、食事中の会話は――」

「相手によっては、時と場合しだいで有意義となる。おまえが過剰にマナーにこだわる人間なら、黙って従うが」

「…………」

「悪いな。こう見えて根があまのじゃくでな」


 先ほどのような返しは、一見すると誠実に映る”七崎悠真”にはそぐわなかったかもしれない。


「くすっ」


 オルガが微笑みをこぼした。


「おかしな人」


 その時だった。

 教室の後方の引き戸が開き、一人の男子生徒がツカツカと威勢よく踏み入ってきた。

 悠真は、四限目までに頭に入れておいた2−Bのクラスメイトの顔を一瞬で頭の中で並べ、確認作業を開始――このクラスの生徒ではない。


「こうして声をかけるのは初めてだね、黄柳院さん」


 男子生徒は、悠真の存在など視界に入っていないかのように、オルガの席の前に立った。


「僕は、御子神みこがみ一也かずやといいます」


 人畜無害そうな風貌をした御子神一也は、苦笑を浮かべた。


「あ……ご、ごめんっ。まだ昼食の最中だったんだよね? そこについては謝るよ、黄柳院さん」


 演技ではない。

 独特の鈍さを持った男――悠真は、そう判断。

 突然の来訪者に狼狽うろたえるでもなく、オルガは平然としていた。

 その一方で”きたか”と言わんばかりの一種の了承が窺えた。


「彼のような例外もありますから……一応、窺います」


 悠真を一瞥してから、オルガは視線を一也へ戻す。


「わたくしに、どんな御用でしょうか」

「実はさる人から、君の話を聞かされてね」

「わたくしの? どのような話かしら?」


 頭をかきながら視線を外す一也。


「うん……君が黄柳院の本家からどういう扱いを受けているか、って話なんだけど――」


 カチャッ、カランッ


 精神の動揺が影響したか、オルガが手から箸を取り落した。悠真は床に落下せぬよう机の表面で弾かれた箸をキャッチ。そっと、机の上に戻す。

 オルガはその箸を無言でしまうと、弁当箱を閉じ、てきぱきと布で包み始めた。弁当の中身はまだ三割ほど残っていた。


 キュッ


 包みの口を結び終えたオルガが、すっくと立ち上がる。

 緩く腕を組むその立ち姿は、風格漂うと表現するにふさわしかった。これが黄柳院の血の持つ”格”なのだろう。

 だが同時に単なる風格とは別種の静かなる戦気が、今のオルガからは立ちのぼっていた。


(どうやら今の男子生徒の発言のが気に障ったらしいな……)


 オルガと一也を仔細に観察する。

 まず第一にこの御子神一也という男が危険かどうか。

 悪意は――なさそうに見える。


「この学園においてでわたくしに声をかけてくる方の用件は、大体、わかっております」


 緊張に満ちた表情の一也を直視するオルガ。


「いらぬ口をわざわざ利かずとも、わたくしは逃げませんわ」


 まいったな、とでも言いたげに苦笑する一也。


「話が早くて助かるよ……さ、さすがは黄柳院さんだね。それに、すごい威圧感だ……うん、ご想像の通りだよ。僕こと、御子神一也は――」


 一也は緩い笑みを引っ込めると、一種の純粋さを備えたたくましい表情で、清々しく、しかし挑戦的に、そして、力強く言った。


「黄柳院オルガに、決闘を申し込む」


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