1.ベルゼビュート
「この不敗を誇る私に決闘を挑むとは、その度胸だけは褒めて差し上げましょう」
黄柳院オルガは、朗々と言った。
威風堂々たる佇まい。
くびれた腰まで流れるハニーブロンドが風に揺れている。
軽く編み込まれたひと房の髪。
上質な絹にも似た美髪を際立たせる黒のカチューシャ。
学園の制服のスカートから伸びる肉づきのよい脚は黒タイツの包まれている。
均整のとれた肢体を持った少女だった。
容貌について感想を尋ねられたなら、十人中十人が、性別を問わず美人と答えるであろう。
その勇ましい立ち姿は、さながら現代の姫武者のようでもあった。
「この黄柳院オルガ、どんな相手からの挑戦でも受けて立ちますわ。ですから――」
氷の女王めいた冷たい眼光が、挑戦者を射貫く。
「わざわざ私のタブーに触れずとも、よかったのですよ?」
澄み切ったブルーの瞳の先には、一人の少年がいる。
オルガと同世代に映る少年。
顔立ちだけならば、一見して穏やかな印象。
それ以外は”普通”や”凡庸”という形容のしっくりくる少年である。
だが――彼から発せられる戦気には、並々ならぬものがあった。
少年から放出される戦圧。
感じられる者には、感じられたはずだ。
「君と本気で戦りたい場合、さっきの言葉を口にすれば無条件で決闘を受けてくれると聞いてね……ただ、心情を害させたのは謝るよ。悪かったね。でも――」
人のよさそうな微笑を湛えながら、少年は腰を落とした。
「不敗と呼ばれる君と、どうしても戦ってみたかったんだ」
空気が、変わる。
「”魂殻”、”展開”――」
少年の腕が発光を始める。
腕の周囲に、黒のラインの走る白い浮遊物が出現。
腕を前へ伸ばすと、少年は、次なる言葉を紡いだ。
「――――”装殻”――――」
そのひと言で、少年の腕に浮遊物が手甲のごとく装着。
さらに彼の手には、白刃の刀が出現していた。
「これが、僕の魂殻――”白刃鬼”さ」
試合場に集まっていたギャラリーにどよめきが走った。
「おい、あいつの魂殻……左腕の手甲と武器以外に、何もないぞ?」
「超攻撃特化型の魂殻ってことか。珍しい型だな」
「だが攻撃面でピーキーな分、防御面は紙に等しい。となると、並みの力量じゃあ役には立たねぇ。あの手甲での防御だけじゃオートシェルゲージはすぐなくなるだろうしな」
「てかあの挑戦者、誰か知ってるやついるか?」
「確か二年の転入生だ。つい最近、隣のクラスに転入してきたばかりだったはず」
「あー、なるほどなぁ。だから身の程知らずにも、不敗の女王に特例戦を仕掛けたってわけか。やれやれ、かわいそうに」
少年の魂殻は珍しいタイプの代物らしい。
その珍しいと評された魂殻を目にしても、不敗の女王は表情一つ変えていない。
黄柳院オルガが、染み一つない白い手を前方へ伸ばす。
「魂殻、展開」
動揺の欠片もないその声は、さながら澄み渡る清流のよう。
彼女の周囲に、黒と金色の浮遊物が出現。
「装殻」
オルガの身体が発光し、レオタードにも似た姿へと変化した。
その抜群のスタイルが嫌でも強調される状態の身体に、浮遊物の一部が、軽鎧のごとく装着されていく。
鎧姿の彼女の背面から、角形のパーツが突起物のごとく伸びている。翼のようにも映った。
威厳を帯びた涼やかな声で、オルガが告げる。
「これが、私の魂殻……”戦蜂”。さあ、キミに――」
――――ブゥゥゥゥンッ――――
蜂の羽音がごとくオルガの魂殻が鳴き出す。
「敗北を与えて、差し上げましょう」
彼女の振る舞いには確かな女王の風格が備わっていた。
根源にあるのは、勝利への強固な意志か。
不敗の女王の名は伊達ではないと、その威圧感が物語っている。
しかし、である。
そんな絶対女王を前にして、挑戦者の少年は――笑っていた。
「今、ワクワクしているよ。君の話を聞いてから、ずっと君と戦りたかった」
歓喜を隠し切れぬ少年が、白き刃を構え直す。
「この舞台に、僕は感謝する」
「――ぐふっ!?」
戦闘開始から数分で、戦いの趨勢は決まりつつあるように見えた。
「強、い……それも、とてつもなくっ……!」
巨大な”蜂”が、羽音を響かせながら勢いよく試合場を飛び回っている。
麗然と腕組みをしたまま、女王は吐血する少年を無慈悲に見おろしていた。
戦蜂から射出される、蜂を連想させる攻撃型ビット。
そのビットの絶え間ない体当たりによって乱打された少年は、最初こそ素早い動きでかわしていたものの、途中、かわし切れずに一撃を受けてしまった。
そこから、ひたすら少年はビットに嬲られ続けた。
見る限り少年の魂殻は、防御という意味で言えば”殻”の体を為していない。
この決闘は、魂殻使用者を保護するソウルシェルゲージの残量が尽きた時点で終了となる。
だが、少年はあえて魂殻以外の部分で攻撃を受けていた。これではソウルシェルゲージが減らない。ゆえに試合が終わらない。今の状況は、いわば防御に使用できるバリアを使わずにあえて生身で攻撃を受けている状態。定石に従うなら、普通、魂殻の攻撃はまず魂殻で防ぐものらしいが――
「くっ、さすがは不敗の女王……やっぱり、強いね……」
「鍛えた生身の身体を使った防戦でここまで粘った点だけは、褒めて差し上げましょう。ですが誰が見ても、勝敗はもう決しています」
膝をつく少年とオルガの周囲に蜂型のビットが集まってくる。
絶望的な、包囲網。
「潔く負けを認めれば、これ以上痛い思いをせずに済みますわよ?」
しかし、いまだ少年の口元には微笑みがあった。
「ざ、残念ながら……僕は、諦めの悪い方でね? それに――気づいているかな、女王様?」
「気づく?」
オルガの眉が反応。
「何をかしら?」
「すでに――」
ゆらり、と少年が立ち上がる。
現時点でオルガがほぼ勝利を確信していたのは、少年がすでに刀を鞘に納めていたのもあっただろう。
「最も僕が得意とする技の射程圏内に、君が、侵入してしまっていることに」
「――っ!?」
オルガが急いで後退を試みる。
しかし、少年の顔が物語っていた。
もう”遅い”と。
少年の刀を納めた鞘が”鳴き”始める。
――――バシュゥッ!――――
鞘から、拘束か何かが外れたような開放音。
「鬼葬流、抜刀術――”白鳴――」
その時、だった。
「ぐっ……ぐぅぅぅぅ―――――――――っ!?」
少年の攻撃動作が中断。魂殻をつけていない方の右腕が、赤く発光を始めた。新しい少年の攻撃手段かとも思われたが、どうやら少年自身にも心当たりのない現象らしい。
「くっ……なんだ、これ……っ!? 鎮、まれ……っ! 鎮まれよっ……僕の、右腕ぇ……っ! ぐっ……ぐあぁぁぁぁっ!?」
その右腕は禍々しい不吉を内包していた。右腕が発光し、激しく脈打ちながら変化していく。
「キミは一体……なんなの、ですか?」
さすがのオルガもこの事態には戸惑いを隠せずにいた。予想外の事態にギャラリーたちも動揺を見せ始める。そして、凶暴なる邪臭を放つ右腕がまるで、意思を持っているかのように――オルガへと、狙いを定めた。
(これは、さすがにまずいか……さて――)
「魂殻、展開……装殻――で、よかったはずだな……」
右手と左足に魂殻が装着される。
不敗の女王と比すれば、はるかに心もとない武装。
魂殻武器は――皆無。
「さて、多少の防御効果くらいは期待したいところだが――」
ギャラリーの中から、一つの人影が飛び出した。
人影は、ほぼ一瞬でオルガと少年の間に割って入る。
「え!? き、キミは何をしているのです!? ここは、危な――」
オルガが警告を言い終えるより早く、七崎悠真は、魂殻を纏った右手で少年の異形化した右腕を払いのけた。
次に一秒とかからず、少年の背後へと回り込む。
(左足の魂殻の力を借りても、この身体ではせいぜいこのスピードが限界か)
今の自分の限界速度を頭の中で確認しつつ、悠真は、素早く少年の首を腕で締めつける。見る者が見ればその一連の動作は、実に洗練された動作として映ったであろう。
「ぐっ――がっ……ぎぎっ……!?」
そして、
「ぎっ……ぐっ――」
少年の身体が、糸でも切れたみたいにくずおれた。
異形化した右腕の発光が小さくなり、形が元に戻っていく。
少年の魂殻も、発光後、消え去った。
誰もが――ギャラリーが、不敗の女王が――驚愕の面持ちで突然の闖入者に視線を奪われていた。
掌を打ち悠真は汚れを払う。
足もとには気絶した少年が倒れている。
「キミは、一体……?」
先ほど挑戦者の少年へしたのとほぼ同じ問いを、オルガが投げてきた。
気を失っている少年を見下ろしながら悠真は言った。
「決闘とやらの最中に割り込んでしまって、悪かった……だが、どうも嫌な予感がしてな。許せ、黄柳院オルガ」
オルガは、まだ状況が上手く飲み込めずにいるようだった。
「ど、どうしてキミはこんな危険な状況へ飛び込んできたのですかっ? そこの男子生徒の右腕の状態は、誰が見ても、未知の危険が――」
「その未知の危険に晒されていたのが、黄柳院オルガだったからだ」
「え?」
悠真は口の端を歪め、オルガに言った。
「おまえが危険だと感じたから、つい、飛び出してしまった」
七崎悠真は本日この学園に転入してきた生徒である。
ただし”七崎悠真”とは、彼の本当の名ではない。
彼の真の名は、真柄弦十郎。
実年齢は七崎悠真の設定年齢である17より、10以上も上である。
真柄弦十郎はとある人物から依頼を受け、本日、黄柳院オルガのボディーガードとしてこの第一殻識学園へ転入してきた男だった。
真柄弦十郎の名を知る者はそう多くないかもしれない。
だが、ある時期に血と闇の世界に身を置いていた者ならば、誰もが知っている凶名がある。
――――ベルゼビュート――――
そう、
真柄弦十郎は”ベルゼビュート”としてかつて戦場で恐れられた、伝説の傭兵であった。